二学期が始まってからは、毎日三人で登校するようになった。
帰りは、それぞれ別の友達と歩いているところを何度か見かけた。そもそも三人ともクラスが違うので、見ないことも多い。
私は相変わらず哉子と帰っていたが、週に二回だけ予備校に通うようになった。
夏は、理来に教えてもらうからと言って夏期講習にもいかなかったけど、やっぱり数学だけでも通った方がいいんじゃないかと親に言われたからだ。
『それに、理来くんは北海道に行くんだし、鈴音も理来くんに頼らずに勉強する経験を増やさないと、大学に行ってからどうすんのよ』
それは本当にその通りで、理来がいなくなるんだということを改めて思い知らされながら、私はママに勧められた予備校に行くことにした。
そうしていざ予備校に通いはじめると、みんな目標とする大学を定めて勉強をしていて、少しだけ焦りを覚えた私は、自分が行きたい大学をようやく真剣に考えるようになった。
その中で、北海道にあって私でも行けそうな大学も、一応調べてみた。
でも、理来のようにはっきりとそこで学びたいという目的があるわけでもないのに、北海道まで行くというのはやはり現実的には思えなかったし、真面目に考えて北海道に行くことを決めた理来の前で、ただ当て馬ガールとしての思いつきだけであんなことを考えなしで言った自分のことが恥ずかしくもなった。第一、理来が本当に来てほしいのは私ではない。漣だ。
その漣は、予備校に行ってようやく大学選びに本腰を入れようと思った、と私が通学中に言ったら、ちょっとだけ辛そうな顔になった。
やっぱりまだ決められていないのだろうけど、そこに北海道に行くという選択肢があるのかどうかは分からなかった。
九月終わり、弁当を前にぼーっと待っていると「ちょいちょいちょい」と購買にパンを買いにいっていた哉子がテンション高く戻ってきた。
「どしたの」
「小長谷くんのこと、二年生の野球部のマネージャーが呼び出してるらしいよ。今、購買のとこで噂されてた。告白されるんじゃない?」
「え、漣が?」
一緒に回ろうと、夏祭りで漣を誘っていた女の子たちを思い出す。あのうちの一人が漣を好きだったということか。
「小長谷くんは、鈴音以外の女の子には興味がないってこと知らないのかねー」
「別に私に興味があるわけでもないし」
冗談っぽく言う哉子に、そう真面目に答えると「ガチトーンじゃん」と目を丸くされる。
「もうそういう噂には飽き飽きしてんの」
私の言葉に、哉子は「仕方ないっしょ」とパックのバナナオレにストローをさした。
「実際、鈴音に対する態度だけ違うだもん」
「昔から知ってるから気を許してるだけだっつーの」
「そういう幼馴染ポジを、どれだけの女子が羨ましいと思っていることか……」
こちとら、そのせいで知らない女子にまで睨まれたり根も葉もない噂流されたり、ついでになかなか煮え切らない幼馴染たちをくっつけるために苦労してるんですけど、と一瞬反論したくなる。でも、じゃあ理来と漣の幼馴染ポジじゃないほうが良かったかと言われると、そんなことは絶対にないので、大人しくおにぎりを口に入れる。
それはそうと、これはむしろ歓迎すべきことかもしれない。
当然、漣がその告白を受けるとは思えないし、その告白が理来の気持ちを後押しすることになる可能性だってある。
つまり、そのマネージャーの子は、当て馬ガール二号になるということだ。不本意だろうけど。
私一人じゃ、理来と漣、両方の嫉妬心を煽るのは無理だから告白助かるわーと、思っていると「あり得ないって言うのは分かってるけど、もしさ」と哉子が私をじっと見る。
「理来くんと漣くん、両方に告白されたとしたら、鈴音はどっちを選ぶん?」
思わぬ質問に一瞬言葉に詰まり、まだ口の中に入っているおにぎりをゆっくりと咀嚼する。もちろんそんなことはあり得ないけど、もし、告白されたとしたら。
「もちろん……どっちも選びませーん」
にっこりと笑って答えた私に、哉子が「もったいなー!」と天井を仰いだ。
放課後、哉子と一緒に学校を出た私は、前の方を理来と漣が珍しく並んで歩いているのを見つけた。
これは、今日、漣が告白されたこととなにか関係あるのかたまたまなのか、と思っていると、同じく見つけたらしい哉子が「あ、幼馴染くんたちじゃん」と指さす。
「帰りは鈴音だけ別なの?」
「そんなことないよ。けっこうみんなバラバラ。珍しいなって思って見てた」
そこまで言って、そういえば、と思い出す。
