凛と雪花、更には、友人の三人で帰路についていた。
想いが通じ合って以来、時間の合う日はこうして三人で帰る時間を作っている。
とはいえ、三人の家は近くなく方面は違う。先に凛を家まで送ってから次に友人、彼の家に行くという雪花にとっては三度手間な状態だ。
もう直ぐ、凛の家に辿り着くという頃、彼が思い出したように口を開く。
「疑問に思ってたんだけどさ。お前、最初からノートの持ち主が加藤くんだって知ってたんじゃないの?」
前触れなくそんなことを発せられ、雪花以外の二人は口をあんぐりとしてしまう。
わざわざ足を止めていることから、疑いが冗談ではなく、本気だということが分かる。
友人は何も返事をせずに、無言を貫いていた。
「え、そうなのか?」
この無言が果たして、イエスという意味を指しているのか。それとも、そうではないのか。
推測できなかった凛は更に続けて問う。とにかく驚きを隠せない様子だ。出した声は変に上擦る。
「……あははぁ、バレちゃったかあ!」
とうとう誤魔化しきれないと思ったのだろう。
友人はつい先刻までかまととぶっていたのにも関わらず、あっけらかんと種明かしをした。
恥ずかしそうに頭を掻いているが、正体を知っていたのならば、もっと早くに伝えてほしい。
そうしたらこんなにも複雑にいろいろな出来事が絡み合わずに済んだ筈なのに、と。
彼は冷たい目で友人を見ていて、とても呆れているみたいだ。
「オレって音楽室の鍵を管理する担当だったろ? だから、あの日も先に音楽室に行ってて、ノートがあるの気づいてたんだよね。いつも使ってる席だし、まずそこ確認するじゃん!」
移動教室の際は、ほとんど雪花と友人は共に行動しているが、音楽の授業だけはたいてい友人の方が一足先に向かう。
凛はあの日、教師に急かされて周りを確認せずに慌てて音楽室を出たこともあり、置き忘れたノートが机の中から飛び出していたという可能性もある。
そう思えば皆より先に教室を覗いた友人が、ノートの存在にいち早く気付いてもおかしくはない。
「やっぱり……様子が明らかにおかしいって思った」
思えば、教室に入って早々に寒いから窓際の席と交換してくれ、という姿も不自然なもの。
雪花の席と友人の席。どちらも号車として数えると窓際である。風が一直線になって吹いてくることはないのだから、寒さだって一個席をずれただけでは殆ど変わらないはず。
尚且つ、距離感がいつもよりおかしく何か他に気になるものがあるような態度をしていた。
「鍵当番だと、前のクラスが授業終わるの遅かったときに、それと鉢合わせすることもあったから、席に大体誰が座っているのか知ってるし! あのノートが加藤のだってことも中見る前から気付いてたわけ」
自信満々に友人は言葉を続ける。
さすがに全ての生徒の席を把握していなくても、彼の好きな人だったら嫌でも友人の目につく。
凛は初日から席を変えようとすることはなかったため、凛を軽く避けていたクラスメイトたちもわざわざその席に座ろうとはしない。謂わば定位置だったこともあり、余計に覚えやすかったのだと思う。
「で、何となくノートの中見るじゃん? わあ、びっくり! 中身は数学のノートじゃなくて、好きな人への想いを書き留めた日記だったんだもん」
語っていくうちにテンションが上がってしまい、歩道からはみ出しかけていた。
大半の人は誰のものかわかっている数学のノートの中身を見てみようとは思わないが、友人の行動だと聞けば、疑問を抱くことなく納得してしまうのはなぜであろうか。
「恥ずかしいからやめて……」
ノートは雪花と凛を繋ぎ止めてくれた宝物であると同時に、最初の方の本心を隠すことなく綴られたものの中にはポエムチックな部分がある。
これが想いの通じ合いに不必要になった今となっては、凛には単の黒歴史の道具となったのだ。
顔を真っ赤にさせると、雪花の後ろにひょっこりと隠れてしまった。
「ごめんごめん! でも読んでくうちに気付くわけよ、これ加藤の好きな人ってセツじゃね! って」
本人の名前や一つのワードだけで特定できてしまうようなものは避けていたものの、勘のいい人ならば、簡単に想い人を推測できる容易な内容。
特に友人は雪花のことを一番近くで見ているのだから、彼のことを想起させるような出来事は直ぐに悟ることができた。
