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翌朝、学校に行く前に栞を迎えに行った。
小川沿いにある栞の家は、古い空き家を改修したもので、苔の生えた瓦屋根や風化した木材が目立つ。
玄関前で待っていると、ギギギと扉がきしみながら開き、栞が顔を覗かせた。
「お、おはよう……英くん」
高めで柔らかな声が耳に届く。
「行くぞ」
差し出した手に、戸惑いながらも栞が応じ、指が絡まった。
伝わってくる温もりに、柔かい肌の感触が心地よく、指先からじんわりと熱が広がっていく。
甘い香りがふわりと漂い、栞の存在が一層近く感じられる。
さらさらの黒髪、二重の大きな目、小さな鼻、整った顔立ちに、柔らかそうな唇がわずかに開いて息を吸い込む姿が目に入る。
栞は俺よりずっと背が低く、華奢な体に対して胸元の膨らみがはっきりと目に映る。
呼吸に合わせてシャツ越しにわずかに動くラインがどうしても気になってしまう。
つい目が引き寄せられていると、栞がちらりとこちらを見上げた。
慌てて目をそらすと、栞は少し戸惑ったようにうつむいた。
無理やり山の方を見つめて冷静さを保とうとするが、体の奥でビリビリとしびれるような感覚が広がっていく。
叱ろうとした気持ちは揺らぎ、沸騰する湯のように愛おしさがゴボゴボとあふれ出す。
「奈緒さんに新メニューのこと、聞いた?」
穏やかに話を振ると、「あ……うん」と短い返事がくる。
「評判、すごく良かった。父さんもガーリックオイルでパンチ効かせれば売れるって言ってた。完成したらユーチューブで宣伝するんだ」
声に力を込めてみたが、「へぇ」とだけ返ってくる。
「もっと興味持てよ? 俺、普通の高校生じゃないんだぜ」
冗談交じりに言ってみたが、栞の表情はまだ硬いままだ。
ムッとしそうになる気持ちを抑えて、ポジティブな話題を話そうと頭に浮かんだ父さんのことを言う。
「父さんってさ、もともと投資家で、仮想通貨で六億稼いだんだ。すげーだろ?」
栞が少し驚いたように見えたが、反応は微妙だ。それでも俺は続ける。
「で、ただの投資家で終わりたくないって、飲食業に挑戦したんだ。北海道で食べたチーズラーメンに感動して、地元のチーズで勝負しようってさ」
「へぇ、そうなんだ……」
栞がようやく少し興味を持ってくれたように見えた。
父さんの決断で、家族は星囲に引っ越してきた。プロのコンサルや料理人を雇って、店は順調に成長。SNSやインフルエンサーを使った宣伝も成功して、特に俺が提案した人気配信者グループとのコラボが大当たりだった。父さんも「やったな」と喜んでくれたし、信頼を感じるのが嬉しい。自分のアイデアが結果に繋がるのは楽しいし、俺にとっても誇りだった。
そんな話を栞にしてみたが、やっぱり反応は薄い。ここまで来たら強引にいくしかない。
「今度のユーチューブの宣伝、栞も出ろよ」
そう言うと、栞は一瞬固まった。
「わ、わたしが、動画に……? えっと……」
弱々しい声が返ってくる。栞の手から力が抜けているのがわかるが、俺は続けた。
「マスクしててもいいし、ただ立ってるだけでもいい。お前、顔かわいいんだから」
栞は唇を結び、目を伏せて動かずにいる。
「でも……英くんの頼みでも……それはちょっと……」
「なんでだよ? 奈緒さんにも言うぞ? 協力しろよ」
しばらく戸惑っていた栞は、やっと小さく頷いた。
俺は片手で頭をかきながら、学校に向かって坂を登り始める。
周囲の視線が集まってくるのを感じる。
自然と手に力が入り、栞の手をもう少し強く握った。
手の感触を確かめながら栞に目をやると、どこか不安げに俯いている。
小さな不満が湧き上がり、唇の端が自然と下がるのがわかった。
ふと、栞がスマホを取り出して画面を見始めた。
俺が隣にいるのに、何見てんだよ。もっと俺に甘えるとか、やることがあるだろ。
昨日のことが頭をよぎり、問い詰めたい気持ちが一気に押し寄せてきた。
「ボランティアで男と絡んでんの?」
言葉が出たと同時に、栞の顔が暗くなった。
「えっ……そんなことないよ」
小さな声で否定するが、目を伏せたままで、表情に曇りがある。
「じゃあ、俺に隠してまで何してたんだよ」
「……ごめんなさい」
か細い声で絞り出すように謝るが、理由を言わないのが腹が立ち、舌打ちが自然と漏れる。
わざと握る力を強めると、栞の背筋がびくりと反応する。不誠実な態度を取るお前が悪いんだ。
「もう、ボランティアやめろよ」
驚いたように目を見開いて、栞がじっとこちらを見上げてくる。
「でも、英くんが許してくれたよね……」
「男がいるなんて聞いてねぇし、すぐやめろ」
言い放つと、栞は戸惑い、眉を下げる。
「……そんなふうに見てないよ。病気で大変な子に〝求められてる〟から……人として、ボランティアしてるだけで……」
――〝求められてる〟ってなんだよ。
栞の言い分を聞くたびに、肩に力が入っていくのがわかる。
それでも、ここでぶつけるわけにはいかない。
冷静を装い、深く息を吸って目を閉じ、ゆっくりと開けた。
「ホスピス、俺も行くから。そいつに話をつける」
「え……どうして?」
「彼氏だから当たり前だろ」
つい声が大きくなり、近くを歩いている生徒がこちらに目をやった。
