【栞】
やっと言えた。胸の奥にずっとたまっていた――大嫌い。
長い間、英斗のことがどうしても嫌だったけど、声に出せなかった。
ようやく言葉にしたのに、心は冷たくて空っぽ。もっとスッキリすると思っていたのに。
英斗が大きな体を丸めて泣いている。
「栞……俺、おまえのこと誰よりも好きだったのに……なんで、こうなった……」
ざまあって思えるはずなのに、全然楽しくない。こんなにあっさり崩れちゃうなんて、予想もしてなかった。
ただ、ぼんやりと弱っていく英斗を見つめているだけ。
一か月前の夜、ユーチューブの撮影があった日のことが頭をかすめた。
ママが突然手を伸ばし、スマホを奪った瞬間、すべてが終わったと感じた。
冷たい沈黙の中で、真実が次々と暴かれていく。
摩夜くんとの計画が崩れれば、英斗に支配される未来しか残らない。
逃げ場はどこにもなく、希望は奪われたと思っていた。
ママが「栞」と静かに呼びかけた。息が詰まり、恐怖で体が固まった。
「栞、あなたは間違っていない」
思いがけない言葉に、全身の力が抜けた。信じられない。
ママが、わたしのことを本当にわかっているの?
「……ママ?」と、小さな声で問いかけると、ママは頷いて手をそっと握ってくれた。
温かさが冷えた心にしみていく。
「つらかったね。間違っていたのはママだった」
わたしは首を横に振り、「どうしてもあいつと結婚するのが嫌だった。でも、ママには幸せになってほしかったから……」と舌足らずに言葉を紡ぐ。
ママは優しく「いい子」と囁き、頭を撫でてくれた。
わたしの幸せを一番に考えてくれているんだと感じて、涙が止まらなかった。
「栞の幸せが大切よ。だから、もっと確実に英斗を追い詰める方法を考えよ? 摩夜くんにも伝えておいてね」とママは言った。
わたしの不安が少しずつ消えていくのを感じた。
あの日から、計画は加速した。
ママは英斗を追い詰めるための証拠集めに協力してくれた。
ライブ配信で英斗を挑発していた【すべてを知る者】の正体も、ママだ。
英斗が逆上してわたしに襲いかかろうとしたとき、摩夜くんとのやり取りを消したスマホを見せるよう指示したのもママだった。
英斗を油断させるために、計画的に進めていたのだ。
摩夜くんの殺人計画も、英斗を追い詰めるための演技に過ぎなかった。
わたしたちは三人で手を組んでいた。
そして今、ママはまるで地獄への手土産を用意するかのように、英斗に一つひとつ残酷な種明かしをしている。
「栞が摩夜くんに相談して、彼はすぐに解決策を提案してくれた。あなたの暴言や脅迫を録音し、証拠を集めていったの。そして、栞に対してのあなたの行いは、私が元夫から受けたDVと同じだった。これであなたを社会的に破滅させる準備は整ったわ。でも、もっと確実な決定打が必要だった」
ママは言葉を重ねるごとに英斗を追い詰めていく。
名探偵のような鋭さだ。やり方は普通ではないけれど、英斗は悪で、私たちは正義なのだ。
「私は、白根社長がリゾートと牧場の買収を狙っていると知っていたの。だから、摩夜くんのいるホスピスを招待し、慈善事業の名目でPRすることを提案した。それも、あなたを追い詰めるための舞台だった。二人きりの部屋で、摩夜くんの薬を処分すれば彼が死ぬと信じて実行したでしょう。でも、それは嘘よ。摩夜くんは栞以上に見事な役者だったわ。あの隠し撮りの映像、完璧だった」
ママが冷静に話し続ける中、英斗はみっともなく体を丸め、モゴモゴと何かを口にしながらうずくまっていた。
摩夜くんは、毒を含んだ笑みを浮かべて言った。
「勘弁してくださいよ、おばさん。しーちゃん、ギリギリだったんです。もう少し遅れていたら、マジで死んでました」
摩夜くんの言葉でハッとし、ぼんやりしていた目が一気に覚めた。
晩餐会のあと、自分たちのコテージに戻ったとき、そろそろ摩夜くんが英斗に仕掛けるころだと思い、松永さんと雪野さんには「ママに用事があるの」と言って外へ出た。
そして、彼と英斗のコテージへ向かった。手には摩夜くんの予備の薬を握りしめていた。
コテージの近くまで来ると、茂みに身を潜め、摩夜くんからの合図を待ちながら、これまでのことを考え込んでしまった。
そのせいで合図に気づくのが遅れてしまい、英斗が外に出てきたときには恐怖で身動きが取れなかった。
もし、間に合わなかったら、摩夜くんはどうなっていたのだろう……。
「ごめんね。わたしのせい……」と、声を震わせて謝った。
