同じ進学塾に通っている子から、塾が休みの日に一緒に勉強しないかと声をかけられた、とわざわざみんなをファミレスに呼び出した功が報告してきたのは、夏休みに入って一週間ほど経ったときのことだった。
「悪いな、お前ら。俺は一足先に青春を味わうぜ」
 コーラを飲みながらどや顔で言う功に、部活帰りで腹が減ったとカレーライスを食べていた柊人が「でもやることが勉強っていうのがな……」と突っ込む。
「勉強はきっかけでしかないんだって。一緒に図書館とか行ってさー、その帰りにカフェ行ったり本屋行ったりとかしてさー、もうちょっと仲良くなったら一緒に映画に行ってこっそり手をつないだりとかしてさー」
 隣でブホッと柊人がカレーにむせる。春休みに初めて手をつないできたときのことを思いだしたのだろうか、と思いながら俺はアイスコーヒーを飲む。
「まあ一番重要なのは、その子が可愛いかどうかってことだ」
 たっつーの言葉に、功が「なんか清楚系なんだよねー」と鼻の穴をふくらませながら答える。
「お前、ギャルっぽい子がいいって言ってなかったっけ?」
「いや、清楚系の良さっていうものに気づいていなかったんだよ。俺の視野は狭かった」
 うんうん、と頷く功に「浴衣とか水着とか見れるといいな」と言うと「そーなんだよ!夏祭りは間に合わないかもしんないけど、来月の花火大会は一緒に見に行きたいよな~」と嬉しそうな返事が返ってくる。
「えー、じゃあさ、花火大会に行くことになったら俺も誘ってよ。その子の友達も誘ってもらってさ」
「やだよ。行くなら二人きりで行きたいし」
「男の友情ってもろいな……」
「なんとでも言え。俺は青春を満喫するのだ!」
 あ、でも、と功が続ける。
「花火大会は無理だけど、同じ塾でその子と仲がいい子がいてさ、今度塾が早く終わる日に三人でカラオケ行こうって言われてんの。その時間にたっつーが合わせられるなら、来る?」
「行く!バイトの予定調整してぜってー行く!!」
「じゃあ明日呼んでもいいか聞いておくわ。まあ大丈夫だと思うけど」
「マジ持つべきものは友達っすね!!」
 テンションが爆上がりしてガッツポーズをしたたっつーが、その様子を眺めていた俺の視線に気づき「あ、もしかして剛士も行きたかった?」と聞いてくる。
「いや、全然」
「柊人は」
「興味なし」
「マジかよー! 持つべきものは女の子に興味のない硬派な友達っすね!!」
 再びテンション高くガッツポーズをしたたっつーに「っていうかさ、新しいバイト先での出会いはなかったわけ?」と俺が訊ねると、途端に少しだけしゅんとする。
「それがさ。喫茶店だしさ。ちょっと出会いとか期待したんだけど、一緒のシフトで働いてる人、店長以外は主婦のパートさんと大学生の男の人だけでさ。このまま固定みたいなんだよな。女子大生もいるけど夕方からで俺とシフトが合わないの」
「まあ女子大生はシフトが合ってもちょっとハードル高いよな……」
「よし、元気出せ、カラオケ連れて行ってやるから!」
 泣きまねをするたっつーの肩を功が叩いて励ますのを笑いながら見ていると「でもさ剛士は部活も塾もバイトもないんだろ。俺らと会わないとき毎日何してんの?」と功に聞かれる。
「えー?なんだろ、読書三昧って感じかな。あと一応参考書買って自主勉してる」
「お前は……せっかくの高2の夏休みだというのに……」
「むしろ朝から晩まで本読めるから最高だけど」
「でもなんかさー、こう、夏らしいイベントみたいなのはないわけ」
「すいか食べたり?」
「それはイベントじゃねーよ!」
 たっつーに突っ込まれて、そうか、と俺は首を傾げて考える。
「あぁ、あとは弟に付き合ってたまに虫取りにいったりザリガニ釣りしたりしてる」
「だからお前は……高2らしいことしようぜ?」
「剛士らしいのが一番だろ」
