――思い出は、希望の種なんだよ!
あの日から、何度も口の中で転がし、反芻してきた言葉が聞こえた。
私の声ではない。これは、彼の声?
――き、ぼう?
白くぼんやりしていた視界が、ゆっくりと鮮明になっていく。
澄み渡る青空に、夏らしく立ち昇っている白い入道雲。煌めく陽光に目を細めて、私はその声のほうへと向き直った。
――そう! 今日はたくさん笑っただろ? だったらもっと笑える日だって来るんだ!
真夏の太陽に負けないほどの眩しい笑顔を浮かべて、すぐ隣でしゃがみ込んでいる彼は言った。
――でも、今日が一番楽しい日だったら……
対して、私は暗い顔をして俯く。視線の先には、大きな木の根っこと、風で揺れ動く枝葉の影。そして、今しがたまでシャベルで掘っていた穴が口を開けている。
私の暗くてじめっとした感情を、この穴の中に入れて塞いでしまいたい。
今の私がそんなふうに思った矢先、頬を温かいものが包み込んだ。
――それはこれからのお前次第! まあ俺は、一度笑えたならこれから先、何度だって笑えると思うけどね!
私の頬に添えられたのは、小さな彼の手。男らしさとは程遠い、今の私と変わらないくらい柔らかな手。
快活に口元を綻ばせて、彼は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
彼の手に挟まれた私の頬が熱くなる。
熱くなっているはずなのに、その温度感は現実のものとはかなり違う。
それを意識した途端、再び視界が白く染まり始めた。
――また、笑えるかな?
彼の手に自分の手をかぶせて、私は尋ねる。
――笑えるよ! 大丈夫だって!
彼はさらに笑顔を深めて答える。
その自信満々な言葉は、まるで魔法のようで。あれほど沈み込んでいた私の心に温もりが蘇っていく。
――また、会えるかな?
どんどんと白く、曖昧になっていく世界の中で、また私は尋ねる。
――会えるよ! そのために、これを埋めてるんだろ?
すると彼は、私の頬から手を離して、地面に突き立てたシャベルを持ち上げた。つられて目を向ければ、すぐそばには銀色の缶箱が置かれている。
ああ、懐かしいな。
今の私がそう思えば、また世界の色が曖昧になる。
――ぜったい、だからね
――ああ! ほら、ゆびきりしようぜ。
あの夏の気配がほとんどなくなったその場所で、私と彼はゆびきりを交わした。お馴染みの歌を口ずさむ私たちは、とても楽し気だった。
――約束、したからね
――ああ、約束だ!
そこで、目が覚めた。
おもむろに目を開けると、視界いっぱいに広がったのは白い世界でも突き抜けた青空でもない。月明かりに照らされた、薄暗い見慣れた天井だった。
「ん……何時?」
ベッドからのそのそと身体を起こして枕元に置いたスマホを見ると、まだ朝の四時だった。しまった。早く起き過ぎた。
もうひと眠りしようと、私は接触冷感のマットが敷かれたベッドへ倒れ込む。やや蒸し暑い夏の夜には、このひんやりとした感触が必要不可欠だ。
けれど、今の私にとってはあの温もりが恋しかった。
そっと自分の頬へと手を伸ばす。そこにあるのは、やや火照ったいつもの感触ばかり。
夢の中で私を包んでくれた彼の温もりは、ない。
もう一度、私はスマホの画面に目を向けた。
四時五分を示す数字の上には、夏休み初日となる日付が表示されている。
「……よし」
私は小さく気合の声を口にすると、今度こそまぶたを閉じた。
今日から私の通う高校では夏休みだ。
この最後の夏休みで、私は勝負をつける。
幼い彼の無邪気な顔が脳裏に浮かぶ。そしてすぐに、今の彼の無愛想な横顔がそれを上書きしてくる。
「……森川、湊也くん」
恋しい人の名前をそっと口にしてから、私は眠る。
もう一度、夢の中で彼と出会えますようにと祈りながら。
残り僅かな私の命で、彼を笑顔にできますようにと、願いながら――。
あの日から、何度も口の中で転がし、反芻してきた言葉が聞こえた。
私の声ではない。これは、彼の声?
