赤とんぼが姿を見せなくなって、紅葉も降り止んだ秋終わり。手をポケットに突っ込みながら、開園を待つ。

 栞とのデートから半月後。久方ぶりに久遠と遊びに来ていた。久遠が「寒いねー」と呟くのに相槌を打ちながら、冬の訪れを感じる。

 久遠は薄ピンクのトレーナーに白色のオーバーサイズシャツ、水色のワイドパンツと女の子らしい服を身に纏い、まだかまだかと列に並んでいる。

 いったい、数年前の彼女はどこに行ってしまったのか。そんな視線に気づいたのか、久遠は「へへーっ」と舌を見せる。

「可愛いでしょ?」

「まあ、うん」

 特に面白いネタが思いついたわけでもなかったので、生返事で答える。

「うわっ、そんな素直に答えないでよ。蓮にファッション褒められると不安になるんだから」

「遠回しに俺のファッションセンスの無さ煽るのやめてね?」

 いつもの如くディスられていると、開園したのか列が動き出す。高めのチケットを買って、二人で写真を撮ってから入場。園内には聞いたことがあるような洋楽が爆音で流れている。

「よし、私について来て!」

「どこ行くの?」

「着いてからのお楽しみ」

 そう言って、久遠は大きなテーマパークの中を右へ左へ進んで行く。どこへ行くのかと曲がり角の看板を見て、俺は自分の目を疑った。

 鼻歌混じりで歩く久遠が行きそうな場所ではない。気のせいだろうと思っていたが、目的地に着くと自分の目を信じざるを得なくなった。

「本当にここ行くの?」

「行くよ。高校生にもなってお化け屋敷が怖いなんて言わないでね」

「いや、俺はいいんだけど……」

 俺が心配しているのは久遠の方だ。小学生の修学旅行で、俺たち二人はお化け屋敷に入ったことがあった。そして、そこでの彼女の振る舞いは、阿鼻叫喚と表現するに相応しかったのを覚えている。

 耳鳴りのように甲高い声で喚き、鼓膜が破れそうなほど大きな声で叫ぶ。俺の名前を呼ぶや否や、服の中まで入り込んできた記憶がある。そのあとは顔を濡らす彼女を付きっきりで宥めたのだ。

 掘り返した記憶を埋め直しつつ、もう高校生だし大丈夫だろうとフラグを建設していく。待ち時間は二十分程度。休日ということもあり、人も多く何時間も待たされるのは嫌だな、と気分が滅入る。