「漣がずっと部活で放課後潰れてたから、学校帰りにコーヒーショップ寄ったりしたことないって言っててさ。じゃあ、一緒に帰るときに寄ってみようみたいなことを理来が言ってたから、もしかしたらこれから行くのかもね」
でも、だとしたら声かけてくれてもいいのに、と少しだけ面白くない気分になった私は、慌ててその気分を、圧縮袋に布団を押し込むようにぎゅうぎゅうに押しつぶす。
理来と漣が二人だけで過ごそうとしているなんて、応援する身としては諸手を挙げて喜ぶべきことである。放課後はいつも哉子と一緒なのを知っているから、きっと気を遣ってあえて誘わなかったんだろうし。
「えー、コーヒーショップ寄ってみたいとか、なにそれ可愛い」
「ね。夏休み中に一緒に一回行ったんだけど、めちゃ嬉しそうだったよ」
私がスマホで撮ったフラペチーノを持った笑顔の漣の写真を見せると、哉子が胸の前で手を組む。
「バブちゃんじゃん……! 小長谷くんってけっこうがっしりしてんのに、笑顔が可愛いっていうギャップ萌えたまらんよね」
「ちょっと私には分かりかねるけど」
「えー、私もこんな顔みーたーいー! ね、一緒に行ってもいいか聞いてみてよ」
「え、やだよ」
「なんでなんで」
「コーヒーショップに行くのかどうかも分かんないし、邪魔じゃん」
「行かないって言ったら誘えばいいじゃん! それに、しょっちゅう三人でつるんでて今さら邪魔とかないでしょ」
いや、せっかく二人でいるところに入るのはめちゃくちゃ邪魔でしかないんですよね……と思いつつも、なぜ邪魔なのかは説明できないわけで、私はしぶしぶと「じゃあ聞いてみるだけね」と言って、ワクワク顔の哉子を引き連れて二人のあとを追いかける。
「やほ」
後ろから声をかけると、理来と漣が振り返って「おう」「よ」と返事をする。
「珍しいじゃん、二人で帰るの」
私が言うと漣がちょっと気まずそうな笑顔を浮かべて、理来がそんな漣をちらっと見て代わりに答える。
「まあ、いろいろあって」
いろいろ。やっぱり告白関連だろうか。まあでもそこには触れないほうがいいだろうと、私は本題を切り出す。
「そうなんだ。二人で帰ってるからもしかしてコーヒーショップ行くのかなって思って。前にそんなこと言ってたし、それなら一緒にいきたいなって」
「あぁ、そういやそんなこと言ってたな」
理来が思い出したように言って、また漣を見る。
「せっかくだし、行くか?」
「あ、それなら私も一緒に行っていいでしょうか?」
哉子が手を挙げて訊ねると、理来も漣もすぐに「当然」「行こう行こう」と答える。
「あー、ただな……」
漣が思い出したように、歩きながらふーっとため息をつく。
「ただでさえ気まずいとこに、原さんと一緒にコーヒーショップとか行ったら、ますます恨まれそう」
「え? 私? なんで?」
哉子がキョトンとした顔で聞くのに、前を歩く漣が振り返って苦笑する。
「いや、全然原さんは悪くないんだけど、うちの部で、原さん人気あるからさ」
「そうなの? え、ちょっと嬉しい」
哉子がプリクラを撮るときのようにポーズをとって笑顔になる。
「でも、ってことは、小長谷くん、今日の昼にマネージャーに告白されたから、いっつも一緒にいる野球部の人と気まずくなったの?」
そこそこ大きい音量でそう言った哉子に「プライバシーを大きな声で言いすぎ」と理来が呆れ顔をする。
「あ、ごめんごめん」
手を合わせた哉子に、漣が困ったようにまた笑って「ま、そんなとこ」と答える。
「男同士もなかなか面倒だね」
「うーん、でも、気持ちも分かるから」
「小長谷くんは優しいなぁ」
「そんなことないって」
前後になって歩きながら、私たちはそのまま駅ではなく、コーヒーショップがあるほうへと足を向ける。
「えー、でもさぁ、鈴音からさんざん聞いてるから、二人と鈴音の間に恋愛的なのはないって分かってるけど、じゃあなんで彼女つくんないの? 二人ともモテんのに」
隣で、ひょえっとなる。なんてことを聞くんだ、このとても微妙な時期に。
二人がなんて答えるんだろう、と緊張していると、理来がすぐに振り向いて口を開いた。
「それを言ったら原さんこそでしょ。なんでモテるのに彼氏作らないのか、そっちのほうが不思議だけど、俺」
「あ―――、私はBL大好きで、ってBLって分かる? 男の子同士が恋愛するボーイズラブの略なんだけど、その小説とか漫画が好きすぎて、好みの男の子がいても自分じゃなく別のかっこいい子とくっついてくれって思っちゃうんだよね」
