「一緒に帰るのも、何だか久しぶりだな」
「そうだっけか。そうだったかも」

 三日後の放課後。俊平と瑛介が肩を並べて校舎を後にした。
 小夜は部活、彰と唯香は塾通いがあるため、一緒に下校する機会は少ないが、俊平と瑛介は共に帰宅部であり、帰路を共にすることが多かった。
 しかしゴールデンウイーク明け以来、俊平は繭加と行動を共にする関係で放課後も学校に残ることが多くなっている。今日は繭加が用事があるそうで集まりが無かったので、久しぶりに瑛介と一緒に下校している。

「最近は放課後も学校に残ってるよな。何してるんだ?」
「後輩が立ち上げた部活を少し手伝ってる」
「後輩って?」
「一年生の女子」
「よし、俺も一枚噛ませろ」
「相変わらず正直な奴だな。不採用で」
「おいおいそれはないぜ面接官」
「お友達採用は無しだ」

 最近は繭加のような曲者を相手にし、活動の中で多くの闇にも触れている。そんな状況だからこそ、瑛介の軽いノリがありがたかった。長い付き合いだし、瑛介の隣は居心地が良い。だからこそ瑛介に真実を話すわけにはいかない。瑛介は普段こそが冗談ばかり言っているが、根は常識人で正義感も強い。そんな彼に繭加たち文芸探求部部の活動を明かすことなど出来ない。何よりも親友を巻き込みたくもないという思いもある。

「冗談はさておき、知り合いの身内が立ちあげた部だから手伝ってるんだよ」
「知り合いって?」
「橘先輩。部を立ち上げた一年生が、橘先輩の従姉妹なんだ」

 活動内容に振れていないだけで、俊平の言葉は全て真実だ。だからこそスラスラと説明できた。口籠るのもかえって怪しいし、友人にあまり嘘をつきたくないという感情もある。

「橘先輩には世話になったし、自己満足かもしれないけど、部が軌道に乗るまでは見守ろうかなって」
「義理堅いんだな」
「そんな大したもんじゃない。あくまでも一時的だ」

 瑛介は俊平の活動についてはそれ以上追及してこなかった。中学時代の二人を知っているからこその遠慮もあった。

「俊平。用事がないならどっか寄ってかないか?」
「そうだな。久しぶりに遊んでいくか」

 二人は学校前のバス停から駅方面行きのバスへと乗り込み、駅通りの繁華街を目指した。

「冬休み以来だな」
「お互いに腕が鈍ってそうだ」

 二人が訪れたのは繁華街にあるボウリング場だった。最近は少し足が遠のいていたが、学割もあるため中学時代からよく通っていた。二人にとってはお馴染みの場所だ。

「泥仕合にならないように、お互い頑張ろうぜ」
「志の低い目標だな。俺も人のこと言えないけど」
「負けねえぞ、俊平」
「望むところだ」

 じっくりとボールを吟味しながら、小さな火花が飛び交う。緩く楽しんではいるが、それでも勝負意識は常に忘れたことはない。前回のスコアは僅差で瑛介が勝っているが、前々回は俊平の方が上回っている。実力が競っているからこそ、お互いに負けたくないという気持ちも強い。

「それじゃあ、俺から行くぜ」

 名前の記入順で瑛介が先行する。感覚を確かめるかのような、ややぎこちないフォームから一投目が放たれた。ボールはレーンの右側を、ガーターすれすれで真っ直ぐに進んでいく。

「俺のカーブをとくと見よ」

 得意気に胸を張る瑛介だったが、結局ボールは変化しないまま一直線に進み、一番右端のピン一本を倒すした。

「カーブがどうしたって?」

 これがスペア狙いの二投目ならば最高にかっこよかったが、まだ一投目である。カーブを宣言したこともあって、まったく恰好がつかない。

「ま、まだ一投目だし」

 冷や汗交じりに顔を引きつらせると、瑛介は戻って来たボールをすぐさま手に取り二投目を構える。一投目の反省を踏まえ、今度は先程よりも左側を意識して放つが、

「地味だな」
「……ああ、我ながら地味だ」

 一投目とほぼ同じ軌道を描いたボールは最後の最後で少しだけ左にカーブし、後方のピンを二本倒した。一投目と合わせて計三本。物足りないうえに、ガーターと違ってネタにもならない。瑛介としては中途半端な結果だ。