 久遠はこういった待ち時間には慣れてそうだ。友達と来ているならそれも頷ける。

「友達とかとよく来るの?」

「そうだね、遊園地は何回かあるかな。基本はカラオケとかフェスとかだけど」

「へー、確かに毎回は疲れるか」

 アトラクションに関しちゃ得意不得意もあるし、案外そんなものなのか。

「遊園地だとイヤリングとか付けられないしね。前髪も崩れちゃうし、オシャレな靴は足痛くなるし、本当に大変なんだから」

「そっか…………」

「どうしたの?」

「いや、なんか普通に高校生やってるんだなって思って。昔の久遠はメイクとかファッションとか二の次だったから」

 もう小学生からの仲。そりゃ隣で見ていたら変わるものも変わらないものもあるわけで、それを改めて分からされた。そして、密かに怖がりが治っていないか期待してる。

「蓮は昔から変わらないよね。いや、最近はそんなことないか……」

「どうだろ」

 そういうのは自分じゃ気づきにくかったりするもの。それでも俺は変わらない方なのかも。途端に恥ずかしくなって、話をすり替える。

「そう言えば、栞と一緒に遊んだとき久遠のプレゼント使ってたよ」

 初心者用なのに加え、初めて人に見せたと言っていた割に様になっていたのを思い出す。

「そっか、大事な日に使わせてもらうって言ってたもんね」

 俯きながら嬉しさと悲しさを混ぜ合わせた複雑な顔でため息をつく。

「使ってくれてるならよかったじゃん」

「だね」

 久遠は思い出したように列の前方を見始める。緊張と恐怖を紛らわすため、手をすりすりと擦っている。多分意味ないよそれ。

「怖いならやめとく?」

「やめないし、怖くないし、余裕だし。でも気絶したときは置いていかないでね」

「怖いんじゃん。あと俺、そんな薄情じゃないから。怖かったら置いていくけど」

「薄情じゃん」

 青ざめた顔でツッコミを入れてくるけれど、何がそこまで久遠を動かすのか。俺がお化け屋敷好きってわけでもないし、頑張る理由がわからない。

 数分後、とうとう俺たちの番がやってくる。既に久遠は俺の腕を強く握っていて、割と痛い。

 黒い暖簾をくぐれば一気に寒くなる。朧げに光るライトが僅かに道を照らし、進むべき道を示す。

「蓮、いる? いるよね?」

「いなかったら久遠が掴んでるのは何?」

「蓮根かな」

 実はこの人余裕なんじゃないだろうか。なんて、無理して平然を装っていることぐらいわかる。理由は簡単、腕を掴む力が洒落になってない。

 俺が一歩先を行く。壁に塗りたくられた血文字や、端に落ちているボロボロのクマの人形。雰囲気はありきたりなので、俺はまだ平気。

「ねぇ、蓮、いる?」

「いるって、大丈夫。放って行ったりしないから」

 久遠は随分参っているようで、俺を盾に隠れながら進む。薄暗い角を曲がると、古い井戸が見えた。なんとなく分かる。こっから何か出てきそう。

 そう思った刹那、上から人の腕が落ちてくる。声も出せず硬直してしまう。

「蓮の腕がぁ! 嫌だっ! 殺されるっ!」

「痛い! 腕、()げるから。痛い、痛い」

 既に捥げた腕と捥げそうな腕が相対面する。千切れんばかりに俺の腕を掴む久遠を力ずくで引っ張りながら出口を目指す。彼女はもう半泣きだ。

 少し行くと、今度は墓場に着く。地蔵やら、石で作られた狐やら、墓やらが乱立している。さっきの場所で己の勘は役に立たないことが分かったので、気を引き締める。

 出口の光が見えたと共に、パンッと風船が割れたときのような音が鳴る。震える俺たちに追い討ちをかけるためか、地面から無数の手が姿を現す。

 その瞬間、久遠は俺を後ろに突き飛ばし、光の方へ一直線に走っていった。俺はと言えば、驚きと怖さで腰が抜け、不恰好にも膝に力が入らない。

 お爺ちゃん状態で出口に向かい、帳を抜ければ昼の明るさで目がやられる。もともと細い目に一層睨みを利かせて久遠を探す。

 先の方でうずくまってる久遠を見つけ、押し出された仕返しをするために静かに背後から近づいた。

「わっ!」

「ダッ! あっ、蓮か……『久遠は一人にさせない』って言ってたのに酷いよ……」

「俺そんなカッコいいこと言ってないんだけど。あと突き放したの久遠でしょ」

 今だにハイライトが入っていない瞳を悲しげに向けてくる。

「どうして蓮は大丈夫なの?」

「いや割と怖かったよ。声に出ないタイプなだけで」

 死ぬとか殺されるとかは思わないけれど、少なからず寿命は縮んだ。腕が落ちてきたところとか予想外すぎて漏らすかと思った。

 お化け屋敷の感想会も終わったところで、俺たちは昼食をとった。テーマパークの料理って安っぽいのにどこか美味しく感じるのはなぜなのだろう。

 食べ終わるとパレードを見たりジェットコースターに乗ったりして時間を潰した。

 正直なところ、栞が好きだと自覚してから、久遠と二人で遊ぶことに抵抗が無かったと言えば嘘になる。けれど、いざ遊んでみると楽しい気持ちが(まさ)る。

