見慣れた姿をグラウンドのフェンスの向こうに見つけたのは、キャッチボールが終って打撃練習に移ろうかというときだった。
 こんなところで何してんだろう、と土ぼこりが舞う中を駆け足で移動しながらじっと立ち尽くす剛士を横目で見る。
――俺のことを見に来た、とか?
 そう考えて、ついつい口元がにやけそうになるのをこらえる。
 部活をしているところをわざわざ見に来るとか、それって相当好意を持っている相手にしかしないんじゃないだろうか。
 剛士に告白して四か月。剛士も俺を好きになってきてくれているのかもしれないと思うとテンションもあがりまくりである。地道に距離を縮めてきたかいもあったというものだ。
 そして、せっかく見に来てもらえているならいいとこを見せないと、と気合を入れてバットを手に持ち、またちらっと剛士のほうをさりげなく見た俺は固まった。
 剛士はいつの間にかこちらに横顔を向けるように立っていて、その正面では女の子がなんかもじもじした感じで剛士を見て話していた。
 遠すぎて表情は見えず何を話しているのかも分からないが、その様子はいかにも告白といった雰囲気で、目が離せなくなる。
 すると隣に立っていたチームメイトが「俺らが部活で汗を流している間、青春をしてるやつもいるんだな……」と小さい声で言って、それを聞いた俺ははっと我に返った。
「あれ、やっぱ告白かな」
「どうみてもそうだろー。あんなほっせー男より、俺らみたいに鍛えている男のほうが絶対もてるべきだと思うんだけどなー」
 冗談に本音をくるむかのようにわざとらしく舌打ちしたそいつに笑ってみせ、もう一度振り向いたときには、女の子を残して剛士が立ち去るところだった。
 俺を見にきたわけでなく、告白で呼び出されたってことなんかな。そんなこと、何も言ってなかったけど。
 でも、あの様子から言ってたぶん告白は断ったのだろうし大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。
 すると、女の子のところに、サッカー部のマネージャーの子が走り寄るのが見えた。今日の昼に俺を夏祭りに誘いに来た子だ。
 そして、フェンス越しに手を握り合って、二人で足をばたばたさせて興奮している様子を見て、あれ?と思う。
 もし告白して断られたなら、あんなふうにはならないんじゃないだろうか。
 嫌な予感に胸がザワザワしたところで「こらー!!安田!!ぼんやりしてんじゃねーぞ!!」とコーチから怒鳴られ、俺は「うっす!!」と答えて慌てて練習へと意識を向けた。



「おはよ」
 駅の改札を過ぎたところにある古ぼけたオレンジ色のベンチに腰掛け小説を読んでいる剛士に、頭の上から声をかける。
 眩しそうに俺を振り仰いだ剛士が「おはよ」と応えて笑顔になった。
 俺と剛士の家というのは高校を挟んで反対方向にあって、学校にちょうどいい時間に着く電車にお互い乗ると、剛士のほうが三分ほど早く駅に到着する。
 なので、以前は学校へ向かう途中の剛士に俺が追いついてそこから一緒に歩いていたが、二年生になってからこうして剛士が駅で待っていてくれるようになった。
『先に行っててもいいのに』
 俺がそう言うと『付き合ってるなら朝も待ち合わせて一緒に行くものかなって思って』と剛士は真面目な顔で答えてくれた。
 それだけ、付き合うということについて剛士なりに一生懸命に考えてくれているということなのだろう。
 それはすごく嬉しいことではあるのだが、その真面目さゆえに、俺からの告白を受け入れてくれた直後の剛士は可哀そうになるほど緊張して、俺の一挙手一投足にまで神経を張り巡らせていた。
 でも決して俺を避けることはなく、むしろ悲壮な覚悟のようなものまで感じさせながら俺の部屋へとついてくるのを見て、とにかく剛士に無理をさせることだけは絶対にやめようと俺は誓った。
