翌日の朝。
天気予報をテレビで確認すると、ただの晴れから曇りのち晴れに変わってしまっていた。
お父さんにはまゆう公園まで送ってもらうわけだから、曇りの可能性のある今日は止めておいたほうがいいのだろうか。万が一曇っていて星が見えなかったら、夜月にもお父さんにも申し訳ないし。
そんなことを天気予報を見ながら夜月に話してみたら、『その時はその時だ』という実に楽観的な返答をもらった。まぁ、彼がそう言うなら私は夜に晴れることを願うだけだ。
朝と昼はいくら曇っていても構わないから、夜に晴れてくれてさえいればいいのだ。天気予報が当たってさえくれたらいい。外れるのを願うよりよっぽど可能性があると思う。
スマートフォンで確認すればもっと早い段階で知ることができたし、より詳細な情報を探すことができたのだろうけど、今の私には、まだスマートフォンの電源を入れることが怖い。
友人たちから心配の声を無視してしまい、夜月の家族や、クラスメイトからのメッセージが届いているかもしれないと思うと、開けないのだ。
一気に止まっていた時間が濁流のごとく流れ初めてしまいそうで、怖かった。
夜月と話すことで恐怖心はかなり和らいでくれているけれど、長い間手を付けていなかったから、余計に触れづらい。両親との会話がと一緒だ。
天気予報を見るまでの時間は、昨日と同様、ずっと夜月と話していた。
今日は私の話だけではなく、夜月が事故のことを自分で説明してくれたけど、信号無視の車に轢かれたという私でも知っているような情報ぐらいしか、彼も記憶に残っていないようだった。
別に詳細にその時のことを知りたくなかったから、ちょうど良かったと思う。知ってしまったら、また吐いたりしてしまいそうな気がするし。
「ね、ねぇ夜月」
「ん?」
「もし、ダメだったらどうする?」
「斗真さんが断るとは思えないけど……まぁその時は大人しく諦めるよ。ま、忙しかったりしたら別の日にずらせばいいだけだし」
朝の七時過ぎに、夜月とそんな会話をする。
実は昨晩も結局、私はお父さんにはまゆう公園に連れて行ってほしいということを切り出せずに、いつものおやすみの挨拶しかできなかったのだ。『まだ明日がある』と思ってしまって、勇気が出なかった。
はたから見れば、『そんなに簡単なことに勇気は必要ないだろう』なんて思われるかもしれない。意気地なし、弱虫、へたれ。色々な言葉が思い浮かぶ。
自分がここまで弱い人間だとは思っていなかったんだけどなぁ。夜月が死ぬ前の自分だったら、もう少しマシだっただろうか。
「頑張るから」
「おう、後ろで応援してる」
「後ろじゃ見えないから、横にいてよ」
心細いということを包み隠さず伝えると、夜月は変にからかったりせず「おう」と返事をして私の横で胡坐をかく。そわそわしている私と違い、どっしりと構えていた。
いま私がいるのは、部屋の扉の目の前。そこで、お父さんが『いってきます』の挨拶をしてくるのを待っている。
まさかお父さんも、扉の向こうで私がこんな風に待っているだなんて思っていないだろうなぁ。万が一扉を開けたりしたら、すごくびっくりしちゃいそう。もしかしたら声の聞こえ方で、私が部屋のどこにいるのか伝わっちゃうのかも。
ドクンドクンと耳元でなっているような大きな脈の音を聞きながら、じっと待つ。まるで狩りでもしているような気分だ。お父さんが獲物ってわけじゃないけど。
深呼吸をしつつ、額に滲む嫌な汗を拭った。深呼吸は意識をしないと徐々に早くなっていってしまう。ゆっくり、ゆっくりと呼吸をしないと。
やがて、ギシリギシリと階段の踏面が軋む音が聞こえてきた。
その音は徐々に大きくなってきて、靴下とフローリングが奏でるスタスタという足音に変わり、私の部屋の前で止まる。緊張で吐いてしまいそうだった。
「じゃあ、行ってくるよ桔梗」