 それはきっと、友達だからと片付けるのが一番手っ取り早い。でも、それは自分よがりで、久遠は多分そうじゃない。

 暗い思考を隠しながら、久遠に連れられジェットコースターを何周もしていると身体の方に限界がきた。

「あー、楽しかった。次は何に乗る? ジェットコースター?」

「もういいよ。ギブ、ギブ」

 俺は負けましたと両手を上げる。

「そんなこと言っても身体はジェットコースター乗りたくてうずうずしてるよ?」

「降参って意味で手を挙げてるの。断じて乗りたいわけじゃないから」

 これ以上は昼ご飯が逆流してくる。空いていたベンチに腰掛けてから足を組む。

「中学の時はもっと体力あったのに、なんかちょっと寂しい」

「あの頃がおかしかったんだって」

 この二年弱、筋肉が落ちすぎた。心肺機能が変わってない分、余計にそれを実感する。

「部活といえば、久遠って部長なんだっけ?」

 この前栞がそう言っていた記憶がある。俺の知らないうちに、二人も随分仲良くなったらしい。

「三年生が引退しちゃったからね。やっぱり蓮に言われてバスケ続けてて良かった」

「そっか」

「もう高校生活も残り一年だよ。ついこの間までハイハイしてたのに」

「ついこの間まで四足歩行やってたんだ……」

 引き気味に笑うと、急に寂しさが襲ってくる。高校生もあと一年。受験のことも考えたら体感もっと短いはず。

 大学生になれば今の人間関係はどうなるんだろうか。胸のどこかに焦燥感が巣食う。

 俺が落ち着いたのを見計らってか、久遠が立ち上がって観覧車を指さす。最後の締めとしてはこの上ない最適解。久遠らしくないチョイスに違和感を覚えながら観覧車に向かう。

 まだライトアップされてない観覧車に人は少なく、到着するとすぐに乗ることが出来た。

 小さな個室で二人きり。恥ずかしい気持ちを隠すように窓の外を眺める。

「来年は受験生だね」

「うわ、聞きたくなかったかも。最近、家族でご飯食べる時もそればっかりで鬱陶しいんだよ」

 そう言えば、週一の会食って今日か。また母さんのうるさい小言を聞かなければならない。

「分かるかも。私のお父さんも変に成功しちゃってるから厳しいんだよね」

「そうだったね」

 久遠の父は区長を勤めていて、親の間じゃ結構な有名人。何度か見たことがあるけど、威厳があり勤勉という言葉が似合う人だった気がする。

 父親が成功者という似た家庭環境も、俺と久遠を繋いでいる要因なのかもしれない。なんて夕日に照らされセンチメンタルになった気分が恥ずかしいことを考える。

 気づけば観覧車は折り返し地点に着いていて、一番高い位置。

「私、こうやって街を眺めるの好き」

「どうして?」

「この街にある私の好きなものが全部見えるから。学校も、公園も、ショッピングモールも。場所だけじゃなくて、友達とか家族とか思い出とか。私の好きが全部詰まってる。どう? 素敵だと思わない?」

「うん、ちょっと感動した。久遠はお父さんの仕事継いでみるのもいいかもね。そんな街があったら住んでみたい」

「…………もう、ちょっとしか感動しないのに適当なこと言わないでよ」

 ぷくーっと頬を膨らませてもう一度視線を街にやる。彼女も案外分かりやすい。観覧車も想像よりずっと早く終わり、多少の名残惜しさを残して遊園地を後にする。

 久遠も流石に疲れが溜まったのか口数が少なくて、彼女が話を振ってくれなかったら今日一日持たなかったなと実感する。

 夕日も隠れ、街灯が薄く光始まる時間帯。各家庭の夕食の匂いが食欲を刺激する。いつかの公園を通りかかった時、久遠が俺を呼び止める。

「ねぇ、ちょっと話しよ」

 怯えるような彼女の目。俺は小さく頷いた。いつもは目を合わせないことの方が少ないのに、今は俯いていて顔は見えない。

 俺たちは公園に吸い込まれてゆく。久遠と二人のときはここに来ることが多い気がする。

 彼女は何も言わずにベンチに腰掛けたので、俺もその正面の鉄棒にもたれ掛かる。きっと、止めたってどうにもならない。

「ここ、久しぶりでしょ?」

「うん、そうだね」

「ここで泣いてた私を、蓮が助けてくれたの覚えてる?」

「覚えてるよ」

 今からもう一年も前のこと。一年経って、俺たちの距離は歪になった気がする。冷え込んだ夜がひどく寒い。

 久遠は握った自分の手を見ながら、思い出を語るように続ける。

「あの時は嬉しかった、ありがとう。蓮がいなかったら、バスケ続けてたかも分かんない」

「そっか、でも、今まで続けられてるのは久遠自身の力だよ」

 そう言うと、彼女はもう一度お礼を重ねる。顔を赤くして、手を強く握り、久遠は勇気を出そうと振り絞る。

「私、蓮からいっぱいもらったの。何かって口に出して言えるものだけじゃないけど、いっぱい。助けてくれた、傘をさしてくれた、花もくれた、夢もくれた。蓮が私の『好き』をくれたから」

