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星囲市の二月、雪が街を白く包んでいた。
木々も建物も、白い布に隠れているみたいで、いつもとは違う静けさが漂っている。
今日は、英斗から解放される貴重なボランティアの日。
いつもは老人ホームばかりだったけど、今回は「子どもホスピス」だ。聞いてすぐ、胸が重くなった。
ホスピスに入ると、外の冷気とは違う冷たさが体に染み込んできた。
ここには、重い病気の子どもたちがいる。そのことを意識したとたん、膝が小刻みに揺れてしまった。
スタッフの人に「ただ遊んでくれればいい」と軽く言われたけど、どう接すればいいのかまったくわからない。
部屋に入ると、パステルカラーの壁に柔らかな光が窓から差し込んでいた。
クッションやぬいぐるみが並び、外の雪景色とは違って暖かな空気が広がっている。
でも、ホスピスという現実が静かに漂っていた。
点滴をつけた女の子を見た瞬間、思わず目をそらした。
そんな中、松永さんと雪野さんがすぐに子どもたちと打ち解けているのを見て、わたしだけが取り残された気がした。
戸惑っていると、「だれ?」と、中性的な声が響いた。
振り返ると、前髪の長い細身の男の子が立っていた。わたしより少し背が高く、年も同じくらいに見える。
無表情で、何を考えているのか全然わからない。胸の中がざわついた。
「あ……ボランティアで来ました。星囲高校一年の乙黒栞です」
名前と学校を言うと、彼は「ふぅん」とだけ返した。
「あの、スタッフの方ですか?」
「違うよ。俺、入院してる」
さらっと答えられ、言葉に詰まった。
「君はあんまり必要なさそうだね。まあ、俺も患者だから、相手してくれるとボランティアになるよ」と軽く笑った。
失礼なやつだな、と思いつつも、なぜか頷いて、あとをついていくことにした。
彼の個室はシンプルだった。ベッドと冷蔵庫、木のテーブルに無造作に置かれたパソコンとヘッドホンだけだ。
「疲れたから、横になってもいい?」と聞かれ、わたしが頷くと、彼はベッドを少し起こした状態で体を預け、半ば起きた姿勢のまま、じっとこちらを見つめてきた。
その視線が気まずくて、「名前、聞いてもいいですか?」と尋ねた。
「摩天楼の夜って書いて、摩夜」
「え……?」
「俺、十六歳。同学年だね。敬語やめよ」
「あっ……うん」
そう言われた瞬間、「なんかいいな」と思った。
英斗との関係でずっと締めつけられていた心が、摩夜くんと話すだけで少し軽くなる気がした。
鳥かごから出られるかもしれない――そんな予感が胸の中に広がった。
ベッドの隣に座り、摩夜くんの話を聞いた。
水と空気がきれいな星囲が療養にいいと聞いて、引っ越してきたこと。
お母さんの実家が近く、入退院を繰り返していること。
高校には行かず、好きなことをして過ごしていること。
何気ない話なのに、一つひとつが心地よくて、気づけば引き込まれていた。
自然に打ち解けたけど、摩夜くんが「毒斑血症」という不治の病で、余命が一年少ししかないと話したとき、胸にぽっかりと穴が開いたようだった。
「キモいだろ?」
摩夜くんがパーカーをめくると、腕に紫色の斑点が浮かんでいた。
とっさに首を振り、何も言えないまま涙がこぼれ落ちた。
「乙黒さん、花粉?」
「違う……。キモいなんて、言うから……」
「優しいんだな」
涙を拭いながら、「どうして摩夜くんが死ななきゃいけないの……?」とつい口に出してしまった。
彼は淡々とした口調で答えた。
「俺も死にたくないよ。でも、ここにいる子たちはもっと苦しんでる。俺なんか、血液浄化して薬を飲んでれば普通に過ごせるんだ。全然恵まれてるよ」