私の現在の心境など知る由もない、いつもの挨拶が聞こえてくる。左手で着ている服の胸元をぎゅっと握り、息を呑んだ。そして、息を吸う。
「……あっ、あの、お父さん」
「ん? なんだい?」
いつもと違う返答だったのにも関わらず、お父さんはなんでもないことのように聞き返してくれた。その特別感のない対応が、私にはすごくありがたい。
「……えっと、あのね」
言葉に詰まっていると、夜月が私の背をポンと叩いてくれる。その勢いに押されるようにして、私は口を動かした。
「今日って、あの、何時ごろ仕事終わるの? いつごろ帰ってくる?」
言えた。なんだかすごく達成感があって、もうここがゴールなんじゃないかと思えてしまうほどだった。でも、伝えることがメインじゃない。はまゆう公園に行くことが目的なのだ。
「いつも通り七時ごろになると思うけど、なにか用事かい? もし僕に何かできるなら、仕事なんかいくらでも休むけど。うちの会社は割と融通が効くからね。こっちのことは何も心配しなくていいよ」
お父さんはそんな風に行ってくれたけど、いくらなんでも車で送り迎えしてもらうためだけに仕事を休んでもらうのはだめだ。そもそもうちからはまゆう公園までは往復で三十分もかからないような距離なのだから、まるっと一日休んでもらってもこちらが困ってしまう。それに、私たちが行きたいのは夜のはまゆう公園なのだから、明るい時間には何もすることがない。
「いい! 休まなくていいから――あのね、仕事から帰ってきたら、はまゆう公園に星を見に行きたいの。だから、車を出してほしいんだけど」
「なるほど、わかった。せっかくだし、お母さんも呼んで家族みんなで行こうか」
「うん」
断られてしまったり、変にツッコまれたりしたらどうしようと思っていたけど、お父さんは何も聞かずに、ただ私のお願いを了承してくれた。
私のすぐ後ろで話を聞いていた夜月も、「やっぱり斗真さんかっこいいよなぁ」と頷きながら口にしている。
夜月はわりと、うちのお父さんに懐いている。そしてうちのお父さんもまた、夜月のことを気にいっているように見えた。
お父さんが夜月に向かって『二十歳を過ぎたら一緒にお酒を飲もう』だなんて誘っているのを聞いたことがあるし。お父さんは夜月と交わしたこの約束のことを、いまでも覚えているのだろうか。いるのだとしたら、悲しかっただろうな。
去って行くお父さんの足音を聞きながら、私は大きく安堵の息を吐いた。
そして覚束ない足取りでベッドに向かい、どさっと腰掛けると、後を追うように夜月も私の隣に座った。そして、私の背中をぽんと優しく叩く。先ほどとは違う、ねぎらいのボディタッチだった。
「悪いな。俺のお願いのために無理させちゃって。ありがとう」
「気にしないでよ。いずれは必要なことだったし、むしろきっかけがあってよかったって思ってるから」
私がそう言うと、夜月は難しい顔をしてうなる。なぜここでそんな表情を浮かべるんだろうと思い「なによその顔」と聞いてみた。
すると彼は悪びれた様子もなく、
「いやだってさ、いつもの桔梗なら『別に夜月のはついでだから、あんたのために無理したわけじゃない』みたいに言うじゃん。ちょっと丸くなっちゃった?」
そう言った。
「私、そんなに性格悪そうなこと言ってた? いや、言いそうだよね……ごめん」
「まぁ照れ隠しだろうなとは思ってたけど」
「……うっ、まぁ、そういう面もあったかもしれない。私、夜月ぐらいポジティブな人じゃないと、私は付き合うことができなかったのかもね」
本当に、私は夜月に甘え切っていたのだろう。
そしてその優しさに胡坐をかいていたのだろう。浮気をしていたなんてことは間違いなく無いと断言できるけど、夜月と同じような頻度で好きという気持ちを伝えられたかと聞かれたなら、これまた間違いなく無いと断言できてしまう。だって夜月、一日三回ぐらい言っていたし。
その言葉は、こうして私の前に出てきた夜月の口からはまだ聞くことはできていないけど。