 カレーを食べ終え、水を一気に飲み干した柊人が、横からそう口を出す。
「剛士が女の子とカラオケ行ったり海行ったりしてはしゃいでたら、それはもう剛士じゃなくないか」
「あー。確かにそんな剛士見たくないな……」
「それは確かに俺たちの剛士じゃないわ……」
 なんなんだ、と思うがとりあえず納得してくれたようで何よりである。
――ま、ほんとのことは言えないしな。
 ちょっとコーヒーちょうだい、という柊人に自分のグラスを渡しながら俺は思う。
 実を言えば、夏休みに入ってからも、ほぼ毎日のように俺と柊人は会っている。定期券ばんざいである。
 何をするわけでもなく、ぶらぶらしたり自販機でジュース買って海見ながら喋ったりするだけだけど、十分楽しいし、たまに手をつないだりするのもドキドキして幸せな気持ちになる。
『めちゃくちゃ好きな人がいるんで』
 ちょっと前、田沼さん相手に夏祭りの誘いを断るときに、わざわざ助け舟を出しにきてくれた柊人はそう言った。
 告白以降、好きだとはっきり言われていなかったこともあり、その一言に俺の心は勢いよく撃ち抜かれてしまった。本当に、漫画のようにドキーンとなった。
 柊人のことを好きだという気持ちはもう自覚していたけど、それ以来、それこそめちゃくちゃ好きという状態になってしまった俺は、四六時中柊人のことばかり考える日々を送っている。
 あんなに好きな小説を読んでいても柊人のことが思い浮かんでくるほどなので、もしこれが一年遅かったら、勉強なんて何も手につかず受験も危うかっただろうから、早めに柊人が告白してくれて良かった、とすら思う。
「さんきゅ」
 柊人が返してきてくれたグラスを受け取り、何気なくそれを飲もうとした俺は、ふと間接キスになってしまうことに気づいて、急激に自分の顔が熱くなるのを感じる。
 ちらっと隣を見ると、柊人はどうした?という顔でこちらを見ていて、慌てて首を振ってコーヒーのグラスに目を戻す。
――こんなんで、柊人と本当にキスをするなんてことになったら、俺どうなっちゃうんだろ。
 目の前で、女の子たちとカラオケに行くとき、何を歌ったら受けがいいかを真剣に話し合い始めたたっつーと功を見ながら、俺はできるだけさりげなく、ストローを口にくわえてコーヒーを飲んだ。



 八月に入ってすぐの金曜の夜、俺は柊人と柊人のお姉さんと三人で、安田家の縁側でスイカを食べていた。
『今度の週末、おれんちで花火やろうよ。夕飯一緒に食べてさ。花火終わったら俺の親が家まで送るって言ってるし』
 そう誘われたのは月曜日のことだった。
 夏祭りとか花火大会とか、人混みが嫌だから行きたくないといった手前、今さら一緒に行ってみたいと言い出しにくく、でも、夏らしい思い出も欲しいと思っていた俺はすぐに頷いた。
『じゃあ、金曜日の夕方にさ、ショッピングセンターで待ち合わせて一緒に花火買って俺ん家行こう』
 嬉しそうにそう言った柊人と予定通りショッピングセンターで待ち合わせ、あれこれ見比べて買ってきた大量の花火は、水を張ったバケツとともに庭でスタンバイ済である。
 スイカを食べ終わったら、いよいよ花火か、と子どものようにワクワクしていると「ねえねえところでさ、あんたたち仲いいのはいいけど、彼女つくる気ないの?」と唐突に柊人のお姉さんが聞いてきた。
 何と言えばいいか分からず黙っていると「そういうの余計なお世話って言うんだけど」と柊人が隣で不機嫌そうに答える。
「えーだってさ、剛士くんも柊人もそこそこモテてもおかしくないと思うのに、全然そういう話聞かないからさー。今日も男二人で花火って虚しくない?」
「虚しくないし」
「そんなこと言ってるといつまでも彼女できないままになっちゃうよー」
「別にいいし。そんな焦るようなことでもないだろ」
 柊人が食べ終えたスイカの皮を皿の上に置き、次のスイカを手に取る。