容姿端麗で運動部、そして、クールな性格。
まず、容姿端麗と聞けば、大抵は学年で一番イケメンな人から当てはめていくだろうから、これだけでも大きなヒントになる。
「両片思いなのにこんなにすれ違ってるのみたら、もう放っておけないよなー! セツをその席に座らせたらノートを見つけさせて、やり取りをするように促すんだ。いつかやり取りの相手と会うことになって、それが好きな人だと知った二人はめでたくゴールイン! ……ふふっ、オレながら完璧なシナリオだぜ」
目を光らせて、友人はドヤ顔をした。
恋のキューピッドという立ち位置にいるようで、暇つぶしの玩具にされているようにも思える。
けれども、結果的に友人が満足してるのならば彼らはそれでいいとさえ感じた。
友人は面倒ごとに巻き込まれたとはこれっぽっちも考えていないようだ。最早楽しそうにしているのだからWin-Winな関係である。
元はといえば、友人のおかげで二人の恋は成就したといってもよい。
「まあ、さすがにこんなに上手く行くとはおもってなかったけどっ!」
友人の計画は適当なもので穴があったため、穴が原因でまた複雑な出来事がいくつも起きている。
けど、その穴を彼らは埋めることができた。それは紛れもない彼らの愛の力であり、二人自身の成長と努力が引き起こしたもの。
結果的には、友人が『上手く行った』と思ってしまうくらいの大きな幸せを得た。
「全部こいつに仕組まれてたのか……」
「今回だけは感謝してあげてもいいよ」
今回の出来事が全て友人によって引き起こされたものだと知り、度肝を抜く凛。
対して、雪花は上から目線にものをいう反応で、似ても似つかない真逆なものだった。
でも彼らの息はピッタリで結局のところ、二人は似た者同士なのだ分かる。
「……あれ、なんか加藤ん家の前、誰かいねえ?」
友人は急に足を止め、不可思議に呟く。
何だか不穏な空気が漂っている。急に目の前を歩いていた友人が止まったことで、彼は勢い良く友人の背中にぶつかってしまう。
「え?」
凛も上手く状況を飲み込めずに、顔をしかめていることしかできない。
いつもと同じ帰路、いつもと同じ自宅のはず。
その一方で、前にも同じようなことが起きた気がする。消えることのない落ち着きのなさを頼りに、過去の記憶を一つ一つ掘り返してみた。
その間も、ずっとデジャブの中でも吐きそうなほどに嫌悪感のあるデジャブを感じている。
「──あの、すみません。加藤、凛さんですよね……?」
中学生くらいのおとなしそうな女の子。
三人の存在に気付いて彼女が駆け寄ってくるのと共に、記憶が鮮明に蘇った。この既視感は、弟のストーカーの少女と遭遇したときのものだと悟る。
彼女が近付いて来るにつれて、呼吸と心拍数が上がっていく。同じことが再び起こることを想像すると、怖くて仕方がない。
隣にいる雪花の袖を、無意識に握っていた。
「わたし、文化祭であなたの日本舞踊を見てから、日本舞踊がすごいかっこよくて綺麗だって気付いたんです。それで、わたしも日本舞踊やってみたいなって」
口が開くのを見たとき、恐怖から目を瞑る。
心配を他所に、彼女の口から続けられたのはそんな心あたたまるような話だった。
一度速まったことで、鳴り止まない心臓の鼓動。彼女の声もそれと同様に震えていた。
文化祭は本校の生徒のみならず、他校の生徒や家族もたくさん来ていたな、と当時を回想する。
彼女の瞳は、凛が雪花に。並びに、雪花が凛に一目惚れしたときと同じくらいにきらきらとした汚れのない光を放つ。
自分たちの日本舞踊で一人の心をこんなにも虜にしたことが、二人は本当に悦ばしくて悦ばしくて。
ただただ満ち足りた思いだった。
二人は気づいたのだ。自分の好きなことを好きと言われることは、こんなにも幸せで素晴らしいことなのだ、と。
「行動あるのみだって思って書かれていた住所みて来たんですけど。よかったら、お時間のある日に見学させてもらえませんか…?」
凛の様子を伺うように彼女は尋ねる。
自分にとっても喜ばしく感じる素敵な提案を否定する理由は、凛には全く持ってなかった。
大方、ここまで出向くことに彼女は大きな勇気を出したのだと思う。
出来るだけ相手を怖がらせないためにも笑顔を作って、そっと頷いてみせる。