逆に励まされた気分になった。
わたし、何のためにここに来たんだろう。
そう考えていると、スマホが震えた。英斗からだ。
「出ないの?」
「出たくない。束縛がひどくて、ほんと最低なクズ」
「なんでクズと付き合ってんの? 別れればいいじゃん」
摩夜くんは、けらけらと笑った。
彼には、わたしの状況なんてわからない。すぐに返事をしないと、また英斗に責められる。
「ごめん、電話しなきゃ。帰るね」
「そっか。君と彼氏の問題だし」
摩夜くんは少し不思議そうに見つめていた。
その顔が切なくて、思わず声が漏れた。
「摩夜くんじゃなくて、あいつが死ねばいいのに……」
「ぷっ、毒吐くなよ」と摩夜くんは笑った。
その笑顔は無邪気に見えて、何かを隠しているように思えた。
裏側を知りたくて、心が引き込まれていく。不安を感じるけど、止まらない。
「俺、しーちゃんと合いそう」
「しーちゃん?」
「栞ちゃんだから、しーちゃん。嫌なら乙黒さんに戻すけど」
「しーちゃん」と呼ばれたとき、まるで自分が特別な存在になったような気がした。
胸がきゅんとして、もう戻れない気がする。
髪をいじって気持ちを隠そうとしたけど、本当はもっと呼んでほしかった。
素直に返事をする。
「しーちゃんって呼んで。これからも来ていい?」
「好きにすれば」
嬉しくて、胸のきゅんが止まらない。
摩夜くんと別れるまで、ずっとふわふわした気持ちのままだった。
ホスピスを出ると、冷たい風が頬を撫でて、火照った心が少し落ち着く。
一面の白い雪が広がり、わたしの足跡が静かに刻まれていく。
雪に残る足跡を見つめながら、英斗の束縛が少しずつ消えていくように感じた。
それでも、胸の奥に小さな不安が残る。
わたしにとって、ママが世界で一番大事。
摩夜くんとの時間がかけがえのないものに感じても、もしママが反対したら……どうすればいいんだろう。
星囲市の二月、雪が街を白く包んでいた。
木々も建物も、白い布に隠れているみたいで、いつもとは違う静けさが漂っている。
今日は、英斗から解放される貴重なボランティアの日。
いつもは老人ホームばかりだったけど、今回は「子どもホスピス」だ。聞いてすぐ、胸が重くなった。
ホスピスに入ると、外の冷気とは違う冷たさが体に染み込んできた。
ここには、重い病気の子どもたちがいる。そのことを意識したとたん、膝が小刻みに揺れてしまった。
スタッフの人に「ただ遊んでくれればいい」と軽く言われたけど、どう接すればいいのかまったくわからない。
部屋に入ると、パステルカラーの壁に柔らかな光が窓から差し込んでいた。
クッションやぬいぐるみが並び、外の雪景色とは違って暖かな空気が広がっている。
でも、ホスピスという現実が静かに漂っていた。
点滴をつけた女の子を見た瞬間、思わず目をそらした。
そんな中、松永さんと雪野さんがすぐに子どもたちと打ち解けているのを見て、わたしだけが取り残された気がした。
戸惑っていると、「だれ?」と、中性的な声が響いた。
振り返ると、前髪の長い細身の男の子が立っていた。わたしより少し背が高く、年も同じくらいに見える。
無表情で、何を考えているのか全然わからない。胸の中がざわついた。
「あ……ボランティアで来ました。星囲高校一年の乙黒栞です」
名前と学校を言うと、彼は「ふぅん」とだけ返した。
「あの、スタッフの方ですか?」
「違うよ。俺、入院してる」
さらっと答えられ、言葉に詰まった。
「君はあんまり必要なさそうだね。まあ、俺も患者だから、相手してくれるとボランティアになるよ」と軽く笑った。
失礼なやつだな、と思いつつも、なぜか頷いて、あとをついていくことにした。