またしても、ひょええである。なんてことを言ってくれやがるんだ。
「あくまでも自分はそれを見守る立場でいたいから、どうしても彼氏は作る気になれないんだけど、日々充実してるから、まあいいかなって」
「BLはともかくとして、それは分かるな。俺も別に彼女とかいなくても、漣とか鈴音とかと一緒にいるだけで十分に楽しいから、まあいいかなって」
「夏も三人で遊園地行ったって言ってたもんね! そういえば鈴音、めちゃくちゃ笑ってなかった?」
「漫画みたいな笑い方してた」
「それ! こっちも一緒になって笑っちゃったもん。前に行ったとき」
話がうまいことずれて、ほっとする。
理来はさすがのポーカーフェイスだけど、漣の方はそろそろ手と足を同時に出しながら歩き出すんじゃないかと心配になるほど、さっきから動揺しているのが見て取れたからだ。
「私もまた鈴音と行きたいなぁ。受験終わったらいけるかな。夏は記念展だけだったもんね、お出かけらしいお出かけは」
「なんの記念展行ったの?」
理来が何気なく聞いて、焦った私がなんとか誤魔化せないかと思う間もなく、哉子は朗らかに「BL雑誌の十周年記念展!」と答えた。
「鈴音も私ほどじゃないけど、BL好きだし。ね」
「あー、まあ、うん」
ぎこちなく頷いた私を「へぇ」と言いながら理来がちらりと見て、また前を向いた。
なんかちょっと気まずい思いで、その後頭部を見る。
私がBLを好きだという情報は、二人にどう受け止められるのだろう。
二人が恋愛関係にあっても味方になってくれそうだとポジティブに捉えてくれるだろうか、それとも、自分たちのこともそういうBL的な視点で面白がって見ているのではないかと警戒されただろうか。
別に少女漫画を見たからって友達の恋愛をあれこれ想像しないように、BL漫画を見たところで身近な男友達の恋愛をあれこれ想像しないよ、と言い訳したいが、それを言うことでかえって意識しているように思われそうだなぁと悩んでいるうちに、コーヒーショップへ到着してしまった。もうこのままスルーするしかない。
理来は相変わらずアイスコーヒーで、漣と哉子はフラペチーノ、私はホットチャイを頼んだ。
「制服でこういうとこに来んのって、やっぱ青春って感じするな」
フラペチーノを飲んで、ようやく満面の笑顔になった漣を見て「かわい……」と呟いた哉子の提案で、四人で写真を撮ることにする。
写真の中でそれぞれ飲み物を持って笑う四人は、みんなまさに青春の一ページといったいい顔をしていた。
そして私は、このときにコーヒーショップに行っておいて良かったと、その後、哉子が送ってくれたその写真を繰り返し繰り返し眺めることになる。
*
十月に入っても、理来と漣は一緒に帰っているようだった。
休み時間には、漣が野球部の仲間と一緒にふざけて笑っている様子も見かけたので仲直りはしたようだったけど、それはそれとして帰りは理来と、ということになったのだろう。
その日も、ブレザーを着た二人が並んで帰っている後ろを私は哉子と歩いていた。最近は当て馬ガールとして全然何もできていない。つまり私はただのガール、というか、ただのガールってそれはガールじゃん、とかよく分からないことを一人で考える。
「小長谷!」
校門を出ようとしたとき、後ろから大きな声がした。
前を歩いていた理来と漣が振り返り、私もならうように後ろを振り向く。
そんな私を走って追い抜いていったのは、漣の担任の先生だった。
先生が走り寄った先にいた漣の顔が少し強張っているのが見え、どうしたんだろうと思いながら、哉子とともに一歩一歩近づく。
「あそこの専門学校なんだけどな。さっき小島先生が何年か前にうちの高校からいった生徒がいた気がするっていうから調べてみたんだけど、野球部のOBにいるみたいなんだよな。その先輩にもし連絡取れたら、そっから推薦してもらえるかもしれない」
音楽教師である先生の声は、こちらまでよく響いた。
哉子が隣で「へー、小長谷くんって専門学校行くんだ」という。
それに「なんだね」とだけ返事をして、私は目を見開いている理来を見つめた。
あの反応は、私だけじゃなく、理来も知らなかったということだ。
「ちょっと、それだと申し込みまで時間がないし、顧問の先生のとこいって、誰かつながりがないか聞いてみよう。一般入試するよりもそのほうがお前もいいだろ」
「あ、はい」
漣が言葉少なにそう答えて、理来の顔を見ないまま「ごめん、じゃあ」と言って先生のあとをついて歩き出す。