 泣き叫ぶように立ち上がって、涙を堪えて俺を見る。その顔はとても綺麗で、魅力的で、切なかった。

「だから、だから私は蓮が好き。私はもう、好きなことからは逃げないって決めたの。お願い、私と付き合って。…………私を選んで」

 彼女の真っ直ぐすぎるほどの視線が突き刺さる。そんな視線から逃れるように下を向いた。開いた口が焦げて、血の味がする。

「ごめん……久遠の気持ちには答えられない」

 心のどこかで気づいていた。久遠の想いも、告白の予兆も。でも、はぐらかし続けてきた。それはきっと、彼女を友達として見ていたから。

 たった一人の俺の友達。傷つけたくなくて、失うのが怖くて、見ないふりをしてきた代償がこれ。

「好きって言ってくれて、素直に嬉しかった。でも、ごめん。好きな人がいるから、久遠のことも大切だから、中途半端な気持ちで久遠を選べない……ごめん」

 俺に対する感謝の分だけ、俺も彼女に「ごめん」を繰り返す。久遠の顔を見ることができない。見てしまえば、この選択を後悔してしまう気がして。

「そうだよね、分かってる。分かってたから……っ、私の入る隙なんて、無かったんだよねっ…………」

 地面を踏みしめる音がいやに鼓膜に張り付く。謝ったところで、彼女の傷は塞がらない。俺の自分よがりな行動が許されるわけじゃない。

「こっち向いてよ……、私を見てよ……」

 胸の奥が抉られる。感じたことのない痛さが苦しさに変わる。恐る恐る顔を上げて、久遠と目を合わせた。

 眉を八の字に下げて、澄んだ涙が頬を撫でる。唇を優しく噤み、溢れ出す感情を必死に押し殺していた。

「ごめん…………」

 漏れた謝罪は空気に散る。薄汚れた大気が更に汚くなって、頭が重くなる。

 そんな俺に、彼女は笑った。服の袖で目尻を拭って、涙を浮かべながら、それでも笑った。それが別れの挨拶みたいに身を翻して出口に向かう。

 最後の久遠の強がりが、余計に自分の弱さを呪う。薄寒さが気持ち悪くて、人の暖かさが恋しい。

 彼女の笑顔を惜しんで、もう一度久遠の後ろ姿に視線をやる。傷つくって分かってるのに、今はその痛さが欲しかった。

 その時、バイクの音が小さく聞こえた。周りがスローモーションみたいにゆっくりに感じて、俺は走り出していた。

 久遠はまだ進み続けている。俺にも、バイクにも気づかずに。彼女が遠い。

 久遠が道路に一歩踏み出すと同時、俺の視線がバイクを捉える。届けと伸ばした手、鳴り響くブレーキ音––––––––。

「危ないわ! ちゃんと前見て歩け!」

 間一髪、俺の手は彼女の背中に届き、力一杯引っ張った。バイクに乗っていたおじさんは舌打ちをして去ってゆく。

「大丈夫?」

「大丈夫だよ。ありがとう。もう大丈夫だから」

 俺に引っ張られた勢いのまま地面にへばりついた久遠は、無理に明るい声で突き放す。そして左足を庇うように立ち上がった。何事かと見てみれば、足首が青く膨れ上がり出血していた。

「大丈夫じゃないでしょ。送るから」

「っ……いいって、やめてよ」

 そんな久遠の抗議には聞く耳も持たず、俺は彼女の前に背を向けてしゃがみ込む。この足で帰るなんて無茶だ。

「やめてって……本当にやめてよ……」

 悲痛に満ちた声で訴えながら、久遠は俺の背中にしがみつく。何も言わずに立ち上がると、ゆっくりと家に向かった。

 後ろから聞こえる啜り泣く声はずっと痛くて、首元に感じる涙の熱さが苦しかった。

「優しくしないでよ……っ、諦めらんないじゃん」

 嘆く彼女に返る言葉は無い。俺が何を言ったって、慰めにすらなりやしない。それから、二人の間に会話は無かった。

 家に着くと、玄関に久遠を座らせて、リビングからテーピングと保冷剤を持ってくる。
何を言わない久遠を裸足にさせて、保冷剤を巻きつける。終始、彼女は静かに泣いていた。

