黒瀬は朝が強い。
火曜日、俺がどうにかやっと起きた7時50分。
朝陽で目を半分しか開けられないまま坂を登ると、いつも通り涼しい顔でそこに立っていた。
「じいちゃんかよ……」
「は?」
挨拶もすっ飛ばしてそう言えば、表情は変わらないまま若干いらついてそうな声が返ってきた。
「昨日トレハンやってたらさー、途中から仲間になってくれたケビンがすげーいいやつで」
気にせずゲームの話を振って隣に追いつけば、黒瀬も外したイヤホンをまとめながら歩き始めた。
ちなみにこのイヤホンは去年、俺が渡したお下がりだ。
ワイヤレスがぶっ壊れたって言うから、俺のカバンの底に眠ってたやつを譲った。
すぐ買い替えると思ってたら、結構いまだに使っている。
まあ、聴ければいいとか言いそうだよな、黒瀬。理由は聞いてないけど。
「へえ」
「もうちょっと興味持てよ、せめてそこはもっと『へえ!』だろ」
「最初のとどこが違うんだよ」
「わかってねーな、魂だよ。そのためにビックリマークって絵文字が存在するんだろ」
「声に記号は付かないだろ」
「めんどくせーなあお前!」
「……」
ああ言えばこう言うやつだ。
って前に黒瀬に言ったら、『お前が言うな』って返された。
だから今、隣から向けられる視線もたぶんそういう意味なんだろう。
「なんだよ。そんなに見つめたって俺のハートはなびかねーぞ」
「───」
顔を合わせれば、俺と黒瀬はこうやって、いつも冗談みたいなことばっかり言い合っている。
や、いつも言ってるのは俺か。黒瀬はわりと塩対応だし。
けどこう見えて面倒見がよかったり、意外とボケを拾ってくれたりする。
だから一年の頃から気づいたら、一緒にいることが多くなっていった。
「? 黒瀬?」
しゃべらない黒瀬に声をかける。
沈黙は沈黙だけど、微妙にいつもと雰囲気が違う。
見れば、色の濃い、名前にぴったりの黒目と視線が合った。
「そんなの、とっくに知ってる」
「はっ? あ、おい」
聞き返す暇もなく、スタスタと俺を追い越していく黒瀬。
「待て、って!」
「───」
速足で追いつく。
背後から左手を黒瀬の肩に回して、右手で頭部を抑え込んだ。
「はん、この片岡ヘッドロックから逃げられると……ぐおっ」
が、秒速で腹に入ってくる黒瀬の肘。
内臓にダメージが来て、押さえながら上半身を曲げる。
「いっってえ……おまえな……」
「……悪い、反射だった」
「だからってヒジ入れんなよ……」
「急に触るからだろ」
「攻撃はそういうもんだろ!」
「攻撃が日常に無い」
ったく、遊び心の分からないやつめ。小学校の休み時間で何を学んできたんだ。
って、腹をさすりながらぶつぶつ文句を言ってたら。
「……ん」
黒瀬がすっと、屈んで背中を向けてくる。
「? なんだよ」
「保健室まで運ぶ」
「はあー? おまえな、どこの貴族の執事だよ」
「カバン貸せ」
「ちょ、おい。そこまでしなくていいって、うお」
カバンを奪いながら、そのまま腕も引っ張られる。
油断してたのと、腹に力を入れてなかったから、まんまと黒瀬の背中にもたれ込んだ。
こういうところ、強引だよな。こいつ。
人の話を聞く気配がないから、大人しくおぶられることにした。
ていうか、実は腹が結構痛い。言わねーけど。
「……おまえ俺と身長1.7cmしか変わんねえくせに……」
「2cmでいいだろ」
「細けーな! 大して変わんねーだろ!」
「どっちがだよ」
声も棒読みだし、顔もどうせ無表情だけど。
まあ、でも、こいつなりに気にしてるんだろうな。
なんだかんだ律儀っていうか、責任感?強いやつだし。
「……悪かった、殴って」
いいやつ、なんだよな。意外と。
「仕方ねえな。ハーゲン10個な」
「飽きるぞ」
「バカだな、飽きてからが本番だろ。ああいうのは」
「……ふ。なんだよ、それ」
音で笑ったのがわかって、ああくそ、と思う。
こいつの笑う顔を、あんま正面で見れたことがない。
何したら笑うんだろうな、こいつ。
爆笑とかしたことあんのかな。
「腹、まだ痛んでるか」
背中で揺られながらそんなことを考えてたら、なんか段々眠くなってくる。
……あ、耳のうしろにホクロあんだ。
これ知ってんのかな、こいつ。
顔をすこし、近づけた。
ふわっと、風が吹く。
「……片岡?」
「…………黒瀬って、良い匂いすんのな」
「───っ」
こういう匂いってどっから来るんだろう。洗剤とかか?
でもなんか、うちで洗濯物干されてる時とはちょっと違うんだよな。匂いが。
とか思ってたら、黒瀬が動かなくなったのに気が付く。
「黒瀬?」
のぞきこもうとしたら、ぱっとうつむかれて顔が見えなくなる。
どういうリアクションだよ、これ。
……ていうか。
「黒瀬、なんか耳赤くねえ?」
熱中症か? って続けるけど、返事はない。
「うおーい、聞こえてるか」
「……喋ったら振り落とす」
「はっ!? なんでそうなるんだよ!」
やっと返ってきたと思ったら、ものすごい物騒なワードだった。
けが人に優しくねえ、こいつ!
何が地雷だったのか聞こうとしたら本当に落とされかけて(たぶん本気じゃないだろうけど)、その日は結局何も突っ込めないまま登校した。
変な奴だよなあ、黒瀬。