中学三年になる直前、わたしとママは星囲市に引っ越すことになった。
「星囲市移住支援制度」のパンフレットを手にしていたママは、すでにアパートの解約通知も出していて、わたしには選ぶ余地がなかった。
 胸がきゅっと締めつけられたけれど、ママと一緒なら平気。ママさえいれば大丈夫だと自分に言い聞かせた。

 移り住むことになった家を初めて見たとき、息が詰まった。

 山に囲まれた風景はきれいだったけど、小川沿いにぽつんと立つ古びた家が寒々しく見えた。

 苔のついた瓦屋根、傷んだ木材、リフォームの跡はあるけど、昔のままみたいだった。

 むき出しの梁や柱を見たとき、幽霊屋敷が頭に浮かび、鳥肌が立った。

 夜、荷物を片付けていると、視界の端で何かが動いた。
 壁を這っていたのは、大きなムカデ。黒く光る体がくねり、無数の足が壁に張りつくたび、背筋が凍った。
 体が動かない。すべてが止まったみたいに感じた。
 やっと声が出た。

「こんなところで暮らせない!」

 わたしは泣きながら、ママにすがった。
 中学三年にもなって、ママと一緒に寝るなんて恥ずかしい。
 でも、あのムカデを見たあとじゃ無理だった。
 ママは笑って、「まったく、栞は甘えんぼだね」と頭を撫でてくれた。

「人生にはね、もっと嫌なことがたくさんあるのよ。ムカデなんて、かわいいくらい」

 ママの声は優しかったけど、どこか重いものを感じた。
 未来に何か待ち受けているものを、ママは知っているみたいだった。

「やだ! ムカデより嫌なことなんて、わたし死んじゃう!」


 本気だった。すぐそこに、もっと恐ろしいものが迫っている気がした。

 ママの顔を見たとき、それが虫の話じゃないと気づきかけた。

 でも、その意味を考えるのが怖くて、無理に「虫の話だ」と思い込んだ。

「どんなにつらくても、ママは絶対に栞を見捨てないし、必ず助けるから。だから、栞はママの言うことを聞いて、ママを信じていればいいのよ」


 ママの声は、いつもと同じように優しかった。


「栞はいい子だよね?」


 わたしは小さく頷いた。それだけしかできなかった。
 引っ越してから、わたしはどんどんママに依存するようになった。

 褒められたいし、守ってほしい。

 もしママがいなくなったら、わたしは生きていけない。

 ママを失望させたり、傷つけたりしたら、わたしの世界は壊れてしまう。