「私が入学以来まとめている、この学校の生徒のダークサイドをまとめたファイルです。内容をご確認ください」
「ダークサイドのファイルね。まるで機密文書だ」
怪訝な表情を浮かべながら俊平は表紙を捲り、一ページ目を開いた。
「写真?」
俊平の目に最初に飛び込んできたのは、隠し撮りと思われる一枚の写真だ。
黒いロングヘアーを結い上げた少女が笑顔で写っている。素朴な顔立ちながらもその笑顔はとてもチャーミングで、学生らしい爽やかな魅力を放っていた。
「名前は白木真菜。私と同じ一年生です。詳細はそこに」
繭加に促され、数ページに渡り記載されている白木真菜の情報に目を通す。
文字は手書きとは思えない程に整然としており、書かれている字こそ美しいが、整い過ぎていてどこか無機質な印象を受ける。
写真の下には、白木真菜のプロフィールが数行記されている。生年月日に出身中学、身長や、流石に遠慮して俊平は数字を見なかったが、体重まで記載されていた。
「よくもまあ、ここまで」
外見からある程度の目測は出来るかもしれないが、数値化までしているのだから相当だ。
「ダークサイドを知るには、相手のことをよく知る必要がありますから」
「身長や体重はどうやって?」
「目測である程度身長や体重を当てることが出来る。私の特技の一つです」
「本当に?」
「体系や体格を見るに、藍沢先輩の身長は175センチ。体重は61キロといったところではないですか?」
「……身体測定の時、もしかして近くにいたか?」
「その驚愕した顔。これで不足分のリアクションは取り戻せましたね」
身長はピッタリ。体重は一キロ少なかったが、その程度は日常の中で変動する誤差の範囲だ。繭加の目測は機械のように正確だった。もちろん、学年も性別も違うので、繭加が俊平の身体データをたまたま覗き見たということもあり得ない。
「さあさあ。続きをどうぞ」
白木真菜の簡単なプロフィールから人物像、学校での印象、友人関係の順に、俊平はファイルを読み進めていく。白木真菜は成績面が優秀で、ほとんどの教科で学年平均よりも高い成績を収めている。委員会は図書委員会。部活動は吹奏楽部にそれぞれ所属。いずれも真面目に取り組んでおり、顧問や上級生からの評判も上々。友人も多く、中学からの同級生である吉岡舞衣子とは特に親しくしている。入学一ヶ月時点で無遅刻無欠席。問題行動も無い模範的生徒である――と、ファイルには記載されている。
「内容を見る限り、ダークサイドとは縁の無さそうな真面目な生徒のようだが」
ダークサイドどころか、善良で非の打ち所がない生徒だ。俊平ではない他の誰かがこのファイルを読んだとしても、まったく同じ印象を抱くに違いない。
「本題は次のページからです。捲ってみてください」
気乗りしないまま俊平はページに手を掛ける。繭加の口振りからすると、次ページに白木真菜のダークサイドが記されているということにはなる。それを確かめてみたいという好奇心と、白木真菜への好印象が覆されてしまうことへの不安が混在している。
「……何だよこれ」
白木真菜は、友人である吉岡舞衣子に対し、重大な秘密を持っている。そんな書き出しから、ダークサイドの解説が始まった。
白木真菜には、男女の関係にある男子生徒が存在する。相手は他校の生徒で名前は市村一弥。白木真菜の友人である吉岡舞衣子の元恋人である。
白木真菜は、市村一弥が友人の恋人だと知った上で積極的にアプローチをかけ、結果的に二人の破局の原因を作る。水面下で動いていたようで、吉岡舞衣子はその事実に気づいていない。白木真菜は市村一弥との交際を隠しながら、素知らぬ顔で現在も吉岡舞衣子との友人関係を続けているようだ。
「友人の恋人を奪ったのか。しかも相手はそのことに気付いていないとは」
