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 桜が咲いて、すぐに葉桜に変わる。
 季節は巡り、高校二年生になった。
 それでも、わたしは同じ場所にいるような気がする。

 でも、ママは違う。学歴も事務経験もないのに、持ち前のコミュニケーション力と美しさでチーラボの秘書にまで上がった。

「少数精鋭だからすぐに出世できたのよ」と言うけど、やっぱりすごい人だと思う。
 だけど、肝心の白根社長との恋は、どうもうまくいっていない。
 一度、本社の試食会に呼ばれたことがある。白根社長は、英斗の父親だなんて信じられないくらいおおらかで、余裕がある人だ。

 英斗に甘すぎるところを見ると、子育てには向いていないんだろうなと思う。
 奥さんや娘にも尽くしているらしいけど、どうやら距離を置かれているみたい。
 白根家には、どこか歪みがあるように感じる。

 ママと白根社長が並ぶと、絵に描いたように美しい。
 早く奥さんと別れて、ママと結婚してくれたらいいのに。

 英斗と義理の兄妹になるのは嫌だけど、あいつと恋人を続けるよりはマシだ。
 ママが白根社長のことで悩んでいるのはわかる。
「早く社長を落として」なんて、冗談でも言えない。

 ママは、前に進んでいるようで、実はどこかで立ち止まっているのかもしれない。
 変わろうとしても変われない場所があるのかも。結局、ママもわたしと同じなのかな……?

 四月の登校日、英斗が指を絡めてきた。恋人繋ぎだ。

 手だけは、わたしが許している唯一の触れていい場所。
 英斗はまるで自分のものみたいに、大きな手でわたしの手を包み込み、汗ばんだ指を無駄に動かして絡めてくる。
 熱くて、じっとりした感触が気持ち悪い。でも、わたしは黙って応じるしかない。
 歩きながら、どうしてこんなに嫌いなやつに好き勝手させてるんだろうと思う。
 早く学校に着いて、手を洗いたい。気持ち悪い。

 英斗じゃなくて摩夜くんなら、たぶん違う気がする……。

「あのさ、最近体調不良多くねえ?」

 突然、英斗が話しかけてきた。声を聞いて現実に引き戻される。

 英斗の目がじっとわたしを追いかけてきて、期待が顔に浮かんでいる。

 わたしの体を気遣うのも、純粋な心配じゃないことはわかっている。

「病院行けよ。ちゃんと診てもらえ」

「大丈夫。ごめんね」

「俺、もっとお前といたいんだけど」

 わたしは、お前といたくない。


「そうだね」

 ぎこちなく返事をすると、英斗はため息をついて、手を強く握ってきた。強すぎて、ときどき痛い。

「今度の試食会、絶対来いよ」

「うん」

「俺のこと、好きだろ?」

「好き……」


 簡単に、好きじゃないのに「好き」と言えてしまう自分が、まるでプログラムされたAIみたい。
 感情を切り離して、もう、自分がどこにいるのかさえわからない。

 学校に着くとすぐにトイレに駆け込み、ハンドソープで手を洗った。
 息を吐いて、鏡を見つめる。疲れた顔が映り、もう一度ため息をつく。

 英斗の前では、いつも気を張って、嘘ばかりついている。心から楽しいと思ったことなんて一度もない。

 でも、摩夜くんに会うときのわたしは別人みたい。鎧を脱ぎ捨てて、心がふわっと軽くなる。

 本当は、こんな嘘だらけの関係じゃなくて、自分の思うように生きたい……でも、英斗とは別れられない。

 あいつの彼女でいるのが、今のわたしの「仕事」だから。ママが喜んでくれるから、わたしは演じ続けている。
 手を洗い終え、もう一度深く息を吸い込む。鏡の中の自分に無理やり微笑んでみる。嘘でも、笑わなきゃ。