夕暮れの空はどんよりと曇って、沈んでいくみたいに重たかった。
 足元に伸びる影が、今のわたしの気持ちを映しているみたいで、歩くたびに空気がまとわりつく。
 家に着くと、ママはまだ帰っていなかった。ラインも通話もないことに、少しほっとする。
 でも、摩夜くんの言葉が頭を離れない。
 少しでもママの機嫌を取ろうと、晩ごはんの準備をしようとした。
 そのとき、引き戸が開く音にすべてが止まった。ママが帰ってきた。

「おかえりなさい」と声をかけた途端、返ってきたのは低く冷たい命令だった。

「栞、座りなさい」
 
 背筋が凍る。覚悟はしていたけど、もう泣きそうだ。
 居間で正座する。堪えようとしても、膝が勝手に震える。
 ママは手も洗わずにカバンを放り投げ、わたしの肩を強く掴んできた。

「二日連続で何してるの? ママの顔に泥を塗りたいの?」

 必死で首を振って否定するけど、英斗が何をママに話したのかもわからない。
 ママの目と言葉は鋭く、容赦ない。

「英くんから全部聞いたわ。彼、すごくショックを受けてたのよ。自分が何をしたのか、ちゃんと理解してるの?」
「ごめんなさい……」

 それしか言えなかった。

「ホスピスで男の子と親しげにしてたんでしょ。英くんに見せつけるように?」

 話が歪んで伝わっている。混乱しながらも、摩夜くんの病気や余命の話を全部ママに伝えるしかなかった。
 彼に悪いと思いながらも、何とか説明しようとするけれど、ママは冷たく言い放った。

「栞がそんなことに関わる必要ない」

 さらに、「その子のこと、好きなの?」と聞かれた瞬間、顔が真っ赤になった。とっさに反論する。

「だって、余命が一年なんだよ! かわいそうじゃん!」

 声が荒くなった。ママは冷たい目でわたしを見下ろす。

「その子に同情して関わって、死んだあとに何が残るの?」

 悲しいだけで、何も言えなかった。
 不思議なことに、ママはそれ以上責めてこなかった。
 むしろ、少し冷静になったみたいで、「どうしてもホスピスに行きたいなら」と言い出した。

 え、まさか認めてくれるの?
 じっと見つめると、ママの口元がじわじわと広がっていった。

「明日、英くんに家に来てもらうわ。あなたの願いを叶える代わりに、摩夜くんが亡くなったあと、英くんの要望にはすべて従うと誓いなさい」

 何よ、それ……。
 ああ、やっぱりママは、わたしと英斗を結婚させるつもりなんだ。 ママは社長のことをあきらめたんだ。
 大好きだったママが、わたしを不幸へ導こうとしている。 そのことを、ようやく悟った。
 摩夜くんの言っていた通りだ。これはトラウマ級……それ以上だ。

 わたしは手で顔を覆って、声も出さずに泣いた。ママの同情を引くためじゃなく、本当にショックだった。
 もう、英斗を脅してママを変えるしかない。 証拠を集めて、自分で道を切り開くしかないんだ……。
 指の隙間から見える窓の向こうには、赤黒い紫の光が差し込んでいる。
 今のわたしの心と重なっているみたいに。