それから約半年の間に、戯言みたいなプロポーズを、数えきれないほど受けた。
もちろん、悪い気などしない。いつでも補充できるただの友達という存在より、日本の法律では同時にひとりとしかできない結婚を望まれる方が、より「求められている」感じがする。「特別」と信じられる。
そうやって、めぐみの好意の上澄みだけを疲労の特効薬のように拝借していたら、バチが当たったのだろう。
とうとう彼女は指輪を持って、夜、彩里の地元駅に現れた。
半年経っても、彩里はフリーターのままだった。
シティホテルの宴会課の配膳を週五日、弁当詰めの工場夜勤を週三日。両方のシフトが入っている日は朝から深夜まで動きっぱなし。
そしてシティホテルでは、早々に古株のアルバイトたちに目をつけられてしまった。
「ちょっと、この子仕事中にお酒飲んでるんだけどー」
「えっ……違います、これ、ブショネのチェックです。ヴィンテージワインの抜栓を社員さんに頼まれて……」
「はー? ブショネ? 何それ」
「社員にできないことが、あんたにできるとでも?」
嘘ではなかったのだが、古株アルバイトには「口答えした生意気女」と受け取られ、宴会場がかぶるたびに意地悪なことを言われたり、偽の業務指示を受けたりして、閉口した。
そんな彩里を若い男性社員がかばったことで、更に火がつき、異性関係で嘘八百の噂を流されたり、トイレで肩をぶつけられたり、うっかりを装ってバケツの水をひっくり返されたりもした。
アルバイト求人の範囲なら、もう少しいい条件で働ける場所もきっとある筈だった。
しかし、なんとか仕事を終えて家に帰ると、もう転職活動に回す意欲が残っておらず、嫌がらせを受けながら、その職場に留まり続けた。
体力には自信があった筈なのに、その頃には、朝ベッドから起き上がるのにかなりの労力が必要になっていた。
それなのに、夜は目が覚めて眠れず、用もなくSNSのトレンドを追いかけてしまったりする。
原因不明の嘔吐感とめまいにも襲われた。
めぐみにはシティホテルを辞めるよう何度も説得されたが、日々人手不足の職場を放り出せず、また生活も不安で、第一歩を踏み出せなかった。
まだいける。まだ限界じゃないはず。
そう自分を励ましながら、環境を変えなければ手詰まりだという気持ちも強く、コンビニでナイトワーク専門の求人情報をもらって眺めるようになっていた。
そんなある日、めぐみが、一通のメールを彩里の携帯電話に送ってきたのだ。
『何時になってもいい、今日、仕事が終わったらあなたの地元駅に来て。大切な話がある』
――と。
忘れもしない、土砂降りの雨の日だった。
駅前のロータリーのアスファルトはがたがたに歪んでいて排水溝までの傾斜のつくりも甘く、溜まった雨水が川をつくっていた。
「彩里ちゃん。私の両親にはもう話したから、あいさつに来て。結婚しよう。両親とも、娘が増えるって喜んでる。……私、本気だから。あなたを、ここから攫うね」
仕事あがりに新幹線に飛び乗ったらしいスーツ姿で、めぐみは身動きができなくなっている彩里の左手を拾い上げると、返事も聞かずに指輪を嵌めた。