「冗談だよ、大丈夫」
摩夜くんは笑って安心させてくれた。ママも落ち着いた調子で続ける。
「あとで、あなたの望むことは何でも叶えてあげる。栞も、あなたのためなら何でもしたいと言っているし」
「うん、摩夜くんのためなら何でもするよ」
わたしは、とびっきりの笑顔で答えたけれど、摩夜くんの表情は変わらない。そんなところが魅力だと感じていた。
ママはさらに告げた。
「英くん。あなたは摩夜くんが死んだと信じ込み、栞を襲おうとしたわね。あのときの録音も残っている。これが最後の決め手よ」
崩れた英斗は、かすれた声でつぶやいた。
「どうして……お金のためでも、こんなにひどいことを……目的は、何なんだ……」
ママは冷たく笑みを浮かべて、静かに話し始めた。
「お金も確かに大事。でも、本当の目的は、あなたのパパ、白根亮を見返すことよ。彼は仮想通貨の投資で成功し、その資金でチーラボを大きくした。やり方も、見た目も、理想そのものだった。だから、私は彼に惚れたの」
一瞬、遠くを見るような表情が浮かんで、声が落ちた。
「でもね、彼は奥さん……果歩子ばかりを大事にしてた。地味で、事業の邪魔ばかりしてた女よ。それでも、彼はずっとあの女に固執してた。あなたが栞に執着するみたいに」
ママの目は薄く怒りが宿り、わずかに英斗を見つめる。
「私の方が若くて美人だったのに。どれだけ経営を学び、事業を助けても、秘書どまり。彼の心はいつも地味な女のもの」
ママは手を組んで、軽く笑みを浮かべる。
「でもね、英くん。あなたとは趣味が合ってたの。栞との結婚で、果歩子からあなたを奪って、社長も事業も手玉に取るつもりだったの。結局、栞があなたを嫌って計画は失敗したけれど、あなたもお母さんを嫌ってたでしょう?」
クスクスと喉を鳴らして笑う。
「こんな結果になってしまったのは残念ね。でも、もしあなたが栞のことをもっと考えて、優しく接していたら、違ったかもしれないわ。〝もの〟のように扱うから嫌われたのよ。自業自得。天罰ってやつね。これから大変な道を歩むことになるわ。そして、あの女も、対岸の火事みたいに、今は済ました顔をしているでしょうけど、いつまで続くかしら。楽しみだわ。ふふふ」
ママの冷たい声に、英斗は何も返せなかった。
愛憎が突き動かした計画が、今まさに現実のものとなっている。
うずくまっていた英斗は、顔を上げた。
涙と鼻水と汗でぐしゃぐしゃになっていて、ぞっとするほど哀れだった。
その顔はわたしに向き、必死に縋るようにこう言った。
「栞……間違ってた……ごめん……もう、嫌なことはしない……だから、やり直したい。そばにいてくれるだけでいいんだ……」
あまりにも惨めで、吐き気がするほど嫌気がさした。冷たく突き放した。
「わたし、他に好きな人がいるから」
そう言うと、英斗は崩れ落ち、「しおりぃ……」とみっともなく声をあげた。
ふと、摩夜くんが、そっとわたしの手を取り、軽く言った。
「おばさん、しーちゃんを少し借りますね。ビジネスの話には興味ないんで」
ママは少し笑って答えた。
「おばさん呼びは悲しいけど、いいわ」
「俺、英くんとは違うんで」
摩夜くんのいたずらっぽい口調に、心がふわっと軽くなった。
優しく手を引かれ、星空の下へ連れ出された。
やっと言えた。胸の奥にずっとたまっていた――大嫌い。
長い間、英斗のことがどうしても嫌だったけど、声に出せなかった。
ようやく言葉にしたのに、心は冷たくて空っぽ。もっとスッキリすると思っていたのに。
英斗が大きな体を丸めて泣いている。
「栞……俺、おまえのこと誰よりも好きだったのに……なんで、こうなった……」
ざまあって思えるはずなのに、全然楽しくない。こんなにあっさり崩れちゃうなんて、予想もしてなかった。
ただ、ぼんやりと弱っていく英斗を見つめているだけ。
一か月前の夜、ユーチューブの撮影があった日のことが頭をかすめた。
ママが突然手を伸ばし、スマホを奪った瞬間、すべてが終わったと感じた。
冷たい沈黙の中で、真実が次々と暴かれていく。
摩夜くんとの計画が崩れれば、英斗に支配される未来しか残らない。
逃げ場はどこにもなく、希望は奪われたと思っていた。
ママが「栞」と静かに呼びかけた。息が詰まり、恐怖で体が固まった。
「栞、あなたは間違っていない」
思いがけない言葉に、全身の力が抜けた。信じられない。
ママが、わたしのことを本当にわかっているの?