私とすれ違うときにも、漣はうつむいたままこちらを見なかった。
あそこの専門学校とは、どこにあるんだろう。もしかしたら北海道だってことはないだろうか。
去っていく漣の背中を見送りながらそう願うように思ってると「鈴音、大丈夫?」と哉子に声をかけられる。
「あ、うん。ごめん」
すっかり立ち止まってしまっていたことに気付き、慌てて前を向くと、理来と目が合った。
呆然としていた理来は、はっとしたような顔をすると、すぐに踵を返して急ぎ足で去っていき、私はやはりその背中を見送ることしかできなかった。
夕飯後、ちょっと行ってくると言って、参考書を持って家を出る。
昼間はまだブレザーを着るには暑いと感じることもあるけど、夜になるとやっぱり冷える。秋なんだなぁと思いながら、私は階段に向かった。
親はいつものように理来のところに行くもんだと思っていただろうけど、外階段を一階分だけ下りた私は、漣の家のチャイムを鳴らした。
せめて、専門学校がどこにあるのかだけでも教えてもらわないと、とても今日はもやもやして眠れそうになかった。
『はい』
漣のお母さんの声が流れてきたインターホンに「鈴音です」と話しかける。
「漣、いますか」
『あぁ、鈴音ちゃん! ちょっと待って、お母さんに渡してほしいものがあって』
そう言って切れたインターホンの前で待っていると、漣のお母さんが玄関を開けて出てくる。
「これ、おばちゃんの実家から今日いっぱい送られてきて。よかったら食べてってお母さんに言っといて」
紙袋に詰められた野菜を「ありがとうございます」と受け取る。
「それで漣は」
「あぁ、漣は今日も理来くんのとこ行ってるわよ。ついさっきお野菜持たせたとこ」
――今日も?
私は二学期が始まってから、理来の家には数えるほどしか行っていないのに?
「そんな、毎日行ってるんですか」
漣のお母さんに聞くと「もう毎日よ」と呆れたような返事がくる。
「夏休みも毎日毎日出かけるから、どこに行ってるのかって聞いたら理来くんの家だって言うし。迷惑でしょって言ったんだけど、家にいると集中できないからって、ほんと朝から晩まで入り浸っちゃって。理来くんのお母さんに冷房代払わせてって言っちゃったわよ。断られたけどね。鈴音ちゃんはそんなに行ってないでしょ?」
「そう……ですね、週に二回とか三回とか」
「いくら仲良くてもそのくらいが普通よねえ」
頭の中が混乱してくる。
だって、いつも私が、理来の家に行きたいって言ったら、漣が俺も行くって返事してきて、だから私が二人を会わせてあげてるんだと思ってたのに、本当は違ったってこと?
そういえば、理来に連絡しても返事がこないときは、漣も返事をよこさなかった。でも、二人はそのときも本当は一緒にいたのだとしたら。
だとしたら、なんで。
「まあ、理来くんは北海道行っちゃうし、そうなったら遊べないわけだしね。今のうちしかないって思ってんのかも。漣は昔から理来くんにべったりだったから」
「……漣は専門学校に行くって今日聞きましたけど、どこに行くんですか?」
「やだ、どこだか言ってないの? ほんとあの子そういう肝心なこと言わないんだから。柔道整復師の専門学校だって」
「柔道整復師」
「漣って、ずっと野球やってて、周りの子が怪我するのとか見る機会、多かったじゃない? だからそういうスポーツで怪我した人の治療ができる仕事がやりたいって思ったみたいよ」
漣らしい進路だな、と思う。患者さんとかにも慕われる姿が簡単に想像できる。
「それで、その学校ってどこに」
「なんかねー、いくつか候補はあったんだけど、結局うちから一番近いところが推薦取れそうってことで、そこにしたみたい。鈴音ちゃんは?」
「あ、私もまだ決まってないんですけど、たぶん家から通えるところに……」
「そうなの。じゃあ引き続きよろしくね」
笑って頭を下げた漣のお母さんに、なんとか笑顔を作って「こちらこそです」と頭を下げ、私は漣の家をあとにした。
まだ、いろいろなことがまったく整理できないまま、私は家に帰らず、階段をゆっくりと降りた。
五階から四階に向かうとき、いつものように理来の部屋に目を向けると目隠しのレースのカーテンだけではなく、遮光カーテンもしっかりと閉められているのが見えた。
閉ざされたその部屋の中で、何が起こっているのか、知りたいような知りたくないような気持ちで、私は一段一段、足を下ろしていく。
そうして、理来の家の前に立って大きく深呼吸したとき「結局そういうことだろうが!」という怒鳴り声が聞こえ、私はびくっとして立ち止まった。