 それでも少しずつ段階を踏んできたおかげで、最近二人でどちらかの部屋にいるときには、足を投げ出して座る俺の胸に背中をもたれかけさせて小説を読んだりするようにもなっている。
人見知りが強く、警戒心も強い剛士がそうやって俺に身体を預けてリラックスしている姿はとにかく可愛く、天使なみの尊さがあるとすら思ってしまう。嫌がられそうだから口には出さないけど。
 そんな俺の天使は、今日もやっぱり可愛い。
 読んでいた小説に栞を挟んでかばんに仕舞うその仕草すら可愛い。
 そんなことを思いながらじっと見ていると「なに?」と黒目がちな目で剛士が俺を見上げてきた。
「いや、何読んでたのかなって思って」
 見惚れていたのをごまかすようにそう聞くと、少し嬉しそうな顔をして剛士が「ドグラ・マグラ」と答えてくれる。
「どんな話?」
「簡単に言えば推理小説なんだけど、語り手が精神的な病を持ってるっていう設定なんだよね」
「へー」
「だから全体的に混沌としてるし、なんか読んでてもすっきりしないんだけど、最後まで読んで読み返すと、これが伏線だったのか、とか理解できる部分がちょっと増えたりして、それが面白いなって」
「そっか」
 可愛い顔をして、けっこう闇の深そうな本を読んでいるギャップもいいんだよな、と思いつつ俺は相槌を打つ。
 でも、仮に絵本を読んでると言われたとしても似合いすぎて萌えまくるだろうから、結局のところ剛士ならなんでもいいということなのかもしれない。
 そんなアホっぽい俺の思考回路など知る由もない剛士は、楽しそうに続ける。
「でさ、何が真実で何が真実じゃないか読んでるうちに分からなくなるんだけど、それをあれこれ推察するのも癖になるっていうか」
「なるほどね」
 小説の話をしているときの剛士の目は、ふわっと膜がかかったような夢見がちな感じになる。
 正直なところ、小説より漫画派なので、剛士の読んでいるものにそこまで興味があるわけではなかったのだが、この剛士の表情が好きで俺はよく小説について訊ねるようになった。
 剛士も、最初はそんな話聞いても楽しくないだろ、と言っていたが、俺がしつこく聞いているうちに、こうして自分が読んでいるものについて簡単に説明してくれるようになった。それを聞いて面白そうだと思ったものは、借りたりすることもある。
 しかし、今日の俺は、小説のことよりも聞きたいことがあった。
 「ドグラ・マグラ」の特に好きなシーンについて剛士が解説するのを聞きながら、それを口にするタイミングをそわそわと図っていると「はよー」という気だるげな声とともに、剛士の首に後ろから腕がまわされた。たっつーだ。
「あ、おはよ」
「はよっすー」
「マジ暑くね?まだ朝なのにエネルギー枯渇した」
 そう言ったたっつーが、剛士の首に腕をかけたまま隣に並んで歩くのを、ちょっと面白くない気持ちで眺める。
「暑いならくっつくなよ」
 剛士が呆れたような声で言うのに対し「支えにちょうどいい高さだからさー」と言ってますますべったりと寄りかかろうとするたっつーの頭を、ごすっとチョップする。
「お前が良くても剛士が暑いだろうが」
「いってーなー。柊人は剛士に対して過保護すぎんだろ」
 頭をさすりながら口をとがらせ、たっつーが文句を言う中、解放された剛士がおもむろにかばんの中からスプレーを取り出し、それをプシュッとたっつーの腕にかける。
「えっ冷たっ! なになになに!! 報復!?」
「これハッカ油のスプレー。うちのお母さんがなんかいっぱい作っててさ。虫よけにもなるし涼しくなるからって持たされてんの。どう?」
「うっわ! マジだ! すっげースースーする!!ちょっと待ってこっちの手にもかけて。うわーマジで気持ちいい!」
