弥宵と糢嘉を取り囲むように傍観していた人たちは、やがて引き潮のようにいなくなった。
白昼堂々とした口づけも、それは男と男だ。
口づけ終了と同時に弥宵と糢嘉がエキストラから浴びた反応はなんとも形容しがたいものだった。
それでも弥宵と糢嘉は大変満足している。
時間も羞恥心も忘れて愛する人と口づけしたいという感情が優先的に働き、二人とも口づけだけに没頭していた。
ただのクラスメイトだった。
文句のつけどころがない完璧な容姿に成績優秀、スポーツ万能、憎たらしいくらいにパーフェクトな男。
比較されるのが嫌で、さらに卑屈な自分になるのが嫌で、弥宵の傍に近寄ることさえ糢嘉は苦痛に思っていた。
でも、今は違う。
そう、本当は違っていた。
弥宵の人を選ばない飾り気のない優しさを、糢嘉は過去に捨て去ってきてしまったのだから。
それを当たり前のように実行している弥宵に嫉妬しつつも敬意もし、平等に優しさを振り撒く完全無欠な王子様を糢嘉は教室の片隅から眺めていた。
でもそれは永倉弥宵の表の姿だ。
弥宵が優しく温厚な性格なのは間違いないが、特別な人間が関わってくると取り乱したりもする。
つい先程の公共の場所での告白がまさにそれだ。
弥宵は糢嘉の存在を忘れた日などは一日たりともない。
毎日毎日、コーヒーを飲みながら糢嘉との再会を待ち望んでいた。夢見ていた。
いつかまた会える。また会いたい。
弥宵は十歳の頃からそう信じていた。
同姓同名はごく稀にいたりする。
松崎糢嘉。
高校二年生の春、忘れもしない愛しいその名前を弥宵は耳にした。
失礼な話、弥宵の知る昔の糢嘉と高校生の今の糢嘉は別人に見えた。
外見もそうだが性格もだ。
弥宵の記憶での糢嘉は眼鏡をかけてはいなかった。性格もクラスで孤立するようなタイプではない。
だから弥宵は勘違いでしたという結果を想定して、なかなか糢嘉に話しかけられずにいた
自分の知る『松崎糢嘉』本人という確かな自信が欲しかった弥宵は一つの罠を糢嘉に仕掛けた。
モカコーヒー。
この飲料水にクラスメイトの糢嘉はどんな反応を示すのだろうか。
弥宵は糢嘉の机の上に缶コーヒーを置いた。
糢嘉は買った覚えのない缶コーヒーが自分の机の上に置いてあるのを見て怪訝な表情になる。
些細な動きもけっして見逃さないようにと、弥宵はそんな糢嘉の様子を教室の外から隠れて見守る。
糢嘉は缶コーヒーをただ見つめているだけで触りもしない。
しばらくそのままの状態で立ちつくしていた糢嘉はこれといって何か行動に移したわけではなく、弥宵の購入した缶コーヒーを手に持つとそのままゴミ箱へと捨てた。
コーヒーから何も得ることができなかった弥宵は落胆するが、その直後、松崎糢嘉が『モカ』であるという決定的な物を見たのだ。
糢嘉が一つのキーホルダーを落とす。そしてそれをあわてて拾う。
それはコーヒー同様、糢嘉にとって封印しておきたい物なのだが、これだけはコーヒーと同じように捨てられない。捨てるわけにはいかないのだ。
顔も名前もまったく思い出せないが、十歳の頃に糢嘉が三人の少年と交わした約束なのだから。
そのキーホルダーを偶然にも弥宵も持っていた。いや、これは偶然ではなく弥宵がその少年三人のうちの一人だからだ。
次の日、弥宵は登校したら朝一番に糢嘉に話しかけようと決意した。
それが学校に到着する前に電車内の痴漢騒動で糢嘉と接触した。
結果的に弥宵は糢嘉との急接近に成功したのだ。そして恋愛成就にも。
弥宵と糢嘉が恋人同士となった今、糢嘉の歩く位置は変わった。
劣等感がないといえば嘘になる。
それでも、糢嘉は弥宵の後ろではなく隣を歩く。
あの喫茶店までもうすぐだ。
コーヒーに混ぜるお砂糖とミルクが不要になるほどの甘く蕩けるような会話を織り成したい。
それに弥宵は過去の糢嘉を知っているらしい。
