俺は、俊太に否定され続けてきた。
 でも、俊太に勝負を仕掛けた。
 俊太に、冬月に、「音楽が好き」って言わせる勝負を。
 そして、そんなアーティストになるのが、今の俺の夢だから。
 この前。
 3月1日。
 内申でオール5を取った時。
 その夢に、大きく近づけたんだ。
 そして、その試験の本番が今日。
 ほとんどの教科は、過去問のように解けた。
「練習は本番のように、本番は練習のように」
 校長先生が、長い話の中でいつも言っていた。
 そう、なれるまで、夏休みと冬休み、そして直前。
 対策したから。
 しかし。
 今直面しているこの問題。物語文の登場人物の心情を求める問題。

「綾」
「……美沙!」
 美沙は、息を切らしてアスファルトを走り、改札の前の綾のところに駆け寄った。
「綾。これ」
「これは……?」
 美沙が渡したのは、ソフトボール部のみんなで寄せ書きをした、帽子だった。
 世界に1つだけの、綾専用の帽子だ。
「美沙……」
 綾は、もう覚悟を決めていたつもりだった。
 でも。
 また。
 転校したくないって、思ってしまった。
 綾は、涙を流しながら、言った。
「美沙、私たち、別々の学校に行っても、友達だからね」
「当たり前じゃん。A『ずっと、友達だから』」
 美沙は、綾につられ、少し涙を流しながらも、笑った。

 ソフトボール部で、転校する友達に寄せ書きを渡す場面が切り抜かれて、問題として出されている。

問5
A「ずっと友達だから」について、この時の綾の気持ちとして最も適切なものを、次のア〜エから選びなさい。
 
 ……え?
 綾の気持ち……?
 多分、みんなと別れたくないとか、そんな感じじゃ……。
 やっぱり、こういう問題、苦手な気がする。
 だって、おれ。
 綾じゃないから。

ア: 改札までわざわざ来た美沙の気持ちがわからず、困惑する気持ち。
 
 別れたくない、から泣いたんだと思う。
 だから、これは、違う。

イ:車で来た美沙に対し、体力があるな、と思う気持ち。

 まず車で来てないし、なんで車で来たのに体力があるなって思うんだろうか。
 だからこれも、違う。

ウ: アスファルトを全力で走って、綾のうちから少し遠い公園で待っていたにもかかわらず来てくれて、寄せ書きまで渡してくれて、別れる覚悟があったにも関わらず、別れる決心をしかね、悲しんでもどかしい気持ち。

 これは、あるかもしれないな。
 別れる覚悟があったのに、決心ができない。から。

エ:全力で走って来た綾に対し、すごいと思う気持ちと同時に、嬉しい気持ち、そして、そんな友達を持って良かったと思うと同時に、別れを惜しむ気持ち。

 これも、あるかもしれない。
 全力で走って来た綾に対し、すごいと思う……。
 そんな友達を持って良かった……。
 そんなこと、書いてあったか。
 いや、でも。
 おれは、綾じゃない。
 心の中まで、わからない。
 じゃあ、ウのもどかしい、も、文章に、書いてない。

 これ、内申より理不尽じゃないか。
 
 どうすればいい。
 やばい。
 全然わからん。
 
 その時。
 消しゴムを、落としてしまった。
 手を挙げても、試験官に、気付かれない。
 どうしようか。
 悩んでいると、隣から、消しゴムが、飛んできた。
 隣を、バッと、みた。
 