俊平は唖然として、ファイルを読み進める手を止めてしまった。禁忌にでても触れてしまったような気分だ。
「どうですか。白木真菜のダークサイドは。一ページ目に記載されている普段の彼女とは、まるで印象が違いますよね」
反応を楽しむかのように、繭加は微笑みを浮かべながら俊平の顔を覗き込んだ。
「これが事実なら驚きだが、御影の創作という可能性もあるよな?」
「疑り深いですね」
笑顔の繭加に動揺は見られない。自信から来る余裕とも取れるし、俊平とのやり取りを純粋に楽しんでいるようにも見える。
「悪く思うなよ。内容が内容だし、白木真菜に関する情報が仮に事実だとしても、このファイルだけでは判断がつかない。俺とお前が無条件でお互いを信じあえる仲だというなら話は別だが、お互い昨日出会ったばかりだしな」
俊平は良くも悪くも客観的な立場を保っている。白木真菜に肩入れするわけでも、繭加の意見を素直に受け入れるわけでもない。
「決定的な証拠があると言ったらどうしますか?」
「そんなものがあるのか?」
繭加は制服のポケットから小型の銀色の機器を取り出し、わざとらしく掲げてみせた。
「ボイスレコーダーか」
中学時代、生徒会の会議で議事録をつけるために使っていたので、それが何なのか俊平にはすぐに分かった。中学生が会議で使うことは珍しいが、当時の生徒会を担当していた教師が一つの経験にと会議内容を録音し、後でその内容をみんなで精査するという勉強を行ったことがある。
「再生しますね」
了解も聞かず、繭加は再生のスイッチを押す。俊平はまだ心の準備が出来ていなかったが、音声が再生されたことで、意識はその内容に強制的に引き寄せられる。
『白木さん。このことを絶対に他言しないことをお約束します。ですから、私に真実を話してくれませんか?』
最初に聞こえてきたのは繭加の声だった。
『これだけ証拠を揃えられたら、隠しても仕方がないね。そうだよ、私は舞衣子の恋人だと知った上で、市村くんに関係を迫ったわ』
相手の女子生徒、白木真菜は興奮気味で、声が上ずり話も早口だ。
『それだけ、市村さんを愛してしまったということですか?』
『それは違う。顔は悪くないけど、市村くんのことは正直そこまで好きじゃないの。ただ、麻衣子の彼氏を奪いたくなっただけよ』
『どうしてそこまで? 舞衣子さんはあなたの大切なお友達でしょう?』
『許せないのよ。あの子が私より幸せそうにしてるのが!』
白木真菜の言葉には、ボイスレコーダー越しでも伝わる、激情と呪いが込められていた。
『分りません。あなたの方が成績優秀だし人望も厚い。対して舞衣子さんは、問題児でこそありませんが、静かであまり目立つようなタイプではありません。もちろん価値観は人それぞれですから一概には言えませんが、客観的には、あなたの方が充実した高校生活を送っているように見えますよ』
『あの子、市村くんの話をする時は本当に幸せそうなのよ。それにムカついたから、幸せをぶち壊してやろうと思って。あの子には不幸の方がお似合いよ。私の親友はそういう人間でないといけない』
冷徹なまでに白木真菜は言い切る。その言葉や雰囲気に、俊平がファイルの一ページ目で抱いた好印象は微塵も残っていない。
『結果はどうだったんですか?』
『御影さんも人が悪いわね。どうせ知ってるくせに。まあいい、教えてあげる。舞衣子ったら、市村くんに振られたことがかなりショックだったみたいで、その日のうちに私に泣きついてきたわ。私がその原因だとも知らずにね。あの時は笑いを堪えるのに苦労したよ。あくまでも私は、失恋した親友を慰める心優しき女の子を演じてないといけなかったわけだから……ははは』
ボイスレコーダーは、白木真菜の微かな笑い声を拾っていた。感情の抑制が効かなくなってきているのだろう。彼女は笑いを堪えるのに必死だ。