 急にはしゃぎだしたたっつーに背中もやって、と言われた剛士が、笑いながら襟元からスプレーをつっこんでかけてやっているところに、今度は「おはようございます!」と元気な声が背後から聞こえた。
 三人で振り向くとそこにいたのは、例のサッカー部のマネージャーの子と、ボブカットの女の子だった。
 挨拶してきたのはマネージャーの子らしく、その肘をちょっとちょっと、と赤くなったボブカットの子が引っ張って、ぺこりと頭を下げると俺たちを追い越して急ぎ足で去っていく。
 そして、ちらりとこちらを振り返ったボブの子が、はっとしたように頭をまた下げて、それに対して、俺の隣で剛士が軽く頭を下げ返した。
 あの子が、昨日フェンスのところで話してた子なんだろうか。
 でも、告白されたにしては剛士の態度が普通すぎるな、とか考えていると、たっつーが口を開いた。
「……どういうことだね、剛士くん」
「いや、どうもこうもないよ」
 その低い声に剛士が淡々と答える。
「なによ!興味ないって言ってたくせに!」
「なんだその言い方。違うって。いや、昨日さ、夏祭りに一緒にいかないかって言われ……」
「お前もか――――――!!」
「違う違う、ちゃんと聞けって。あの子の友達がさ、柊人に声をかけたサッカー部のマネージャーなんだって」
「今も一緒にいたもんな」
「え?あ、あの子なんだ?」
 俺の言葉を聞いて、ちゃんと見れなかったな、と独り言のように言った剛士が「でさ」と続ける。
「柊人と俺と、あの子たちの四人で夏祭りに行くのはどうですかって。柊人が二人ではちょっとって断ったから、四人ならって思ったらしいよ」
「なんで俺を誘わないんだ―――――!!」
「うるせーぞ、たっつー。で、なんて答えたの?」
 俺がそう訊ねると、剛士は少し困ったような顔になる。
「いや、俺が勝手に答えられることじゃないから、柊人に一応聞いてみるって言っといた」
「なんで。俺が行くつもりないの知ってるだろ」
「でも、わざわざ誘ってくれたのをその場では断りづらくてさ」
「とか言って、剛士も実は女子と夏祭り行って浴衣姿の女子とあわよくば二人きりになりたいとか思って断らなかったんだろ!!」
「思ってないし」
 たっつーに面倒くさそうに答える剛士に、「本当に行きたくないんだよな?」と念のため確認する。
「行きたくないよ。それにあの子だって、友達が柊人と出かけたいっていうのを後押しするために俺に声かけてきただけだし、だから全然たっつーが思ってるような感じじゃないから」
「いや、そこから始まる何かがあるかもしんねーよ?」
「ないってば。だいたいよく知らない女子と出かけるなんて何話せばいいか分かんないし、想像するだけでしんどい」
 顔をしかめてそう答える剛士から目を離し、俺は他の生徒たちに紛れて数十メートル前を歩いていく二人連れの後姿を見る。
 たぶん剛士とたっつーからは角度的に見えていなかっただろうけど、剛士と頭を下げ合ったあと、前を向いたあの子はとても嬉しそうな顔をしていた。
 下手すると、あの子を剛士とくっつけるために、マネージャーの子が一肌脱いで俺に声をかけてきた可能性もあるな、と思う。
 剛士はもちろん、功やたっつーにも秘密だが、実は高校に入ってからこれまで、二回女の子に告白されたことがある。そのときに相手の子たちから感じた緊張感みたいなものが、あのマネージャーの子にはまったくなかったのも、それなら説明がつく。
 しかも、可愛いって噂になるくらいだから、自分に自信もあって、きっと断られるなんて思いもしなかったんだろう。当然行きますよね、といった感じの誘いをこちらがあっさりと断ったら、ショックというよりびっくりといった顔をしていた。
――いくら可愛いって評判でも、俺から見たら剛士のほうが百倍は可愛いし。
 そう思って、ふん、と心の中で鼻を鳴らす。
 まあなんにせよ、剛士があの子の好意にまったくもって気づいていなくて良かった、と思ったところで「じゃあ明日ちゃんと断ってくるな」と剛士が俺を見上げてきた。