 隣の人のその目は、黒く、全てを飲み込んでしまいそうな……。
 
 あの日。
 全中予選の日。 
 面の中に見た。

 ……思い出す、幼稚園の頃の記憶。
『慧汰君』
『なあに』
『お城壊してごめんね』
『じゃあ、泥団子対決で、おれより硬い泥団子、作れたらいいよ』
『望むところだ』
 水、泥。そして、白砂。
 その配合バランスは、毎日、公園の砂場で練習をしていた。
『うわー、負けたー。やっぱ、隆斗君つよいなー』
『へへへ』
『許してあげる。あと、僕の方こそ、いっぱい怒ってごめん』
『いいよ。泥団子、いっぱい作ろ』
 そうして、年長からだったが、俺と慧汰君は友達になった。
 しかし。
 その、1週間後。
 父親の仕事の関係で、俺は、1年間、タイに行くことになってしまった。
『ありがとうございました』
 俺は、挨拶をした後、みんなの顔を、泣いているみんなの顔を見るのが、悲しすぎて辛いから。
 走って、母親のところに行き、すぐに保育園を出た。
 そして、保育園を出て、100メートルくらい。
 慧汰君は、走って、俺に、追いついた。
 息を切らした慧汰君は、おれに、1枚の色紙を渡した。
『これ』
 それは、みんなからの、寄せ書きだった。
『りゅうとくん、ありがとう』
『りゅうとくん、たいにいっても、がんばってね』
『ぼくたちのことを、わすれないでね』
 みんなの寄せ書きを読んでいると、慧汰君は、おれの方を、見て、言った。
『次、会うときは、絶対に勝つから。あと』
 黒く、全てを呑み込んでしまいそうな目から、涙があふれた。
『隆斗君、僕たち、別々の学校に行っても、友達だからね』
 俺も、慧汰君につられて、泣いた。
『当たり前じゃん。ずっと、友達だから』
 そう言ったら、少しだけ安心して、泣きながらも、笑った。

 そして。
 名前のところを見た。
「西中学校 神代慧汰」
 あいつは。
 神代は。
 幼稚園の頃の友人、慧汰君だったんだ。
 消しゴムに、メッセージが書いてある。
「隆斗君。一緒に高校に入れたら、たくさん、勝負しような」
『そういえば、剣道も結構、強いらしいよ』
 そうだ。
 横に、神代が、いる。
 おれは、前、神代に。慧汰君に。
 負けたんだ。
 次は。
 勝たなきゃ。
 また、勝負しなきゃ。
 剣道、強く、ならなきゃ。
 神代も、音楽科受けてるなら。
 神代より、いい成績、取らなきゃ。
 
 そのためには。
 この試験、クリアしなきゃ。
 さっきの物語を、もう一度、読み返した。
 
 ……待てよ。
 別れ際に引き留め、寄せ書きを渡し、2人で泣く。
 おれ、全く同じことを、体験してるじゃん!
 
 じゃあ。
 おれは、あの時。
『当たり前じゃん。ずっと、友達だから』
 どんな気持ちだった。
 思い出せ。
 落ち着け。
 思い出せ。
 少し、遠くまでだったのに走ってきてくれて、決めてたのに、もう帰るって決めてたのに、そのために走ったのに、別れたくないって思って、悲しくて、もどかしくて。
 でも、走ってきてくれたことが嬉しくて。
 こんな友達を持ててよかったって思って。
 別れが惜しくて。 
 あと。
 こいつ。
 よく追いついたなって。
 すごいなって、思った……。
 あれ。 
 「ウ」と、「エ」に書いてある事柄、全ての感情、気持ちだった。
 じゃあ。
 いや、でも、これ、綾の気持ちだから。
 綾の気持ち……?
 まて。
 おかしい。
 こんなこと。
 おかしくないか?
 どちらも正解。
 逆に、どちらも間違いかもしれない。
「判断できない」
 が正解。
 でも、それじゃだめだ。
 おれの目的は、この高校に合格すること。
 考えろ。
 答えを。 
 どちらを選ぶべきかを。
「発想の転換」
「コペルニクス的転回」
『何かを、とにかく考えることだ』
『落ち着け!』
『落ち着いて、考えることができれば、岩田はしっかり勉強するから、解けるようになると思う』
 落ち着いて。考えろ。
『お前は、今を生きているんだ!過去でも、未来でもない! 今、お前は何をしている!』
 そうだ。
 俺は、今、幼稚園に通っているわけではない。
 高校に、入学したわけでもない。
 おれは今。
 
 問題を、解いている!
  
 そう。
 俺は。
 気持ちを考えている以前に。
 問題を、解いているんだ。
 問題を。

問5
 A「ずっと友達だから」について、この時の綾の気持ちとして最も適切なものを、次のア〜エから選びなさい。
 
 この時の綾の気持ちについて

 この時の

 そうか!
 俺が選ばなければいけないのは、「綾の気持ち」よりも。
 本当に、「この時」なのか、どうかだ!
 もう一度、本文を読み返す。
 美沙は、アスファルトを走り、改札の前で話しかけ、寄せ書きを渡し、泣き、そして、綾も泣いた。「この時」の気持ち。


ウ: アスファルトを全力で走って、綾のうちから少し遠い公園で待っていたにもかかわらず来てくれて、寄せ書きまで渡してくれて、(気持ち)。

エ:全力でアスファルトを走って来た綾に対し、(気持ち)。

 2人が会ったのは、改札。
 公園では、ない!
 場所が、違う!
 そういうことか!
 気持ちが違うのではない。
 状況。場所の方が、微妙に変えられているのだ!
 こうすれば、「確実に」答えを絞れる。
 正しいのは、正確に場所が書いてない、「エ」だ!
 
