そのような経過を辿(たど)ったのち、ロシアによる一方的で全面的なウクライナ侵攻が始まった。
 それは、ウクライナの自主性を認めないという理不尽な考えに基づくものだった。
 ロシアと同じルーツを持つ国であり、かつてはソ連邦を構成する15の共和国の一つであったことから、ロシアと距離を置くことに拒絶反応を示したのだ。
 更に輪をかけたのがNATOの東方拡大という問題だった。
 ソ連邦崩壊後、ポーランド、チェコ、ハンガリー、バルト三国が次々に加盟し、その上、ウクライナやジョージア、モルドバがNATOに接近する状況を許せなかったのだ。
 
 当初はドンバス地方のロシア系住民を守るための特別な軍事作戦という名目で侵攻を始めたが、それが嘘であったことはすぐに判明した。
 ドンバス地方だけでなく国境を接する東部やベラルーシからも侵攻を始め、全面戦争の体を成したのだ。
 それは正に在りし日のソ連邦復活というプーチンの野望が顕在化(けんざいか)したものであり、最終的にウクライナ併合を意図していると疑わざるを得ないものだった。