「エ、エンジンがかかってないだけからな」
「そういうことにしといてやるよ」

 同情するように瑛介の肩に優しく触れると、俊平も自分のボールを手に取り戦場へと赴いた。

「俺のようにはなるなよ」
「ならねえよ」

 勢いが大事だと考えて、フォームは強く意識せず、力任せに中心を狙う。力強い投球は一直線にど真ん中のピンを捉えた。

「……やっちまった」
「おいおい。さっきまでの威勢はどこにいった?」
「オレ、チカラセイギョデキナイ」
「悲しきモンスターやめろ」

 力が強すぎるが故に、倒れたピンが放射状に倒れず、ど真ん中を貫いてしまった。全体が半分に割れ、あまり望ましくない形だ。

「こ、ここからスペアを取るから問題ないさ」
「おう。生暖かく見守ってやる」

 はやし立てる瑛介の言葉を背に、俊平は二投目を放った。

「逆に凄くね?」

 二投目は一投目とほぼ同じコースをなぞり、一投目で倒れたピンがあった空白を通り抜けるという器用(皮肉)さを見せた。結果、二投目は一本も倒せず終わる。

「スペアがどうしたって?」
「ま、まだエンジンがかかってないだけだ」

 動揺のあまり、瑛介とまったく同じ台詞を発していることに俊平は気づいていなかった。

 一フレーム目の結果は互いに三本ずつ。ブランクを差し引いたとしても、何とも物足りない。その後も一進一退の攻防(決して好成績ではない)が繰り広げられ、第一ゲームは早くも最終フレームを迎えていた。俊平がややリードしているが二人のスコアは僅差だ。全ては最終フレームで決着する。

「俊平。せっかくだから勝敗に何か賭けないか?」

 ボールを磨いてワックスをふき取りながら、瑛介が提案する。

「例えば?」
「勝った方が、相手に何でも好きな質問が出来るとかどうよ」
「俺のスリーサイズでも知りたいのか?」
「微塵も興味ねえよ! それで、乗る乗らない?」
「乗った。どうせ負けねえし」
「言ってくれるな。張り合いがあるってもんだぜ」

 お互いが納得し、賭けは成立した。

「それじゃあ、俺からだな」

 これまで以上に目標に集中し、瑛介はボールを構えた。

「まじかよ……」

 結果、俊平は敗北した。最終フレームにて瑛介はまさかのターキー。俊平もストライクを一本取ったがそれ以上は記録を伸ばせず、一気に点差が開いてしまった。先行にターキーを取られたことで、平常心を保てなかったのも敗北の一因であろう。

「お、俺の勝ちみたいだな」

 瑛介は勝者の余裕に満ち溢れ――てはおらず、まぐれで成功したターキーに自分自身が一番驚いていた。これが現実かどうかを確かめるように、何度もタッチパネルと上の大型モニターとを見比べている。

「約束通り、何でも質問に答えてやる」

 椅子に深く腰掛け、俊平は潔くそう言った。どうせ聞かれて口籠るような秘密など、大して持ち合わせてはいない。

「それじゃあ、お言葉に甘えて質問を一つ」

 瑛介が俊平の向かいに腰かけ、いつになく真面目な面構えで静かに切り出した。

「お前、橘先輩のこと好きだったのか?」

 思わぬ質問に俊平を瞬きを忘れる。てっきり、友人同士のおふざけで、下らない質問が飛んでくるものだとゆったりと構えていたが、それは大きな油断だった。瑛介の表情も真剣そのもの。そもそも冗談でこんな質問をしてくるような不謹慎な男ではない。それは俊平が一番よく分かっている。

「何だよ。急に」
「急ってわけでもないさ。俺や小夜は前々から気になってたんだ。橘先輩の話題が出た時のお前は、明らかに普段と様子が違うからさ」

 瑛介がここまで立ち入って来るのは非常に珍しい。きっかけがあったとすれば、ゴールデンウイーク明けの彰とのやり取りだろう。

「作馬の件か?」
「それも含めて今までの積み重ねだよ。小夜はたぶん、お前に遠慮してこういうことを聞けないと思うから、俺が勝手に聞くことにした」
「優しいんだな」
「こういう空気を読まない質問は俺の役目だと思っただけだよ。もちろん、無理に聞きだそうとは思わない。NGならそれもまた答えだ」

