午前中に、今日の分の仕事を夢中で終わらせた。のんびり仕事をしていると、無駄に考え込んでしまいそうだったので、集中して仕事を倒していったのだ。

「花見でも行かへん?」

 窓の外を見れば、良い天気だ。花粉の薬も飲んだし、マスクとメガネがあれば大丈夫だろう。
 振り向けば、春香も同じ出で立ちだった。
 ──二人とも、花粉症なのだ。

 家の近くの多摩川土手には、花がたくさん咲いている。それに、この国は至る所に桜を植えているのだ。わざわざ目黒川まで行かなくても、美しい桜はいくらでも見れるし、ソメイヨシノでなくても、桜はどれも美しい。

「あ、チューリップも咲いてる」

 多摩川土手に向かう途中の小さな公園。入り口の花壇には、赤白黄色、と歌のように色が並んでいる。

「変わった花びらやな。写真撮っとこ」

 私も同じように写真を撮る。春香は仕事として。私は今度作る同人誌の表紙の背景の資料に。
 この時間はまだ小学校も授業なのか、子ども達の姿は見えない。風に揺れてキィキィ音を鳴らしているブランコが少しだけ所在なさげに見えた。

「ちょっとだけ乗ってこ」
「ええね。私も同じこと、考えてた」

 二人並んでブランコに座り、にんまりと笑う。どちらからともなくこぎ出しては、お互い高さを競い合った。まるで、小さな頃のように。

「う、わっ。怖っ」
「なぁっ! ブランコって、どうやって止めるんやっけ!」

 どんどんと加速していくそれに、私たちは目が回りそうになる。小さい頃よりも格段に体重の増えた私たちは、振り子としては優秀すぎたようだ。
 漕ぐのを止めて暫し。ようやく勢いをなくしたブランコは、私たちの足を地上に届けてくれた。怖かった……。本当に。
 途中のコンビニでタマゴサンドとお茶のペットボトルを買って、多摩川土手に出る。
 家にあったレジャーシートを敷いて、川縁に二人で並んだ。

「気持ち良いねぇ」
「ほんま、気持ちええ」

 中天より少し降りた太陽は、私たちの心を穏やかに照らし出す。多摩川は光を浴びてキラキラと輝いていた。

「春香、次の締切りまで余裕はいかほどに?」
「そうやねぇ。今日は水曜やろ? 土日は付き合えるよ」

 どうやら私の気分転換に付き合ってくれるらしい。ありがたいことだ。
 週末は天気が良いだろうか。空を見上げる。

「どこか行きたいとこあるん?」
「特には」
「そ」

 動画サイトの番組の何かで、今コンビニのタマゴサンドが外国人観光客に大人気だと見たので、買ってきたそれを二人でかぶりつく。

「ん、確かに美味しいね」
「玉子マヨのタマゴサンド、好きやわ」

 春香を見れば、ほっぺたの横に卵が一つくっついていた。

「春香、お弁当」

 頬を指させば笑う。つまんでそのまま食べていた。コンビニの袋に入っていたお手拭きで拭く。

「そういえば、大阪って厚焼き玉子挟んでるよね」

 あれはびっくりした。タマゴサンドといえば、ゆで卵をマヨネーズでほぐして塩胡椒で味付けしたものをサンドしているのが、私の普通だった。でも、大阪で喫茶店モーニングをして出てきたタマゴサンドは、厚焼き玉子がサンドされていた。思わず二度三度と見てから、周りをこっそり伺うと、皆当たり前のように食べていたので、私も当然という顔で食べたのだった。

 美味しかった……!
 甘めの厚焼き玉子が、カリカリに焼かれたトーストに挟まれて、しかもその厚焼き玉子がふわっふわ。もう一度言おう。ふわっふわ。初めての体験に、テンションが上がって、東京にいる春香に連絡をしてしまったくらいだ。

「灯から大興奮のLINEが来たときは、何かと思ったわ。写真まで送ってきたけど、私にとっては喫茶店のタマゴサンドがあれなんは、普通やんか」
「うん、まぁ……そうなんだけどねぇ」

 あのときは、大阪の同人誌即売会に出るのに、一人で大阪に遠征をしていた。ボーナスの後だったこともあって、ちょっと良いホテルに一泊、もう一泊は素泊まりビジホで朝食を喫茶店、なんてこじゃれたことをしたんだよね。