帰りは、それぞれ別の友達と歩いているところを何度か見かけた。そもそも三人ともクラスが違うので、見ないことも多い。
私は相変わらず哉子と帰っていたが、週に二回だけ予備校に通うようになった。
夏は、理来に教えてもらうからと言って夏期講習にもいかなかったけど、やっぱり数学だけでも通った方がいいんじゃないかと親に言われたからだ。
『それに、理来くんは北海道に行くんだし、鈴音も理来くんに頼らずに勉強する経験を増やさないと、大学に行ってからどうすんのよ』
それは本当にその通りで、理来がいなくなるんだということを改めて思い知らされながら、私はママに勧められた予備校に行くことにした。
そうしていざ予備校に通いはじめると、みんな目標とする大学を定めて勉強をしていて、少しだけ焦りを覚えた私は、自分が行きたい大学をようやく真剣に考えるようになった。
その中で、北海道にあって私でも行けそうな大学も、一応調べてみた。
でも、理来のようにはっきりとそこで学びたいという目的があるわけでもないのに、北海道まで行くというのはやはり現実的には思えなかったし、真面目に考えて北海道に行くことを決めた理来の前で、ただ当て馬ガールとしての思いつきだけであんなことを考えなしで言った自分のことが恥ずかしくもなった。第一、理来が本当に来てほしいのは私ではない。漣だ。
その漣は、予備校に行ってようやく大学選びに本腰を入れようと思った、と私が通学中に言ったら、ちょっとだけ辛そうな顔になった。
やっぱりまだ決められていないのだろうけど、そこに北海道に行くという選択肢があるのかどうかは分からなかった。
九月終わり、弁当を前にぼーっと待っていると「ちょいちょいちょい」と購買にパンを買いにいっていた哉子がテンション高く戻ってきた。
「どしたの」
「小長谷くんのこと、二年生の野球部のマネージャーが呼び出してるらしいよ。今、購買のとこで噂されてた。告白されるんじゃない?」
「え、漣が?」
一緒に回ろうと、夏祭りで漣を誘っていた女の子たちを思い出す。あのうちの一人が漣を好きだったということか。
「小長谷くんは、鈴音以外の女の子には興味がないってこと知らないのかねー」
「別に私に興味があるわけでもないし」
冗談っぽく言う哉子に、そう真面目に答えると「ガチトーンじゃん」と目を丸くされる。
「もうそういう噂には飽き飽きしてんの」
私の言葉に、哉子は「仕方ないっしょ」とパックのバナナオレにストローをさした。
「実際、鈴音に対する態度だけ違うだもん」
「昔から知ってるから気を許してるだけだっつーの」
「そういう幼馴染ポジを、どれだけの女子が羨ましいと思っていることか……」
こちとら、そのせいで知らない女子にまで睨まれたり根も葉もない噂流されたり、ついでになかなか煮え切らない幼馴染たちをくっつけるために苦労してるんですけど、と一瞬反論したくなる。でも、じゃあ理来と漣の幼馴染ポジじゃないほうが良かったかと言われると、そんなことは絶対にないので、大人しくおにぎりを口に入れる。
それはそうと、これはむしろ歓迎すべきことかもしれない。
当然、漣がその告白を受けるとは思えないし、その告白が理来の気持ちを後押しすることになる可能性だってある。
つまり、そのマネージャーの子は、当て馬ガール二号になるということだ。不本意だろうけど。
私一人じゃ、理来と漣、両方の嫉妬心を煽るのは無理だから告白助かるわーと、思っていると「あり得ないって言うのは分かってるけど、もしさ」と哉子が私をじっと見る。
「理来くんと漣くん、両方に告白されたとしたら、鈴音はどっちを選ぶん?」
思わぬ質問に一瞬言葉に詰まり、まだ口の中に入っているおにぎりをゆっくりと咀嚼する。もちろんそんなことはあり得ないけど、もし、告白されたとしたら。
「もちろん……どっちも選びませーん」
にっこりと笑って答えた私に、哉子が「もったいなー!」と天井を仰いだ。
放課後、哉子と一緒に学校を出た私は、前の方を理来と漣が珍しく並んで歩いているのを見つけた。
これは、今日、漣が告白されたこととなにか関係あるのかたまたまなのか、と思っていると、同じく見つけたらしい哉子が「あ、幼馴染くんたちじゃん」と指さす。
「帰りは鈴音だけ別なの?」
「そんなことないよ。けっこうみんなバラバラ。珍しいなって思って見てた」
そこまで言って、そういえば、と思い出す。