 なんだ。
 理不尽かと思ったら。
 理詰めで。行けんじゃん。

「隆斗君。久しぶり」
「ああ。慧汰君、久しぶり」
「何年ぶり? 12、3年とか?いや、半年ぶりか。」
 その言い方。口ぶり。そして、目。
 強いやつの、それだ。
「ああ。久しぶりだな。神代」
「こっちこそ。岩田。お前の小手、ガチで強かったぞ」
「ああ」
「でも、勝ったのはおれだ」
「負けた。けど。この高校に受かったら、たくさん剣道ができる」
「ああ」
「あ、慧汰」
「ん?」
 おれは、消しゴムを渡した。
「消しゴム、ありがとう」
「あ、ああ。当たり前だ。友達だろ?」
「……ああ。ずっと、友達だ」
 おれたちは、笑いあった。
「慧汰。受かるといいな、秋楽園」
「そうだな、隆斗」

 俺は、夢佳と大雅と一緒に秋楽園高校へと向かっていた。
 大雅はスポーツ推薦で一足先に秋楽園に受かっているはずなのに、なぜか一番緊張していて、よく話す。
「まさか塾メン全員秋楽園受けてるなんてな」
「確かに、夢佳も志望校ここだったんだな」
「……私は、美大に行きたいから」
 そっか。夢佳は、美大志望なんだ……。
「そっか……。あー、緊張する」
「私は緊張しないけど」
 そういう夢佳の手はプルプル震えている。
「いや、手震えて……」
「うっせ」
「震えて」
「うっせ」
 夢佳も緊張してるんだな……。
 雪が、降ってきた。
 それが、マフラーにかかる。
 校門が見えてきた。
「……いよいよだな」
「うん」
「ああ」
 人だかりをよく見ると、黒縁メガネの人がいる。
 ……塾の、小谷先生だ!
「小谷先生!」
「おお、3人じゃん!お前ら、緊張するなー、フゥー!」
「……緊張します」
「大丈夫だよ。特に隆斗、お前、オール5になるまで頑張ってたからな」
「ありがとうございます」
「夢佳、お前も大丈夫だ」
「先生……」
 夢佳が震える声で話す。
「不安です、先生。受かっているのかどうか、落ちていたらどうしよう……」
「夢佳。お前は、内申を取るために頑張ったの、俺はよく知っている。自信を持て」
「でも」
「夢佳なら大丈夫。俺はそれを知ってる」
「……ありがとうございます」
 高校に入ると、大きなベニヤ板が何枚もあって、それが黒い幕で覆われている。
 今は9:50。10:00になったら、それが開く。
「いよいよだな」
「……うん」
 俺の受験番号はA506。

 黒い幕が、下ろされた!
 A506、A506……
『……結構、無謀な挑戦なんだよね、秋楽園高校の音楽科に入ることって。オール5を取らないといけないから』
『うん』
『……それでもさ、無理だって思ってもさ、やってみたら、ワクワクできるかな』
『……出来るさ。この星空みたいに、俺たちには、無限の可能性があるんだよ』
 A506……
『人の心を、気持ちを動かせるような音楽を、作って、歌って、届けたい……あれ、俺何言ってんだ!?』
『お前……すげえじゃん!』
『え……?』
『すげえ夢じゃん!』
 ないかな……
『あの青空の下の時は、俺も何も言えなかったよ。でも、今なら言える。無理だと思えることだって、やってみればいーじゃん! そうだろ!?』
 A506……
 ……あった。
 あった!
 あった!
 やった!
 受かった!
「ねえ! 大雅! あった! あったよ!」
「マジ? 受かった? やったー!」
 大雅と俺は、手を合わせて喜んだ!
 受かった!
 受かってた!
 今までの努力が!
 実った!
 よかった!
 夢佳が手を振りながら走ってきた!
「私もあったよー!」
「ほんと!? よかった! 俺もあった!」
「本当? やった! 3人とも同じ高校じゃん!」
「やったー!」
 3人で、空を見た。
 雪は晴れ、青い空が出ていた。
 俺たちを未来へと連れて行ってくれる、青い青い空が。