「え?わざわざ断りに行くの?」
「うん。明日グラウンドのとこに放課後来てほしいって言われてる。ちょっと気が重いけど」
「ふーん……」
「俺、ついてってやろうか?んで剛士の代わりに俺でどうですかって聞いてみるかな。さっきの子もけっこう可愛かったし」
「向こうの目当ては柊人だし、柊人が行かないなら、俺からたっつーに代わったところでどうにもなんない気がするけど」
「そうかなー。柊人関係なく、二人で出かけようって誘ったらワンチャンあるかもしんねーじゃん。っつーかさ、柊人も剛士も固すぎるよな。もっと青春を楽しむ努力をしたほうがいいって」
 そんなたっつーの言葉に「ちゃんと楽しんでますー」と返す。
 実際、今この瞬間ですら俺は好きな子との登校を楽しんでる最中なわけで。
「くっそ、これが女子から声をかけてもらえるやつらの余裕か……!」
 そう言ったたっつーが「よし、そんな余裕ぶっこいてるやつはこうしてくれよう」と言って隣を歩く剛士の首にまた腕を回そうとする。
 それをさせないように一瞬早く肩を抱いて剛士を自分のほうへ引き寄せる。すると、俺の腕の中でその細い身体が固まり、髪からのぞく耳が赤くなった。
 たっつーに腕を回されたときとはまったく違うその意識しまくりの反応が可愛くて嬉しい。
「俺の剛士に手を出さないでくださーい」
 嬉しいついでに冗談っぽくそう告げた俺は、まだ耳を赤くしたままの剛士の両肩に手をあてて移動させ、自分がたっつーと剛士の間に立った。
「柊人が隣に来ると急に暑苦しいな」
「ひどくね?」
「ちょっとこの暑苦しさを吹き飛ばすために、もう一回ハッカのスプレープリーズ」
 たっつーがそう言って俺の前に伸ばした腕に、剛士が笑ってまたスプレーをかける。この清涼感は剛士にぴったりだな、と思いながら俺はハッカの香りのする爽やかな空気を吸い込んだ。



 翌日、部活に行こうと校舎からグラウンドに向かって歩いていると「安田せーんぱいっ」と声をかけられた。
 ちょっとため息をついて振り向くと、そこには思っていたとおり、サッカー部のマネージャーの子がいた。
「どうも」
 それだけ言って歩き出すと「えー!つめたーい!」と笑いながら駆け寄ってきて、隣に並ばれた。
「夏祭りのこと、考えてくれました?」
「行かないって断ったよね、俺」
「矢島先輩とグループででもダメなんですか?やっぱり」
「だめ。っつーか、剛士も行くつもり最初からなかったらしいし。今日断るってさ」
「あー、そうなんだー」
 ちょっと考えるように首を傾げたその子に聞いてみる。
「っていうかさ、もしかして、剛士のこと誘った子に協力するために俺に声かけたの?」
「あ、ばれました?」
 悪びれることなく笑顔で答える姿に、なんだか力が抜ける。
「茜が、入学してすぐくらいから矢島先輩のことかっこいいし可愛いってずーっと言ってて、でも矢島先輩ってちょっと近寄りがたい感じあるから声がかけられないって言うから協力することにしたんです」
「ふーん」
「で、まず私が安田先輩と仲良くなって、そっからお互いの友達ってことで接点持てたらなーって思ってたんですけど、安田先輩にあっさり断られちゃったから、じゃあ私のためにって言うのを口実に矢島先輩に声をかけてみたらって言って」
「まわりくどいことしてるね」
 俺が呆れたように言うと「だって、矢島先輩より安田先輩のほうが、仲良くなりやすそうな雰囲気だったから。こんなガード固いなんて思いませんでした」と返される。
「でも、もし今日夏祭りに行くのを断られたら、茜も矢島先輩に思い切って告白するって言ってたんで、もう巻き込むことはないと思いますし安心してくださいね」
 思わぬことを言われ、は?と心の中で聞き返す。
 告白する?剛士に?
