お待ちください。どうぞ、お待ちください。
 (わたし)の姿が見えてらっしゃるんでしょう? 妾の声が聞こえていらっしゃるんでしょう? どうか行かないで。どうか話を聞いてくださいまし。
 後生ですから少しだけ、少しだけお時間をいただけませんでしょうか。どうしてこんな所に住んでいるのか、どうして図書館に住まうことになってしまったのか、聞いてはくださいませんか。
 こんな奥まった場所まで来られる方は、あまりいらっしゃらないのです。(まれ)に人が来ても、妾の姿が見えないばかりか声すら届かない始末で……。だから、あなただけなのです。あなたしか、妾のお話を聞いていただける方は居ないのです。だからどうか、どうかお願いいたします……。
 本当でございますか! 聞いていただけるのですね!
 嗚呼、何とお優しい……ありがとうございます。ありがとうございます。感謝いたします。どうぞこちらへ。ほら、書架の前の長椅子におかけになって。妾も隣へ失礼いたします。
 さて、何処からお話ししたものか……。そうですね、まずは妾の事をお伝えいたしましょうか。妾はこの図書館で、司書をしておりました。三年間に渡り、此処に勤めていたのです。元来が本好きでしたので、天職だと思っておりました。来館者様のお相手は苦手でしたけど、それでも沢山の本に囲まれて幸せな職場でございました。

 妾には、兄が居ります。兄様とは幼少の頃より気が合い、周囲からも仲が良いと評判の兄妹でございました。
 妾が図書館に勤め始めた頃、兄様は結婚いたしました。結婚相手の兄嫁がまた良くできた方で、妾は御姉様(おねえさま)と呼んでお慕いしておりました。御姉様を一言で表すのなら、月並ではございますが才色兼備という言葉が相応(ふさわ)しいのではないかと思います。会話や立ち振舞に知性がにじむだけでなく、とても美しくお洒落にも詳しい方でした。
 一度など、妾の野暮な格好を見かねてお洋服を分けてくださり、お化粧の仕方まで教えてくださいました。その時ミツコという香水をいただいたのですが……ご存知でしょうか、あの香水。ボトルの形が……その、何と言いましょうか……その、男性の……シ、シンボルを、象っているのですってね。(からか)われているんじゃないかと思って妾、何度も何度も御姉様にお()きしましたのよ。でも、本当のことなんですってね。驚いてしまいました。お化粧品のデザインには、よく使われるモチーフなんですってね。

 あら、いやだ。お話が()れてしまいました。ごめんなさい。兄の話でしたね。
 兄様とは子供の頃から何処へ行くのも一緒で、我儘(わがまま)ばかり言って困らせたものでした。そんな妾の面倒を、兄様はよく見てくれました。
 妾、兄様のことが本当に好きでしたのよ。兄妹なんて言葉なんかでは、縛られたくないくらいに……。もちろん兄様だって、同じ様に思ってくださったわ。そう、恋人のような二人でしたの。心の底から通じ合っておりましたの。
 あの、それでね、どうぞ軽蔑(けいべつ)なさらずに聞いてくださいまし。妾たち、心ばかりでなく躰も通じ合っておりましたのよ。不道徳だとおっしゃるでしょうか。ふしだらだと、お思いになるでしょうか。しかし考えてもみてください。最も近しい存在に親しみが湧き、その感情がやがて愛情へと至ることに、何の不思議がありましょうか。
 幼き頃から仲睦まじく育った兄妹は、いつしか互いに愛し合うようになったのです。妾が女学生だった頃に初めて結ばれ、その後は家人の目を盗んでは情を交わしておりました。
 血縁同士愛し合うことが、周囲からどのように見られるのか……もちろん兄様も妾も解っておりました。しかし、禁じられるほどに燃え上がってしまうのが、愛の炎でございます。ましてや妾たちは、血を分けた文字通りの半身同士。互いが互いを欲し、狂おしいほどに求め合ったのでございます。

 そんな二人の関係にも、終わりの時がやってまいります。兄様が、妻を(めと)ることになったのです。
 (うち)の者は皆、見合いで結婚いたします。(ふる)い家でございますから、何をするにしても風習めいたものが付いてまわるのです。結婚のお相手を決めるのは両親、加えて親族会議で一族に(はか)ります。兄も親の決めた方とお見合いをし、すぐに婚姻を結ぶ運びとなりました。
 もちろん、妾は面白くありませんでした。家の定めることとは言え、納得ができるものではございません。兄様との関係が終わってしまうだなんて、考えたくもございませんでした。
 でも、兄様は言ってくださったのです。今までと変わらずに、妾を愛してくださると。妻への愛は仮初(かりそめ)のもので、本当の愛は妾と共に在るのだと……。

 兄様は結婚と同時に、御姉様と新居に移られました。ひとつ屋根の下で共に暮らしてきた兄様が居なくなってしまい、それはそれは大きな喪失感を味わったものでした。兄様は寂しさを察してくださり、妾の務める図書館へと足繁く通ってくださるようになったのです。
 此処なのです。ちょうど、この場所なのです。建物の一番奥まった場所。司書でさえ滅多に立ち入らない、学術書が立ち並ぶ一角。ここで兄様は、何度も妾を抱いてくださいました。閉館時間が近づき人が(まば)らになった頃、書架の陰に隠れて妾をお抱きになるのです。
 こんな所で実の兄妹が睦み合っていると知れれば、兄様も妾も身の破滅でございます。しかしあの頃の二人は、求め合わずにはいられなかったのです。場所を選んでいる余裕はございませんでした。
 着衣のまま抱き合い、兄様は強く唇を吸いながら、ゆっくり、ゆっくりと挿し入れてくださいました。見つかってしまうのではないかという不安に(おび)えながら、()らすが(ごと)き緩やかな侵入に身悶えいたしました。着衣に隔てられ、唇と下半身だけが繋がっているという奇妙な感覚に昂《たか》ぶりました。声を漏らすことの出来ない歯がゆさ、そして素肌を重ねることができないもどかしさに、気が違ってしまいそうでした……。
 妻が在りながら妾を抱いてくださる喜び、御姉様よりも愛されているという優越感、血の繋がった者同士が交わる背徳感、そして知の集積地を(けが)していることへの罪悪感……躰を突き上げる快楽に様々な感情が絡みつき、我を忘れるほどの愉悦(ゆえつ)に堕ちてしまったのでございます。