芽羽と琴寧が喫茶店に入ると、そこに弥宵の姿はなく、いつものように瑚城とルナがいて、今回はいつもと違い、帝、冬嗣、順平の三人もいた。
 磨彩哉は久しぶりに集まったメンバーに大喜びしており、普段は滅多にしないお店の手伝いを自ら進んで行っている。
 ルナの言動もどことなく優しさを帯びていて物腰柔らかく感じる。
「芽羽と琴寧もこっちにおいでよおん」
 喫茶店の一番奥の隅っこに設置されたテーブル席から、ピザを食べていた冬嗣が芽羽と琴寧に手招きをして一緒のテーブルに座ろうとうながす。
 すかさず磨彩哉が二人分の椅子を持ってきてくれた。
「今ね、みんなでピザを食べていたんだよ。芽羽も一緒に食べよ!」
 瑚城が人懐っこい笑顔を芽羽に向けてから、愛嬌のある表情で琴寧の顔を覗き込んだ。
「キミと会うのは初めてだよね? 芽羽のお友達? 初めまして。こんにちは。ボクも最近、芽羽とお友達になったんだよ。ボクとも仲良くしてくれたら嬉しいな」
 まったく人見知りをしない瑚城は初対面の琴寧にも明るく自己紹介をした。
 琴寧は緊張しながらも「宮谷琴寧です」と控えめに挨拶をして、瑚城に軽くお辞儀をした。
「琴寧のおさげ頭、すっごく可愛いね! ほら見て。ボクの帽子も三つ編みなんだよ。エッヘへ~。琴寧とお揃いで嬉しいな!」
 名前を呼び捨てで呼ばれて元気いっぱいに距離を詰めてくる瑚城に琴寧は少々困惑したが、不快感は湧いてこない。むしろ好印象だ。
「弥宵はまだ来てないみたいだな」
 帝が唐突に言った。
「帝、ここで暴れまわるのだけはやめてよね! 徳ちゃんとルナ、磨彩哉に迷惑でしょう!」
 常日頃から喧嘩っ早い血気盛んな帝を見ている瑚城は、帝が弥宵のことを殴り飛ばす気満々でいるのではないのかと心配している。
 帝が弥宵のことを敵視しているのは知っているが、弥宵とも親しい仲になった瑚城は中立した立場にいるのだ。
「琴寧、弥宵と会う覚悟はできたのか?」
 帝が腕を組みながら威圧的な視線を琴寧へと向ける。
 いつだって直球型な帝は遠回しに濁した物言いを好まない。
 まるで獲物を狩るような帝の鋭い眼力に琴寧は萎縮してしまう。
「琴寧は弥宵のことを許せるのか?」
 この帝の問いかけは自分自身へと向けたものでもある。
 今の帝が弥宵に求めているのは亀裂の入ってしまった友情の修復なのか、それとも芽羽に修復不可能な心的外傷(トラウマ)を植えつけた弥宵を痛めつけたいのか帝本人にもわからなくなってきていた。
 普通、こんなふうに幼馴染みが集まれば尽きぬことのない談笑で盛り上がるはずなのだが、この息の詰まるような空間では居心地が悪くなるだけだ。
「帝くんは弥宵くんのことを許せるの?」
 琴寧から同じ台詞で訊き返されて、帝は真剣に考え込む。
「冬嗣くんは許せるの?」
 琴寧が帝から冬嗣へと視線を移す。
 芽羽は口を挟まずに、ただ黙って幼馴染み三人の会話を聞いているだけだ。
「絶対に許せねーよ」
 沈黙の後、帝が握り拳を作って低い声で言った。
「そうだねえん。おれも許せないよおん」
 気だるそうに欠伸(あくび)をしながら、冬嗣も表面上だけは帝の意見に賛同する。
「でも芽羽が自ら望んで弥宵と会っているんなら、オレはもうどうにもできねーよ」
 帝の脳裏に、あのときキャンプ場で目撃した光景が鮮明によみがえる。
 弥宵は芽羽のことが好きだと言った。そして芽羽は今でも弥宵と会っている。