 瑛介にとって賭けというのは、あくまでもこの話題を切り出すまでの方便でしかなかった。実際、勝負に勝てる保証もなかったし、自分が負けていたら面白おかしく質問に答えてそれで終わりだっただろう。小さなことかもしれないが、運命が背中を押してくれた。

「賭けは賭けだ。正直に答えるよ。それに、別に秘密にしてたつもりはないんだ」
「それじゃあ、やっぱり?」
「好きだよ。今でも」

 口籠るでも神妙になるでもなく、普段と変わらぬ穏やかな口調で俊平はそう言った。少なくとも怒ってはいないようだ。瑛介も少し肩の荷が下り、表情がリラックスした。

「魅力的な人だった」
「ああ、橘先輩は学校中の男子の憧れだったな」

 中学時代の光景が眼に浮かぶようだった。人気者だった橘芽衣のことを思うと、二年が経った今でも、彼女がもうこの世にいないという現実が嘘のように思えてならない。

「俊平。仲良かったもんな」
「だからこそ、悲しかった」
「そうだな……」

 橘芽衣が健在だったなら、きっと今でも良き先輩として同じ学校に通い、交流を続けていたのだろうかと瑛介は思う。想いを寄せる相手が突然命を落としてしまう。そのショックは計り知れない。今更ではあるが、当時の俊平の力になってやれなかったことが親友として悔やまれる。俊平の気を揉ませるだけだから、言葉には出せないけど。

「悪かったな。思い出せるようなことを」
「別にいいって。あの人の話を心穏やかにすることができたのは、何だか久しぶりだった気がする。ありがとう」
「謝ったのに感謝で返されるってのは、何だかモゾかゆいな」

 照れ隠しなのだろう。瑛介は椅子から立ち上がると、ボールを再度磨き始めた。

「もう1ゲームやってくか?」
「望むところだ。今度こそ負けないからな」

 タッチパネルで1ゲームを追加し、二回戦目が開始された。

「感覚は取り戻した。次は負けない」

 俊平はリベンジマッチに燃え、意気込みだけは上々だった。

「結局、一勝一敗か」
「残念だったな。俺にも意地がある」

 勝ち越せなかった瑛介は悔しそうに口を尖らせ、一矢報いた俊平は上機嫌で瑛介の肩に腕を回す。勝敗だけ見れば互角だが、最後に勝って終われたので気分は良かった。

「この後どうする?」

 シューズの返却と会計をしながら、俊平が尋ねた。

「書店に寄ってもいいか? 漫画の発売日なんだ」

 書店はボーリング場の近くにあり、徒歩で数分の距離だ。急いで帰る用事もないので、俊平は瑛介の寄り道に快く付き合うことにした。

「もうすぐ六時か」
「久しぶりに来ると、けっこう賑わってるもんだな」

 夕刻を迎え、繁華街は学生を中心に賑わいを見せていた。繁華街はファストフード店やゲームセンター、カラオケボックスなど、放課後の定番スポットが揃っている。この時間帯は必然的に学生の数が多い。当然その分、知り合いに遭遇する可能性も高くなる。

「俊平、あれって藤枝先輩じゃね?」
「どこだよ?」
「ほら、あの二人組の男の方」
「二人組?」

 人混みの中に、こちら側へと歩いてくる藤枝の姿が確認出来た。長身なので、人込みの中でも存在感がある。藤枝はどうやら一人ではなく、隣に女性を連れて、楽しく会話をしているようだ。

 藤枝も俊平と瑛介の存在に気が付いたようで、

「あれ、俊平と矢神くんじゃないか」

 程なくして、藤枝の側も俊平と瑛介に気がついた。

「どうもです。藤枝先輩」

 瑛介は笑顔で藤枝に応えたが、俊平の目線は藤枝ではなく、彼の隣の少女へと引き寄せられていた。今日は用事があるから放課後の活動は無しと言っていたが、まさかこんなところで顔を合わせるとは俊平も予想していなかった。向こうもまさか出先で俊平に遭遇するとは思っていなかったのだろう。声にこそ出さないが、表情が苦味を帯びており味わい深い。