「いやいや、若いうちは焦って作っておいた方がいいって言ってるじゃん。高校生くらいの恋愛なんて恋に恋してるだけでさ、すぐ終わっちゃうことが多いけど、でもそういう経験をいっぱい積んでおくことで大人になってから自分に合う人とかそういうのが分かるようになるんだから」
 俺はシャクッとスイカに噛みついて、お姉さんの言っていることを胸のうちで繰り返す。
 すぐ、終わっちゃうのか。恋に恋してるだけだから。
 それは今の俺たちにも当てはまるんだろうか。
 そんな俺の隣で、柊人が静かに反論する。
「ちゃんと好きな人と付き合えばそんなすぐに終わるなんてことないと思うけど」
「甘いなー!初恋は実らないもんなんだって何回も言ってるでしょ。そんな夢持ってちゃダメだって。あと、ちょっといいなっていう気持ちだけで、条件とかなーんも考えないで付き合えるのも高校生くらいまでの特権だからね。命短し恋せよ高校生だよ!」
「まじ姉ちゃんうるせえ。自分の彼氏と喧嘩ばっかしてるやつにそんなこと言われても説得力ねえし」
「うっわムカつく」
 お姉さんがむくれて立ち上がる。
「あたしのところは、喧嘩するほど仲がいいってやつだから!」
「へーへー」
「なんなの!人がせっかくアドバイスしてやってんのに!」
 そのままお姉さんはぷりぷりして自分の部屋のほうへ行ってしまった。
 ちょっとオロオロしながらその後姿を見てると「いいのいいの、ほっとけって」と柊人が言う。
「うちの姉ちゃん、自分の恋愛がうまくいってるときは、すぐこうやって恋愛しろってうるさく言ってくんの。恋愛はいいよー、みたいな。でさ、自分の恋愛がうまくいかないと、世の中は恋愛だけじゃないって言いだすから。単細胞なんだよな。真面目に聞くだけほんと無駄」
「そうなんだ」
「そ。よっしゃ、じゃあスイカもなくなったし花火しようぜ」
 そう笑顔で言った柊人に頷き返して、俺たちは縁側から立ち上がった。

「やってもやっても終わんないな」
 そう柊人が笑う。
 俺も「ほんと」と答え、まだ袋の中にいっぱい入っている花火に目を向ける。
 もしかしたらお姉さんもやるかな、と話して多めに買ってきたけど、さっきのやりとりで機嫌を損ねたらしく出てくる気配はない。
 まあでも、永遠に光り続ける花火なんてないから、間違いなく終わるときはくるわけで、それは恋愛と似たところもあるのかな、と柊人のお姉さんの話を思い出しながら考える。
 終わらないといいのにな。
 こうやって柊人と花火をする時間も。柊人との恋愛も。
 そんなことを考えた瞬間、手に持っていた花火の火が消えて、俺はちょっと寂しいような気持ちになってそれをバケツへと差し込む。
 ジュッという音を立てた花火から手を離し、また新しい花火を手に取ると、先のひらひらした紙の部分をロウソクにあてる。
 パチパチと音を立てたかと思うと勢いよく光を吹き出し始めた花火は、直後に色を変えて輝き始めた。
「あ、それ七色に光るやつ?」
「暗くて説明が読めないから分かんないけど、そうかも」
「すごいよなー。どうなってんだろ」
 俺もそれやろーっと、と言って、柊人が俺の側に来て花火の柄を確認し、束の中からごそごそと探し出す。
 そして俺のところにその花火を持って近寄ってくると「火、ちょうだい」と言うので、花火の先を柊人の持つ花火へと向ける。
 俺の花火が終る直前に、今度は柊人の花火から小さな炎が生まれる。
「なあ」
 柊人がそれを見ながら楽しそうに言った。
「こうやって火を移し合ってさ、どこまでロウソク使わないで花火できるかやってみねぇ?」
「あ、やろやろ」
 そう答えて、俺は慌てて新しい花火を取りに行き、その先を柊人の花火の先にかざす。
 すると俺の花火がついた直後に柊人の花火が消え、柊人が急いでまた新しい花火を取りに行って、それに火を移す。