「もちろんだよ。これ母親の電話番号だから、帰ったら連絡してください。体験授業の枠作ってくれると思うので」
もう遅い時間なので、日を改めるために凛はメモに電話番号を走り書きして手渡す。
それを受け取った彼女は嬉しそうに礼を言うと、暗くなる前に自宅へ帰るため早々に立ち去った。
「ふはっ、なんだ……! そんなことかあ」
凛は少女の姿が無くなったことを確認すれば、雪花と顔を見合わせて笑う。
山粧う季節と共に。ひらひらと降る雪を思わせるほど色彩を喪う二人の生活も色付いていく。
加えて、ノートで秘密のやり取りを始めた頃に、流浪していた藤の花の香りが褪せることはない。凜乎とした態度で記憶の中で咲き零れている。
『鵠は浴せずして白し』ということわざを知っているだろうか。
白鳥は毎日水浴びをしなくても白い。本性のよい者は、うわべをつくろわなくても自然にその性質のよさが外面に現れるというたとえ。
つまり、生まれつきの容姿や性質は、あとから変えようとしてもできるものではないという意味だ。
ふと、思ったのだ。このことわざはどこか彼らに親しいものがあるのではないか、と。
以前は外面に惹かれたことにどこか引け目を感じている二人だったが、今は各々の内面が美しいからこそ、外面も愛することができるのだと気づいた。
その本質を理解するのは難しいことで、未だに彼らは自らの容姿全てに対してはいい印象を抱くことはできないのだろう。
しかし、愛されていることを知っているからこそお互いの前では取り繕わなくても相手を愛おしく思い、相手に愛おしく思われることができるのだ。
という意味では彼らに親しい要素があっても、完璧に似つかわしいわけではないのかもしれない。
計らずも、側にいる二人の姿を見つめる。
ただ単に雪の花のように美しい君を見て、凛として咲う君。ああ、何て無垢な情景なのだ。
まるで、自分は彼が浴せずとも愛しむこと。そして、彼は自分が浴せずとも愛おしんでくれることを表しているようだった。
無二の友人である"オレ"だからこそ、彼らに捧げたい。
二人が育む愛の中で芽生えた『君は浴せずして愛し』という言葉を。
完
想いが通じ合って以来、時間の合う日はこうして三人で帰る時間を作っている。
とはいえ、三人の家は近くなく方面は違う。先に凛を家まで送ってから次に友人、彼の家に行くという雪花にとっては三度手間な状態だ。
もう直ぐ、凛の家に辿り着くという頃、彼が思い出したように口を開く。
「疑問に思ってたんだけどさ。お前、最初からノートの持ち主が加藤くんだって知ってたんじゃないの?」
前触れなくそんなことを発せられ、雪花以外の二人は口をあんぐりとしてしまう。
わざわざ足を止めていることから、疑いが冗談ではなく、本気だということが分かる。
友人は何も返事をせずに、無言を貫いていた。
「え、そうなのか?」
この無言が果たして、イエスという意味を指しているのか。それとも、そうではないのか。
推測できなかった凛は更に続けて問う。とにかく驚きを隠せない様子だ。出した声は変に上擦る。
「……あははぁ、バレちゃったかあ!」
とうとう誤魔化しきれないと思ったのだろう。
友人はつい先刻までかまととぶっていたのにも関わらず、あっけらかんと種明かしをした。
恥ずかしそうに頭を掻いているが、正体を知っていたのならば、もっと早くに伝えてほしい。
そうしたらこんなにも複雑にいろいろな出来事が絡み合わずに済んだ筈なのに、と。
彼は冷たい目で友人を見ていて、とても呆れているみたいだ。
「オレって音楽室の鍵を管理する担当だったろ? だから、あの日も先に音楽室に行ってて、ノートがあるの気づいてたんだよね。いつも使ってる席だし、まずそこ確認するじゃん!」
移動教室の際は、ほとんど雪花と友人は共に行動しているが、音楽の授業だけはたいてい友人の方が一足先に向かう。
凛はあの日、教師に急かされて周りを確認せずに慌てて音楽室を出たこともあり、置き忘れたノートが机の中から飛び出していたという可能性もある。
そう思えば皆より先に教室を覗いた友人が、ノートの存在にいち早く気付いてもおかしくはない。
「やっぱり……様子が明らかにおかしいって思った」
思えば、教室に入って早々に寒いから窓際の席と交換してくれ、という姿も不自然なもの。
