その背景としてNATOの拡大路線があった。
 2008年4月の会議でウクライナとジョージアが将来加盟することを決めた暴挙を許すわけにはいかなかった。
 バルト三国や東欧諸国が次々にアメリカの同盟国となってNATOに加盟する中、かつてのソ連邦構成国までもがNATOに加盟することを指をくわえて見ているわけにはいかなかった。
 そんなことになればロシアの存続に黄信号、いや、赤信号が灯ることになる。
 それは絶対に止めなければならない。
 これ以上の西欧化は断固として阻止しなければならないのだ。

 それだけではなかった。
 元々有している『ロシア世界観』の後押しがあった。
『かつての同胞を再統合し、ロシア語話者の文化を擁護する』という観念だ。
 それは『偉大なソ連邦の復活』という夢に基づくものでもあったし、更には、988年の『キエフ・ルーシ洗礼の地』を取り戻すという歴史的な意義もあった。
 キエフ・ルーシ洗礼とは、キエフ・ルーシの大公ウラジミールが当時ギリシャ植民地のクリミア半島に行って受洗したことであり、これがロシア国家の歴史的起源とされている。
 それ故、クリミアに対しては人一倍執着が強かったのだ。

 国民の後押しも大きかった。
 クリミア併合後に支持率が急上昇したのだ。
 強い指導者を求める国民にとってお前の勇断は喝采に値するものだった。