そうして数ヶ月経った頃、ある日おばあちゃんが持病の悪化で入院した。
 その時思ったのも「お人形さんを見に行けない」なんて、随分身勝手なことだった。

 お母さんと一緒に病院にお見舞いに行った時、わたしはつい、おばあちゃんにお人形さんの約束のことを聞いた。
 そわそわとしたわたしの様子からおねだりの気配を察したのか、もう退院できるかわからないと考えたのか、おばあちゃんはしわしわの手でわたしの頭を撫でてこう言った。

「光架理ちゃん……小夜ちゃんね、持って帰っていいわよ」
「……えっ!? いいの!?」
「えっ、お義母さん、小夜ちゃんってあのお人形さんですよね? ……光架理、おばあちゃんにおねだりしてたの? ダメよ、あのお人形さんはおばあちゃんの大切な……」
「いいのよ、光架理ちゃんと約束したから」
「ねー!」
「でも……」
「ふふ、いつもみたいにすぐに飽きちゃうかと思ったのに……小夜ちゃんのこと、あんなに可愛がってくれるんだもの。……光架理ちゃん、あの子のこと、大切にしてあげてね」
「うん、ありがとうおばあちゃん……! 大切にする!」
「本当にすみません……もう、何でも欲しがるわがままな子になっちゃって……私達が甘やかしすぎたのね……ちょっとは従兄弟の良夜くんを見習って欲しいくらい……」
「ああ、良夜くんたちにも形見分けしないとねぇ……男の子は何がいいかしら」
「形見分けなんて……やめてください、まだお元気なんですから……」

 おばあちゃんとお母さんの話は長くて、わたしはようやく手に入ったお人形さんのことを想像して時間を潰した。お見舞いの帰りにおばあちゃんの家に寄って、念願のお人形さんをガラスケースから取り出して連れて帰る。
 おばあちゃんと可愛がっていた時とは違って、その子は少し寂しそうな顔をしている気がした。

「……心配しなくても、わたしが可愛がるからね」

 こうしてわたしは、ようやくお迎えできたその子を大切にした。可愛く飾った棚に座らせて眺めたり、お揃いのヘアアレンジをしたり、お洋服をオーダーしたり、自分の手でどんどん可愛くなるお人形さんに夢中だった。
 おばあちゃんの入院先に連れていって会わせてあげたり、外で撮影してその写真を見せてあげたりもした。おばあちゃんの家のガラスケースに閉じ込められてるより、よっぽど可愛がってあげたつもりだ。

 そしてその様子に安心したように、少ししておばあちゃんは亡くなった。

「おばあちゃん……お人形さん、大切にするからね」

 元々可愛いお人形さんで、わたしのお気に入りだったその子は、おばあちゃんの形見となったあと、お父さんもお母さんも可愛がるようになった。

「光架理、今日はあの子は出さないのか?」
「光架理。来週小夜ちゃん連れて遊園地行こうか?」

 最初こそ、両親にも自慢するようにお人形さんを見せていたけれど、こうなると、わたしだけのものじゃなくなったようでなんだかイライラとした。
 なんとなくお人形さんにおばあちゃんを重ねられてるようで、その感覚が嫌だった。
 そして何より、手に入らないものは他人のものでも欲しくなるけれど、手に入れたのに他の人と分け合うのは、もっと嫌だった。今で言う同担拒否に近いのかもしれない。
 わたしはわたしだけの特別なものが欲しかったのだ。

「……もうやだ、おばあちゃんは関係ない! この子はもう、わたしのなの!」

 やがてわたしは、お人形さんを部屋に隠すようになった。どこにも連れ歩かないし、お人形さんのためにと可愛く飾り付けた棚にはカーテンをした。
 そうすることでお人形さんを守れた気がしていたけれど、自分自身もほとんど構わなくなったことで、その内お人形さんへの執着も薄れていった。

「……」

 あんなにも欲しかったのに。手に入った喜びをピークに、結局そのお人形さんも、他のたくさんのかつて欲しかったものと同じように、飽きてしまったのだろうか。
 そんな自分に失望して、けれどそれを認めたくなくて、わたしはすぐに次を求める。

「ねーお父さん、ヒカリね、クリスマスプレゼント、新しいお人形さんが欲しい」
「え……? 光架理、あのお人形さんは?」
「あのってどの?」
「……小夜ちゃんだよ、あんなに大切にしていたじゃないか」
「知らなーい。ヒカリ、今度は金髪のお人形さんが欲しいの、緑の目をしていて、ドレスが似合う洋風な感じの……」
「光架理……」

 お父さんの寂しそうな顔の理由は、なんとなくわかっていた。それでも、わたしは欲しいものを諦められない。ずっとなにかを求めていないと不安だった。
 常に満たされない状態も不安なのに、もし満たされてしまうとしたら、その先がもうなにもないように感じられて怖い。
 わたしはどうしたって、いつも迷子のような感覚だった。

 だから、まだ手元にない理想のお人形さんを想像すると、その時は素直にわくわくしたのだ。

「……ふう。お父さんならきっと買ってくれるんだろうな、ヒカリの欲しいもの」

 おねだりを終えたわたしは部屋に戻り、久しぶりに目隠しカーテンの向こうのお人形さんと向き合う。
 この子のために用意した山積みの洋服も、しばらく着せ替えていない。新調したブラシも、結局使わなかった。

「わたし、やっぱりだめだなー……」

 わずかに曇ってしまっていたそのガラスの瞳は、心を映す鏡のように思えた。
 何かを得るのは嬉しいけれど、何かを失うのは悲しい。
 いつからだろう。このお人形さんを見ていると、おばあちゃんの死をどうしたって思い出すし、わたしは何を得ても結局満たされないのだと、悲しい気持ちでいっぱいになってしまう。
 隠している間、向き合おうと思うことは何度もあった。けれども、どうしたって自分の弱さを突きつけられているようで、すぐに目を背けてしまいたくなるのだ。

「……ごめんね」

 弱いわたしを咎めるような、まっすぐな瞳。そんな目から逃れるように、わたしはまたしばらく、そのお人形さんを目隠しカーテンの奥の棚に封印することにした。
 もう少し、成長することができたら。もう少し、心満たされるなにかがあれば。その時はまた、あの頃のようにこの子を愛せるような気がしたのだ。

 他のお人形やぬいぐるみを愛せなくても、すぐに飽きてしまっても、いつか変われるきっかけがあるはずだ。
 その時にはまた、わたしのお人形になったこの子を、今度こそまっさらな気持ちで大切にしてあげたい。その気持ちだけは、わたしの中の前向きな目標だった。

「もう少し待っててね、小夜ちゃん……」


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