『これからどうするおつもりですか?』
『何も変わらない。これからも舞衣子の親友の立場でいるつもりだし、市村くんとは頃合を見計らって、何事も無かったかのようにお別れするわ』
『市村さんから吉岡さんに、あなたの存在が漏れることはなかったんですか?』
繭加のこの一言に、俊平は同感だと頷く。モラルは一度横に置いておくとして、第三者の恋人に手を出すならともかく、相手は親友の恋人だ。普通に考えればリスクが高すぎる。
『条件が重なったからこそ行動に移したの。幸い舞衣子は友達の私の存在を市村くんに知らせていなかった。二人だけの世界にはノイズだったのかもね。市村くんが私を知らないことを利用して、絶対に知り合いに見つからないような場所で、秘密のアプローチをかけ続けたの』
『そこまでするとは恐れ入ります』
『馬鹿にしてるの? あなたの行動も大概だと思うけど』
『失礼しました。価値観というのは人それぞれですし、あなたの行為をとやかく言うつもりはありません。いずれにせよあなたのダークサイド、しかと拝見いたしました』
『ダークサイド? 何の話よ』
『いえいえ、こちらの話です――』
そこでボイスレコーダーの音声はプツリと切れた。繭加がここで録音を止めたようだ。
「これが、白木真菜の真実です」
繭加は役目を終えたボイスレコーダーをポケットにしまう。
「聞いた感想はいかがですか?」
繭加はインタビュアーの真似事をして、エアで俊平にマイクを向けた。
「言葉にならないよ」
「言葉にならない。という言葉になってますよ」
「確かに。それならまだ余裕かもな」
口ではそう言いながらも、俊平は謎の疲労感に襲われ、深く椅子に掛け直した。白木真菜が面識の無い一年生だったからこの程度の驚きで済んでいるが、もしこれが近しい人物だったとしたら、いったいどれだけの衝撃を受けたか分からない。
「ドラマみたいなお話ですよね」
「ドラマの中だけにしておいてほしいよ。こういう話は」
繭加はそれこそ、最近見たドラマを友人と語るかのようなテンションだが、ノリについていけない俊平は苦笑するに留めた。
「ファイルの内容は疑ってましたけど、ボイスレコーダーの内容は素直に受け入れるんですね」
「ファイルだけならともかく、偽物の音声まで用意するのは大変だろ。白木真菜の声が本物かどうかなんて、本人の声を聞けば分かることだしな」
音声の信憑性に関しては俊平も認めていた。裁判じゃあるまいし、不当な方法で手に入れた証拠だなどと指摘するつもりも無い。だが、本物なら本物で問題がある。
「御影どうして録音したんだ? 不憫な吉岡舞衣子を思っての正義感か? それとも、録音した内容で白木真菜を脅迫でもするつもりか?」
俊平は鋭い目つきで繭加に問い掛ける。前者の理由での行動ならまだ理解を示せるが、仮に後者だとするならばそれは、モラルからかけ離れた行為に他ならない。
「どちらも違います」
「どういうことだ?」
「行ったでしょう。私はあくまでダークサイドを見るのが好きなだけです。それ以外の目的などありません。調査内容をまとめたファイルと音声を、個人的なコレクションとして保管する。只それだけです」
「本当にそれだけなのか?」
「それだけです。ちなみに今回の白木真菜の件も、彼女と私だけの秘密ということになっています。こちら側は人様のプライバシーに踏み込んでいる。それに対して相手は、ダークサイドをこちら側に知られている。お互いにやましい部分があるからこそ、秘密を共有し合う関係が成立しているんです。お互いに、少なくとも表向きは平穏に学生生活を送っていきたいですからね」
繭加は椅子から立ち上がると窓際まで移動し、ガラスの反射で俊平の表情を伺う。