「西と東の人間が一緒におると、いろんな食文化が楽しめるやんな」

 タマゴサンドを頬張りながらそう言う春香は、なんだかとても、自由に見えた。

「あ、それで。帰りはスーパー寄ろう」
「ええね。ビール? たまにはワイン?」
「それも買うけど、桜餅の材料を」

 私の言葉に、飲みかけていたペットボトルを下ろす。そうして、ゆっくりとこちらを見た。

「想定は、どちらの桜餅で?」 
「……関西風でいきましょう」 

 春香の目力に、負けてしまったのは、仕方がないと思う。
 スーパーの帰り道、にわか雨にあってしまった。大慌てで二人で住処に戻ったけど、買ってきた粉類が濡れていないかが心配だ。

「荷物は私がキッチンで確認しとくから、春香はシャワーを……」

 春香の方を振り向いて、驚いた。

「あらやだ春香……」
「なんや」

 まとめて出したタオルを、私の手から受け取り首をかしげる。

「いやぁ。言ったら怒るから」
「怒るかはわからへんけど、気になるから言うてや」

 頭からしっとりと濡れた春香は、その身長も相まって──

「水も滴るいい女だな、って」

 羽織っていたカーディガンを頭に傘代わりにかけていたせいで、白いシャツが濡れて肌につき、デニムはその重みでラインがストンと落ちている。ボブカットの髪の毛は頬に張り付き、えも言われぬ色気を出していた。

「これはいかん!」
「何がいかんのや。ええ女に見えるんやったら、それはそれでラッキーやろ。別に男の目があるわけやないし」
「……確かに」

 これで男の目があるところだったり、男の目を意識して、とかだったら話は変わるが、ここには私と春香しかいないのだ。それで春香がとても良い女に見えるのであれば、それはまぁ春香の魅力が一つ開花したわね、で済む。

「とにかく、シャワー先にどうぞ」
「ん。灯お湯入る?」
「そだね。ついでに沸かしといて」
「りょ」

 私もタオルでざっと頭と体を拭いて、荷物をキッチンに持っていく。
 近所のスーパーで全て揃えられたのは良かった。私たちが知らないだけで、世間では割と普通に使うものなのかな。赤色素なんて、製菓専門店じゃないとないかと思ってたけど、売ってるものなんだね。ちなみに、パッケージがどう見ても文具屋におかれているようなものだった。シャチハタのインクのような……。
 ぶるりと体が震える。

「おっと。私も早めに暖を取らないとね」

 猫でも抱いておくか。

「灯~。あがったよ」
「あれ、湯船は?」
「湯船張るまで待ってたら、春香が風邪ひくやろ。ええから入り」

 背中を押すように風呂場へと押し込められてしまった。シャワーの熱気が心地良い。思っていたよりも冷えていたようで、体に当たる湯温と内臓の感覚に差異を感じる。

「上がったらお茶でも淹れて、とりあえず一息つくかな。それから桜餅」

 シャワーを浴びていたら、お湯が沸いた音がリロリロと鳴った。家中の家電が音を奏でるけれど、どれも違うメロディなのはありがたい。

「今日は草津の湯」

 脱衣所に手を伸ばし、入浴剤を抜き取る。適当にとったものは草津の湯かと思ったら、箱根の湯だった。どちらでも良いか。

「ふはぁ」

 湯船に浸かると声が出るのはどういう仕組みなのか。まぁ、聞いてもすぐ忘れるけど。足先までじんわりとほぐれるような感覚に、春香ももう一度入れば良いのに、なんて思ってしまった。面倒くさがりの春香は、絶対に入らないだろうけど。

「ん? なんか良い匂いがするーっ」
「ちょっと甘い物が飲みたくなったんや。ココア、灯も飲むやろ?」

 今日はやけに優しい。朝の会議のあとの私、そんなにダメだったのだろうか。

「ありがとう」

 でも、それを言うのはちょっと恥ずかしいので、お礼だけ。
 ドライヤーで髪を大まかに乾かし、炬燵に座りココアを飲む。内臓がどろりと蕩けていくようで、ようやくほっとした心地がする。

「あんまりのんびりしとると、桜餅作る気力なくなるんやないか」
「それはそう」

 飲み終えたら、作ろうじゃないか。