 十歳の頃とは違い、高校二年生に成長した帝は性欲というものを覚え、それなりに複数の女とも適当に付き合い、性的な意味での体の関係も経験済みだ。
 大多数の男の心の中に潜む異性への興味と、女の体を思う存分に貪り組み敷きたいという汚らわしく淫らな妄想は無限大に膨らむ。
 それを弥宵は子供ながらに先走ってしまっただけなのだろうか。
 二人が相思相愛なら、あれは単なるきっかけの一つにすぎなかったのかもしれない。お互い同意のうえで成り立った行為であるのなら、気心の知れた幼馴染みとはいえ部外者は口出す権利はないのだと、帝は無理矢理己の心に言い聞かせて納得しようとしていた。
「芽羽はさあ、本当に弥宵に何かされたのおん?」
 冬嗣だけではない。
 卑劣な猥褻(わいせつ)行為をされたにもかかわらず、芽羽があまりにも弥宵に嫌悪感を示さないものだから、これは常々みんなが疑問に思っていたことだった。
「それは……」
 上手く返答できずに言いよどんだ芽羽は、どうするのが一番正しいのだろうかと考えこむ。
 本当のことを言ったほうがいいのだろうか。
 弥宵はつらい過去を蒸し返すだけだから、わざわざ真実を言う必要はないと言ったけど、このまま罪人を明かさずに弥宵が悪者にされ続けることに芽羽は耐えられそうにない。
 それどころか芽羽の良心の痛みは増してゆき、みんなへの誤解を解きたいという芽羽の気持ちは日に日に強まるばかりだ。
「どうしてみんな弥宵くんに寛容なの? どうして弥宵くんを否定しないの?」
 弥宵への罵声が飛び交うどころか、どことなく弥宵に肩入れしているような雰囲気が琴寧には面白くない。
 キャンプ場の川辺付近で芽羽を抱きしめたときの体温や感触を琴寧は昨日のことのようにはっきりと覚えている。芽羽のあの怯えかたは尋常ではなかった。
 すべての原因は弥宵にあると思っている琴寧は静かに憎悪の炎を燃やし続けており、その感情を消火しようともしない。
「琴寧、約束したばかりでしょう?」
 芽羽が厳しい口調でピシャリと言い放つ。
 先程の冬嗣からの質問は言葉を濁らせていたのに、琴寧が弥宵への怒りを滲ませた途端、芽羽が即座に会話に割り込んできたものだから琴寧は腹立たしくなった。
「琴寧、家まで送ってやるから帰りな」
『駅まで送る』だったのが『家まで送る』に変わった。
 直感的に琴寧が弥宵と会うのはマズいような気がした帝は琴寧を弥宵から遠ざけようとする。
 帝にまで命令口調で言われてしまい、疎外感を与えられたと思った琴寧はますます意固地になる。
「どうしてみんなして私を厄介払いしようとするの?」
 弥宵への憎しみが拭いきれないことよりも、大切な幼馴染みから辛辣な言葉を浴びせられて、拒絶されることのほうが琴寧にはショックだった。
 おそらく無自覚なのだろうが、琴寧は芽羽のことになると異常なほど周りが見えなくなるのだ。
 それはもう、盲目的な信仰心のように──。
「私、今日は弥宵くんに会うまで絶対に帰らないよ」
 こんなふうに意地の張り合いをしにきたわけではないのに、焦燥感に押し潰されそうなあまり琴寧の感情が徐々に高ぶり怒りの沸点に達しそうになった、ちょうどそのとき──。
 これはタイミングが良いのか悪いのか。弥宵と糢嘉が喫茶店に入ってきた。
 瞬時に喫茶店の空気が張りつめて、みんなが固唾を呑みながら弥宵と糢嘉の二人に視線を集める。