栞のまつげがかすかに揺れているのが見えたが、歩く速度は変わらなかった。
翌朝、学校に行く前に栞を迎えに行った。
小川沿いにある栞の家は、古い空き家を改修したもので、苔の生えた瓦屋根や風化した木材が目立つ。
玄関前で待っていると、ギギギと扉がきしみながら開き、栞が顔を覗かせた。
「お、おはよう……英くん」
高めで柔らかな声が耳に届く。
「行くぞ」
差し出した手に、戸惑いながらも栞が応じ、指が絡まった。
伝わってくる温もりに、柔かい肌の感触が心地よく、指先からじんわりと熱が広がっていく。
甘い香りがふわりと漂い、栞の存在が一層近く感じられる。
さらさらの黒髪、二重の大きな目、小さな鼻、整った顔立ちに、柔らかそうな唇がわずかに開いて息を吸い込む姿が目に入る。
栞は俺よりずっと背が低く、華奢な体に対して胸元の膨らみがはっきりと目に映る。
呼吸に合わせてシャツ越しにわずかに動くラインがどうしても気になってしまう。
つい目が引き寄せられていると、栞がちらりとこちらを見上げた。
慌てて目をそらすと、栞は少し戸惑ったようにうつむいた。
無理やり山の方を見つめて冷静さを保とうとするが、体の奥でビリビリとしびれるような感覚が広がっていく。
叱ろうとした気持ちは揺らぎ、沸騰する湯のように愛おしさがゴボゴボとあふれ出す。
「奈緒さんに新メニューのこと、聞いた?」
穏やかに話を振ると、「あ……うん」と短い返事がくる。
「評判、すごく良かった。父さんもガーリックオイルでパンチ効かせれば売れるって言ってた。完成したらユーチューブで宣伝するんだ」
声に力を込めてみたが、「へぇ」とだけ返ってくる。
「もっと興味持てよ? 俺、普通の高校生じゃないんだぜ」
冗談交じりに言ってみたが、栞の表情はまだ硬いままだ。
ムッとしそうになる気持ちを抑えて、ポジティブな話題を話そうと頭に浮かんだ父さんのことを言う。
「父さんってさ、もともと投資家で、仮想通貨で六億稼いだんだ。すげーだろ?」
栞が少し驚いたように見えたが、反応は微妙だ。それでも俺は続ける。
「で、ただの投資家で終わりたくないって、飲食業に挑戦したんだ。北海道で食べたチーズラーメンに感動して、地元のチーズで勝負しようってさ」
「へぇ、そうなんだ……」
栞がようやく少し興味を持ってくれたように見えた。
父さんの決断で、家族は星囲に引っ越してきた。プロのコンサルや料理人を雇って、店は順調に成長。SNSやインフルエンサーを使った宣伝も成功して、特に俺が提案した人気配信者グループとのコラボが大当たりだった。父さんも「やったな」と喜んでくれたし、信頼を感じるのが嬉しい。自分のアイデアが結果に繋がるのは楽しいし、俺にとっても誇りだった。
そんな話を栞にしてみたが、やっぱり反応は薄い。ここまで来たら強引にいくしかない。
「今度のユーチューブの宣伝、栞も出ろよ」
そう言うと、栞は一瞬固まった。
「わ、わたしが、動画に……? えっと……」
弱々しい声が返ってくる。栞の手から力が抜けているのがわかるが、俺は続けた。
「マスクしててもいいし、ただ立ってるだけでもいい。お前、顔かわいいんだから」
栞は唇を結び、目を伏せて動かずにいる。
「でも……英くんの頼みでも……それはちょっと……」
「なんでだよ? 奈緒さんにも言うぞ? 協力しろよ」
しばらく戸惑っていた栞は、やっと小さく頷いた。
俺は片手で頭をかきながら、学校に向かって坂を登り始める。
周囲の視線が集まってくるのを感じる。
自然と手に力が入り、栞の手をもう少し強く握った。
手の感触を確かめながら栞に目をやると、どこか不安げに俯いている。
小さな不満が湧き上がり、唇の端が自然と下がるのがわかった。
ふと、栞がスマホを取り出して画面を見始めた。
俺が隣にいるのに、何見てんだよ。もっと俺に甘えるとか、やることがあるだろ。
昨日のことが頭をよぎり、問い詰めたい気持ちが一気に押し寄せてきた。
「ボランティアで男と絡んでんの?」
言葉が出たと同時に、栞の顔が暗くなった。
「えっ……そんなことないよ」
小さな声で否定するが、目を伏せたままで、表情に曇りがある。
「じゃあ、俺に隠してまで何してたんだよ」
「……ごめんなさい」
か細い声で絞り出すように謝るが、理由を言わないのが腹が立ち、舌打ちが自然と漏れる。
わざと握る力を強めると、栞の背筋がびくりと反応する。不誠実な態度を取るお前が悪いんだ。
「もう、ボランティアやめろよ」
驚いたように目を見開いて、栞がじっとこちらを見上げてくる。
「でも、英くんが許してくれたよね……」
「男がいるなんて聞いてねぇし、すぐやめろ」
言い放つと、栞は戸惑い、眉を下げる。
「……そんなふうに見てないよ。病気で大変な子に〝求められてる〟から……人として、ボランティアしてるだけで……」
――〝求められてる〟ってなんだよ。
栞の言い分を聞くたびに、肩に力が入っていくのがわかる。
それでも、ここでぶつけるわけにはいかない。
冷静を装い、深く息を吸って目を閉じ、ゆっくりと開けた。
「ホスピス、俺も行くから。そいつに話をつける」
「え……どうして?」
「彼氏だから当たり前だろ」
つい声が大きくなり、近くを歩いている生徒がこちらに目をやった。
栞のまつげがかすかに揺れているのが見えたが、歩く速度は変わらなかった。