「お前にメリットはあるのか?」
「カメラを趣味とする人が写真を撮ったり、映画が好きな人が映画館へ足を運ぶのと大差はありません。私にとってはそれが趣味なんですから」
ガラスに映る俊平の唇に、繭加はそっと右手の人差指を当てる。その仕草はまるで、言葉を遮る恋人のようだ。俊平の位置からは見えづらいので、繭加はだた窓を指でなぞっただけにしか見えていない。
「言うのは二回目だけどさ。やっぱり悪趣味だ」
「自覚していますよ」
振り返った繭加が浮かべるのは冷笑だった。その矛先は、正論を言い放つ俊平に対してなのか、自覚しながらもその行為を反省しようとしない自分自身に対してなのか。あるいはその両方へ向けたものなのか。
「コレクションを見せびらかしたいだけなら、俺は帰るぜ」
「ここまでは前置きのようなもの。大事なのはここからです。昨日は時間の都合でお話し出来ませんでしたが、芽衣姉さんの残した日記帳の内容についてもお話ししますよ」
その言葉は、俊平をこの場に繋ぎとめるには十分な楔であった。
「聞かせてもらおうか」
一度は席を立った俊平が再び着席した。橘芽衣の残した日記帳の内容を確認しないまま帰るわけにはいかない。
「ダークサイドのファイルね。まるで機密文書だ」
怪訝な表情を浮かべながら俊平は表紙を捲り、一ページ目を開いた。
「写真?」
俊平の目に最初に飛び込んできたのは、隠し撮りと思われる一枚の写真だ。
黒いロングヘアーを結い上げた少女が笑顔で写っている。素朴な顔立ちながらもその笑顔はとてもチャーミングで、学生らしい爽やかな魅力を放っていた。
「名前は白木真菜。私と同じ一年生です。詳細はそこに」
繭加に促され、数ページに渡り記載されている白木真菜の情報に目を通す。
文字は手書きとは思えない程に整然としており、書かれている字こそ美しいが、整い過ぎていてどこか無機質な印象を受ける。
写真の下には、白木真菜のプロフィールが数行記されている。生年月日に出身中学、身長や、流石に遠慮して俊平は数字を見なかったが、体重まで記載されていた。
「よくもまあ、ここまで」
外見からある程度の目測は出来るかもしれないが、数値化までしているのだから相当だ。
「ダークサイドを知るには、相手のことをよく知る必要がありますから」
「身長や体重はどうやって?」
「目測である程度身長や体重を当てることが出来る。私の特技の一つです」
「本当に?」
「体系や体格を見るに、藍沢先輩の身長は175センチ。体重は61キロといったところではないですか?」
「……身体測定の時、もしかして近くにいたか?」
「その驚愕した顔。これで不足分のリアクションは取り戻せましたね」
身長はピッタリ。体重は一キロ少なかったが、その程度は日常の中で変動する誤差の範囲だ。繭加の目測は機械のように正確だった。もちろん、学年も性別も違うので、繭加が俊平の身体データをたまたま覗き見たということもあり得ない。
「さあさあ。続きをどうぞ」
白木真菜の簡単なプロフィールから人物像、学校での印象、友人関係の順に、俊平はファイルを読み進めていく。白木真菜は成績面が優秀で、ほとんどの教科で学年平均よりも高い成績を収めている。委員会は図書委員会。部活動は吹奏楽部にそれぞれ所属。いずれも真面目に取り組んでおり、顧問や上級生からの評判も上々。友人も多く、中学からの同級生である吉岡舞衣子とは特に親しくしている。入学一ヶ月時点で無遅刻無欠席。問題行動も無い模範的生徒である――と、ファイルには記載されている。
「内容を見る限り、ダークサイドとは縁の無さそうな真面目な生徒のようだが」
ダークサイドどころか、善良で非の打ち所がない生徒だ。俊平ではない他の誰かがこのファイルを読んだとしても、まったく同じ印象を抱くに違いない。