「漣がずっと部活で放課後潰れてたから、学校帰りにコーヒーショップ寄ったりしたことないって言っててさ。じゃあ、一緒に帰るときに寄ってみようみたいなことを理来が言ってたから、もしかしたらこれから行くのかもね」
でも、だとしたら声かけてくれてもいいのに、と少しだけ面白くない気分になった私は、慌ててその気分を、圧縮袋に布団を押し込むようにぎゅうぎゅうに押しつぶす。
理来と漣が二人だけで過ごそうとしているなんて、応援する身としては諸手を挙げて喜ぶべきことである。放課後はいつも哉子と一緒なのを知っているから、きっと気を遣ってあえて誘わなかったんだろうし。
「えー、コーヒーショップ寄ってみたいとか、なにそれ可愛い」
「ね。夏休み中に一緒に一回行ったんだけど、めちゃ嬉しそうだったよ」
私がスマホで撮ったフラペチーノを持った笑顔の漣の写真を見せると、哉子が胸の前で手を組む。
「バブちゃんじゃん……! 小長谷くんってけっこうがっしりしてんのに、笑顔が可愛いっていうギャップ萌えたまらんよね」
「ちょっと私には分かりかねるけど」
「えー、私もこんな顔みーたーいー! ね、一緒に行ってもいいか聞いてみてよ」
「え、やだよ」
「なんでなんで」
「コーヒーショップに行くのかどうかも分かんないし、邪魔じゃん」
「行かないって言ったら誘えばいいじゃん! それに、しょっちゅう三人でつるんでて今さら邪魔とかないでしょ」
いや、せっかく二人でいるところに入るのはめちゃくちゃ邪魔でしかないんですよね……と思いつつも、なぜ邪魔なのかは説明できないわけで、私はしぶしぶと「じゃあ聞いてみるだけね」と言って、ワクワク顔の哉子を引き連れて二人のあとを追いかける。
「やほ」
後ろから声をかけると、理来と漣が振り返って「おう」「よ」と返事をする。
「珍しいじゃん、二人で帰るの」
私が言うと漣がちょっと気まずそうな笑顔を浮かべて、理来がそんな漣をちらっと見て代わりに答える。
「まあ、いろいろあって」
いろいろ。やっぱり告白関連だろうか。まあでもそこには触れないほうがいいだろうと、私は本題を切り出す。
「そうなんだ。二人で帰ってるからもしかしてコーヒーショップ行くのかなって思って。前にそんなこと言ってたし、それなら一緒にいきたいなって」
「あぁ、そういやそんなこと言ってたな」
理来が思い出したように言って、また漣を見る。
「せっかくだし、行くか?」
「あ、それなら私も一緒に行っていいでしょうか?」
哉子が手を挙げて訊ねると、理来も漣もすぐに「当然」「行こう行こう」と答える。
「あー、ただな……」
漣が思い出したように、歩きながらふーっとため息をつく。
「ただでさえ気まずいとこに、原さんと一緒にコーヒーショップとか行ったら、ますます恨まれそう」
「え? 私? なんで?」
哉子がキョトンとした顔で聞くのに、前を歩く漣が振り返って苦笑する。
「いや、全然原さんは悪くないんだけど、うちの部で、原さん人気あるからさ」
「そうなの? え、ちょっと嬉しい」
哉子がプリクラを撮るときのようにポーズをとって笑顔になる。
「でも、ってことは、小長谷くん、今日の昼にマネージャーに告白されたから、いっつも一緒にいる野球部の人と気まずくなったの?」
そこそこ大きい音量でそう言った哉子に「プライバシーを大きな声で言いすぎ」と理来が呆れ顔をする。
「あ、ごめんごめん」
手を合わせた哉子に、漣が困ったようにまた笑って「ま、そんなとこ」と答える。
「男同士もなかなか面倒だね」
「うーん、でも、気持ちも分かるから」
「小長谷くんは優しいなぁ」
「そんなことないって」
前後になって歩きながら、私たちはそのまま駅ではなく、コーヒーショップがあるほうへと足を向ける。
「えー、でもさぁ、鈴音からさんざん聞いてるから、二人と鈴音の間に恋愛的なのはないって分かってるけど、じゃあなんで彼女つくんないの? 二人ともモテんのに」
隣で、ひょえっとなる。なんてことを聞くんだ、このとても微妙な時期に。
二人がなんて答えるんだろう、と緊張していると、理来がすぐに振り向いて口を開いた。
「それを言ったら原さんこそでしょ。なんでモテるのに彼氏作らないのか、そっちのほうが不思議だけど、俺」
「あ―――、私はBL大好きで、ってBLって分かる? 男の子同士が恋愛するボーイズラブの略なんだけど、その小説とか漫画が好きすぎて、好みの男の子がいても自分じゃなく別のかっこいい子とくっついてくれって思っちゃうんだよね」
またしても、ひょええである。なんてことを言ってくれやがるんだ。