 落ち着いたのか、久遠は大きく息を吐く。そして、静かな家に、消え入りそうな声で呟いた。

「……どうしてここまでしてくれるの?」

「自己満足……かな、これぐらいしか出来ないから」

 俺は上からテープを重ねながら答える。ポタポタと落ちてくる涙が手を伝って、やっぱり彼女の顔を見ることは出来なかった。

「駄目だなぁー、私。諦めらんないや」

 足を立てたまま寝転がって天井を向く。涙を止めようと、鼻声のまま続ける。

「諦めさせてくれない蓮なんか大嫌いなんだから」

「そっか」

 応急処置を終えると、玄関の段差に腰掛ける。何を言っていいのか分からない。すると、無言を埋めるように久遠が口を開いた。

「蓮は告白するの?」

 急な質問に、少し惑う。

「しないとだよね…………」

 好きな人がいるからと振ったんだ。勇気を振り絞ってくれたのなら、振った側だって通すべき筋がある。相手との距離が近いなら尚更。

「何かいい方法とかない?」

「あったら私が使ってる」

「そりゃそうだ」

 二人で声を抑えて笑う。仲違いしてたわけじゃないけれど、仲直りとか、元通りにはなった気がする。

「吊り橋効果とかは意味ないね。今日、実践して分かったよ」

「あー、だからお化け屋敷」

 久遠があれほどまでに入りたがっていた理由はそれか。妙に納得がいった。

「それに、良い方法とか小手先の技なんかを考えるより自分の想いをストレートに伝える方が良いんだよ」

 久遠は起き上がって俺の顔を見る。

「はい、約束。明日、栞ちゃんに告白ね」

「うん分かっ…………明日っ!?」

 突き出された小指に近づけた指が捕まえられる。約束は強制らしい。

「失恋は全部私が持っていってあげる。だから、大丈夫。万一振られたら私のところにおいで。笑顔で振ってあげる」

「久遠も振るのね」

 そんな打算的な覚悟は許さないと言っているんだ。本当に、久遠は優しい。こんな俺を許してくれて、力を貸してくれる。

「ありがとう。俺、告白するよ」

「うん、頑張って」

 どこか寂しそうな顔をして久遠が笑う。そうして、心の中でもう一度謝る。

 二人で小指を絡めあっていると、家のドアが開いた。仕事帰りであろう父さんが車の鍵をクルクルと回している。

「おお、蓮、ここにいたのか。これから玲さんと外食な。久遠ちゃんは……怪我? 送って行くから車乗りな」

 父さんの提案で久遠を送ると、そのまま外食に向かった。きっと、明日から久遠とも今まで通りやれるはず。車の中ではずっとそんなことを考えていた。

 高校生が異質に見えるほど高級なレストラン。居心地の悪さに身悶えしていると、それに拍車をかける声が聞こえてくる。

「久しぶりねー、蓮」

「毎回言ってるよそれ」

 歳に似合わない赤いドレスで服装規定を突破した母さん。いつも通りの挨拶をぶつけてくる。

「毎回言ってるっていうのも毎回言ってるよなー」

 母さんが席に座り、俺も後に続く。椅子に深く座ると、今日の疲れが急に襲ってきた。

 「ふぅー」なんて長いため息を吐いてみると、体の力が弛緩する。

「どうしたの? ため息なんか吐いちゃって」

「別に、ちょっと疲れただけ」

 久遠との約束通り明日に告白するとなると、考えなきゃいけないことと考えたくないことで押し潰されそうだ。

 そもそも、栞は俺のことをどう思っているのだろう。というか、彼氏がいないと言質を取ったわけでもない。いや、デートまでしてそんなオチはないと思うけど。

「父さんと母さんってどっちが告白したの?」

「急にどうした? そういう話興味ないと思ってたが」

「ちょっと参考にね」

 運ばれてきた料理にフォークを突き刺しながら答える。

「ほう……参考ね」

「間違えた。ちょっと気になっただけ」

 半笑いの父さんにフォークを突き刺したい。ナイフでもいいか。

「どっちだと思うんだ?」

「どうだろ、父さんかな?」

「残念、私よ」

 気持ち悪い形のシャンパングラスをクルクルしながらウインクをしてくる。これでそれなりに様になってあるのだから、恐ろしい。

「どう告白したの?」

「確か……『付き合ってあげても良いわよ』って顎クイしたんだったかしら?」

「了解、喋らないで」

「酷くない?!」

 母さんらしくて微笑ましいが、俺からしたらちょっと生理的に受け付けない。ミネラルウォーターで諸々を飲み込む。すると、急に父さんが話し出す。

「好きって言うのは形を決めることだと思うんだよ。好きなんて人それぞれで、相手によって好きの意味も違う。けど、その意味を自分で決めて、相手と寄り添う。そうやって出来た形が、好きって想いなんじゃないかな」

 パンを一口齧ると「参考までに」と付け足してくる。抽象的すぎるアドバイスだけど、流石有名小説家と言いたくなるほどロマンチックで、的を射ているようにも思える。

「恋愛もそうだけど勉強もしっかりね。来年の今頃は受験でしょ? 葵さんは何も言わないかもだから私はしっかり言わせてもらいます」

「はいはい」

 母さんの勧める大学はこの辺でも頭一つ抜けている所。俺の学力じゃ、ちょいとしんどい。

 俺は週一の家族団欒をしながら明日のことを思う。盛り付けられたサラダはいつもより量が多い気がした。