過去の自分とはなるべくなら関わりたくない気持ちと、すべて知りたいという複雑な感情が糢嘉の頭の中で交錯しているが、弥宵が自分の過去に関係しているのならば、糢嘉は覚悟を決めて弥宵からすべて聞きだすことを望む。
目的地付近である狭い道の手前までやって来た。この狭い道をまっすぐに進むとあの喫茶店に辿り着く。
ここでいったん弥宵が足を止めて爽やかに誘う。
「モカ。今度デートしようね」
「デート⁉」
驚いた糢嘉の瞳がこれでもかというほどにまんまるく開いた。
デートは特に珍しいものではないが、糢嘉があまりにも初々しく可愛らしい反応を見せたものだから、弥宵は糢嘉の頬にさりげなくキスをした。
「僕はモカとデートしたい」
またもや人目を気にせず弥宵からキスをされたが、糢嘉は抵抗しなかった。
逆にどうして頬なんだと、唇ではないのかと嘆き悲しんだ。
喫茶店だけではなく、弥宵となら色々な場所に行ってみたいと糢嘉は思う。
流行りの洋服を知らないうえに、この分厚いレンズの眼鏡だ。
私服姿の糢嘉は制服姿以上に弥宵の隣を歩くには似合わないであろう。
それでも糢嘉はこの譲れない頑固な気持ちを大切にしたいのだ。育みたいのだ。
ここだけでの口約束ではなく、デートの日取りをちゃんと決めるために弥宵はどんどん積極的に突き進む。
「モカ。スマホ持ってる?」
「うん」
「番号とメアド教えて。あとライン交換しよ」
お互いオフになっていたスマートフォンの電源をオンにする。
これでいつでも連絡が取り合える。いつでもデートの約束ができる。
だけど歓喜する反面、糢嘉はちゃんと弥宵とデートできるのか不安でもある。
ずっと隠し通すのは不可能で、遅かれ早かれ知られてしまうのだから弥宵に事細かく説明しなくてはならない。
二年に進級してからは普通に起床して普通に授業も受けれている。今日も普通に起きれた。だけど明日はどうなるかわからない。
弥宵は真実を知っても糢嘉と恋人でいてくれるのだろうか。
理解してくれたとしても、重荷を背負うのは嫌だと拒絶されてしまったら──。
そう思うと、糢嘉は怖くて怖くてたまらない。
どうか、今日は何事もなくこのまま一日が無事に終わってほしいと糢嘉は願う。
万が一に備えて、糢嘉が鞄から急いでノートを取り出そうとしたら──。
「や・よ・い」
これは地声なのだろうか? それとも作られた偽りの声なのだろうか? 人間の声というのも信じがたい。
この甲高い猫なで声をほぼ毎日聞いている弥宵は今すぐ耳栓をしたくなった。
「こおーんな所で弥宵と会えちゃうなんて。ラッキィ~」
一人の女子学生が遠慮なしに弥宵の腕に自分自身の腕を自然に絡ませると、まるで恋人のように振る舞ってくる。
明るめのココアブラウンに染めたミディアムヘアーの前髪を小花や星形、ハートやリボンの形をした可愛いらしい数個のヘアピンでいつも留めており、額を全開にしているのは彼女のチャームポイントの一つだ。
グラビアアイドルにも負けず劣らずな大きいバストは異性からの視線を釘付けにさせる要素の一つとなり、同性からは羨ましがられる要素となる。
制服のブラウスは上のボタンが二つ外されており、そこからキャミソールとブラジャーが見え隠れしそうな際どさだ。
弥宵と糢嘉の通う高校の制服は女子の制服も可愛いと人気が高いが、彼女の着方は品質を損なっている。
「滝寺さん⁉ こんな所で何やってるの⁉」
弥宵がここまであわてふためき、迷惑そうな声を張り上げることは滅多にない。
彼女の前ではさすがの弥宵も調子が狂ってしまう。
黙っていればとても美人に見えるのだが、喋りだすとその空気の読めないテンションの高さについていけず遠ざかる男が半数以上もいるというもったいない極度の天然少女。