「あくまでも自分はそれを見守る立場でいたいから、どうしても彼氏は作る気になれないんだけど、日々充実してるから、まあいいかなって」
「BLはともかくとして、それは分かるな。俺も別に彼女とかいなくても、漣とか鈴音とかと一緒にいるだけで十分に楽しいから、まあいいかなって」
「夏も三人で遊園地行ったって言ってたもんね! そういえば鈴音、めちゃくちゃ笑ってなかった?」
「漫画みたいな笑い方してた」
「それ! こっちも一緒になって笑っちゃったもん。前に行ったとき」
話がうまいことずれて、ほっとする。
理来はさすがのポーカーフェイスだけど、漣の方はそろそろ手と足を同時に出しながら歩き出すんじゃないかと心配になるほど、さっきから動揺しているのが見て取れたからだ。
「私もまた鈴音と行きたいなぁ。受験終わったらいけるかな。夏は記念展だけだったもんね、お出かけらしいお出かけは」
「なんの記念展行ったの?」
理来が何気なく聞いて、焦った私がなんとか誤魔化せないかと思う間もなく、哉子は朗らかに「BL雑誌の十周年記念展!」と答えた。
「鈴音も私ほどじゃないけど、BL好きだし。ね」
「あー、まあ、うん」
ぎこちなく頷いた私を「へぇ」と言いながら理来がちらりと見て、また前を向いた。
なんかちょっと気まずい思いで、その後頭部を見る。
私がBLを好きだという情報は、二人にどう受け止められるのだろう。
二人が恋愛関係にあっても味方になってくれそうだとポジティブに捉えてくれるだろうか、それとも、自分たちのこともそういうBL的な視点で面白がって見ているのではないかと警戒されただろうか。
別に少女漫画を見たからって友達の恋愛をあれこれ想像しないように、BL漫画を見たところで身近な男友達の恋愛をあれこれ想像しないよ、と言い訳したいが、それを言うことでかえって意識しているように思われそうだなぁと悩んでいるうちに、コーヒーショップへ到着してしまった。もうこのままスルーするしかない。
理来は相変わらずアイスコーヒーで、漣と哉子はフラペチーノ、私はホットチャイを頼んだ。
「制服でこういうとこに来んのって、やっぱ青春って感じするな」
フラペチーノを飲んで、ようやく満面の笑顔になった漣を見て「かわい……」と呟いた哉子の提案で、四人で写真を撮ることにする。
写真の中でそれぞれ飲み物を持って笑う四人は、みんなまさに青春の一ページといったいい顔をしていた。
そして私は、このときにコーヒーショップに行っておいて良かったと、その後、哉子が送ってくれたその写真を繰り返し繰り返し眺めることになる。
*
十月に入っても、理来と漣は一緒に帰っているようだった。
休み時間には、漣が野球部の仲間と一緒にふざけて笑っている様子も見かけたので仲直りはしたようだったけど、それはそれとして帰りは理来と、ということになったのだろう。
その日も、ブレザーを着た二人が並んで帰っている後ろを私は哉子と歩いていた。最近は当て馬ガールとして全然何もできていない。つまり私はただのガール、というか、ただのガールってそれはガールじゃん、とかよく分からないことを一人で考える。
「小長谷!」
校門を出ようとしたとき、後ろから大きな声がした。
前を歩いていた理来と漣が振り返り、私もならうように後ろを振り向く。
そんな私を走って追い抜いていったのは、漣の担任の先生だった。
先生が走り寄った先にいた漣の顔が少し強張っているのが見え、どうしたんだろうと思いながら、哉子とともに一歩一歩近づく。
「あそこの専門学校なんだけどな。さっき小島先生が何年か前にうちの高校からいった生徒がいた気がするっていうから調べてみたんだけど、野球部のOBにいるみたいなんだよな。その先輩にもし連絡取れたら、そっから推薦してもらえるかもしれない」
音楽教師である先生の声は、こちらまでよく響いた。
哉子が隣で「へー、小長谷くんって専門学校行くんだ」という。
それに「なんだね」とだけ返事をして、私は目を見開いている理来を見つめた。
あの反応は、私だけじゃなく、理来も知らなかったということだ。
「ちょっと、それだと申し込みまで時間がないし、顧問の先生のとこいって、誰かつながりがないか聞いてみよう。一般入試するよりもそのほうがお前もいいだろ」
「あ、はい」
漣が言葉少なにそう答えて、理来の顔を見ないまま「ごめん、じゃあ」と言って先生のあとをついて歩き出す。
私とすれ違うときにも、漣はうつむいたままこちらを見なかった。
