「なあ、大雅、鑑賞テスト、不安で仕方ないんだよ」
「だーい丈夫だって、隆斗なら、大丈夫……」
「そんなに……そんなに、余裕、ないんだよ!」
「え……」
「だって、俺、5、取らないといけないんだよ! 全部の教科で! 1学期、4が4つもあったんだよ! 鑑賞テスト、今学期多分今回しかないんだよ! だから、今回に、今回にかかってる!今回の鑑賞テスト、うまくいかなかったら……うわぁぁぁ」
「お……落ち着け! お前は、今を生きているんだ! 過去でも、未来でもない! 今、お前は何をしている!」
「音楽室に、太雅と向かっている……」
「そう! 音楽の鑑賞テストをしているわけじゃない! 今お前は、音楽室に向かっているんだよ! 未来のことは、未来のお前に託せばいい。お前は、一瞬一瞬を、大切に進めばいいんだよ! ただ、それだけだ! ほら、チャイムが鳴りそうだから、行くぞ!」
「……うん!」
 隆斗と太雅は、足早に、音楽室へと向かった。

「難聴の天才作曲家、ベートーヴェン。この曲は、彼が難聴を自覚し始めたときに作られました。でね、この曲を作った後も、数々の名作を残しています。そして、この曲の代表的な部分、『ダ・ダ・ダ・ダーン』という部分について、ベートーヴェンは、『運命が扉を叩く音だ』と、言ったらしいですよ〜。それでねえ〜、これはとても、大切な機会だと思います。だってあなた達、自分から聞こうとしないでしょ〜……」
 長い解説が終わると、曲が流れ始めた。

 ダ・ダ・ダ・ダーン!と、流れる。
 その後には優しい曲調になり、また、迫力のある音が繰り返された。
 その後、一瞬音楽が止まり、そしてまた、優しい曲調になった。
 そして、何かが迫ってくるように大きな音になっていき、オーケストラ全体で締めくくられた。
 3秒後。
 ダ・ダ・ダ・ダーン!と、流れる。
 その後には優しい曲調になり、また、迫力のある音が繰り返された。
 その後、一瞬音楽が止まり、そしてまた、優しい曲調になった。
 そして、何かが迫ってくるように大きな音になっていき、オーケストラ全体で締めくくられた。
 3秒後。
 パ・パ・パ・パーン、と、流れる。
 その後は、優しい曲調になり、また、迫力のある音になった。
その後一瞬音楽が止まり……もっと激しい曲調になった!
 そして、何かが迫ってくるような曲調になった。
 そして。
 3秒後。
 ダ・ダ・ダ・ダーン!と、流れる。
 その後には優しい曲調になり、また、迫力のある音が繰り返された。
 その後、一瞬音楽が止まり、そしてまた、優しい曲調になった。
 そして、何かが迫ってくるように大きな音になっていき……。
 どんどん、音が大きくなっていく!
 そして! 
 ダ・ダ・ダ・ダーン! と、一番迫力のある音が使われた。
 その後には優しい曲調になり、迫力のある音に変わり、音楽は、締めくくられた。
「もう一度流しますね〜」
 やっぱ、変わってる。
 なんで、ダ・ダ・ダ・ダーンを分け目にして、同じような曲調が続くのか。そして、少しずつ、変えるのか。
 なぜ。
 なぜ、同じ曲調を続ける。
 なぜ、同じ曲調を続けるんだ。
 考えろ。
 考えるんだ。
『「ダ・ダ・ダ・ダーン」という部分について、ベートーヴェンは、「運命が扉を叩く音だ」と、言ったらしいですよ〜』
 扉を、叩く……。
 扉を叩いたら、過去のメロディーに、戻る……。
 過去に、戻っている……?
 過去に戻ることができるのは、フィクションの世界だけだ。過去に戻ることは、よく、「タイムリープ」や、「タイムトラベル」と呼ばれる。
 タイムリープをすれば、この後どんな幸せが、不幸が起こるかを知ったうえで、それが起こる前に戻れる。
 そして、タイムリープ系の作品の主人公たちは、運命を変えるために、過去に戻る。
 しかし。
 タイムリープ系の作品って、結局、過去に戻っても、変えたかった事実を、変えられなかったりするよな。事実だけ変えても、例えば、誰かを危機から救っても別の事件が起こったりするよな。
 過去を変えても、怒る不幸を変えることは、できない……。
 何度も同じ曲調が流れるのは、どれだけ頑張っても、未来を変えることができない……。
 どれだけ頑張っても、未来を変えることができない……?
 運命は扉を叩き、同じ道をたどる。
 だから、運命を変えることは、誰にも、できない……。
 それを、書きたかった。
 伝えたかった。
 それが、ベートーヴェンの願い……。
 俺は、プリントに、今考えたことを書こうとした。
 先生の方を見た。 
 うとうとしている。
 ふと。
 先生が最初言った言葉を思い出した。
『難聴の天才作曲家、ベートーヴェン。この曲は、彼が難聴を自覚し始めたときに作られました。でね、この曲を作った後も、数々の名作を残しています』
 難聴を自覚し始めた時に作った……?
 そんなタイミングで、そんなメッセージ性の曲を、作るのか……?
 考えろ。
 なんだ。
 ベートーヴェンの意図は。
 なんだ。
 全然、わからん!
 やばい!
 時間内に、分かるのか!
 おれは、この曲が!
 今日の鑑賞テストができなければ、音楽の評価が……!
『落ち着け!』
 さっきの俊太の言葉が、頭の中で響いた。
『お前は、今を生きているんだ! 過去でも、未来でもない! 今、お前は何をしている!』
 今、何をしている……。
『音楽室に、太雅と向かっている……』
 違う。
 今のおれは、鑑賞テストを受けている……!
 でも、さっきの、「今のおれ」は、確かに、音楽室に向かっていた。
『お前は、一瞬一瞬を、大切に進めばいいんだよ! ただ、それだけだ!』
『落ち着いて、考えることができれば、岩田はしっかり勉強するから、解けるようになると思う。この考え方はほかの教科にも絶対に役立つ。』
 落ち着いて……。
 目を閉じろ……。
 扉。
 今、おれは、何をしている。
 目を閉じている。
 さっきまでのおれとは違う。
 目を閉じて、落ち着いている……。

