しばらくすると兄様は、意を決したように妾を強く抱きしめてくださいまさした。そして、おっしゃったのです。せめてもの罪滅ぼしに、お前のやりたいようにしてやると。
「本当でございますが! 妾のお願い、聞き届けてくださるのですね……」
兄様は、力強く頷かれました。
退院してからずっと、泣いてばかりの毎日でした。涙などとうに枯れ果てたと思っておりましたが、兄様の優しさに触れて再び涙が滲んでまいりました。
「最後の思い出にどうか、お情けを頂戴できませんでしょうか。兄様に抱かれたまま、旅立ちとうございます……」
兄様の両手をとり、そっと妾の首へと導きます。
「どうか妾を抱いたまま、天国へ送ってくださいまし。そして妾が事切れたなら、どうか妾を……どうか妾の首を……」
妾は、この後に続く言葉を、繋ぐことが出来ませんでした。こんな願いは、口に出すことすら憚られます。こんなことを、兄様にお願いしても良いものかどうか……。言い澱んでおりますと兄様に急き立てられ、意を決して申し上げることにいたしました。
「……どうかこの首、切り落としてくださいまし」
突拍子もない願いに、さすがの兄様も絶句しておいででした。腕の中に居りましても、困惑の表情が伝わってまいります。
「惨いお願いであることは、承知しております。でも、このお顔で旅立つのは嫌でございます。バッグにナイフが入っております。どうか……後生ですから、どうか……」
煌々と照る月が、返答に窮する兄様と、腕に抱かれたままの妾を照らし続けておりました。腕の中から兄様のお顔を見上げますと、声も上げずに流れ出る涙が、月の光に煌めいておりました。
やがて兄様は涙に濡れたまま、妾の顔の傷ひとつひとつに沢山の口づけをしてくださいました。お言葉はございませんでした。ただただ、沢山の口づけをくださったのです。
兄様の唇が、あの頃と同じ優しさで妾の唇に重なります。そして耳朶を吸い、舌先が首筋へと這い、両手が着衣と素肌の間へ滑り込んで参ります。
唇を吸われ、躰中を弄られ、思わず熱い吐息が漏れてしまいました。欲情のままに互いを擦り合わせ、貪り合い、与え合ううちに、妾は此処が図書館であることも忘れ、淫らな声を上げ続けていたのでございます。
荒らかに突き上げられる快楽に泣き縋り、妾は血が滲むほど強く爪痕を刻むのでございます。それに応えるかのように兄様は、獣のように激しく妾を突き上げるのでございます。
高まりゆく快楽の中、兄様の両手を自らの首へと導きました。
程なくして絶頂を迎え、妾が大きく仰け反ると同時に、兄様の両手に力がこもります。血流が堰き止められ、しばらくすると意識が遠のきました。やがて兄様の腕には更なる力がこもり、呼吸までもが堰き止められたのでございます。
快楽の余韻によるものか、はたまた窒息によるものか……妾の躰が幾度も波打つように痙攣いたしました。やがて波は収まり、操り人形の糸が切れるかの如く躰中から力が抜け、妾は事切れたのでございます。
しかし事切れてなお、兄様の両手は妾の首から離れることはございませんでした。なおも強く、首を締め続けいらっしゃったのです。
どれくらいの時間が経ったでしょうか……。兄様は夢から醒めるかのようにようやく自分を取り戻し、軋む両手を首から外されました。そしてしばらくの間、温もりを失いゆく妾を見下ろしていらっしゃったのでございます。
やがて兄様は妾のバッグから、小さなナイフを探り出されました。
膝立ちに妾の体をまたぎ、ナイフを手に身じろぎもせずに佇んでおいででした。躊躇していらっしゃったのだと思います。実の妹をあの世へ送り、あまつさえ首を切り落とそうというのです。ためらいが在って、当然でございます。
やがて兄様はゆっくりと、妾にナイフを突き立てたのでございます。ナイフの刃先が、静かに妾の首へ沈んでまいります。しかし首を切り落とすには、あまりにも小さいナイフでございました。繰り返し肉を切らねば、成し得ることは叶いません。
泣き濡れながら肉を裂き……嘔吐しては腱を断ち……口元を拭っては筋を切る……いったい何度繰り返されたことでしょう。ようやく震える両手で骨を外し、兄様はやっとの思いで事を成し遂げてくださったのです。
切り離した妾の頭を戴きながら兄様は、気が狂れてしまったかのように笑い続けておられました。まるで月に捧げる供物であるかのように、妾の頭を高く掲げながら……。
兄様の両手に抱かれた妾の顔は、本当に綺麗でございました。月明かりに照らされた傷だらけの顔は、自らの鮮血と兄様の吐瀉物に塗れてヌラヌラと美しく、そして妖艶に輝いていたのでございます……。
……さぁ、これで妾のお話は、お終いでございます。
此処で事切れて以来ずっと、妾は図書館で暮らしているのです。
この場所に……専門書立ち並ぶこの一角に、並々ならぬ思い入れがあったせいでございましょうか。天国へ昇ることは叶わず、すっかり此処に囚われてしまいました。
長いお話しでしたでしょ?
