廊下の奥、息を吐く。

『おまえに好きになられる奴、すげえ幸せだろうなって思うわ』

思い返す片岡の言葉。
……言ってやりたくなった、全部。

俺の中だけでしまい込むのが正解で、外に出すべきじゃない。
ずっとそう思ってたし、これからもそうやって生きていくって決めていた。

『あぶねーなおまえ、惚れるところだっただろ』

『一見とっつきにくいけどさ、めちゃくちゃ優しいじゃん』

───あいつの言葉は、まっすぐすぎる。

ときどき、自分でも知らなかった感情の扉をすり抜けて、心の奥を揺さぶってくる。

自然に積もった感情だから、いつか自然に溶けて消えると思ってたのに。
あんな言葉、目見てストレートに言われたらたまったもんじゃない。

抜け出せる気がしない。ずっと、そばにいる限り。

『身長が近いやつ』
『……はっ?』

……まあ、でも、気付かないんだろうな、あいつは。





「片岡」

戻った教室に、音は少ない。
机に突っ伏している片岡に向かって歩み寄れば、足音がキュッと響いた。

「……片岡?」

もう一度かけた声にも、返事はない。

回り込んで覗けば、閉じられた二重の瞼。
意外と長いまつ毛に、夕焼けが影を落とす。

───触れたくなる。気を抜けば、いつだって。

いつからか、なんて明確な線引きはない。
水面に置いた石がまっすぐ底に沈むように、当たり前に。気づいたときにはもう、その感情が生まれていた。


「……くろせ」

「っ、」


突然発される(かす)れた声に、脈が強まる。
音を立てずに様子を見るけど、どうやらまだ眠っているらしい。

片岡はよく寝る。
朝、寝坊したときは、どれだけ電話を入れても起きなかった。

この前芸人の動画を見せてきたあとも一人で笑い疲れて全然起きなかったことを思い出す。
いつも楽しいに全力で、そこに人を連れ込もうとする片岡。

それで何より自分が一番楽しむから、自然と人が集まるんだ。


「おまえ……アフロにあわねー……くっ、はは……」

「……なんの夢見てんだよ」


夢の中まで楽しそうなこいつに、つられて少し口角が上がる。

爆睡してるけど、いい加減下校時刻だ。

起きろ、と肩を揺らそうとした、刹那。


「ね、知ってる?体育祭のジンクス!」


にぎやかな声が廊下から響いて、思わず手を止めた。


「え、知らない! 何それ」

「あたし知ってるー! あれでしょ? 体育祭当日に告白したら必ず恋が叶うってやつ!」

「それで先輩たち、カップル急増して今でも続いてるんだって」

「やば! じゃあ体育祭のとき告っちゃおうかなあ、私も!」


ぐ、と拳を握る。

『必ず叶う』、なんて。
叶えちゃいけない想いは、どうしたらいいんだよ。


「……片岡」


目を開けないそいつの名前を呼ぶ。
どこからか吹いた風が、焦げ茶色の髪を小さく揺らした。


『おまえいいよなー、真っ黒さらさら。かっけえじゃん』


いつかのこいつの言葉と表情が、脳裏を過る。
別にこだわりはないけど、お前の生まれたままの色がそれなら、焦げ茶が一番似合うと思った。


『これぜってー笑うから。見てみ、俺のイチオシ芸人。レボルバー5号!』


ネタは正直全く笑えなかったけど、笑い疲れて寝こけてるお前は面白くて笑ってたよ。


『押し付けられんのも嫌だけどさ。押し付けんのも嫌じゃん』


あれを聞いたとき、こいつは絶対にひとを独りにしないやつなんだって思った。

今回のくじ作りだってそうだ。
死にそうな顔で毎年作ってる奴を見てるんなら、むしろ避けるんだよ、普通。

悩んでるやつと、楽しんでるやつを平等に放っておかない。
期待させられる。どんな時も、そばにいてほしくなる。


「───好きだ、片岡」


体育祭は一週間後。
ジンクスになんて乗らない。乗らなくていい。

届かなくていい。

口にしないと、いつかどこかで勝手に溢れ出しそうな感情を。
まだ目を閉じている片岡に、告げた。