まぁ、こんな状況で私に『好き』だなんて、簡単に言えるはずもないよね。もし聞くことができるとしたら、二回目のお別れの時なのかなぁ。
こんなリアリティのない現象が起きているのに、現実的な問題に目を向けなきゃいけないのは、なんだか変な感じだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夜の八時になると、お父さんとお母さんが私を呼ぶために二人そろって部屋の前までやってきた。今朝約束した、夏井ヶ浜はまゆう公園に行くためである。
懸念していた空の状況は、ぽつぽつと雲があるぐらいで、十分に星が見えそうな夜空だった。少なくとも、月ははっきりと見えそうな空である。
誰に会う訳でもないし――そう思って、私はコンビニに行くときによく利用していたグレーのスウェット姿で向かうことにした。夜月には、もっとだらしないような姿もこれまで見せてきたし、特に気にならない。着替えるときは、窓の外を見てもらった。
扉を開けた先に両親は立っていたのだけど、まだ目を見て話すことはできない。ちらっと顔を見たら、二人とも優しい笑みを浮かべていた。そして何もできない私の代わりに、お父さんたちは私を十秒ぐらい抱きしめて、背中を優しくさすってくれた。
お父さんたちが私に対して行ったイレギュラーな対応はそれぐらいで、あとは普段通り。休日に外食にでも行くようないつものテンションで二人は会話をしていた。そんな両親の話を聞きながら私は家を出て、車に乗り込んだ。
運転はお父さん、助手席にはお母さん。私は後部座席に座り、しれっと夜月も私の隣に乗り込んでいる。
小声にする必要もないだろうに、夜月は囁くような声で「よろしくお願いしまーす」と言っていた。
それを聞いて笑ってしまいそうになったので、思わず夜月の太ももを叩く。彼はなぜ自分が叩かれているのかわかっていないと言った様子で、目を丸くしていた。その反応がまたおかしくて、笑いをこらえるのが大変だった。
「なんだか旅行に行くみたいでわくわくするわね」
「はしゃいで怪我とかしないでおくれよ」
「走り回ったりするわけないじゃない。子供じゃないんだから」
両親はそんな風に会話をしつつ、時折私にもイエスノーで答えられるような簡単な質問を振ってくれる。どこまで気の利く親なんだろう。
私はこの両親を見て育ってきたから、デリカシーの有無に敏感なのかもしれない。もちろん、人によってはこの対応が冷たいと感じられるかもしれないし、今の私への対応のように、最低限の会話しかしないという状況が合う合わないはあるだろう。
でも、私としてはありがたかった。
街灯もない、車のヘッドライトだけが照らすような道を進む。両脇にはお店どころか建物もなくて、代わりに森や田んぼがある。タヌキとかが飛び出してきそうな雰囲気の道だ。
「夜のはまゆう公園は暗いからなぁ。桔梗、スマートフォンは持ってきてるか?」
「……持ってきてない」
「あら、じゃあ私の使う? かなり暗いわよ?」
「大丈夫。暗いほうが星が良く見えるし、すぐ目が慣れるから」
「あぁ、桔梗の言う通りかもな。星を見るなら、ライトはないほうがいい」
お父さんは私の答に納得してくれたようだった。
窓を開けると、涼しい風と共にリリリと鈴虫の鳴き声が聞こえてくる。
車もほとんど通らないから、街中ではあまり気にならない虫の声も主張が強いように感じられた。そんな道を三分ほど進むと、白いガードレールが見えて、次いで波の音が聞こえてくる。それに伴い、潮の香りが混じった風も窓から入り込んできた。
明るい時間に来れば綺麗な海を見下ろせる道路なのだけど、この時間だから、白い波の飛沫ぐらいしか見えない。
また、明るい時間に見に来たいな。徒歩でくるとなると、ちょっと時間が掛かっちゃうけど。