あそこの専門学校とは、どこにあるんだろう。もしかしたら北海道だってことはないだろうか。
去っていく漣の背中を見送りながらそう願うように思ってると「鈴音、大丈夫?」と哉子に声をかけられる。
「あ、うん。ごめん」
すっかり立ち止まってしまっていたことに気付き、慌てて前を向くと、理来と目が合った。
呆然としていた理来は、はっとしたような顔をすると、すぐに踵を返して急ぎ足で去っていき、私はやはりその背中を見送ることしかできなかった。
夕飯後、ちょっと行ってくると言って、参考書を持って家を出る。
昼間はまだブレザーを着るには暑いと感じることもあるけど、夜になるとやっぱり冷える。秋なんだなぁと思いながら、私は階段に向かった。
親はいつものように理来のところに行くもんだと思っていただろうけど、外階段を一階分だけ下りた私は、漣の家のチャイムを鳴らした。
せめて、専門学校がどこにあるのかだけでも教えてもらわないと、とても今日はもやもやして眠れそうになかった。
『はい』
漣のお母さんの声が流れてきたインターホンに「鈴音です」と話しかける。
「漣、いますか」
『あぁ、鈴音ちゃん! ちょっと待って、お母さんに渡してほしいものがあって』
そう言って切れたインターホンの前で待っていると、漣のお母さんが玄関を開けて出てくる。
「これ、おばちゃんの実家から今日いっぱい送られてきて。よかったら食べてってお母さんに言っといて」
紙袋に詰められた野菜を「ありがとうございます」と受け取る。
「それで漣は」
「あぁ、漣は今日も理来くんのとこ行ってるわよ。ついさっきお野菜持たせたとこ」
――今日も?
私は二学期が始まってから、理来の家には数えるほどしか行っていないのに?
「そんな、毎日行ってるんですか」
漣のお母さんに聞くと「もう毎日よ」と呆れたような返事がくる。
「夏休みも毎日毎日出かけるから、どこに行ってるのかって聞いたら理来くんの家だって言うし。迷惑でしょって言ったんだけど、家にいると集中できないからって、ほんと朝から晩まで入り浸っちゃって。理来くんのお母さんに冷房代払わせてって言っちゃったわよ。断られたけどね。鈴音ちゃんはそんなに行ってないでしょ?」
「そう……ですね、週に二回とか三回とか」
「いくら仲良くてもそのくらいが普通よねえ」
頭の中が混乱してくる。
だって、いつも私が、理来の家に行きたいって言ったら、漣が俺も行くって返事してきて、だから私が二人を会わせてあげてるんだと思ってたのに、本当は違ったってこと?
そういえば、理来に連絡しても返事がこないときは、漣も返事をよこさなかった。でも、二人はそのときも本当は一緒にいたのだとしたら。
だとしたら、なんで。
「まあ、理来くんは北海道行っちゃうし、そうなったら遊べないわけだしね。今のうちしかないって思ってんのかも。漣は昔から理来くんにべったりだったから」
「……漣は専門学校に行くって今日聞きましたけど、どこに行くんですか?」
「やだ、どこだか言ってないの? ほんとあの子そういう肝心なこと言わないんだから。柔道整復師の専門学校だって」
「柔道整復師」
「漣って、ずっと野球やってて、周りの子が怪我するのとか見る機会、多かったじゃない? だからそういうスポーツで怪我した人の治療ができる仕事がやりたいって思ったみたいよ」
漣らしい進路だな、と思う。患者さんとかにも慕われる姿が簡単に想像できる。
「それで、その学校ってどこに」
「なんかねー、いくつか候補はあったんだけど、結局うちから一番近いところが推薦取れそうってことで、そこにしたみたい。鈴音ちゃんは?」
「あ、私もまだ決まってないんですけど、たぶん家から通えるところに……」
「そうなの。じゃあ引き続きよろしくね」
笑って頭を下げた漣のお母さんに、なんとか笑顔を作って「こちらこそです」と頭を下げ、私は漣の家をあとにした。
まだ、いろいろなことがまったく整理できないまま、私は家に帰らず、階段をゆっくりと降りた。
五階から四階に向かうとき、いつものように理来の部屋に目を向けると目隠しのレースのカーテンだけではなく、遮光カーテンもしっかりと閉められているのが見えた。
閉ざされたその部屋の中で、何が起こっているのか、知りたいような知りたくないような気持ちで、私は一段一段、足を下ろしていく。
そうして、理来の家の前に立って大きく深呼吸したとき「結局そういうことだろうが!」という怒鳴り声が聞こえ、私はびくっとして立ち止まった。