 花火によっては燃えてる時間が極端に短いものもあって「早く!早く!」と言いながら大急ぎで火を移したりするのを繰り返しているうちに、慌てふためいている自分たちがなんだか可笑しくなってきて俺たちは二人で笑いだしてしまった。
 同時にさっきまでのちょっと沈んだような気持ちが、少しずつ消えていく。
 終ったときのことばかり考えるより、今の時間を楽しんだもの勝ちだよな、と柊人がテープにくっついてしまっている花火を必死にはがそうとしているのを見て大笑いしながら俺は思う。
 花火も恋愛も、大事なのは輝いている、今この瞬間なのだ。

 結局、二度ほど火を移すのに失敗しながらも、一時間以上かけてほとんどの花火をやり終え、最後、袋の中には線香花火だけが残った。
「線香花火って言ったら、どっちが長くキープできるか勝負するしかないっしょ」
 そう言った柊人と並んで地面にしゃがみこみ、同時にロウソクの火を線香花火につけて、小さい火花を飛ばし始めるそれをじっと見つめる。
 パチッ、パチッという音がパチパチパチと早くなり、細長い光が丸まって赤い球となったところで「剛士」と柊人が静かに声をかけてきた。
「なに?」
「この勝負さ。俺が勝ったらキスさせて」
 線香花火から目を離して隣にいる柊人を見ると、柊人も緊張気味な顔で俺を見ていた。
「……いいよ」
「え、マジ?」
 そう言った瞬間柊人の線香花火が揺れて、ぽたっと地面に落ちた火は消えてしまった。
「あ……」
 ただのカラフルなこよりとなってしまった線香花火を切なそうに見つめる柊人に「十本入りだったからチャンスはあと四回だな」と言うと、ぱっとその顔が明るくなる。
「よっしゃ。絶対勝つ」
 そう言って再び始まった勝負はまた俺の勝ちで、その次も俺の勝ちだった。
「いや、剛士線香花火うますぎない?」
「実は小さい頃から負けたことほとんどない」
「マジかよ……なんでだろ」
 うーむ、と線香花火を見つめ、「揺れないように固定するこつとかあんのかな?」とぶつぶつ言う柊人と、また同時にロウソクで火をつける。
 そのままじーっと身じろぎせず、真剣な顔で線香花火を見つめる柊人の顔を、俺はちらりと横目で盗み見た。
――大事なのは、今、この瞬間なんだよな。
 心の中でそう呟き、線香花火の先から火花が四方に華やかに散り始めたところで、俺はそっとこよりをつまんでいた指を開いた。
 ひらっと落ちた線香花火は、地面に当たった瞬間、一瞬ぱっと明るく輝いてすぐにその存在を闇の中に溶け込ませる。
「え」
 地面に落ちた線香花火を見て、続けて俺を見た柊人に「俺の負け」と言うとその目が見開かれた。
「……いいの?」
「約束だから」
 囁くような問いにそう答えたとき、柊人の線香花火からも小さな火花をまとった光が地面へとこぼれ落ちて、でも、その火が消えるのを確認する前に、俺の視界は遮られる。
 蒸し暑い空気と火薬の匂いとカエルの鳴き声と。
 一瞬だけ唇の端の方に不器用に当たった温もりと。
 それが離れた瞬間に目に入った星空と。
 もし、この初恋が終ったとしても俺はきっとこの瞬間を忘れないだろうなと思いながら、緊張した顔で俺を見ている柊人に、笑いかける。
 そんな俺にほっとしたように笑い返した柊人が「あのさ」と言ってくる。
「来年も一緒に花火しような」
「うん」
「その次の年も、その次も、ずっとな」
「うん」
「それと、線香花火で勝たなくても、今度またキスしていいかな」
「うん」
「……今、してもいいかな」
「うん」
 俺が答えると、柊人は両手で膝を抱えてしゃがむ俺の背中に腕を回し、顔を寄せてきた。
 今度はちゃんと唇と唇が重なって、俺は、さっきのと今のと、どっちをファーストキスって呼ぶべきなのかな、なんてことを幸せな気持ちで考えたのだ。

Fin.