 夏祭りを断ってそれで終わりじゃないわけ?
 急に気持ちが焦り出し「いや、でも剛士は、そういうよく知らない人と付き合うってことはしないやつだから、告白しても無理じゃないかなって思うけど」と余計なお世話的なことを口にしてしまう。
「あー、じゃあ友達から、って言ったほうが受け入れてもらいやすくなりますかね?茜にアドバイス送っておこーっと」
「……」
 スマホを取り出した女の子を呆然と見ながら、確かにそれなら受け入れそうかも、と思ってしまう。
 実際自分も、付き合う前のハードルを下げることで受け入れてもらったわけだし。
 いやでも、俺はそもそも親友という立場にあったわけだから、そのあかねって子とはスタートラインが違う。けれど、自分は男であっちは女の子ということを思えば、むしろ向こうのほうが有利な可能性もあって。
 そんなことをぐるぐると考えている俺を「他になにか矢島先輩の攻略ポイントあります?」とマネージャーの子がのぞきこんでくる。
 上目遣いをするその顔は可愛いのかもしれないけど、俺の天使とは比べもんにならないな、と失礼なことを考える。
「……いや、人の恋愛にあれこれ口出すのもどうかと思うから。じゃ」
 それだけ言いおいて、俺は小走りで部室へと向かった。



 キャッチボールを始めてすぐ、一昨日と同じフェンスの向こうに剛士の姿を見つける。
 自分の好きな人が告白されるシーンを見せられるってどんな罰ゲームだよ、と鬱憤をはらすようにボールを投げる。
 女子からの告白を受けて、やっぱりお前とは親友に戻りたい、とか言われたら、俺は戻れるだろうか。
 いや、無理そうなら友達に戻ればいいし、って言ったのは確かに俺だけど。
 でもさ。
「柊人、コントロール乱れすぎ!」
 キャッチボールの相手から文句を言われ「わりい」と謝りながらボールを受け、ふっとひとつ息を吐いて集中してボールを投げ、そしてまた返ってくるボールをキャッチする。
 しかしやはり気になって再び目線をフェンスのほうに向けると、そこにはいつの間にか女の子が来ていて、剛士と一昨日のように向かい合っていた。
 人の恋愛に、口を出すべきじゃない。
 さっき自分が言った言葉を、改めて心の中で呟いて剛士から目をそらしてボールを投げようとするが、どうしても目の端に映る光景が気になってしまい、また視線をそちらに戻してしまう。
「何してんだよ」
 そう苛立ったように言われた俺は、はぁっと大きくため息をついたあと、ボールを軽く相手に投げて「ごめん!!ちょっとだけ抜けさせて!!」と頭を下げ、そして、コーチに呼び止められる前にとダッシュでフェンスのほうへ向かった。
 口を出すべきじゃないって分かってる。分かってるけど、好きな人が告白されるのを黙って見ていられるほど、俺は大人じゃない。
 走ってくる俺に気づいたのか、女の子がこちらを見て、それにつられたように振り返った剛士がちょっと目を見開く。
「あのさ」
 はぁはぁと息をつきながら、俺は太陽に熱せられたフェンスにつかまって声をかけた。
「どこまで話した?剛士」
「え?いや、お前も俺もやっぱり夏祭りはパスしたいってところまでだけど、なんで?っていうか、いいの?練習」
 よし、まだ告白までたどり着いてないんだな、と思った俺はそれを牽制すべく女の子のほうへ視線を向ける。
「ごめんね、急に。あのさ、俺も剛士も、夏祭りとかのイベントはちゃんと付き合ってる相手としか行きたくないタイプで。でももしかしたら剛士は優しいからはっきり言えないかもと思って、助け舟出しにきちゃいました」
「……またたっつーに過保護って言われるぞ」
「え、付き合ってる人、いるんですか?」
