明けて翌日、五月十六日。朝一番で検非違使庁に使いを立てて鈴木尚季の了承を取り、巳の一刻になるころ、千央と公鷹は正を伴い使庁を訪問していた。門で待っていた鈴木に迎えられ、三人は追捕者の記録を管理している府生(ふしょう)のもとへ案内される。
「いやいや、証人まで確保するとはさすがに弾正殿だな。こちらで確保した賊どもからは、まともな証言をさせられそうな者が一人としていなくてな。さすがだな九条殿?」
「喧嘩売ってんだな? 売ってるとみなすし一等いい値で買うぞ」
どうやら一睡もしていないらしい鈴木に絡み倒され、千央が引きつった笑顔を披露した。
「千央さん、ここ弾正台じゃないんで。使庁なんで」
鈴木に掴みかかりそうな千央を制し、彼と鈴木の間に挟まって歩きながら、公鷹は傍らの正の様子に注意していた。まだ毒が抜けきったわけではなく、目が離せない。顔色が悪く足元もふらつきがちだが、なんとか歩けているようだ。
その様子をちらと眺めて鈴木が公鷹に水を向けた。
「その者が大志の顔見知りで、一味だったという雑色か」
「はい。屯所に踏み込まれる前に毒を盛られ、昨夜は生死の境をさまよっていました」
その言葉に嘘がないのは見て分かった。どう見ても長生きしそうにない。昨夜の捕り物で取りこぼしなく全て捕らえたと思っていたわけではないが、出てくるのが早くて探す側としては助かった。
その「死にかけ」が、不意に口を開いた。隣を歩く公鷹の衣の裾を引いて訴える。
「……あの。ほんとにちゃんと捕縛されてるか、不安で……和田さんが捕まってる房が見たいんだけど……」
語尾がどんどん小さな声になる。これから証言する立場である正にとって、和田が捕まっているという確証が得られないのは気がかりなことにちがいない。公鷹は鈴木を見上げた。
「少尉殿、和田の房を彼に見せても問題ありませんか?」
鈴木は暫時考えた。
 口封じに殺されることを恐れる手下が、首魁の囚われた房を見たいというのは心情としてわからないでもない。だが、不測の事態は避けなければならない。例えばこの下人が、別の黒幕によってかつての首魁を口封じに来たのだとしたら?
「房に入ることは許可できんが、垣間見であれば」
「それでいいかい、正?」
公鷹に問われて、正はこくりと頷いた。

 検非違使が捕らえた罪人は獄舎に入れられ、勘問の時に使庁へ引き出される。この日、勘問の為に和田清重は使庁の奥まった房へ入れられていた。塗籠と同じく三方を土壁に囲まれ、入り口側に物見がついている。しっかり縛られ、柱に括られて不機嫌そうな和田の様子を覗き見て、正は長く深いため息をついた。
「気が済んだか?」
首肯し、消え入るような小さな声で「ありがとう、ございます」と言った正は、その後府生のところへ素直についていき、屯所と和田の屋敷で捕らえられた者たちの一覧を見た。
「……ほぼ、いると思います。おれはいつも屯所にいたわけじゃないので、自信ないけど」
「そうだよね。木下殿の雑色だったんだもんね」
「なるほど。では追捕者の面通しを頼みたい。わかる範囲でいいから、顔と名前を突き合わせたいのだ」
捕らえられた者が偽名を名乗っていたら困るため、証言できる者がいる際は必須だ。鈴木の言葉に、正は「はい」と首肯した。一味だったという割には素直だ。
促されるまま、今度は和田以外の賊が入れられている房へ向かう。もちろん賊の目の前に姿を現す必要はなく、彼らを繋いだ房を覗き込めるように物見がつけられていたことも利している。正は捕らえられた男たちの名前と、全員群盗の一味であることを証言した。
「では次は、捕り物の際に死んだ者たちを見てもらいたい」
斬り死にした群盗と思われる者たちの死体は、庁舎の外、東にある門の北面側に並べられていたため、その確認から始まった。
正は意外にも、怖じることなく応じた。自信がないと言ったが、正は見た者の名前を全て証言した。一部、一緒に捕らえられた者同士で名前を交換して偽名を名乗っていた賊もいたが、全て暴かれる。
淡々と確認が進んでいき、ふと気になった鈴木が首をひねった。
「木下為末を殺した者は誰なんだ? こやつらの中にいるのか?」
「……わからない、です」
正は先ほどよりもかなり顔色が悪く、ひどく汗をかいている。体に残っていた毒の影響が出ているのだろうか。胡乱げに顔をしかめた千央が聞き返した。
「いや、顔見りゃわかるだろ。わかんねえってことは、生きてるほうにいたか?」
「……もう一度見てみないと……」
ん、と唸った千央は、正と公鷹の背を押した。
「んじゃ公鷹、連れてってやれ。俺ちょっと用足してくるわ。おい鈴木、案内してくれよ」
「九条殿、殺害現場に居合わせて我々に追捕されたことがあるとは、とても思えないほど堂々としておいでだな?」
若干顔を引きつらせた鈴木が切り返したが、千央に組みつかれて抵抗が面倒になったらしい。実際、完全な部外者である千央を使庁内で自由にさせるわけにもいかない。しっかりやれよ、と目だけで公鷹に合図すると、千央を連れて渡殿の手前を曲がっていった。
 公鷹も、正の体調悪化は見てとっていた。少し休ませてあげたいと思っていたところに、木下殺害の犯人を見極めろという任務がきてしまった。
「正、具合悪そうだよ。水飲んでいこう?」
「……うん……」
呼吸も乱れてきているように感じる。朝、出がけに汁粥は食べさせてきたが、足りなかったのではないだろうか。足元のふらつきがひどくなってきている気がする。
厨の方へ向かおうとした時、何かの捕り物に出ていたのか、数人の大柄な放免が大声で話しながら渡殿をやってくるのが見えた。まるで避ける様子のない彼らのため、端に寄って横を通り抜ける。そして、公鷹は驚いて周囲を見回した。
「えっ、正、どこ?」
少し後ろを歩いていたはずの正がいない。先ほどの放免たちに巻き込まれたのかと思い、走って彼らを追ったが見当たらなかった。どこに行った、いや、連れ去られたのだろうか?
公鷹は必死に考えを巡らせる。

 そんな公鷹の様子を三つ先の房の陰から確認し、正は目を伏せた。素早く身を翻し、足音を立てずに先ほど通った廂を抜ける。使庁の最奥、重犯罪人の房の妻戸を押し開けると、中にいた和田が目を血走らせた。
「生きてたのか……いや、却って好都合だったな。薄鈍(うすのろ)、早く縄を解け!!」
縛り上げられた両手首を掲げて小声で叱責する。能面でも被ったように凍った表情のまま、正は袂から小さな刃物を取り出した。先ほど行き違った放免が腰に差していた刺刀(さすが)を抜き取ってきたのだ。
はっとした顔になった和田が後じさるが、縄が足元でからまりうまくいかない。
一言も発さず刃を抜き放った正が襲い掛かる――その瞬間、鈍い金属音が跳ねた。
「そいつを今殺させるわけにゃいかねえんだわ」
刺刀を叩き落とした千央が、にやりと笑った。