放課後、英斗がホスピスにやってきて、摩夜くんと対峙した。
 英斗の焦った声や荒々しい態度を目の当たりにして、心の中で「ざまあ」と笑ってやった。
 英斗は、摩夜くんの病気なんて全く気にせず、わたしを自分のもののように扱う。
「栞は俺のものだ」と言い張る姿が滑稽で、ドン引きしている自分がいた。

 摩夜くんに肩を貸して病室に向かう。
 見た目はわたしが彼を守っているように見えたけれど、実際は違った。
 冷静で鋭い言葉を巧みに操り、英斗を追い返して、わたしを守ってくれた。
 まるで王子様みたいに、きらきらしていて、胸がきゅんとした。

 英斗が去ったあと、病室で麦茶を手に祝杯をあげた。
 英斗の言動を思い出すたびに、笑いが止まらない。
 摩夜くんが「俺も録音しておいた」と言って、スマホを掲げてボイスレコーダーを再生する。

「『ホスピスだって恩恵を受けてるんだ』って言ってたけど、これを公開したらイメージ壊れるよね。でも、もっと決定的なモラハラが欲しかったな」
「ええー、充分モラハラされたじゃん。摩夜くんが『所有物なの?』って聞いたとき、あいつ『その通り、栞は俺のものだ』って言い切ったし。もう完全アウトだよ。わたし、どんな扱いされてるんだろ……」

 摩夜くんと話しているうちに、今まで自分がどれだけ麻痺していたかに気づいていく。
 ボイスレコーダーは再生を続け、摩夜くんの声までしっかり残っていた。

「しーちゃん、今日もかわいいね」とか「しーちゃんのこと超好きなんだよ」なんて。
 聞いていると顔が熱くなるけど、摩夜くんは気まずそうでもなく「俺がしーちゃんを褒めたのも、白根くんには効いたと思うよ」と、いつも通り冷静に話す。

 わたしはスカートを気にしながら、膝をすり合わせてそわそわと揺らす。
「王子様」って、もっと感情的に守ってくれる人だと思っていたけど……。
 でも、これが現実の摩夜くんなんだよね。こんな冷静なところがあるから、わたしをちゃんと守れるんだって、きっと。うん、実際守ってくれたんだし……。
 そう自分に言い聞かせていると、摩夜くんはふいに顔を曇らせて言った。

「白根くん、たぶん君のママに話すだろうから、覚悟しておいた方がいいよ。ママに叱られるの、トラウマ級かもね」

 ひえっ……!
 一瞬で血の気が引いて、指先が冷たくなった。

「……怖いよ、なんでそんなこと言うの……」
「現実だよ。俺のことを隠すのは無理だし、無理に隠そうとすれば君が不利になる。最悪、ここにも来られなくなるかも」

 くらくらして、目の前がぼやけた。

「どうすればいいの……?」
「ママには従った方がいいよ。大泣きして謝るしかない。それに、まだ白根くんのモラハラの証拠が弱いから、もっと補強しないと」
「わかった……」と小さく頷いたけど、不安はどんどん胸に広がっていく。どうしようもなく重たく感じた。

 摩夜くんは「しーちゃんの煽り、すごく良かったよ。特にここ」と言って再生したのは、わたしの声だった。

『お願い。英くんが〝善意〟でママとわたしを助けてくれたように、わたしも人として摩夜くんを助けたいの』————あれは、英斗への当てつけだったけど……。

 自分の声を改めて聞くと、摩夜くんがわたしをどういう気持ちで助けてくれているのか、急に気になってきた。
 彼はただの〝善意〟でわたしを助けているの?
 それとも……。
 その問いをぶつける勇気はなくて、結局、曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。