今の時期は暑くもなく寒くもなく、風もとても気持ちいい。もう少し早い時間に来たら、犬の散歩などでこの場所にやってきている人もいる。明るい時間だと、波の音を聞きながら読書をするような人もいる。
欲を言えばはまゆうが咲いている時にもう一度来たかったけれど、もう花は散っちゃったんだよね。
もう二度と夜月と一緒にはまゆうの白い花を見ることはできない――それだけで涙がこぼれるには十分だった。
やがて、駐車場に付いた。
自販機の明かりだけが頼りになるような暗い駐車場だけど、先ほどお父さんが言っていたように公園内にも灯はないから、目を慣らすという意味ではこれでいいのかもしれない。
三人で車を降りると、お父さんが「僕らは後ろから付いていくから、好きなように見てきなさい」と言ったので、その言葉に甘えて一人で歩き出す。
途中、入り口に差し掛かったところで、ふと思い出したことがあって後ろを振り返った。
「ここ、チェーンあるから気を付けてね」
「あらほんと」
「ありがとう桔梗」
駐車場から公園の境目部分には、ポールとチェーンがある。暗いし、チェーンは錆びて黒ずんでいるから見えづらくなっているのだ。夜は特にあぶない。
「さては俺が転んだことを思い出したな」
「夜月、二回転んでたもんね」
「よく覚えてんなぁ」
「面白かったんだもん」
両親には聞こえないように、小声で口にする。
公園に入る前から、もうすでに夜月との思い出が蘇ってくる。たったこれだけのことなのに、また涙が流れそうだった。
自販機にだって思い出がある、看板にだって思い出がある、駐車場にいるだけでも夜月との思い出はいっぱいだった。
アスファルトの道を進んでいくと、自販機の灯も届かなくなっていよいよ暗くなってきた。それでもかろうじて、どこに道があるのかはわかる。少しだけ歩くと、両脇を緑で囲まれた道から、大きくひらけた道に出た。
アスファルトの道は二股に分かれて一つになり、また二股に分かれる。いびつな八の字を描いたような形になっている。そして最初の二股に分かれる部分――道と道の間の芝生にも、はまゆうがいくつか生えている。花が咲いていない時期のはまゆうは、葉っぱが南国にありそうな植物の雰囲気を持っていた。
鈴虫の声を聞きながら、やや婉曲した道を進むと、すぐに公園の端までたどり着いた。八の字の、右上あたりだ。
色々の形の石畳の上に、石でできた丸い椅子が三つと、石のアーチと鐘。柵の向こう側には、真っ暗な空と海が広がっている。目を閉じて波の音を聞くと、まるで心が洗われるような感じがした。
「いい場所だよな」
夜月がそうやって話しかけてきたので、私は後ろを振り返る。夜月を見るためではなく、両親の位置を確認するために。しかし私の心配をよそに両親はすぐそばにはおらず、どうやら道の半ばで空を見上げているようだった。星を探しているらしい。
いちおう聞かれないように、私は小声で「どう?」と聞いてみた。
「どう、とは?」
「夜月のお願いで来たんじゃない。もしかして、これで成仏とか……しちゃうの?」
自分でそう口にして、ようやくその可能性に気付いた。願いを叶えたら、この夜月は消えていなくなってしまうのではないか――ということに。
でも、これは正常な状態じゃない。死んだ人が見えてしまっている現状が異常なのであって、これはいずれ解消しなければいけないことだ。
夜月はもう死んでしまっている――この世にはいないということをきちんと理解してはいるつもりなのだけど、半透明とはいえ目の前に夜月がいるから、自分の気持ちがよくわからないことになってしまっている。
「そうだな。成仏はする――でもそれはもう少し先だろうな。もう少し、俺は桔梗にお願いしたいことがあるからさ」
夜月は柵に肘を置いて夜の海を眺めながらそう口にする。その横顔はどこか達観した雰囲気があるが、寂しそうな気配はしない。夜月は、自分が消えてしまうことが怖くないのだろうか。