彼の個室はシンプルだった。ベッドと冷蔵庫、木のテーブルに無造作に置かれたパソコンとヘッドホンだけだ。
「疲れたから、横になってもいい?」と聞かれ、わたしが頷くと、彼はベッドを少し起こした状態で体を預け、半ば起きた姿勢のまま、じっとこちらを見つめてきた。
その視線が気まずくて、「名前、聞いてもいいですか?」と尋ねた。
「摩天楼の夜って書いて、摩夜」
「え……?」
「俺、十六歳。同学年だね。敬語やめよ」
「あっ……うん」
そう言われた瞬間、「なんかいいな」と思った。
英斗との関係でずっと締めつけられていた心が、摩夜くんと話すだけで少し軽くなる気がした。
鳥かごから出られるかもしれない――そんな予感が胸の中に広がった。
ベッドの隣に座り、摩夜くんの話を聞いた。
水と空気がきれいな星囲が療養にいいと聞いて、引っ越してきたこと。
お母さんの実家が近く、入退院を繰り返していること。
高校には行かず、好きなことをして過ごしていること。
何気ない話なのに、一つひとつが心地よくて、気づけば引き込まれていた。
自然に打ち解けたけど、摩夜くんが「毒斑血症」という不治の病で、余命が一年少ししかないと話したとき、胸にぽっかりと穴が開いたようだった。
「キモいだろ?」
摩夜くんがパーカーをめくると、腕に紫色の斑点が浮かんでいた。
とっさに首を振り、何も言えないまま涙がこぼれ落ちた。
「乙黒さん、花粉?」
「違う……。キモいなんて、言うから……」
「優しいんだな」
涙を拭いながら、「どうして摩夜くんが死ななきゃいけないの……?」とつい口に出してしまった。
彼は淡々とした口調で答えた。
「俺も死にたくないよ。でも、ここにいる子たちはもっと苦しんでる。俺なんか、血液浄化して薬を飲んでれば普通に過ごせるんだ。全然恵まれてるよ」
逆に励まされた気分になった。
わたし、何のためにここに来たんだろう。
そう考えていると、スマホが震えた。英斗からだ。
「出ないの?」
「出たくない。束縛がひどくて、ほんと最低なクズ」
「なんでクズと付き合ってんの? 別れればいいじゃん」
摩夜くんは、けらけらと笑った。
彼には、わたしの状況なんてわからない。すぐに返事をしないと、また英斗に責められる。
「ごめん、電話しなきゃ。帰るね」
「そっか。君と彼氏の問題だし」
摩夜くんは少し不思議そうに見つめていた。
その顔が切なくて、思わず声が漏れた。
「摩夜くんじゃなくて、あいつが死ねばいいのに……」
「ぷっ、毒吐くなよ」と摩夜くんは笑った。
その笑顔は無邪気に見えて、何かを隠しているように思えた。
裏側を知りたくて、心が引き込まれていく。不安を感じるけど、止まらない。
「俺、しーちゃんと合いそう」
「しーちゃん?」
「栞ちゃんだから、しーちゃん。嫌なら乙黒さんに戻すけど」
「しーちゃん」と呼ばれたとき、まるで自分が特別な存在になったような気がした。
胸がきゅんとして、もう戻れない気がする。
髪をいじって気持ちを隠そうとしたけど、本当はもっと呼んでほしかった。
素直に返事をする。
「しーちゃんって呼んで。これからも来ていい?」
「好きにすれば」
嬉しくて、胸のきゅんが止まらない。
摩夜くんと別れるまで、ずっとふわふわした気持ちのままだった。
ホスピスを出ると、冷たい風が頬を撫でて、火照った心が少し落ち着く。
一面の白い雪が広がり、わたしの足跡が静かに刻まれていく。
雪に残る足跡を見つめながら、英斗の束縛が少しずつ消えていくように感じた。
それでも、胸の奥に小さな不安が残る。
わたしにとって、ママが世界で一番大事。
摩夜くんとの時間がかけがえのないものに感じても、もしママが反対したら……どうすればいいんだろう。