「本題は次のページからです。捲ってみてください」
気乗りしないまま俊平はページに手を掛ける。繭加の口振りからすると、次ページに白木真菜のダークサイドが記されているということにはなる。それを確かめてみたいという好奇心と、白木真菜への好印象が覆されてしまうことへの不安が混在している。
「……何だよこれ」
白木真菜は、友人である吉岡舞衣子に対し、重大な秘密を持っている。そんな書き出しから、ダークサイドの解説が始まった。
白木真菜には、男女の関係にある男子生徒が存在する。相手は他校の生徒で名前は市村一弥。白木真菜の友人である吉岡舞衣子の元恋人である。
白木真菜は、市村一弥が友人の恋人だと知った上で積極的にアプローチをかけ、結果的に二人の破局の原因を作る。水面下で動いていたようで、吉岡舞衣子はその事実に気づいていない。白木真菜は市村一弥との交際を隠しながら、素知らぬ顔で現在も吉岡舞衣子との友人関係を続けているようだ。
「友人の恋人を奪ったのか。しかも相手はそのことに気付いていないとは」
俊平は唖然として、ファイルを読み進める手を止めてしまった。禁忌にでても触れてしまったような気分だ。
「どうですか。白木真菜のダークサイドは。一ページ目に記載されている普段の彼女とは、まるで印象が違いますよね」
反応を楽しむかのように、繭加は微笑みを浮かべながら俊平の顔を覗き込んだ。
「これが事実なら驚きだが、御影の創作という可能性もあるよな?」
「疑り深いですね」
笑顔の繭加に動揺は見られない。自信から来る余裕とも取れるし、俊平とのやり取りを純粋に楽しんでいるようにも見える。
「悪く思うなよ。内容が内容だし、白木真菜に関する情報が仮に事実だとしても、このファイルだけでは判断がつかない。俺とお前が無条件でお互いを信じあえる仲だというなら話は別だが、お互い昨日出会ったばかりだしな」
俊平は良くも悪くも客観的な立場を保っている。白木真菜に肩入れするわけでも、繭加の意見を素直に受け入れるわけでもない。
「決定的な証拠があると言ったらどうしますか?」
「そんなものがあるのか?」
繭加は制服のポケットから小型の銀色の機器を取り出し、わざとらしく掲げてみせた。
「ボイスレコーダーか」
中学時代、生徒会の会議で議事録をつけるために使っていたので、それが何なのか俊平にはすぐに分かった。中学生が会議で使うことは珍しいが、当時の生徒会を担当していた教師が一つの経験にと会議内容を録音し、後でその内容をみんなで精査するという勉強を行ったことがある。
「再生しますね」
了解も聞かず、繭加は再生のスイッチを押す。俊平はまだ心の準備が出来ていなかったが、音声が再生されたことで、意識はその内容に強制的に引き寄せられる。
『白木さん。このことを絶対に他言しないことをお約束します。ですから、私に真実を話してくれませんか?』
最初に聞こえてきたのは繭加の声だった。
『これだけ証拠を揃えられたら、隠しても仕方がないね。そうだよ、私は舞衣子の恋人だと知った上で、市村くんに関係を迫ったわ』
相手の女子生徒、白木真菜は興奮気味で、声が上ずり話も早口だ。
『それだけ、市村さんを愛してしまったということですか?』
『それは違う。顔は悪くないけど、市村くんのことは正直そこまで好きじゃないの。ただ、麻衣子の彼氏を奪いたくなっただけよ』
『どうしてそこまで? 舞衣子さんはあなたの大切なお友達でしょう?』
『許せないのよ。あの子が私より幸せそうにしてるのが!』
白木真菜の言葉には、ボイスレコーダー越しでも伝わる、激情と呪いが込められていた。