「夜月は、嫌じゃないの? 私とも話せなくなるのよ?」
不安になって、聞いてみる。なぜ夜月はそんな簡単そうに割り切ってしまうのだろう。
私が夜月の立場だったとしたら、泣き叫んで現世にとどまりたいとわがままを言ってしまいそうなのに。
「そりゃ話せたほうがいいさ。でもこれは当たり前じゃない。早いところ夜の月になって、宇宙から桔梗の姿を見守りたいよ。だからこうやって、桔梗にお願いをしてるんだ」
「ずっとこのままじゃダメなの?」
私がそう言うと、夜月はこちらを振り返って肩を竦める。
その表情を見るだけで、次に夜月が口を開いた時、どんな言葉を口にするのかがわかってしまった。
「――無理だな。正直、俺だっていつ消えるのかわからない。でも、それが永遠でないことぐらいは、感覚でわかるんだ。だから桔梗、いつまでも俺に依存しちゃダメだぞ」
「……別に、依存とかしてない」
「そっかそっか。それなら安心だ」
笑いながらそう言った夜月は、無音で足を進め、傍にあるモニュメントの元へ。ハート形が組み合わさったような鉄の造形物には、たくさんのカップルや夫婦の名前が記された南京錠が吊るされている。私は夜月に釣られるように、その場所へ歩いて行く。
「……桔梗は苦手だったよな」
「そういう夜月はこういうの好きだよね」
「だってロマンチックだろ? それに、これだけの人が同じように永遠の愛を願ったかと思うと、なんとなく幸せな気分になる」
「――そうかもしれないけど、私は他の人に見られるの、なんか恥ずかしい」
付き合った当初も、そんな会話をしたことを覚えている。夜月は乗り気だったが、私がそうでもなかったので、結局この『インフィニティラブ』というモニュメントには、私たちの名前が書かれた南京錠は掛けなかった。
もしあの時南京錠を掛けておけば、夜月はいまも生きていたのだろうか。
そんなことを考えてしまうぐらい、私の心は弱っている。
「満足した?」
十分ぐらい夜月と二人で海を見たり、星を見たり、月を見たりしたあと、夜月に聞いてみる。もしもうちょっと見たいというなら何十分でも付き合うけど、スッキリしたような表情をしていたので、もういいのかなと思ったのだ。
「おう、かなり良かった。でもわざわざ斗真さんに送ってもらってここまで来たんだからさ、ついでに、鐘の音ぐらい聞かせてくれよ」
「……かなり恥ずかしいんだけど」
そう口にしながら、後ろを振り返る。両親に夜月との会話がバレないよう、足音には気を付けていたけれど、どうやらこちらではなく、二人はもう一か所の柵がある場所から海を見ているらしい。ここからは数十メートルはある場所だ。
「大丈夫大丈夫。斗真さんと明子さん以外に人はいないみたいだし、斗真さんたちもあっちから海を見てる。もし聞かれたとしても、恥ずかしがるようなことじゃないぜ」
「……しょうがないなぁ」
しぶしぶ返事をして。鐘から垂れ下がるロープを握る。ゆっくりとロープを振ると、先に付いた円柱型の木が、微かに鐘に触れて『コーン』と小さな音を鳴らした。
「ちっちゃ。え、いや、ちっちゃ」
「うるさい、いいのこれで。聞こえたでしょ」
ダメだしを食らってしまったが、私としてはこれが限界だった。誰に見られているわけでもないのに、恥ずかしい。生まれた時から今に至るまで、私は目立つことが嫌いなのだ。
嫌いで、苦手。
学校に行ったとき、『彼氏が事故死してしまった人』という視線が向けられることを想像すると、身震いしてしまうほどに嫌だ。ただでさえ目立つことが嫌いな私には、まさに地獄のような仕打ちである。
夜月がいなくなって自分が生きる意味すらも見失ったのも事実。もう全てがどうなってもいいやと自暴自棄になっていたのも事実。でも、それを勝手に相手に予想されて、変な視線を向けられたくはない。
長期間休んだおかげで、少しだけ現実に目を向けられるようになってはいるけど、余計学校に行きづらくなっちゃってるんだよね。
