使庁を後にした千央と公鷹は、弾正台から今日も式部省に出仕している智也に事情をつづった文を送った。その上で、朝からの情報を帯刀とともに整理する。千央が佐伯連之の屋敷の女房から聞き込んだ話だという点で帯刀の眉間のしわが一瞬深くなったが、口に出しては何も言わなかった。それも当然で、入手方法はともかくとして、身元につながる極めて重要な情報だからだ。
豌豆瘡は珍しい流行病ではないが、おおよそは顔の全面に皮疹(ひしん)があらわれ、水疱となって治れば瘡蓋(かさぶた)となり、その痕が痘痕になる。その症状の関係上、顔の片面だけに残るのは珍しい。
一通り話を聞いた帯刀は、腑に落ちたという顔で唸り声をあげた。
「つまり、木下は先に殺害された佐伯伊之の口ききで京識に就いたということだな。確かに『権大納言殿の娘婿』で先の左兵衛佐の口ききとあっては、誰も迂闊に口にできんだろうな」
 京識は都の治安権限を検非違使に奪われているが、同時に物騒な職務が減ったともいえ、立身出世は難しいが比較的仕事が楽な職位となっていた。佐伯伊之は知人に暇で楽な職場を紹介したというわけだ。
実際には木下は和田と同じ職位を求め、それが叶わず京識だったが、決して悪い職ではなかったろう。紹介された側である京識とて、権勢を誇る上流の貴族が絡んでいる人事にあれこれ口を挟みたくあるまい。
「下手に口にすればどんなとばっちりが来るかわかんねえからな。俺が聞いた範囲じゃ、あの末成りが職を世話したのは木下と、実子のように可愛がられてる和田という奴だけだ。おおかた、その二人に碌でもない遊びを教わって懐いてたんだろうよ」
既に聞いているだけでも佐伯伊之の行状は相当に悪い。
「嘆かわしい限りだ。佐伯伊之殺害に芳しくない事情があるとお察しの上だろうに、権大納言殿もお人が悪い」
「お察しだから早いとこ解決させて、臭いものに蓋してえんだろ」
帯刀と千央の話を聞いていた公鷹がふと首を傾げた。
「……それって、権大納言さまが佐伯伊之殿の行状をご承知の上で婿に迎えられたということなんですか?」

こう言うとなんだが、それこそ今を時めく、といっていい権勢を誇る権大納言家にとって、下級貴族の佐伯の家は決して名家というわけではなく、権大納言家にとっては正直不釣り合いな婚姻だ。まして自分が父親なら、婿になることが決まっても素行の悪さや女性関係などの行状が改まらない人物を迎えるのは御免被りたい。

公鷹の問には、あー、などと唸りながら千央が応えた。
「権大納言は内大臣の実弟で、すでに美人と評判の大姫を入内させてる。中姫には春宮(とうぐう)成良(なりよし)親王の外祖父である右大臣の三男を婿に迎えて、政治的には結構いいとこにつけてるわけだ」
そして切れ者と評判の権大納言の長子は近衛中将として活躍し、次子は左中弁として都を司る八省を管轄する仕事をしているという。
「で、年がいってから生まれた末の乙姫のことは目に入れても痛くないほど可愛がっていると評判でな。乙姫が管弦の宴の時に見かけた佐伯伊之にすっかりのぼせて、どうしてもというんで折れたみたいだな」
「はあ……」
いかにも政治中枢やそこでの出来事に興味がなさそうな千央が、そのあたりの事情を把握していることに公鷹はちょっと驚いていた。
「しかもこの乙姫ってのが、上の姉妹たちに比べると琴も歌も学問も、ちょっと出来が悪いようでな。平たく言えば、今のところ権大納言家は困ってねえから、ぼんくらの一人ぐらい、可愛いだけの末娘の婿に迎えてもいいかって判断だったってこった」
「うわあ」
素直な感想が口から出てしまって公鷹は思わず手で口を塞いだ。とはいえ、千央も帯刀も特に気にした様子はない。
「だとしても佐伯伊之の乱行は過ぎていたが、権大納言殿が把握していなかったということはありえない。そのうち強めの灸を据えるつもりだったのだろう」
なるほど、と公鷹は胸の裡で独りごちた。

