翌朝、栞との待ち合わせを無視し、俺は朝七時にサッカー部のプレハブ小屋に向かった。目的は一つ。奏を問い詰めることだ。
 プレハブ小屋の前にいる奏を見つけるやいなや、俺は息を荒らしながら詰め寄った。

「お前、昨日の動画荒らしただろ?【すべてを知る者】って名前でコメントしてたの、お前だろ!」

 奏は一瞬、俺をじっと見つめたが、すぐにため息をついた。

「あ? 何言ってんだよ。てか、落ち着けよ」

 奏は呆れたように肩をすくめ、俺をプレハブの裏へ誘導した。
 その冷静さが、俺の怒りを一層掻き立てる。
 しらばくれるつもりか? 俺は抑えきれない苛立ちを抱え、昨日の動画で起こったことを一気にまくし立てた。
 俺が話し終えると、奏は眉をひそめて、軽く鼻で笑った。

「知らねえよ。俺がそんなことする理由があるか? お前の彼女のことなんて、俺に関係ねえよ」

 冷たい言葉に、心が一気に冷めたような気がした。

「……違うのか?」
「違うわ。そんなことする暇があるなら、リラと一緒に過ごしてるわ」

 奏の気怠い声が胸に響き、俺の中で何かが崩れる感覚があった。
 ああ、これ、奏にとってはどうでもいい話だ。俺は朝から何を必死になって騒いでいるんだ。
 遅すぎた自覚が喉に詰まる。声が出ない。奏の無表情な目が、冷たく俺を見下ろしていた。

「お前さ、そんなくだらないことでキレてんじゃねえよ。煽られてパニくるぐらいなら、乙黒さんと早くやっちまえ」

 胸に重く響いた。俺はただ、煽られて舞い上がって、何も見えてなかったんだ。

 奏が去っていく背中を見送りながら、内にあった怒りが虚しさに変わっていく。
 奏の言う通りだ。栞に触れられない自分が情けない。惨めで、無力な男――その事実だけが、心に残った。

 授業中、頭の中は【すべてを知る者】のことでいっぱいだった。
 俺が童貞だって話、奏以外には誰にもしていない。ほかの連中には「栞とはもうやった」って嘘をついて自慢していたからだ。
「この前、栞が俺の部屋に来てさ……」なんて作り話をすれば、やつらは「マジで?」「どんな感じだった?」と食いついてきた。俺は「恥ずかしがってたけど、すぐに感じてやばかった」なんて嘘を言って、羨ましがられていた。だから、【すべてを知る者】はあいつらじゃない。

 じゃあ、栞か? いや、栞が俺を裏切るはずがない。
 でも、最近……なんかおかしい気がする。何かを隠してるようにも感じるのは、ただの気のせいか?
 手のひらが汗ばんで、教科書の文字がぼやける。チョークの音だけが教室に響いて、やけに耳に残った。
 もし栞が裏切っていたら……もしあいつが、俺のことを誰かに漏らしていたとしたら?