自業自得だ。
お父さんに声を掛けるときとは、また違う種類の恐怖がある。
だってお父さんの反応はだいたい予想できていたけど、クラスメイトたちの反応は予測ができない。だから、怖い。
「……学校行きたくない」
「どうしたの急に」
「変な目で見られたくない」
私がそう言うと、夜月は私の顔をのぞきこむようにジッと見たあと、私を抱くように肩に手を置いた。そして「まぁそうか」と口にする。
「奇異の視線を向ける奴もいるだろうな。――でもそれって、誰のことだ?」
「誰……って、みんなでしょ」
具体的に言うと、夜月と私と夜月の関係を知っている人たち。私たちは登下校や学校内で一緒にいることが多かったし、『付き合ってるの』と聞かれたときは正直に話していたから、知っている人は大勢いると思う。
「だからその『みんな』って、誰のこと?」
「クラスの人とか、学年一緒の人とか、うわさも広がるだろうし……なんでそんなこと言うの」
なんだか責められているような感じがして、つい私も攻撃的な声で返事をしてしまう。
やってしまった――と思ったけれど、夜月が先に「悪い」と謝った。
「じゃあ赤石彩、宮下亮はどうだ? 変な目で見てきそうか?」
私の親友と、その親友の幼馴染にして夜月の親友。夜月はその二人の名前をわざわざフルネームで呼んだ。
「他にも委員長のとこのグループはむしろそういう奴らを注意しそうだし、サッカー部の奴らはいい意味でさっぱりしてる。女子たちだって、そういう奴らばかりじゃないだろ? 少なくとも、俺が見る限りは三分の一もいねぇ。亮が裏で手を回すってパターンもある」
「……それでも、私たちと関りが薄い人は、可哀想な人って目で見てくると思う」
夜月がどれだけ私を説得してくれようとしても、そこは変わる気がしなかった。
可哀想だと見られたらなんなのか。それで私が何か被害をこうむるのか。
そう言われたら、たしかに何もないのだけど。嫌な気分にはなる。
「まぁ無理に学校に行けとは言わねぇよ。でもさ、もし勇気が出たら、前向きになれたときはさ、関り薄いやつらばかりに目を向けないで、仲良いやつらに目を向けたらいいんじゃん」
「……仲良い人に?」
「そうそう。自分のこと気分悪くさせてくるやつなんか無理に見ないでいいんだよ。あとはそうだな……可哀想だと思われたくなかったら、可哀想じゃなくなればいいんだ」
「なにそれ」
「言葉通り――おっと、斗真さんたちが来たから、気を付けろよ。お口にチャックだ」
夜月が話している最中に足音が聞こえてきた。彼もきっと私と同じタイミングで気づいたのだろう――二人分の足音がこちらに近づいてくる。私の近くにまでやってきたお父さんは、穏やかな表情で「夜風が気持ちいいね」と言ってきた。
「うん、連れてきてくれてありがとう。もう大丈夫」
「そう、どこか寄っていく? 食べたいものとかないの?」
「……ううん、大丈夫。でも最後に、砂浜のところに行ってもいい? 下には降りないから」
二人にそう言うと、快く了承してくれた。
来た道を戻り、駐車場を横切って通りに出る。下るように歩道を少しだけ歩くと、海岸に行くためのなだらかなスロープが見えてきた。そこから階段を下りて行けば砂浜に出ることができるけど、両親に宣言した通り、今は暗いからやめておく。
お父さんとお母さんは、歩道のところから海を眺めていたが、私はより海に近い位置に行って、海を見下ろした。白い波が音を立てて、何度も砂浜へ近づいてくる。
「……本当に幻覚なんだね」
「幽霊かもしれないけどな」
道路にある光の強い街灯が、私と柵を背後から照らしている。
砂浜には綺麗に私の影が映っていた。だけど、隣にいる夜月の影はない。私一人だけを、はっきりと映している。隣を見れば、夜月はたしかにここにいるのに。
まるで、夢と現実のはざまにいるようだった。