1.
 
 それからの僕らは、来る日も来る日も病院で落ち合い、屋上に上がってお決まりのガーデンテーブルとベンチを陣取っては、小説とイラストを交換し合って議論を交わしたり、試行錯誤を重ねたり、そのまま紬の小説に沿った挿絵を作成したりと、次第に情熱を高めながらまるで一つの合作を作り上げているような感覚で、お互いの創作活動に向き合っていた。
 僕たちが出会ってから三十一日目――約一ヶ月近くが経った三月上旬のその日、いつものようにドアをノックしてから彼女の病室を訪れると、ひどく落ち込んだ顔でノートパソコンの画面を見つめている彼女の姿が目に入った。
「……」
 寝ているんだろうか? と、そろりと彼女の顔を覗き込む。
 出会った時より頬がややすっきりした気がする。むくみが取れただけだろうか? なんて、余計なことを考えるよりも、彼女の意識の有無を今一度チェックすると、ぱっちりとした二重瞼の瞳はきちんと開かれており、間違いなく起きていることが確認できた。
 と、その直後、僕の存在と来訪に気づいた彼女が、ハッとしたように目を瞬いた。
「わっ。千隼くん! いたんだ」
「ごめん。ノックしたつもりだったんだけど……」
「全然気づかなかったよ。ごめん、今片付けるね」
 無理やり貼り付けたような苦笑を浮かべ、重い手を動かすようにベッドの上の創作道具を片付け始める彼女。黙々と片付けるのはいつものことなんだけれど、やっぱりどこか表情が暗い。
 僕は大人しく丸椅子に腰掛けながらも、ある程度ベッドの上が片付いたところで尋ねてみることにした。
「何かあった?」
「……」
 彼女は頷きはしなかったけれど、肯定するような沈黙を置き、しばし唇を噛み締めた。
 やがて長い息を吐き出すと、気持ちを切り替えるように僕を見て告白する。
「少し前に応募した短編小説のミニコンテスト、結果発表があったんだけど……ダメだった」
「あ、もう結果出たんだ?」
 結果が出るのが早いコンテストであることは事前に把握していたが、まさかもう発表になっていたとは。
 驚きながら尋ねると、彼女は小さく頷いてみせた。
「うん。簡易的なミニコンテストだから応募数も少ないし、いつもよりちょっと早くに出たみたい」
「そっか」
「それで……私のは一次審査にも残れてなかった。せっかくアドバイスしてくれたのに結果出せなくてごめんね」
「いや……」
 なるほど。それで落ち込んでいたというわけか。
 彼女は健気に笑っていたけれど、その落ち込みようは目に見えて明らかだった。
 どう声をかけるべきか、僕は頭を悩ませる。
『残念だったね』そんなの言われなくたって本人が一番無念だろう。
『惜しかったね』一次審査にも残れていなかったって話なのに、惜しい?
『頑張ったのにね』頑張っても結果が出なかったから落ち込んでるのにわざわざ言う必要あるだろうか?
『次があるよ』……本当に?
 いまだに信じられないけれど、彼女には『余命』という名の期限がある。次があるかどうかなんて誰にもわからない。だから――。
「悔しいね」
「……」
 僕は心を鬼にして、檄を飛ばす。
「でも、一回で受かるほど甘い世界じゃないと思う。落ち込んでる暇なんてないし、紬ならいつかきっと入賞できると思うから。だから、落ち着いたら、もう一回頑張ろ」
「千隼くん……」
 僕と紬には今、大きな夢がある。
 紬の書いた小説が本になって、僕がその表紙を描く。
 正直、無謀すぎる無茶苦茶な夢だ。僕は色が塗れないし、彼女には余命があるし。何より僕たち二人はプロのプの字から遠くかけ離れた場所にいる普通の高校生で、書籍化の工程も表紙がつくまでのノウハウも何一つよくわかっていない状態で、互いの小説とイラストがセットになって商業デビューすることを夢に見ている。
 無鉄砲な夢だとわかってはいたが、あの約束を交わした日から僕は、夢の実現に向けて、できないなりに必死に色の世界と向き合っていた。
 今はまだ、怖くて色を塗ることは無理だけれど、でも、毎日最低でも数分、色鉛筆や水彩道具を握りしめて真っ白な画用紙に向かい合ってイメージトレーニングしてるし、一日一回、寝る前には必ず慣れ親しんだペンタブを引き出しの奥から引っ張り出してきて、それを握りしめ、世界が色とデジタルイラストで溢れていたあの頃を思い返す。
 ひっついてくるようにトラウマが蘇り、削られた心が軋むように傷むけれど、その儀式から逃げてしまったら僕は一生絵と向き合えない気がしているので、意地でもそれは欠かさないでいる。
 まだ、これといった効果はないけれど、でも、二人でデビューしなきゃ意味がないから。
「焦らないでいいっていったのは紬でしょ。確実に一歩ずつ進めるよう、やれることから少しずつやってこ」
 訴えるような眼差しで紬を見つめると、彼女はようやく瞳に生気を灯したように小さく頷いた。
「そう……だよね」
「僕だってまだ色が塗れない分際なのに、きついこと言ってごめん」
「ううん。目、覚めたよ」
「ならいいけど……」
「……」
 膝の上に乗せていた手帳をじっと見つめた彼女は、やがて意を決したように顔を上げて僕を見た。
「ねえ、千隼くん」
「うん?」
「今日、これから時間ある?」
 ふいにそんなことを尋ねてくる彼女。僕は面くらいつつも、すぐさま頷いてみせる。
「うん。もうリハビリは終わってるし、この後特に予定があるわけでもないからここへ寄ったんだけど……」
 サイドテーブルにある置き時計をチラリと見やると、時刻は十五時十一分を指していた。
 今日は学年末テスト期間の短縮授業で、午後イチには病院に到着してリハビリを終わらせていたし、そもそも多少遅く家に帰ったところで仕事が忙しい母さんはいない。
 何か頼まれごとでもするのかと思って彼女の返事を待っていると、紬は「じゃあ」と、少し前のめりになるような格好で、僕に懇願してきた。
「ちょっと、付き合ってほしい場所があるの」
「……へ?」
 ようやく少し暖かくなってきた三月の上旬。
 思いもよらない彼女のこの一言で、僕たちはその日、初めて二人揃って病院の外へ冒険に出ることとなった。