「お見苦しいものを、お見せしました」
 
 物言わぬ祠の前で居住まいを正したみちるは指を揃えて深く頭を下げる。
 いつものように呼吸3回分の拝を終えて顔を上げると、祠の奥に収められた(ぎょく)が青ざめた色でみちるを見つめ返していた。
 この祠の御神体であり、この村全体が祀る神に由来するものだ。瑞波家が恩寵を賜った神であり、その村を潤し続けていた神でもある。
 こうして過去形で語ってしまえることが、みちるの顔色すら青ざめさせる原因だ。
 
「……わたくしは、雨巫女を母として、慈雨に満ちた夜に産まれたと聞いています」
 
 みちるの視線は玉を外れ、祠の周りに設えられた泉の縁を滑っている。石の装飾は砂利に埋もれ、何かが文字のようなものが刻まれていたが読めぬほどに擦り切れている。
 
「わたくしが力にふさわしくないのなら構いません。ですが、このままでは貴方様とて信仰を失い、砂の祠に埋もれてしまいます」
 
 みちるはそっと袖で文字の上に積もった砂を払う。画数の多いその文字は神を称える文言が刻まれていたものだろうか。
 
「去りゆく御加護を見送ることがわたくしの務めなのでしょうか。それとも巫女は別にいて、貴方様はそのお方をひたすら待っているのでしょうか」
 
 わずかな水しか湛えていない水面は何も答えずみちるの独白を受け止め続ける。否、みちるの言葉は水面に降り積もることも許されず石の装飾の上に弾かれているのかもしれない。
 
「歴代の雨巫女は祈りで、思いで、貴方様と通じ合いました。しかし、わたくしにはもう己の不甲斐なさへの癇癪も、無力な自分への涙も残っておりません。渇ききった巫女など不要なら、どうぞ引導を渡してくださいませ」
 
 ようやくみちるは視線を玉に戻す。冴え冴えとしたその青色は、祠の屋根に守られて陽の光すら拒む群青色に沈んでいた。
 それと同じ色をしたまなこで、みちるは玉を見つめ続ける。もの言わぬ玉と少女はその青色を以て静かに、そして苛烈に、届かぬ言葉をひとしずくずつ穿ち続ける。
 その最中、調停者のような風が一陣、水面を切るように渡った。
 鏡のようになめらかだった水面が切り裂かれ、奔流が破片となってみちるの頬に跳ね返った。
 
「っ」
 
 先程も童たちにされたことと同じだ。しかし、みちるはそれを拭うことはしなかった。
 ほたり、ほたりと頬を伝うそれを指の背で掬う。ふるふると踊るように震える雫の表面を見つめ、もう一度玉に、そして再び静かになった水面に目を移す。
 
「…………いまの、は」
 
 上擦った声の問いかけに、祠は何も応えない。
 渇いた瞳の下で、したたり落ちる雫がみちるの顎をつうとなぞって砂利の色を変えていった。