「もしかして藤枝先輩の彼女さんですか?」
「まだ彼女ではないよ。けど、僕はもっと仲良くなりたいと思っている」

 事情を知らぬ瑛介が持ち前の積極性で藤枝に質問する。藤枝も悪い気はしていないのか、ノリノリで質問に答えている。

「その制服。もしかしてうちの学校の?」
「そうだよ。一年生の御影繭加ちゃん」

 藤枝に優しく背中を押された御影繭加が一歩前に出て、営業スマイルを全面に押し出した。

「初めまして、御影繭加です。お二人ともうちの生徒さんですか?」

 ――ああ、そういう感じでいくのね。

 色々と物申したいことはあったが、繭加はこの場は初対面ということで通したいらしい。俊平も調子を合わせることにした。

「俺は二年の藍沢俊平。こっちは友達の矢神何某」
「どうも、矢神何某です……って、誰が何某だ。矢神瑛介です。よろしく」

 隣に瑛介がいてくれて本当良かった。彼のおかげで、繭加の先輩ではなく、瑛介の親友としての藍沢俊平でいられる。

「それじゃあ、お二人は先輩さんですね」
「そういうことになるかな。行事とかで顔を合わせた時はよろしく」

 やりづらさを感じながらも、俊平は決してそれを表情に出さない。なるべく自然に、初対面の先輩らしく振る舞う。幸いにも喋り上手な瑛介も会話を繋いでくれるので、最低限のコミュニケーションだけでこの場は乗り切れそうだ。

「彼女さん。可愛いですね」
「そんな、可愛いなんてお上手です」

 本音交じりの瑛介のお世辞に、繭加は照れ臭そうに応えていた。傍目に見ながら、きっと半分くらいは本心で恥じらっているのだろうなと俊平は想像する。繭加は意外とストレートな言葉に弱い印象がある。

「こんなところで会うなんて奇遇だね」
「そうですね」

 藤枝の関心は、親しい後輩である俊平へと向いていた。瑛介とは顔見知り程度の関係でしかないので、より親しい俊平とのやり取りに切り替えるのは自然な流れではある。

「いつの間にあんな可愛い子と?」
「つい最近のことだよ」

 だろうなと、俊平は心の中で納得する。何も聞かされてはいなかったが、おそらく繭加は先日の桜木志保との会合を経て、新たなアクションを起こしたということなのだろう。まだ彼女ではないとのことだが、繭加が藤枝の隣を歩いているということは脈あり。同時に藤枝という男の手の早さの証明でもある。
 俊平はこの場で藤枝に質問を畳みかけ、真実を明らかにしたい衝動に駆られたが、理性で必死にそれを抑え込む。場ぐらいは弁えているつもりだ。

「受験生なんですから、恋愛に現を抜かして勉強を疎かにしたら駄目ですよ」
「俊平は厳しいな」
「優しさですよ」
「心配してくれてありがとう。大丈夫、上手くバランスは取っていくさ」

 ――何も知らずに楽しそうに。

 藤枝は繭加が橘芽衣の身内であるということは知らないはず。それでいて誇らしげに隣においている。事情を知っている俊平からはその姿が哀れに見えた。

「藤枝さん。俺らは用事があるんで、そろそろ失礼しますね」

 これ以上は友好的な演技をしているのも疲れるので、俊平は瑛介の買い物を理由にその場を離れることにした。今の状況には繭加も神経を使っているだろうし、早めに離れた方がお互いのためだ。
 
「気を遣わせてしまったかな。また学校でね。俊平、矢神くん」
「さようなら、先輩方」

 繭加はペコリとお辞儀をし、藤枝の後を追って行った。

「可愛い子だったな。繭加ちゃん」
「そうかもしれないな」

 あれが素だったならそう思えたかもしれないが、それが演技であることや、彼女の趣味嗜好が他者のダークサイドを覗き見る特殊なものであることを知っている俊平としては色々と複雑だった。

 明日になったら、どうして藤枝と一緒にいたのか。理由を問い詰めないといけない。