今日も最後まで聞いてくださって、とても嬉しいわ。
でも、これをお聞かせするのは、もう何度目になるのかしら……。
いえ、よろしいのよ。このお話は、妾も大好きなのですから。だってこの話だけは、静かに聞き入ってくださるのですもの……。
「ねぇ、兄様。まだ正気には、お戻りになりませんの?」
……やはりお返事は、いただけないのですね。
狂乱のうちに、妾の願いを聞き遂げてくださった兄様。後を追って一緒に旅立ってくださるだなんて……妾は本当に嬉しかったのよ。
天国で一緒になることを夢見ておりましたが、二人して此処に囚われてしまいましたね。
でも、妾は幸せですの。念願叶った思いでございます。だって図書館は大好きですし、何と言っても兄様と、ずっと一緒に居られるのですから。
どうぞこれからも、一緒に居てくださいまし。
何処へも行っちゃ嫌よ。
ずっとよ。これからも、ずっと一緒よ……。
(了)
「本当でございますが! 妾のお願い、聞き届けてくださるのですね……」
兄様は、力強く頷かれました。
退院してからずっと、泣いてばかりの毎日でした。涙などとうに枯れ果てたと思っておりましたが、兄様の優しさに触れて再び涙が滲んでまいりました。
「最後の思い出にどうか、お情けを頂戴できませんでしょうか。兄様に抱かれたまま、旅立ちとうございます……」
兄様の両手をとり、そっと妾の首へと導きます。
「どうか妾を抱いたまま、天国へ送ってくださいまし。そして妾が事切れたなら、どうか妾を……どうか妾の首を……」
妾は、この後に続く言葉を、繋ぐことが出来ませんでした。こんな願いは、口に出すことすら憚られます。こんなことを、兄様にお願いしても良いものかどうか……。言い澱んでおりますと兄様に急き立てられ、意を決して申し上げることにいたしました。
「……どうかこの首、切り落としてくださいまし」
突拍子もない願いに、さすがの兄様も絶句しておいででした。腕の中に居りましても、困惑の表情が伝わってまいります。
「惨いお願いであることは、承知しております。でも、このお顔で旅立つのは嫌でございます。バッグにナイフが入っております。どうか……後生ですから、どうか……」
煌々と照る月が、返答に窮する兄様と、腕に抱かれたままの妾を照らし続けておりました。腕の中から兄様のお顔を見上げますと、声も上げずに流れ出る涙が、月の光に煌めいておりました。
やがて兄様は涙に濡れたまま、妾の顔の傷ひとつひとつに沢山の口づけをしてくださいました。お言葉はございませんでした。ただただ、沢山の口づけをくださったのです。
兄様の唇が、あの頃と同じ優しさで妾の唇に重なります。そして耳朶を吸い、舌先が首筋へと這い、両手が着衣と素肌の間へ滑り込んで参ります。
唇を吸われ、躰中を弄られ、思わず熱い吐息が漏れてしまいました。欲情のままに互いを擦り合わせ、貪り合い、与え合ううちに、妾は此処が図書館であることも忘れ、淫らな声を上げ続けていたのでございます。
荒らかに突き上げられる快楽に泣き縋り、妾は血が滲むほど強く爪痕を刻むのでございます。それに応えるかのように兄様は、獣のように激しく妾を突き上げるのでございます。
高まりゆく快楽の中、兄様の両手を自らの首へと導きました。
