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 ママは引っ越してすぐ、毎日のようにハローワークに通っていた。
 帰ってくると、いつもため息。ときどき、苛立っている顔をしていた。
 その顔がこわくて、わたしは何も言えなかった。
「中卒」が理由で仕事が見つからないんだろうな、って思っていた。

 ママは昔から苦労していた。伯母は優秀で、ママはいつも比べられていたらしい。
 だから、苦しくなって高校をやめた。
 少ない貯金で東京に出て、メイドカフェで働き始めたころにパパと出会った。

 パパはお店の常連で、初めてママを見たときから夢中だったらしい。
 食肉加工会社の部長で、年が親子ほど離れていたパパは、何度もママを食事に誘い、積極的にアプローチした。
 ママは最初、「こんなおじさん、絶対に無理」と思っていたみたいで、ずいぶん警戒していた。何度も食事に誘われるのが嫌で、いつも適当にかわしていたらしい。

 でも、パパはあきらめなかった。優しい言葉をかけたり、ママの話をじっくり聞いてくれたりして、来るたびにプレゼントや差し入れを持ってきたそうだ。
 そのうち、ママの気持ちも少しずつ変わっていったみたいで、いつの間にかパパのことを信じるようになり、心を開いていった。気づいたら、二人は付き合うようになっていた。
 ママが十八歳のとき、妊娠していることがわかって、結婚して、わたしが生まれた。

 わたしの名前「栞」は、「迷わないように、自分を見失わないように」という意味が込められているみたい。

 中学までは裕福で、欲しいものは何でも買ってもらえた。
 ピアノやバイオリン、水泳、イラストなど、たくさんの習いごとにも通っていた。
 どの習いごとも途中で飽きてしまったけれど、演劇教室だけは違った。泣くシーンが特に好きだった。
 昔から泣くのは得意だった。ちょっとしたことで涙が出る。
 最初はそれが恥ずかしかったけど、演劇では「感情表現」として大事にされていると教わって、泣くことが少しだけ特別なものに思えた。

 小学校三年生の発表会で、泣くシーンをやったとき、自然に涙が出てきて、客席がしんとなった。
 終わったあと、先生が「栞ちゃん、どうやってそんなに自然に泣けるの?」と聞いてきた。
 わたしは「ママが怒ったときとか……?」って答えた。先生がちょっとだけ顔をこわばらせてから、笑って「しおりちゃん、すごいわね」って、話を変えた。

 そのとき、褒められて嬉しかったのに、なんだか胸がざわざわした。
 泣くことがわたしには普通なのに、ほかの人には違うのかな。
 そんなことを考えながら、演劇を続けていたけど、教室にはもっと上手な子がたくさんいて、泣くだけじゃだめだって気づいたとき、何かが止まった。
 結局、やめた。でも、泣く感覚は今も心に残っている。

 そのあと、両親が離婚して、わたしはママと一緒に星囲市に引っ越してきた。
 移住支援のおかげでなんとか暮らしているけど、貧乏から抜け出せない。
 中卒の求人は給料が低いし、仕事が決まっても東京にいたころより悪い生活で、わたしは泣きたくなった。

 ――どうしてこんな街に引っ越したの?

 何度も思ったけど、ママには言えなかった。

「ママ、ドラッグストアのパート募集があったよ。保険にも入れるって! わたしも高校に行ったらバイトするね!」と笑顔で励ました。