メッセージにて、とある空き教室のロッカーを、ノートの置き場所として指定した。
彼は日頃から先生に許可を得て、早朝にその教室で日本舞踊の自主練習をしている。
そのため、そこが教室の掃除が行き届いていないほどに、人の出入りがないことを知っていたのだ。見られたくないものの隠し場所として、うってつけだと。
コミュニケーション能力が低いという訳ではないが、言葉選びを間違えがちな彼はどうしてもメッセージを考えるのに時間がかかってしまう。
そんな彼が授業後を含めて時間を気にせずに、文章を書くことに没頭できたのは、音楽室の鍵の管理を友人が担当していたからである。
面倒ことを友人が引き受けていた理由は、いち早く音楽室に入りたいとかいうよこしまなものだったが、今回ばかりは良い出来事に繋がったため感謝してもよい。
「どうしよう……返事きてた」
さすがにこんな怪しいメッセージに対して、返信はくれないだろう、と。そこまで期待はしていなかったが、自主練習を終えた後に一応ロッカーの中を覗く。
すると、そこにはノートがぽつんと置かれていて、最新のページにはしっかりと本人の字で返事も書いてある。
困惑しながらノートを抱きかかえて、予鈴がなる前に教室に戻ると、いち早く友人に声を掛けた。
「え? 良かったじゃーん! その人はなんて?」
動揺している彼の姿が面白かった友人は、好奇心を抱いたのか。興味深そうに聞き返す。
相変わらず、心を落ち着かせることのできない彼。
目を見開いたまま、カーディガンの裾に覆われたノートを持つ手のひらが小さく震えている。
「僕でよかったらやり取りしたい、って」
おずおずと答え、その場で力が抜けたように屈む。
期待はしていないと言っていても、本当は不安な気持ちでいっぱいだったのだろう。大前提として、彼がこんなにも勇気を出すことは滅多になかった。
やはり友人も彼の今後の行方を心配していたらしい。返答を聞いた瞬間、ぱっと表情に花を咲かせては手を取り合って喜ぶ。
「おおーー! あついなー早く返事書こうぜ! 相手も待ってるよ」
筆箱から黒いボールペンを取り出し渡そうとするが、彼は不請顔で拒んだ。
まさか拒まれるとは思っていなかったのか、友人もしばらくの間、無言を貫いていた。
教室の賑やかな生徒たちの声だけが、言葉となる前に音として消えていく。それがあまりにも二人を不快な気分にさせ、彼らの息がぐっと詰まる。
「でも……俺がやり取りしてる相手ってバレたら……」
気まずさに耐え兼ねて、とうとう口を開く彼。
不安を誤魔化すために自身の左腕を右手でぎゅっと押さえながら、目を逸らす。
見開かれた目が軽く閉じられたことで、友人からは彼のふるふると震えるまぶたと、長いまつげがよく見えている。
なぜだか弱いものいじめをしているようないたたまれない気持ちだ。彼に歩み寄っている証明のため、雪花の右手の上にそっと手を置いた。
「セツはさ、やたらと相手に自分の容姿が露呈することを怖れてるけど、なんで?」
友人にとっては純粋な疑問でしかない。しかし、彼はその問いに対して目を丸くさせる。
少々言葉は固くなってはいるが、怯えている根本的な理由がわからなければ解決に至ることはできないのである。
現時点で友人には彼を奮い立たせることで、後悔のない選択肢ができるように促す方法がそれ以外に思いつかなかった。
どうして雪花と友人、それぞれがこんなにも不器用なのだろうと呆れてしまう。
「それは……おまえも、わかってるだろ……」
いろいろなことを考えすぎて、パンクしそうな頭の中から必死に絞り出した切実な一言だった。
が、友人は言いたいことを理解したのか。一瞬だけ伝えるべきことを脳内で考えてから重い口で話し始める。
「中学のとき仲良くしてた、いつメンのアイツとのこと? あれはアイツも悪くなかったけど、お前だって悪くなかったよ」
二人は中学生の頃、地元の同じ共学校に通っていたが、その頃から特別仲が良かった訳でもなく。
いつも一緒に行動している五人グループの内の二人というだけ。容姿がよかったり、コミュニケーション能力が高かったり、そういった目立つ人たちは自然と集まって輪になるのだ。
いつの間にか出来上がっていた関係性だったため親密度が築けておらず、その頃は二人きりで話すこと自体、あまり多くはなかった。
どうやら二人の様子を鑑みるに、その後グループが崩壊する何かがあったことで今の関係性に落ち着いたらしい。
「……アイツが友情より恋愛を取ったってだけって話だ。ノートの人、わざわざ返事をしたってことは、お前と同じように本音を明かせるような友達がほしいんじゃねーかな。男同士だから"そういうことが起きる"可能性は少ないし、万が一起きたときに自ら離れていく人とも限らないよ」
友人は真摯に彼を説得するように力を込めて言う。果たして、実際のところはそうなのだろうか、と彼は思った。
男同士ならば、中学生の頃起きたことがまた発生する可能性が少ないというのか。
寧ろ、男子校という閉鎖的で限定的な空間だからこそ、再び同じような出来事が起こるような気がしてしまう。
なぜなら、彼とノートの持ち主にはお互い生徒に好きな人がいて各々が片思いをしている。
例えば、彼が片思いをしている凛が、もし男を好きになれるような人だとして。
その人が今後好きになるのが、雪花ではなくノートの持ち主である可能性も彼目線では否定しきれない。
この状況を整理するためにも、彼はまず中学生の頃の出来事を思い出してみることにした。