雪花の席と友人の席。どちらも号車として数えると窓際である。風が一直線になって吹いてくることはないのだから、寒さだって一個席をずれただけでは殆ど変わらないはず。
尚且つ、距離感がいつもよりおかしく何か他に気になるものがあるような態度をしていた。
「鍵当番だと、前のクラスが授業終わるの遅かったときに、それと鉢合わせすることもあったから、席に大体誰が座っているのか知ってるし! あのノートが加藤のだってことも中見る前から気付いてたわけ」
自信満々に友人は言葉を続ける。
さすがに全ての生徒の席を把握していなくても、彼の好きな人だったら嫌でも友人の目につく。
凛は初日から席を変えようとすることはなかったため、凛を軽く避けていたクラスメイトたちもわざわざその席に座ろうとはしない。謂わば定位置だったこともあり、余計に覚えやすかったのだと思う。
「で、何となくノートの中見るじゃん? わあ、びっくり! 中身は数学のノートじゃなくて、好きな人への想いを書き留めた日記だったんだもん」
語っていくうちにテンションが上がってしまい、歩道からはみ出しかけていた。
大半の人は誰のものかわかっている数学のノートの中身を見てみようとは思わないが、友人の行動だと聞けば、疑問を抱くことなく納得してしまうのはなぜであろうか。
「恥ずかしいからやめて……」
ノートは雪花と凛を繋ぎ止めてくれた宝物であると同時に、最初の方の本心を隠すことなく綴られたものの中にはポエムチックな部分がある。
これが想いの通じ合いに不必要になった今となっては、凛には単の黒歴史の道具となったのだ。
顔を真っ赤にさせると、雪花の後ろにひょっこりと隠れてしまった。
「ごめんごめん! でも読んでくうちに気付くわけよ、これ加藤の好きな人ってセツじゃね! って」
本人の名前や一つのワードだけで特定できてしまうようなものは避けていたものの、勘のいい人ならば、簡単に想い人を推測できる容易な内容。
特に友人は雪花のことを一番近くで見ているのだから、彼のことを想起させるような出来事は直ぐに悟ることができた。
容姿端麗で運動部、そして、クールな性格。
まず、容姿端麗と聞けば、大抵は学年で一番イケメンな人から当てはめていくだろうから、これだけでも大きなヒントになる。
「両片思いなのにこんなにすれ違ってるのみたら、もう放っておけないよなー! セツをその席に座らせたらノートを見つけさせて、やり取りをするように促すんだ。いつかやり取りの相手と会うことになって、それが好きな人だと知った二人はめでたくゴールイン! ……ふふっ、オレながら完璧なシナリオだぜ」
目を光らせて、友人はドヤ顔をした。
恋のキューピッドという立ち位置にいるようで、暇つぶしの玩具にされているようにも思える。
けれども、結果的に友人が満足してるのならば彼らはそれでいいとさえ感じた。
友人は面倒ごとに巻き込まれたとはこれっぽっちも考えていないようだ。最早楽しそうにしているのだからWin-Winな関係である。
元はといえば、友人のおかげで二人の恋は成就したといってもよい。
「まあ、さすがにこんなに上手く行くとはおもってなかったけどっ!」
友人の計画は適当なもので穴があったため、穴が原因でまた複雑な出来事がいくつも起きている。
けど、その穴を彼らは埋めることができた。それは紛れもない彼らの愛の力であり、二人自身の成長と努力が引き起こしたもの。
結果的には、友人が『上手く行った』と思ってしまうくらいの大きな幸せを得た。
「全部こいつに仕組まれてたのか……」
「今回だけは感謝してあげてもいいよ」
今回の出来事が全て友人によって引き起こされたものだと知り、度肝を抜く凛。
対して、雪花は上から目線にものをいう反応で、似ても似つかない真逆なものだった。
でも彼らの息はピッタリで結局のところ、二人は似た者同士なのだ分かる。
「……あれ、なんか加藤ん家の前、誰かいねえ?」
友人は急に足を止め、不可思議に呟く。
何だか不穏な空気が漂っている。急に目の前を歩いていた友人が止まったことで、彼は勢い良く友人の背中にぶつかってしまう。
「え?」
凛も上手く状況を飲み込めずに、顔をしかめていることしかできない。