「……ママ?」と、小さな声で問いかけると、ママは頷いて手をそっと握ってくれた。
温かさが冷えた心にしみていく。
「つらかったね。間違っていたのはママだった」
わたしは首を横に振り、「どうしてもあいつと結婚するのが嫌だった。でも、ママには幸せになってほしかったから……」と舌足らずに言葉を紡ぐ。
ママは優しく「いい子」と囁き、頭を撫でてくれた。
わたしの幸せを一番に考えてくれているんだと感じて、涙が止まらなかった。
「栞の幸せが大切よ。だから、もっと確実に英斗を追い詰める方法を考えよ? 摩夜くんにも伝えておいてね」とママは言った。
わたしの不安が少しずつ消えていくのを感じた。
あの日から、計画は加速した。
ママは英斗を追い詰めるための証拠集めに協力してくれた。
ライブ配信で英斗を挑発していた【すべてを知る者】の正体も、ママだ。
英斗が逆上してわたしに襲いかかろうとしたとき、摩夜くんとのやり取りを消したスマホを見せるよう指示したのもママだった。
英斗を油断させるために、計画的に進めていたのだ。
摩夜くんの殺人計画も、英斗を追い詰めるための演技に過ぎなかった。
わたしたちは三人で手を組んでいた。
そして今、ママはまるで地獄への手土産を用意するかのように、英斗に一つひとつ残酷な種明かしをしている。
「栞が摩夜くんに相談して、彼はすぐに解決策を提案してくれた。あなたの暴言や脅迫を録音し、証拠を集めていったの。そして、栞に対してのあなたの行いは、私が元夫から受けたDVと同じだった。これであなたを社会的に破滅させる準備は整ったわ。でも、もっと確実な決定打が必要だった」
ママは言葉を重ねるごとに英斗を追い詰めていく。
名探偵のような鋭さだ。やり方は普通ではないけれど、英斗は悪で、私たちは正義なのだ。
「私は、白根社長がリゾートと牧場の買収を狙っていると知っていたの。だから、摩夜くんのいるホスピスを招待し、慈善事業の名目でPRすることを提案した。それも、あなたを追い詰めるための舞台だった。二人きりの部屋で、摩夜くんの薬を処分すれば彼が死ぬと信じて実行したでしょう。でも、それは嘘よ。摩夜くんは栞以上に見事な役者だったわ。あの隠し撮りの映像、完璧だった」
ママが冷静に話し続ける中、英斗はみっともなく体を丸め、モゴモゴと何かを口にしながらうずくまっていた。
摩夜くんは、毒を含んだ笑みを浮かべて言った。
「勘弁してくださいよ、おばさん。しーちゃん、ギリギリだったんです。もう少し遅れていたら、マジで死んでました」
摩夜くんの言葉でハッとし、ぼんやりしていた目が一気に覚めた。
晩餐会のあと、自分たちのコテージに戻ったとき、そろそろ摩夜くんが英斗に仕掛けるころだと思い、松永さんと雪野さんには「ママに用事があるの」と言って外へ出た。
そして、彼と英斗のコテージへ向かった。手には摩夜くんの予備の薬を握りしめていた。
コテージの近くまで来ると、茂みに身を潜め、摩夜くんからの合図を待ちながら、これまでのことを考え込んでしまった。
そのせいで合図に気づくのが遅れてしまい、英斗が外に出てきたときには恐怖で身動きが取れなかった。
もし、間に合わなかったら、摩夜くんはどうなっていたのだろう……。
「ごめんね。わたしのせい……」と、声を震わせて謝った。
