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「圧勝したお前に更なる追い風が吹いた。
 エネルギー価格の上昇が止まらなかったのだ。
 その結果、外貨準備高は2007年末には4,700億ドルと7年前の30倍以上となり、一人当たりの国民所得も4.6倍に達した。
 その結果、更なる支持と共感を集めるようになった。
 お前の支持基盤は盤石となったのだ。

 しかし、隣国の政変がジワリとロシアに影響を及ぼすようになる。
 ウクライナのオレンジ革命だ。
 2004年の大統領選挙で親ロシア派の候補が勝利を収めたが、それに不満を持つ民衆が選挙に不正があったと糾弾(きゅうだん)し、再投票が行われたのだ。
 その結果、親欧米派の候補が勝利するという事態になった。
 抗議した陣営のシンボルカラーがオレンジだったことからこの名がついたが、この結果はロシアにとって見逃せるものではなかった。
 西側が関与した民主化改革の輸出だと考えたのだ。
 それはウクライナの内政にとどまらず、いつかはロシアに影響を及ぼすものと危機感を強めた。

 と同時に、内政でも大きな課題が浮かび上がっていた。
 お前の後継問題だ。
 ロシアの大統領は憲法で連続2期8年までと決められている。
 だから、2008年でお前の任期が切れると立候補はできなくなるのだ。
 そうした中、3選を実現するための改憲議論が必要だと訴える者が出始めた。
 しかし、お前はそれに同調しなかった。
 3選はないと断言したのだ。
 それでも政界を引退するつもりはなかった。
 政党の強化を図るために首相の座を目指すと言明したのだ。
 その上で、所得倍増を達成して貧困を半減したことを誇示する大統領教書を発表した。
 更に、年金を65パーセント上げるという選挙対策に繋がる公約を明示した。
 これらのことによってお前の人気は嫌が上にも高まった。
 民族的指導者としての地位を確立したのだ。
 その人気ゆえ、下院議会選挙において、お前が率いる統一ロシア党は圧勝した。
 憲法改正に必要な三分の二を単独で確保したのだ。