いつもと同じ帰路、いつもと同じ自宅のはず。
その一方で、前にも同じようなことが起きた気がする。消えることのない落ち着きのなさを頼りに、過去の記憶を一つ一つ掘り返してみた。
その間も、ずっとデジャブの中でも吐きそうなほどに嫌悪感のあるデジャブを感じている。
「──あの、すみません。加藤、凛さんですよね……?」
中学生くらいのおとなしそうな女の子。
三人の存在に気付いて彼女が駆け寄ってくるのと共に、記憶が鮮明に蘇った。この既視感は、弟のストーカーの少女と遭遇したときのものだと悟る。
彼女が近付いて来るにつれて、呼吸と心拍数が上がっていく。同じことが再び起こることを想像すると、怖くて仕方がない。
隣にいる雪花の袖を、無意識に握っていた。
「わたし、文化祭であなたの日本舞踊を見てから、日本舞踊がすごいかっこよくて綺麗だって気付いたんです。それで、わたしも日本舞踊やってみたいなって」
口が開くのを見たとき、恐怖から目を瞑る。
心配を他所に、彼女の口から続けられたのはそんな心あたたまるような話だった。
一度速まったことで、鳴り止まない心臓の鼓動。彼女の声もそれと同様に震えていた。
文化祭は本校の生徒のみならず、他校の生徒や家族もたくさん来ていたな、と当時を回想する。
彼女の瞳は、凛が雪花に。並びに、雪花が凛に一目惚れしたときと同じくらいにきらきらとした汚れのない光を放つ。
自分たちの日本舞踊で一人の心をこんなにも虜にしたことが、二人は本当に悦ばしくて悦ばしくて。
ただただ満ち足りた思いだった。
二人は気づいたのだ。自分の好きなことを好きと言われることは、こんなにも幸せで素晴らしいことなのだ、と。
「行動あるのみだって思って書かれていた住所みて来たんですけど。よかったら、お時間のある日に見学させてもらえませんか…?」
凛の様子を伺うように彼女は尋ねる。
自分にとっても喜ばしく感じる素敵な提案を否定する理由は、凛には全く持ってなかった。
大方、ここまで出向くことに彼女は大きな勇気を出したのだと思う。
出来るだけ相手を怖がらせないためにも笑顔を作って、そっと頷いてみせる。
「もちろんだよ。これ母親の電話番号だから、帰ったら連絡してください。体験授業の枠作ってくれると思うので」
もう遅い時間なので、日を改めるために凛はメモに電話番号を走り書きして手渡す。
それを受け取った彼女は嬉しそうに礼を言うと、暗くなる前に自宅へ帰るため早々に立ち去った。
「ふはっ、なんだ……! そんなことかあ」
凛は少女の姿が無くなったことを確認すれば、雪花と顔を見合わせて笑う。
山粧う季節と共に。ひらひらと降る雪を思わせるほど色彩を喪う二人の生活も色付いていく。
加えて、ノートで秘密のやり取りを始めた頃に、流浪していた藤の花の香りが褪せることはない。凜乎とした態度で記憶の中で咲き零れている。
『鵠は浴せずして白し』ということわざを知っているだろうか。
白鳥は毎日水浴びをしなくても白い。本性のよい者は、うわべをつくろわなくても自然にその性質のよさが外面に現れるというたとえ。
つまり、生まれつきの容姿や性質は、あとから変えようとしてもできるものではないという意味だ。
ふと、思ったのだ。このことわざはどこか彼らに親しいものがあるのではないか、と。
以前は外面に惹かれたことにどこか引け目を感じている二人だったが、今は各々の内面が美しいからこそ、外面も愛することができるのだと気づいた。
その本質を理解するのは難しいことで、未だに彼らは自らの容姿全てに対してはいい印象を抱くことはできないのだろう。
しかし、愛されていることを知っているからこそお互いの前では取り繕わなくても相手を愛おしく思い、相手に愛おしく思われることができるのだ。
という意味では彼らに親しい要素があっても、完璧に似つかわしいわけではないのかもしれない。
計らずも、側にいる二人の姿を見つめる。
ただ単に雪の花のように美しい君を見て、凛として咲う君。ああ、何て無垢な情景なのだ。
まるで、自分は彼が浴せずとも愛しむこと。そして、彼は自分が浴せずとも愛おしんでくれることを表しているようだった。
無二の友人である"オレ"だからこそ、彼らに捧げたい。
二人が育む愛の中で芽生えた『君は浴せずして愛し』という言葉を。
完