 そうか!
 ベートーヴェンの言う扉は、次の「今」へ進むための扉!
 確かに、毎日同じような日常かもしれない。
 同じような日常だから、扉を叩いて開き、次の「今」に進んでも、同じようなメロディーが、流れている。
 その中で小さく変化するのは、小さく変化のある日常だから。
 でも、たまに、大きな変化もある。
 嫌な変化も、いい変化も。
 たまに、扉を開いたら、自分が倒せないような大きな敵が待ち受けていることもある。
 その敵に、コテンパンに倒されることも、あるかもしれない。
 でも。
 それでも。
 おれ達は。
 おれたちの運命は。
 扉を、叩き続けることができる。
 今を、次の今へ。
 未来へ。
 進ませることが、できる……!
 そう、同志たちに。おれ達、人間に。
 ベートーヴェンは、言い聞かせたのかもしれない。
『この曲を作った後も、数々の名作を残しています』
 過去へ戻っても変えられない運命のことを伝える音楽ではない。
 この、音楽は。

 おれ達を。
 何度も挫折する、おれ達を。
 
 未来へと進ませる曲だ……!
 これが、この曲の、答えだ……!
 た、多分……。
 俺流にこの曲を考察した結果が、これ……。
 考察……?
 考察、ってことは、「思考・判断・表現」に繋がるんじゃないか……!?
 そうか!
 鑑賞テストのミソは!
 曲を聴いて、その曲の意味を、作曲者の意図を「考察しろ」ということか!
 これなら!
 狙える!
「思考・判断・表現」で、Aを!
 つまり、音楽で……!
「5」を!
 狙える……!
 ……ふと。
 数学の先生の言葉を、思い出す。
『自分の考えたことを「表現する」ことも、おれたち教師にとって、生徒の「思考・判断・表現」をする力を評価する、大きな材料になる』
 ってことは!
 イラストとかで表現しても、いいのではないか!
 俺は、白紙のA4の鑑賞用紙に、長い一本道を描いた。
 そして、そこに、いくつもの扉を描いた。
 その間に、宝や、モンスターなどをいろいろ描いた。
 そして。 
 モンスターを倒し、1つの扉を開ける自分を、真ん中に描いた。
 最後に、一言。
「この曲は、俺たちを未来へと進ませる曲だ」
 そう書いた。
「はい、やめー! 後ろから集めてください!」
 
 疲れた。
 でも、なんか。
 ドキドキした。
 俺たちを、未来へと進ませる曲。
 俺の、未来って。
 どんなんなんだろう。
 無理だって思って、やっていたけど。
 数学も、理科も、体育も、音楽も。
 なんとか、「5」に、塗り替えられそうで。
 希望の光が、俺を未来へと、進ませている気がする。

 俺は、2学期の通知表を、震える手で、開いた。
  
 オール5だった!

 よかった!
 2学期は、オール5を取ることができた!
 体育のサッカーも、音楽の鑑賞も、数学の証明も、何とかうまくいったみたいだ。理科はテストでどうにかしてやった。
 俊太が、振り返ってきた。後ろからちょんちょんとしてきた。
 俺は、後ろを振り返った。
「……通知表みせてよー」
『4が4つもあるじゃん。3学期の総合評価でオール5で揃えないといけないんでしょー? 無理じゃん』
『無理じゃないし』
『無理じゃん』
 今だったら。
 オール5を取った今だったら。
 俊太だって。
 俊太だって。
 認めて、くれるかな……。
「はい、これ、通知表」
「5、5、5、5……全部5じゃん、すご」
「だろ?」
「……でも、秋楽園高校に行くには3学期の内申でオール5を取らないといけないんでしょ? 1学期41だったら」
 瞬間。
 俺の中の何かが、ズン、と、のしかかった様な感覚に陥った。
 それは、希望の中に浮かんでいる絶望が、顔を出した瞬間だった。
「……うるせえよ」
「……は?」
「何も努力してないお前に、何がわかるっていうんだよ……!」
「……何もわかんないけど。努力しても意味がないから、努力をしてないだけ」
「じゃあお前はどうなんなよ! バレーで全国に行くって言って、どっか行きたい高校でもあんのかよ!」
「……してないけど。だって、無理……」
「お前、そんなんで、悲しくないのかよ……」
「……悲しい」
「……へ?」
「なあ、隆斗。胸が、ズキズキ痛むよ。何なんだろう、この感情。めっちゃ、胸がズキズキ痛むよ。悲しいよ。どうでもよかったはずなのに。夢は無理だったはずなのに。諦めてたはずなのに。なのに。そう、思えば思うほどに、胸が、ズキズキ痛いんだよ!」
 背筋がゾクっとした。
『でもさー、りゅーと、なんでだろー、なんか、こんな感情を思い出すたびに、すごく、ものすごく……辛く、悲しくなる……』
 ……俊太の今の感情が、よくわからない……。