翌々日、平然を装って学校に行くが、弟の言うことが頭から離れられない。今日は凛がノートを記す番だからだ。
 匿名と対面しなければ、この関係はいい意味で変わらず、今まで通り楽しい日常を送ることができる。『不変』もまた、一つの幸せの在り方だった。
 ただし、胸の奥には確かに匿名と会ってみたい、という好奇心もあって、その勇気に賭けてみるのも間違った選択肢ではないと凛は思う。

 蝶が花の蜜に誘われるようにシャープペンシルをノートに走らせた。
 達筆な字で書かれた、たった八文字の言葉。
 息を呑む暇もなく匿名からの返事を予測して、胸がドキドキとしてくる。

「…………っあ?」

 本当に偶然、少しだけノートからよそ見をしただけだった。換気のために開いていた窓から、強いいなさが吹く。
 前髪が乱れ、着けていたマスクが床に飛んだ。
 そして、視界の真ん中に、雪花が日舞の練習のために使っていると言っていた鏡が目に入る。
 その綺麗に磨かれた鏡には鮮明に凛の容姿が映し出されていた。

 ああ、と。ぼんやりと我を忘れてしまう。
 凛が世界で一番、嫌いな容姿。もっとも醜いと思っている容姿が、無頓着に現実を伝えてくる。
 
 筋肉のつきにくい身体は何もしなくても痩けた。上手く笑えなくて口角は下がった。血色の悪い青白い肌は上手く焼けなかった。薄い唇は乾燥してひび割れた。目元は切れ長で黒目は小さかった。鼻筋から頬にかけては無数の雀斑があった。前髪は不行き届きなせいで伸びていた。襟の隙間から覗くニキビ跡は消えなかった。身長は同年代の平均よりも低かった。二重瞼と一重瞼で顔は左右非対称だった。

 上げたらキリのない自分の嫌いなところが、次々と浮かんでいく。
 匿名が正体を明かすことを了承したとして、こんな容姿は見せられない、と思った。
 もしかしたら、匿名は凛の正体を国宝級の美青年だと思って接しているかもしれない──たとえば、それこそ粧雪花のような。
 嫌われるかもしれない。がっかりするかもしれない。匿名の夢や理想を壊してしまうかもしれない。会わなければよかったと思わせるかもしれない。
 匿名が容姿を見たときの反応のせいで自分が苦しむからというわけではなく、自分が原因で匿名を悲しませてしまうことが嫌なのだ。
 匿名とは、会いたくない──会えない。凛はそう考える。

 ──馬鹿じゃん。何考えてんだろう僕。本当に、馬鹿だ。

 黒々とした眼に、緩やかに涙が浮かぶ。