滝寺結歌璃はクラスで一番、永倉弥宵に引っ付いている騒がしい女子生徒だ。
白昼堂々とした口づけも、それは男と男だ。
口づけ終了と同時に弥宵と糢嘉がエキストラから浴びた反応はなんとも形容しがたいものだった。
それでも弥宵と糢嘉は大変満足している。
時間も羞恥心も忘れて愛する人と口づけしたいという感情が優先的に働き、二人とも口づけだけに没頭していた。
ただのクラスメイトだった。
文句のつけどころがない完璧な容姿に成績優秀、スポーツ万能、憎たらしいくらいにパーフェクトな男。
比較されるのが嫌で、さらに卑屈な自分になるのが嫌で、弥宵の傍に近寄ることさえ糢嘉は苦痛に思っていた。
でも、今は違う。
そう、本当は違っていた。
弥宵の人を選ばない飾り気のない優しさを、糢嘉は過去に捨て去ってきてしまったのだから。
それを当たり前のように実行している弥宵に嫉妬しつつも敬意もし、平等に優しさを振り撒く完全無欠な王子様を糢嘉は教室の片隅から眺めていた。
でもそれは永倉弥宵の表の姿だ。
弥宵が優しく温厚な性格なのは間違いないが、特別な人間が関わってくると取り乱したりもする。
つい先程の公共の場所での告白がまさにそれだ。
弥宵は糢嘉の存在を忘れた日などは一日たりともない。
毎日毎日、コーヒーを飲みながら糢嘉との再会を待ち望んでいた。夢見ていた。
いつかまた会える。また会いたい。
弥宵は十歳の頃からそう信じていた。
同姓同名はごく稀にいたりする。
松崎糢嘉。
高校二年生の春、忘れもしない愛しいその名前を弥宵は耳にした。
失礼な話、弥宵の知る昔の糢嘉と高校生の今の糢嘉は別人に見えた。
外見もそうだが性格もだ。
弥宵の記憶での糢嘉は眼鏡をかけてはいなかった。性格もクラスで孤立するようなタイプではない。
だから弥宵は勘違いでしたという結果を想定して、なかなか糢嘉に話しかけられずにいた
自分の知る『松崎糢嘉』本人という確かな自信が欲しかった弥宵は一つの罠を糢嘉に仕掛けた。
モカコーヒー。
この飲料水にクラスメイトの糢嘉はどんな反応を示すのだろうか。
弥宵は糢嘉の机の上に缶コーヒーを置いた。
糢嘉は買った覚えのない缶コーヒーが自分の机の上に置いてあるのを見て怪訝な表情になる。
些細な動きもけっして見逃さないようにと、弥宵はそんな糢嘉の様子を教室の外から隠れて見守る。
糢嘉は缶コーヒーをただ見つめているだけで触りもしない。
しばらくそのままの状態で立ちつくしていた糢嘉はこれといって何か行動に移したわけではなく、弥宵の購入した缶コーヒーを手に持つとそのままゴミ箱へと捨てた。
コーヒーから何も得ることができなかった弥宵は落胆するが、その直後、松崎糢嘉が『モカ』であるという決定的な物を見たのだ。
糢嘉が一つのキーホルダーを落とす。そしてそれをあわてて拾う。
それはコーヒー同様、糢嘉にとって封印しておきたい物なのだが、これだけはコーヒーと同じように捨てられない。捨てるわけにはいかないのだ。
顔も名前もまったく思い出せないが、十歳の頃に糢嘉が三人の少年と交わした約束なのだから。
そのキーホルダーを偶然にも弥宵も持っていた。いや、これは偶然ではなく弥宵がその少年三人のうちの一人だからだ。
次の日、弥宵は登校したら朝一番に糢嘉に話しかけようと決意した。
それが学校に到着する前に電車内の痴漢騒動で糢嘉と接触した。
結果的に弥宵は糢嘉との急接近に成功したのだ。そして恋愛成就にも。
弥宵と糢嘉が恋人同士となった今、糢嘉の歩く位置は変わった。
劣等感がないといえば嘘になる。
それでも、糢嘉は弥宵の後ろではなく隣を歩く。
あの喫茶店までもうすぐだ。
コーヒーに混ぜるお砂糖とミルクが不要になるほどの甘く蕩けるような会話を織り成したい。
それに弥宵は過去の糢嘉を知っているらしい。
