秀一郎さんからはまったく連絡がない。そのまま夏休みに入りそうだった。
 なんとなく、なにもしないまま過ごしていて、定期テストも終わったときだ。
 ちょうど屋上で寝転んでいたときだった。
「なーにをいかにもなことしてんの?」
 目をあけると、秀一郎さんがにやにやしながら
見下ろしていた。
「なんでいるんですか」
「ちょっと変装して高校生のふりしてきた」
 たしかにいつもの賑やかな色合いの格好ではなく、白いシャツに黒いパンツだけれど、やっぱりどう見たって高校生には見えない。
「よく注意されなかったですね」
「まあね、やっぱり自分を高校生だって思い込むことが大事だな。そうすると溶け込めることができる」
 絶対できていないけれど、刃向かうとややこしそうなので放っておくことにした。
「なんかあった? 恋バナ?」
 秀一郎さんが隣に座った。
「そんなの、ないですけど」
「だったらあれだ、友達関係だ」
 ものすごく面倒だ、この人。
「今日、グループワークがあったんですけど」
「へえ、最近の学校ってそんなことやってんだ、俺なんかグループ組めなんて言われたら誰も誘ってくんなかったな」
「そうなんですね」
「きみ、いま『そりゃそうだろうな』とか思っただろ」
「思ってませんよ!」
「まあ、とりあえず、続けて、で、なに? グループがどうした?」
 他人事なものだから適当だ。
「小説を読んで感想を出し合って、纏めるってことをしてたんですけど、グループの一人が『こういう小説を読むと豊かになる』とかなんとか、ぺらぺら語ってたんですよ。そいつ、文芸部でたくさん本を読んでるってのを鼻にかけてて、クラスでもわりと中心のほうにいるコなんで、みんなも適当に同意してたんですけど」
「ああ、いるね、そういうめんどうくせえやつ」
「ですよね」
 思わぬ味方ができて、ぼくは起き上がった。
「というかきみの口ぶりでどんだけそいつが鼻持ちならないかがわかった。でもそういうありがちなことをさも偉そうに語る奴って空っぽで、そこを詰められたら牙を向くから無視しとくのが安牌だね」
「ですよねえ!」
 グループワークのとき、ぼくの虫のいどころが悪かった。
「ぼくは小説を読むけど、豊かになったことなんてないな」
 とぽつりと言ってしまった。言うつもりはなかったけれど、つい口に出てしまった。
 顔を真っ赤にさせて彼女はぺらぺらと語った。しかも「わたしのことを人格否定した」とか「危険思想を持っていて怖い」とかわめいた。なにからないまでまったく響かないので、ぼくのほうも表情が能面みたいに固まっていたら、ついには泣き出しされてしまい、周囲の女子から「平間最低」「謝れよ」と責められ、騒いでいるところを国語教師が割ってきて、「いろんな意見があるんだから人の意見を否定しちゃいけない」なんてもっともらしいことを言われ、完全に悪者となってしまったのだ。
「ふーん、くっだらないねえ。たかだか授業だろ、適当にやっときゃいいのに。小説書いている奴だって、読んでいる奴が豊かになるとかべつに思って書かないだろ。書きたいからかくだけでしょ。テーマがどうとか、だいたい後付けだろ」
 秀一郎さんは話を聞いて、言った。
「そういうのはわかんないですけど、それから女子全員に敵認定されるし裏垢で僕の悪口言うしで」
「裏垢なんで見れるの?」
「フォローしてるやつがわざわざ教えてくれるんです」
「現代の闇な。面白がられてるなあ」
「気を遣ってるていなのが最悪ですよね」
 ぼくはため息をついた。
「ま、べつにほっとけばいいんじゃない。そのタイプ執念深そうだから卒業するまで粘着しそうだけど、いま三年だろ、どうでもいいじゃん」
 と、いかにも大人な意見を言われ、ぼくは秀一郎さんを覗き込んだ。
「なんだよ」
「いや、意外と普通なこと言うなって」
「俺は普通だ」
 秀一郎さんは笑った。「高校なんてさ、狭い教室にぎゅっと押し込まれちゃうからそりゃ息苦しくてたまんないよ。卒業したらもうフリー、枠組みなくなって好き勝手にできる。だから耐えろ」
「でも、卒業しちゃったら」
 ぼくは言った。
「ん? やっと本題の恋バナか?」
 秀一郎さんが興味津々に顔を寄せてきた。
「そんなんなんもないし」
 屋上のフェンスから下を見ると、アメフト部が練習をしているところだった。豊を探した。すぐに見つかった。
 秀一郎さんもやってきて、下を覗き込んだ。
「かわいいねえ。いくら払ったらやらせてくれっかなあ」
「最悪」
「肉食わせたらいけっかなあ」
 にやにやしながら言うので、
「ガチで無理」
 とぼくは言った。
「ごめんごめん。こういう若作りしたオジに騙されちゃいけないっていう親心からの発言ですよ」
「そうすか」
 豊が屋上のほうを向いて、一瞬遥か遠くで目が合った気がして、慌ててぼくは屈んで身を隠した。
「なにやってんの?」
 秀一郎さんが不思議そうに顔をしている。
「べつに、なんでもないですけど」
 としか答えられなかった。