 権大納言は佐伯伊之の死を悼んでいるわけでも、彼の性根を知らないわけでもなかった。検非違使に圧をかけて解決を急がせているのは、佐伯伊之が予想以上に問題を抱えていたことを知り、家の火種になる前に佐伯伊之に関わる問題をもみ消したいからなのだ。
自分のような下級貴族からすれば、権勢を誇る大貴族だからこそのそうした姿勢を非情だと思うが、どうしようもない。

考えに沈む公鷹をよそに、千央は帯刀に説明を続けていた。
「問題は、佐伯伊之に木下為末を紹介したやつだ。佐伯連之の妻の遠縁、和田清重。こいつが手がかりになるはずだ」
わざわざ紹介したほどだ、木下為末が京識に届け出た住所が出鱈目だったことを知らないとは考えづらい。和田と同じ職に就けなかった、と言っていたということは少なくとも和田と対等、あるいは腹心ぐらいの立ち位置と考えられる。
「雑色のことだって知ってるかもしれねえぜ」
千央に水を向けられて、公鷹は胸が暖かくなると同時に少し気恥ずかしい気持ちになった。そんなに自分は落ち込んだ顔をしていたのだろうか。
公私混同はよくないけれど、あんな境遇の正を心配せずにはいられないとも思う。せめて生きていてほしい。
「じゃあ俺、和田ってやつの役宅に張り込んで――」
「待て、それは他の弾正に行かせる」
立ち上がりながらの千央の言葉を帯刀が遮った時、ばたばたと南の廂から足音が近づいてきた。走ってきた弾正が御簾を挟んだ外側に座し、上がった息のまま報告する。
「ただいま東の市司より、『武士団の旅支度と思しき注文があったため、検非違使にその注文の荷物の届け先を報告した』との知らせが参りました! おおよそ二十名の移動用と思われるそうです」
その場の三人で目を見交わした。
 左京大夫と公鷹を襲い、この半年都を騒がせた群盗か。相手は尻に火が付いたから都を出ようとしているのだ。
 今現在二十名ということは、公鷹の殺害を企てた時点では三十名。佐伯伊之が死んだ夜に殺害された武士二名も恐らく同じ武士団の所属だ。こんなに執拗に京識や検非違使を牽制しようとしている以上、この武士団が夜討ちを行っている者たちだと考えて間違いない。
「こいつは捕り物になるよな?」
「間違いない。別当殿から許可を得れば、鈴木少尉が武士団の屯所に踏み込むだろう」
「そっから一人二人逃がしてやれば、つながってる奴の屋敷に駆けこむよな?」
人の悪い笑みを浮かべて千央が首を傾げた。

 夜討ちをしている賊たちの押し入り先が的確すぎる、という公鷹の考えは正しいはずだ。都の中に、実入りのよい押し入り先を斡旋している仲間がいる。捕縛するならその仲間も一緒でないと意味がない。

「私から鈴木少尉に使いを送っておくから、おまえも奴らの屯所の見張りに同行しろ。和田某の役宅には誰か弾正を張り込ませておく。橘大忠、そなたはここで私を手伝ってもらう」
「わかりました!」
公鷹は今までで一番大きな声で答えて首肯した。
検非違使の一員であるのは自分だが、立場は刑罰の前例について説明する有職(ゆうそく)としてだ。もとより捕り物に参加するような立ち位置ではないし、もちろん役に立つ自信もない。千央が行ったほうがよほど安心できる。

 それにしても堯毅の目に留まって引き抜かれて以来、能動的な調査に管轄争い、斬り合いに捕り物、およそ以前の職場であった刑部省では経験しえないさまざまな物事が怒涛のように押し寄せる。やりがいがあるというべきか、穏やかな生活から遠ざかったと考えるべきか、判断に悩む公鷹だった。