初めて来店したお客を常連客にしたいのか、喫茶店のマスターはサンドイッチをおまけに持ってきた。
 コーヒー同様にサンドイッチも絶品で、弥宵と糢嘉が再びこの喫茶店に足を運ぶのはそう遠くない未来になりそうな予感がする。

 コーヒーとサンドイッチで胃袋を軽く満たした後、お会計を済まして喫茶店を出る。そしてレシートを財布の中に仕舞い込んだ弥宵が明るい口調で糢嘉にたずねる。
「モカ、どこに行く?」
「……どこでも……」
 遊ぶといっても、これまで糢嘉は高校生らしい遊びをしたことが一度もない。したことがないというよりも、そういった楽しみを自ら避けてきた。
 今もそうだ。どこに行くにしろ自分が決めてしまってはどれもつまらなくなってしまいそうで、弥宵を不快にさせてしまいそうだからと糢嘉は弥宵の決断にすべてを任せてしまう。
「それじゃあ、適当に歩こうか?」
「うん。それで良いよ」
 弥宵がどんな提案を糢嘉に持ちかけてきたとしても、糢嘉の返事は「うん。それで良いよ」と、どれも同じだったであろう。
 学校をサボる。なんて事態を糢嘉が深刻に考えないようになってきたのは、今、自分の隣を歩く永倉弥宵のおかげなのだと糢嘉は認めざるをえない。
 弥宵の持つ独特な雰囲気は悲観を楽観にしてくれる。
 弥宵はというと、糢嘉とこうして一緒に歩いているだけでも大きな進歩なのだと有頂天になっている。
 しかし糢嘉は弥宵と会話してはいるが、弥宵の瞳と自分の瞳を合わせようとはしない。
 弥宵がどんなに糢嘉に歩み寄って親睦を深めようとしてみても、糢嘉の堅苦しい受け答え方は相変わらずといっていいほどに崩れない。
 弥宵はそれがとてつもなく悲しい。昔の糢嘉を知っているだけに、なおさら悲しくなってしまう。
 先ほど見た糢嘉の笑顔をもう一度見たい。何度でも見たい。
 そんな弥宵の願いを払い除けるかのように、糢嘉は弥宵に笑顔を見せてしまったことを後悔していた。
 糢嘉は弥宵が自分自身にとってどこか危険人物になりつつあることを感じ取っており、それらが身体中にひしひしと染み渡ってきていることも実感していた。
 だから警戒する。
 人をここまで魅了させて、人の心を軽くして安心させる永倉弥宵という存在に。
 コーヒーに落とした角砂糖が溶けていったのと同じように、弥宵の心にまで堕ちてしまったら最後、もう元には戻れない。
 糢嘉のほんのわずかな心の隙間をさらに大きくこじ開けて、弥宵はスムーズに、そして大胆不敵に糢嘉の心と自分の心を混合させようとしてくるものだから、糢嘉はそんな弥宵が危険で油断大敵なのだと認識する。
 昔の自分を呼び起こすわけにはいかない。
 糢嘉はあの時、そうかたく誓った。