塾の踊り場は、少し広めだ。
「なあ、見ろよ隆斗! 太雅も!」
「なんだよ、彰吾!」
「この縦パスからのシュートだよ! めっちゃ強えんだよ!」
「あー、うるせえ、おれはバスケしか興味ねえんだよ! あー、トイレしてー」
「トイレしてーってなんだよ気持ちわりー」
「あ、うるせえ隆斗、一緒にトイレ行くぞ!」
「いや、おれはサッカーを見たい……」
「あ?じゃあ、一人で行くわ」
 そのまま勢いよく階段を下りて行く。
「あ、夢佳ちゃーん! あれ? 髪型ハーフアップに変えたの?」
「うっせえ黙れ」
「うっ……」
 なんか、不憫でならない。おれも、一緒にトイレに行ってあげればよかったかな。
「お前らも邪魔。ふあー、眠い。」
 おれと彰吾は、すっとどいた。
 そのまま、夢佳は教室へと入っていった。
「あいつオフモードなんやねん」
「それより隆斗! 早く見て!」
 ディフェンスから、ミッドフィルダーの真ん中のポジション、ボランチへとボールがわたる。
 ボランチはすっとキャッチして、右サイドへとボールがわたる。
 そこに、すぐに相手のプレッシャーがかかる。
 そして、またボランチにボールが戻る。
 そして、今度は左側へと体を向ける。
 相手チームのミッドフィルダーが、さっと左側へと走る。
 瞬間。
 真ん中が、空いた。
 そこへと、縦方向に一気にパスを送った。
「ボランチってね、心臓のような役割を果たしているの。おれもそうなんだけどさー、なかなか難しくて。めちゃくちゃ頭使うし、技術いるし」
 柄多めのシャツに短めのツーブロック、短パンで目がくりっとしている小柄な彰吾は、声をさっきより大きくする。
「来た! 来たよ!」
 縦方向に贈られたパスは、フォワードへとつながる。
「ターンしました!」 
 実況の声が響く。
「オフサイドはありません! キーパーと1対1!!」
 そのまま、フォワードがゴールを貫いた。
「ゴーーーール!」
「はい、席戻れー」
 小谷先生の声がした。
 後ろを見た。 
 太雅だった。
「なんだよ―びっくりしたじゃんかよー」
「へへっ」
「あれー、なんか今、おれの声がしたなー。分身かなー」
 下から黒縁メガネの丸っこい小谷先生が階段を上ってくる。
「やべっ!」
 彰吾はすぐにスマホをしまった。
 おれ達3人は、急いで教室に戻った。

「はい、夢佳。y=ax²でpからqに変化するときの変化の割合」
「a(p+q)でーす」
「なんだその態度は」
「ダリーんだよいちいちー」
「なんだその態度は」
 同じ言葉をかぶせ、少し笑いが起こる。
「ダリーんだよいちいちー」
 なんだこれデジャヴ!?
「とりあえず夢佳、お前、寝ろ」
 そう先生が言うと、夢佳はすぐに机に伏せた。
 その間、3秒間。
 大きな、ガチ目のいびきをかきながら、完全に寝入ってしまった。
 教室中は、爆笑に包まれた。
 ボランチ。陣地の、ど真ん中のポジション。
 いつも、彰吾にサッカーを見せてもらっているから、覚えてしまった。
『ボランチってね、心臓のような役割を果たしているの。おれもそうなんだけどさー、なかなか難しくて。めちゃくちゃ頭使うし、技術いるし』
 頭使う、技術がいる。
『この縦パスからのシュートだよ!めっちゃ強えんだよ!』

「おい、隆斗」
「は、はい」
 急に古田先生に当てられた。
「ワイマール憲法で保障された権利は何だ」
 ワイマール憲法、ワイマール憲法……。
「社会権です」
「正解。そして、日本は……」
 危ない危ない。さっき授業でやった問題でよかった。
『ボランチってね、心臓のような役割を果たしているの。おれもそうなんだけどさー、なかなか難しくて。めちゃくちゃ頭使うし、技術いるし』
『この縦パスからのシュートだよ! めっちゃ強えんだよ!』
 真ん中から縦にパスをつなげて、フォワードがシュートを決める。
 それが、めっちゃ強い。
 夏休みにいつもサッカーを見せてくれていた彰吾が言うんだから、そうに違いない。
 体育は、4だった。
 体育の内申を、5にするには、どうすればいい。
「思考・判断・表現」
 考える。
 判断する。
 表現する。
『この縦パスからのシュートだよ! めっちゃ強えんだよ!』
 縦パスを成功させれば、それが評価されるんじゃないのか……?
 俺は、頭を使うボランチにつく。
 思考。
 そして、縦にパスをする。
 判断。
 正確に、確実なパスをする。
 そしてそれを、ストライカーが決める。
 表現。
 これを成功させたら、体育の「思考・判断・表現」をAにすることができる、つまり、体育の内申を5にできる……!
 縦パス……。
 そんなことが、サッカー部じゃない俺に、できるのか……?
 いや。
 1人じゃ無理だ。
 ストライカーが。
 必ず、ストライカーが必要だ。
 誰かに。
 誰かに、頼まなきゃ。
 誰に頼む。
 誰に……。
 瞬間、一年の頃のことを思い出した。
『俺は、高校に入ったら、春高で全国に行きたい! 春高バレーってあってさ、メッッチャ強い人たちが、全国にテレビで放送されるの! 俺はそこで、最高の、俺のスパイクを、全国に見せつけてやるんだ……! だから、中学もバレー部に入って、練習するんだよ!』
 ……俊太なら。
 今は変わってしまったけど、俊太なら。
 運動神経、抜群の俊太なら。
 持久走でも必ず1位を取ってくる俊太なら。
 サッカーで、最後にシュートを決めることもできるんじゃないか……?
『確かに、お前ってクソ真面目だけど、機転が効くとかそういうタイプじゃないよな』
『俊太って、天才的に、結構考えるの得意だったりするから、俊太の動きをよく見るといいかもよ』
 大雅の言っていた意味は、まだ完璧に理解できているわけではないけれど。でも。
 どんな場面でも、俺と違って機転を効かせられる俊太なら。
 ……うまく、行くんじゃないか……?
 
 理科室からの、俊太との帰り道。
 西陽で照らされた渡り廊下は、幻想的だ。
 ……誘う。
 ここで、俊太を誘う。
「サッカーのパス練習、2人でしない?」
「……ええ、めんどくさい」
「いいじゃん、ジュース奢るから」
「……ジュース奢ってくれんの? てか、学校に金持ってきてんの?」
「持ってきてるよ」
「学年1位なのに校則破ったりするんだね」
「その学年1位なのにってやつ、やめてくんない?」
「ああ、ごめん」
「てかさ、俊太、いっつもめんどくさ〜いとか言ってるけど、夢とかなんかないの?」
「そんなのねえよ」
 そんなん、ねえか……。
「1年の頃からそんな感じだったっけ」
「そうなんじゃね」
「まあいいや、ちゃんとサッカーこいよ」
「あーわーったよ」
 ……よっしゃ!
 今、こいつ、わかったよって言ったよな!

 来てくれる!
 今日、放課後!
 あの、めんどくさがりの俊太が!
 俺とのサッカーに、付き合ってくれる!
 よっしゃぁぁぁぁ! やったぞ!
 これで体育を5にする準備は整った!