彼は日頃から先生に許可を得て、早朝にその教室で日本舞踊の自主練習をしている。
そのため、そこが教室の掃除が行き届いていないほどに、人の出入りがないことを知っていたのだ。見られたくないものの隠し場所として、うってつけだと。
コミュニケーション能力が低いという訳ではないが、言葉選びを間違えがちな彼はどうしてもメッセージを考えるのに時間がかかってしまう。
そんな彼が授業後を含めて時間を気にせずに、文章を書くことに没頭できたのは、音楽室の鍵の管理を友人が担当していたからである。
面倒ことを友人が引き受けていた理由は、いち早く音楽室に入りたいとかいうよこしまなものだったが、今回ばかりは良い出来事に繋がったため感謝してもよい。
「どうしよう……返事きてた」
さすがにこんな怪しいメッセージに対して、返信はくれないだろう、と。そこまで期待はしていなかったが、自主練習を終えた後に一応ロッカーの中を覗く。
すると、そこにはノートがぽつんと置かれていて、最新のページにはしっかりと本人の字で返事も書いてある。
困惑しながらノートを抱きかかえて、予鈴がなる前に教室に戻ると、いち早く友人に声を掛けた。
「え? 良かったじゃーん! その人はなんて?」
動揺している彼の姿が面白かった友人は、好奇心を抱いたのか。興味深そうに聞き返す。
相変わらず、心を落ち着かせることのできない彼。
目を見開いたまま、カーディガンの裾に覆われたノートを持つ手のひらが小さく震えている。
「僕でよかったらやり取りしたい、って」
おずおずと答え、その場で力が抜けたように屈む。
期待はしていないと言っていても、本当は不安な気持ちでいっぱいだったのだろう。大前提として、彼がこんなにも勇気を出すことは滅多になかった。
やはり友人も彼の今後の行方を心配していたらしい。返答を聞いた瞬間、ぱっと表情に花を咲かせては手を取り合って喜ぶ。
「おおーー! あついなー早く返事書こうぜ! 相手も待ってるよ」
筆箱から黒いボールペンを取り出し渡そうとするが、彼は不請顔で拒んだ。
まさか拒まれるとは思っていなかったのか、友人もしばらくの間、無言を貫いていた。
教室の賑やかな生徒たちの声だけが、言葉となる前に音として消えていく。それがあまりにも二人を不快な気分にさせ、彼らの息がぐっと詰まる。
「でも……俺がやり取りしてる相手ってバレたら……」
気まずさに耐え兼ねて、とうとう口を開く彼。
不安を誤魔化すために自身の左腕を右手でぎゅっと押さえながら、目を逸らす。
見開かれた目が軽く閉じられたことで、友人からは彼のふるふると震えるまぶたと、長いまつげがよく見えている。
なぜだか弱いものいじめをしているようないたたまれない気持ちだ。彼に歩み寄っている証明のため、雪花の右手の上にそっと手を置いた。
「セツはさ、やたらと相手に自分の容姿が露呈することを怖れてるけど、なんで?」
友人にとっては純粋な疑問でしかない。しかし、彼はその問いに対して目を丸くさせる。
少々言葉は固くなってはいるが、怯えている根本的な理由がわからなければ解決に至ることはできないのである。
現時点で友人には彼を奮い立たせることで、後悔のない選択肢ができるように促す方法がそれ以外に思いつかなかった。
どうして雪花と友人、それぞれがこんなにも不器用なのだろうと呆れてしまう。
「それは……おまえも、わかってるだろ……」
いろいろなことを考えすぎて、パンクしそうな頭の中から必死に絞り出した切実な一言だった。
が、友人は言いたいことを理解したのか。一瞬だけ伝えるべきことを脳内で考えてから重い口で話し始める。
「中学のとき仲良くしてた、いつメンのアイツとのこと? あれはアイツも悪くなかったけど、お前だって悪くなかったよ」
二人は中学生の頃、地元の同じ共学校に通っていたが、その頃から特別仲が良かった訳でもなく。
いつも一緒に行動している五人グループの内の二人というだけ。容姿がよかったり、コミュニケーション能力が高かったり、そういった目立つ人たちは自然と集まって輪になるのだ。
いつの間にか出来上がっていた関係性だったため親密度が築けておらず、その頃は二人きりで話すこと自体、あまり多くはなかった。
どうやら二人の様子を鑑みるに、その後グループが崩壊する何かがあったことで今の関係性に落ち着いたらしい。
「……アイツが友情より恋愛を取ったってだけって話だ。ノートの人、わざわざ返事をしたってことは、お前と同じように本音を明かせるような友達がほしいんじゃねーかな。男同士だから"そういうことが起きる"可能性は少ないし、万が一起きたときに自ら離れていく人とも限らないよ」
友人は真摯に彼を説得するように力を込めて言う。果たして、実際のところはそうなのだろうか、と彼は思った。
男同士ならば、中学生の頃起きたことがまた発生する可能性が少ないというのか。
寧ろ、男子校という閉鎖的で限定的な空間だからこそ、再び同じような出来事が起こるような気がしてしまう。
なぜなら、彼とノートの持ち主にはお互い生徒に好きな人がいて各々が片思いをしている。
例えば、彼が片思いをしている凛が、もし男を好きになれるような人だとして。
その人が今後好きになるのが、雪花ではなくノートの持ち主である可能性も彼目線では否定しきれない。
この状況を整理するためにも、彼はまず中学生の頃の出来事を思い出してみることにした。