 女の子が呆れ顔の剛士とまだ息の荒い俺を交互に見て訊ねてくる。
 その瞬間、剛士の顔が緊張したのが分かった。
「いや、っていうか、俺、めちゃくちゃ好きな人がいるんで」
 俺は、そんな剛士の横顔をちらっと見た後に答えた。付き合ってることはあくまでも二人の秘密だ。
「その人以外と行きたいとは思わないです」
「俺も」
 そう言った剛士の耳が赤くなっているのを俺は横目で確認する。めちゃくちゃ好き、という俺の言葉のせいだろうか。
「同じです。柊人と。なので夏祭りはいけないです」
 その言葉を聞いた女の子が、少し強張った顔で剛士をじっと見て、そして思い切ったように口を開いた。
「あの、でも、もしまだその好きな相手の方とお付き合いしてないなら、私がお付き合いしてくださいって言ったら考えてもらえたりしますか?」
 うわ、せっかく頑張ったのに告白阻止失敗かよ。
 ちょっと女の子の本気度をなめてたな、と苦い気持ちで剛士のことを見ると、告白された当の本人は、照れるでもなく驚くでもなく、ただきょとんとしていた。
「え、でも、友達のために、そこまでする必要ないと思うし、付き合うってそんな軽くできるものじゃないとも思うんだけど」
「……」
「付き合うって、お互いの特別になるってことだよね。俺はそんな特別になりたいって思える相手って一人しかいないし、えっと……ごめん、名前なんだっけ」
「あ、田沼です……」
「田沼さんも、自分がそう思える人と付き合ったほうがいいよ。さりさんだっけ、そのお友達のことを、俺なんかと付き合ってまでどうにかしてあげたいって思えるのは、すごいことだとも思うけど、でも、あのほら、柊人も好き……な人がいるって言ってるし、さりさんも柊人の特別になるのは難しいと思うから」
 それを聞いて、田沼さんも、そして俺も無言になってしまう。
 どうやら、田沼さんからの告白を、剛士はあのマネージャーの子のために無理して言ってきたものと捉えたらしかった。
 その結果、悪気なくばっさりと断られることになった田沼さんに同情しつつ、俺は自分の気持ちが高揚するのを感じていた。
 さっき剛士が言ってた、特別になりたいって思えるただ一人の相手って、もしかして俺ってことでいいんだろうか。
「安田ーーーーーーー!! 何さぼってんだお前!!!」
 そこにコーチの怒声が飛んできて思わず肩をすくめる。
「あ、じゃあごめん、俺戻るわ」
「ん。頑張ってな」
 田沼さんに軽く頭を下げ、剛士に片手を挙げて俺はまたダッシュで打撃練習を始めようとしている仲間たちのもとへと戻る。
 急いでバットを手に取ったところにコーチが近づいてきて「すみません!」ととりあえず謝ると「あのな。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえって言葉があってだな」と真面目な顔で言われる。
「どう見てもあれは告白してる雰囲気だっただろうが。さぼるのはともかくああいうとこに割って入るのは人として許されんな」
「あぁ……」
「ということで、ダッシュ二十本やってこい」
「うぇーーーーーーマジっすか」
 とは言えさぼったのは確かなので俺はそのまま大人しくバットを置き、三十メートル地点に線の引かれたダッシュ用のスペースに行って、全速力で走り始める。
――っていうかさ、付き合うってお互いの特別になるってことっていう考え方がまず可愛すぎるよな。
 ダッシュのスタート位置に軽く走って戻りながらさっきの剛士の言葉を思い出して、ニヤニヤしてしまう。
「やっぱり天使だわー」
 そう呟いて、俺は顎を伝う汗を拭うと、再びダッシュを始めた。