程なくして絶頂を迎え、妾が大きく仰け反ると同時に、兄様の両手に力がこもります。血流が堰き止められ、しばらくすると意識が遠のきました。やがて兄様の腕には更なる力がこもり、呼吸までもが堰き止められたのでございます。
快楽の余韻によるものか、はたまた窒息によるものか……妾の躰が幾度も波打つように痙攣いたしました。やがて波は収まり、操り人形の糸が切れるかの如く躰中から力が抜け、妾は事切れたのでございます。
しかし事切れてなお、兄様の両手は妾の首から離れることはございませんでした。なおも強く、首を締め続けいらっしゃったのです。
どれくらいの時間が経ったでしょうか……。兄様は夢から醒めるかのようにようやく自分を取り戻し、軋む両手を首から外されました。そしてしばらくの間、温もりを失いゆく妾を見下ろしていらっしゃったのでございます。
やがて兄様は妾のバッグから、小さなナイフを探り出されました。
膝立ちに妾の体をまたぎ、ナイフを手に身じろぎもせずに佇んでおいででした。躊躇していらっしゃったのだと思います。実の妹をあの世へ送り、あまつさえ首を切り落とそうというのです。ためらいが在って、当然でございます。
やがて兄様はゆっくりと、妾にナイフを突き立てたのでございます。ナイフの刃先が、静かに妾の首へ沈んでまいります。しかし首を切り落とすには、あまりにも小さいナイフでございました。繰り返し肉を切らねば、成し得ることは叶いません。
泣き濡れながら肉を裂き……嘔吐しては腱を断ち……口元を拭っては筋を切る……いったい何度繰り返されたことでしょう。ようやく震える両手で骨を外し、兄様はやっとの思いで事を成し遂げてくださったのです。
切り離した妾の頭を戴きながら兄様は、気が狂れてしまったかのように笑い続けておられました。まるで月に捧げる供物であるかのように、妾の頭を高く掲げながら……。
兄様の両手に抱かれた妾の顔は、本当に綺麗でございました。月明かりに照らされた傷だらけの顔は、自らの鮮血と兄様の吐瀉物に塗れてヌラヌラと美しく、そして妖艶に輝いていたのでございます……。
……さぁ、これで妾のお話は、お終いでございます。
此処で事切れて以来ずっと、妾は図書館で暮らしているのです。
この場所に……専門書立ち並ぶこの一角に、並々ならぬ思い入れがあったせいでございましょうか。天国へ昇ることは叶わず、すっかり此処に囚われてしまいました。
長いお話しでしたでしょ?
今日も最後まで聞いてくださって、とても嬉しいわ。
でも、これをお聞かせするのは、もう何度目になるのかしら……。
いえ、よろしいのよ。このお話は、妾も大好きなのですから。だってこの話だけは、静かに聞き入ってくださるのですもの……。
「ねぇ、兄様。まだ正気には、お戻りになりませんの?」
……やはりお返事は、いただけないのですね。
狂乱のうちに、妾の願いを聞き遂げてくださった兄様。後を追って一緒に旅立ってくださるだなんて……妾は本当に嬉しかったのよ。
天国で一緒になることを夢見ておりましたが、二人して此処に囚われてしまいましたね。
でも、妾は幸せですの。念願叶った思いでございます。だって図書館は大好きですし、何と言っても兄様と、ずっと一緒に居られるのですから。
どうぞこれからも、一緒に居てくださいまし。
何処へも行っちゃ嫌よ。
ずっとよ。これからも、ずっと一緒よ……。
(了)