過去の自分とはなるべくなら関わりたくない気持ちと、すべて知りたいという複雑な感情が糢嘉の頭の中で交錯しているが、弥宵が自分の過去に関係しているのならば、糢嘉は覚悟を決めて弥宵からすべて聞きだすことを望む。
目的地付近である狭い道の手前までやって来た。この狭い道をまっすぐに進むとあの喫茶店に辿り着く。
ここでいったん弥宵が足を止めて爽やかに誘う。
「モカ。今度デートしようね」
「デート⁉」
驚いた糢嘉の瞳がこれでもかというほどにまんまるく開いた。
デートは特に珍しいものではないが、糢嘉があまりにも初々しく可愛らしい反応を見せたものだから、弥宵は糢嘉の頬にさりげなくキスをした。
「僕はモカとデートしたい」
またもや人目を気にせず弥宵からキスをされたが、糢嘉は抵抗しなかった。
逆にどうして頬なんだと、唇ではないのかと嘆き悲しんだ。
喫茶店だけではなく、弥宵となら色々な場所に行ってみたいと糢嘉は思う。
流行りの洋服を知らないうえに、この分厚いレンズの眼鏡だ。
私服姿の糢嘉は制服姿以上に弥宵の隣を歩くには似合わないであろう。
それでも糢嘉はこの譲れない頑固な気持ちを大切にしたいのだ。育みたいのだ。
ここだけでの口約束ではなく、デートの日取りをちゃんと決めるために弥宵はどんどん積極的に突き進む。
「モカ。スマホ持ってる?」
「うん」
「番号とメアド教えて。あとライン交換しよ」
お互いオフになっていたスマートフォンの電源をオンにする。
これでいつでも連絡が取り合える。いつでもデートの約束ができる。
だけど歓喜する反面、糢嘉はちゃんと弥宵とデートできるのか不安でもある。
ずっと隠し通すのは不可能で、遅かれ早かれ知られてしまうのだから弥宵に事細かく説明しなくてはならない。
二年に進級してからは普通に起床して普通に授業も受けれている。今日も普通に起きれた。だけど明日はどうなるかわからない。
弥宵は真実を知っても糢嘉と恋人でいてくれるのだろうか。
理解してくれたとしても、重荷を背負うのは嫌だと拒絶されてしまったら──。
そう思うと、糢嘉は怖くて怖くてたまらない。
どうか、今日は何事もなくこのまま一日が無事に終わってほしいと糢嘉は願う。
万が一に備えて、糢嘉が鞄から急いでノートを取り出そうとしたら──。
「や・よ・い」
これは地声なのだろうか? それとも作られた偽りの声なのだろうか? 人間の声というのも信じがたい。
この甲高い猫なで声をほぼ毎日聞いている弥宵は今すぐ耳栓をしたくなった。
「こおーんな所で弥宵と会えちゃうなんて。ラッキィ~」
一人の女子学生が遠慮なしに弥宵の腕に自分自身の腕を自然に絡ませると、まるで恋人のように振る舞ってくる。
明るめのココアブラウンに染めたミディアムヘアーの前髪を小花や星形、ハートやリボンの形をした可愛いらしい数個のヘアピンでいつも留めており、額を全開にしているのは彼女のチャームポイントの一つだ。
グラビアアイドルにも負けず劣らずな大きいバストは異性からの視線を釘付けにさせる要素の一つとなり、同性からは羨ましがられる要素となる。
制服のブラウスは上のボタンが二つ外されており、そこからキャミソールとブラジャーが見え隠れしそうな際どさだ。
弥宵と糢嘉の通う高校の制服は女子の制服も可愛いと人気が高いが、彼女の着方は品質を損なっている。
「滝寺さん⁉ こんな所で何やってるの⁉」
弥宵がここまであわてふためき、迷惑そうな声を張り上げることは滅多にない。
彼女の前ではさすがの弥宵も調子が狂ってしまう。
黙っていればとても美人に見えるのだが、喋りだすとその空気の読めないテンションの高さについていけず遠ざかる男が半数以上もいるというもったいない極度の天然少女。
滝寺結歌璃はクラスで一番、永倉弥宵に引っ付いている騒がしい女子生徒だ。