**

 ホームルームが終わり、教室が急にざわつき始める。
 俺は無意識に拳を握りしめていた。
 空気が重く感じる。古典の授業が長引いたせいで、少し出遅れた。
 席を立ち、A組に向かおうと教室を出た。
 廊下には、まだ帰らない生徒たちの話し声や笑い声が響いている。
 窓からは、強い日差しが差し込み、影が廊下に長く伸びている。
 暖かい光のせいか、それが妙に苛立ちを増幅させてくる。
 A組の教室は隣だ。すぐに着いたが、栞の姿はなかった。
 代わりに、松永琴音と雪野一華が教室から出てきた。

「栞は?」

 思ったよりも声が荒くなる。

 松永は驚いた様子で答えた。

「急いで出て行ったよ。白根くんと一緒に帰るんだと思ったけど……」

「聞いてないけど」

 喉の奥がかすかに熱くなる。
松永と雪野が互いに目を合わせる。遠くで女子の笑い声が反響していた。


「どこ行ったんだ?」

 さらに問い詰める。

 松永が視線を泳がせる。

「多分、あっちじゃないかな……」

「あっち? どこだよ?」

「ボランティアで『子どもホスピス』に行ってて……乙ちゃん、そこの子どもたちと一緒に遊んでるの」

 栞がボランティア部に入っていることは知っていたし、行くことも許していた。
 松永は結んだ髪をいじりながら続ける。

「そこのマヤくんっていう同い年の子がいて、よく一緒にいるんだ……」
「同い年? 男?」

 体が自然と反応した。
 松永は小さく頷く。廊下を歩く人影が、こちらを避けるように通り過ぎていく。
 松永は肩をすくめ、縮こまった。代わりに、雪野が低い声で言う。

「病気で長く生きられないって言われてるけど……乙ちゃん、同情して優しくしてるだけだと思う。でも、心配だよね。モテるし……」
「栞がその男に……?」

 声が少し震えた。

「違うよ」

 松永は細い目を見開いて、すぐに首を振る。

「乙ちゃんは、白根くんが一番。それは変わってないよ」
「ああ」

 自分の声がどこか虚しい。
 背を向けて昇降口へ向かう。
 ポケットからスマホを取り出し、栞のラインを確認する。
 モモンガが木にしがみついているアイコンが画面に浮かんでいるが、変わらず沈黙したままだ。
 松永たちから聞いた内容を、栞にラインで伝える。
 言い忘れていたことに気づき、『試食会は俺だけでやっているわけじゃない。来ないなら連絡して』と追加で送る。
 スマホを閉じ、長く息を吐いた。