――き、ぼう?
白くぼんやりしていた視界が、ゆっくりと鮮明になっていく。
澄み渡る青空に、夏らしく立ち昇っている白い入道雲。煌めく陽光に目を細めて、私はその声のほうへと向き直った。
――そう! 今日はたくさん笑っただろ? だったらもっと笑える日だって来るんだ!
真夏の太陽に負けないほどの眩しい笑顔を浮かべて、すぐ隣でしゃがみ込んでいる彼は言った。
――でも、今日が一番楽しい日だったら……
対して、私は暗い顔をして俯く。視線の先には、大きな木の根っこと、風で揺れ動く枝葉の影。そして、今しがたまでシャベルで掘っていた穴が口を開けている。
私の暗くてじめっとした感情を、この穴の中に入れて塞いでしまいたい。
今の私がそんなふうに思った矢先、頬を温かいものが包み込んだ。
――それはこれからのお前次第! まあ俺は、一度笑えたならこれから先、何度だって笑えると思うけどね!
私の頬に添えられたのは、小さな彼の手。男らしさとは程遠い、今の私と変わらないくらい柔らかな手。
快活に口元を綻ばせて、彼は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
彼の手に挟まれた私の頬が熱くなる。
熱くなっているはずなのに、その温度感は現実のものとはかなり違う。
それを意識した途端、再び視界が白く染まり始めた。
――また、笑えるかな?
彼の手に自分の手をかぶせて、私は尋ねる。
――笑えるよ! 大丈夫だって!
彼はさらに笑顔を深めて答える。
その自信満々な言葉は、まるで魔法のようで。あれほど沈み込んでいた私の心に温もりが蘇っていく。
――また、会えるかな?
どんどんと白く、曖昧になっていく世界の中で、また私は尋ねる。
――会えるよ! そのために、これを埋めてるんだろ?
すると彼は、私の頬から手を離して、地面に突き立てたシャベルを持ち上げた。つられて目を向ければ、すぐそばには銀色の缶箱が置かれている。
ああ、懐かしいな。
今の私がそう思えば、また世界の色が曖昧になる。
――ぜったい、だからね
――ああ! ほら、ゆびきりしようぜ。
あの夏の気配がほとんどなくなったその場所で、私と彼はゆびきりを交わした。お馴染みの歌を口ずさむ私たちは、とても楽し気だった。
――約束、したからね
――ああ、約束だ!
そこで、目が覚めた。
おもむろに目を開けると、視界いっぱいに広がったのは白い世界でも突き抜けた青空でもない。月明かりに照らされた、薄暗い見慣れた天井だった。
「ん……何時?」
ベッドからのそのそと身体を起こして枕元に置いたスマホを見ると、まだ朝の四時だった。しまった。早く起き過ぎた。
もうひと眠りしようと、私は接触冷感のマットが敷かれたベッドへ倒れ込む。やや蒸し暑い夏の夜には、このひんやりとした感触が必要不可欠だ。
けれど、今の私にとってはあの温もりが恋しかった。
そっと自分の頬へと手を伸ばす。そこにあるのは、やや火照ったいつもの感触ばかり。
夢の中で私を包んでくれた彼の温もりは、ない。
もう一度、私はスマホの画面に目を向けた。
四時五分を示す数字の上には、夏休み初日となる日付が表示されている。
「……よし」
私は小さく気合の声を口にすると、今度こそまぶたを閉じた。
今日から私の通う高校では夏休みだ。
この最後の夏休みで、私は勝負をつける。
幼い彼の無邪気な顔が脳裏に浮かぶ。そしてすぐに、今の彼の無愛想な横顔がそれを上書きしてくる。
「……森川、湊也くん」
恋しい人の名前をそっと口にしてから、私は眠る。
もう一度、夢の中で彼と出会えますようにと祈りながら。
残り僅かな私の命で、彼を笑顔にできますようにと、願いながら――。