夜、自室でベッドに横たわる。
 カラスが群がっていた光景が頭に浮かんでくる。
 赤黒い肉片、鋭いくちばし、血の匂い――それが蛇沼と重なり、胸がざわつく。体の奥からじわじわと熱がこみ上げる。
 スマホの画面が光り、奈緒さんからのメッセージが届いていた。

『あのカラス、見たでしょう?』

 指先が冷たくなる。すぐに次のメッセージが届く。

『明日、時間ある? 話がしたいの。栞をあなたのものにするために』

 ベッドのシーツが汗で背中に張りつく。
 夜の静けさが、刃物のように鋭く切り込んでくる。
 場所はカラオケ店。
『誰にも聞かれてはいけない』と続いていた。


 約束の時間に少し遅れて店に入る。指定された部屋の扉を開けると、奈緒さんがソファーに座り、静かに微笑んでいた。

 薄暗い照明が部屋をぼんやりと照らし、音のないテレビ映像が異様に揺れている。
 反対側のソファーに腰を下ろすと、部屋は静まり返り、息遣いが重たく響く。

「驚いた?」

 奈緒さんが言う。


「驚きますよ。どういうことですか?」

「栞の心は、蛇沼摩夜に向かっているの」

「は?」


 信じられない。スマホを何度も確認したが、浮気の証拠なんてなかったのに――。

「蛇沼摩夜の余命は、十ヶ月か十一ヶ月。でも、死ぬ頃には栞の心は完全にやつのものになる。やつがいなくなっても、栞は戻らないわ」

 なんでだよ。栞は……。

「栞は俺のだ……」

 かすれた声に、奈緒さんが静かに頷く。

「そうね、私も栞が英くんの元にいるのが一番だと思う。でも、このままでは無理よ」
「じゃあ、どうすればいいんだ!」

 叫びが漏れる。

「蛇沼摩夜を殺すの」

 冷たく響いたその声に、体の奥で熱い感情が湧き上がる。

「でも……殺したらどうなるんですか?」

 息が浅くなり、心臓の鼓動が体全体を揺さぶる。

「心配ないわ。誰にも気づかれずに、完璧にやればいい。やり方は全部考えてあるから」

 奈緒さんは不気味な笑みを浮かべ、カバンからタブレットを取り出した。

 画面には【星と自然の大冒険 〜ほしかこい牧場&スカイリゾートの一日体験〜】という文字が映し出されていた。

「これ……車の中で話していたやつですか?」

「そうよ。社長も承認して、先方もすぐにゴーサインを出したわ。ここに蛇沼摩夜を招待するの」

 背筋が凍りつくが、奈緒さんは続けた。


「蛇沼摩夜の病気、『毒斑血症』は、毎日三回、薬を飲まないといけない。飲み忘れれば、すぐに症状が悪化する。奥星囲には病院なんてない。救急車が来るまで一時間以上、ドクターヘリもない。あの山道よ。夜になれば、もっとひどくなる」

「……つまり、あいつの薬を……」

「その通り。子どもたちや親御さん、栞やボランティア部の友達も参加する。もちろん、英くんも。部屋は一緒にするわ。やつがシャワーを浴びている間に薬を隠せばいい。カメラなんてないし、証拠は残らない。誰も疑わないわ。あなたは社長の息子で、大事な客なんだから。蛇沼摩夜が薬を忘れた不運な事故で片付くわ」

 奈緒さんの甘い囁きが、毒のように頭の奥深くまで染み込んでいく。

「栞はもう、あなただけのものになるのよ。そうね、蛇沼が死んだら、私は旅行にでも行こうかしら。その間、栞をしっかり見ていてね」

 そう言われた瞬間、善悪なんてどうでもよくなった。
 栞の姿が脳裏に浮かび、呼吸が速くなる。
 妄想が現実に変わる瞬間が、蛇沼をやれば手に入る。

「……わかりました」

 声が震え、手が小刻みに動く。だが、それは恐怖ではない。
 全身に広がる興奮が俺を支配していく。奈緒さんの誘惑に、俺は飲み込まれていく。
 もうやるしかない――もう戻れない。