「冗談だよ、大丈夫」
摩夜くんは笑って安心させてくれた。ママも落ち着いた調子で続ける。
「あとで、あなたの望むことは何でも叶えてあげる。栞も、あなたのためなら何でもしたいと言っているし」
「うん、摩夜くんのためなら何でもするよ」
わたしは、とびっきりの笑顔で答えたけれど、摩夜くんの表情は変わらない。そんなところが魅力だと感じていた。
ママはさらに告げた。
「英くん。あなたは摩夜くんが死んだと信じ込み、栞を襲おうとしたわね。あのときの録音も残っている。これが最後の決め手よ」
崩れた英斗は、かすれた声でつぶやいた。
「どうして……お金のためでも、こんなにひどいことを……目的は、何なんだ……」
ママは冷たく笑みを浮かべて、静かに話し始めた。
「お金も確かに大事。でも、本当の目的は、あなたのパパ、白根亮を見返すことよ。彼は仮想通貨の投資で成功し、その資金でチーラボを大きくした。やり方も、見た目も、理想そのものだった。だから、私は彼に惚れたの」
一瞬、遠くを見るような表情が浮かんで、声が落ちた。
「でもね、彼は奥さん……果歩子ばかりを大事にしてた。地味で、事業の邪魔ばかりしてた女よ。それでも、彼はずっとあの女に固執してた。あなたが栞に執着するみたいに」
ママの目は薄く怒りが宿り、わずかに英斗を見つめる。
「私の方が若くて美人だったのに。どれだけ経営を学び、事業を助けても、秘書どまり。彼の心はいつも地味な女のもの」
ママは手を組んで、軽く笑みを浮かべる。
「でもね、英くん。あなたとは趣味が合ってたの。栞との結婚で、果歩子からあなたを奪って、社長も事業も手玉に取るつもりだったの。結局、栞があなたを嫌って計画は失敗したけれど、あなたもお母さんを嫌ってたでしょう?」
クスクスと喉を鳴らして笑う。
「こんな結果になってしまったのは残念ね。でも、もしあなたが栞のことをもっと考えて、優しく接していたら、違ったかもしれないわ。〝もの〟のように扱うから嫌われたのよ。自業自得。天罰ってやつね。これから大変な道を歩むことになるわ。そして、あの女も、対岸の火事みたいに、今は済ました顔をしているでしょうけど、いつまで続くかしら。楽しみだわ。ふふふ」
ママの冷たい声に、英斗は何も返せなかった。
愛憎が突き動かした計画が、今まさに現実のものとなっている。
うずくまっていた英斗は、顔を上げた。
涙と鼻水と汗でぐしゃぐしゃになっていて、ぞっとするほど哀れだった。
その顔はわたしに向き、必死に縋るようにこう言った。
「栞……間違ってた……ごめん……もう、嫌なことはしない……だから、やり直したい。そばにいてくれるだけでいいんだ……」
あまりにも惨めで、吐き気がするほど嫌気がさした。冷たく突き放した。
「わたし、他に好きな人がいるから」
そう言うと、英斗は崩れ落ち、「しおりぃ……」とみっともなく声をあげた。
ふと、摩夜くんが、そっとわたしの手を取り、軽く言った。
「おばさん、しーちゃんを少し借りますね。ビジネスの話には興味ないんで」
ママは少し笑って答えた。
「おばさん呼びは悲しいけど、いいわ」
「俺、英くんとは違うんで」
摩夜くんのいたずらっぽい口調に、心がふわっと軽くなった。
優しく手を引かれ、星空の下へ連れ出された。