『分りません。あなたの方が成績優秀だし人望も厚い。対して舞衣子さんは、問題児でこそありませんが、静かであまり目立つようなタイプではありません。もちろん価値観は人それぞれですから一概には言えませんが、客観的には、あなたの方が充実した高校生活を送っているように見えますよ』
『あの子、市村くんの話をする時は本当に幸せそうなのよ。それにムカついたから、幸せをぶち壊してやろうと思って。あの子には不幸の方がお似合いよ。私の親友はそういう人間でないといけない』
冷徹なまでに白木真菜は言い切る。その言葉や雰囲気に、俊平がファイルの一ページ目で抱いた好印象は微塵も残っていない。
『結果はどうだったんですか?』
『御影さんも人が悪いわね。どうせ知ってるくせに。まあいい、教えてあげる。舞衣子ったら、市村くんに振られたことがかなりショックだったみたいで、その日のうちに私に泣きついてきたわ。私がその原因だとも知らずにね。あの時は笑いを堪えるのに苦労したよ。あくまでも私は、失恋した親友を慰める心優しき女の子を演じてないといけなかったわけだから……ははは』
ボイスレコーダーは、白木真菜の微かな笑い声を拾っていた。感情の抑制が効かなくなってきているのだろう。彼女は笑いを堪えるのに必死だ。
『これからどうするおつもりですか?』
『何も変わらない。これからも舞衣子の親友の立場でいるつもりだし、市村くんとは頃合を見計らって、何事も無かったかのようにお別れするわ』
『市村さんから吉岡さんに、あなたの存在が漏れることはなかったんですか?』
繭加のこの一言に、俊平は同感だと頷く。モラルは一度横に置いておくとして、第三者の恋人に手を出すならともかく、相手は親友の恋人だ。普通に考えればリスクが高すぎる。
『条件が重なったからこそ行動に移したの。幸い舞衣子は友達の私の存在を市村くんに知らせていなかった。二人だけの世界にはノイズだったのかもね。市村くんが私を知らないことを利用して、絶対に知り合いに見つからないような場所で、秘密のアプローチをかけ続けたの』
『そこまでするとは恐れ入ります』
『馬鹿にしてるの? あなたの行動も大概だと思うけど』
『失礼しました。価値観というのは人それぞれですし、あなたの行為をとやかく言うつもりはありません。いずれにせよあなたのダークサイド、しかと拝見いたしました』
『ダークサイド? 何の話よ』
『いえいえ、こちらの話です――』
そこでボイスレコーダーの音声はプツリと切れた。繭加がここで録音を止めたようだ。
「これが、白木真菜の真実です」
繭加は役目を終えたボイスレコーダーをポケットにしまう。
「聞いた感想はいかがですか?」
繭加はインタビュアーの真似事をして、エアで俊平にマイクを向けた。
「言葉にならないよ」
「言葉にならない。という言葉になってますよ」
「確かに。それならまだ余裕かもな」
口ではそう言いながらも、俊平は謎の疲労感に襲われ、深く椅子に掛け直した。白木真菜が面識の無い一年生だったからこの程度の驚きで済んでいるが、もしこれが近しい人物だったとしたら、いったいどれだけの衝撃を受けたか分からない。
「ドラマみたいなお話ですよね」
「ドラマの中だけにしておいてほしいよ。こういう話は」
繭加はそれこそ、最近見たドラマを友人と語るかのようなテンションだが、ノリについていけない俊平は苦笑するに留めた。
「ファイルの内容は疑ってましたけど、ボイスレコーダーの内容は素直に受け入れるんですね」
「ファイルだけならともかく、偽物の音声まで用意するのは大変だろ。白木真菜の声が本物かどうかなんて、本人の声を聞けば分かることだしな」
音声の信憑性に関しては俊平も認めていた。裁判じゃあるまいし、不当な方法で手に入れた証拠だなどと指摘するつもりも無い。だが、本物なら本物で問題がある。
「御影どうして録音したんだ? 不憫な吉岡舞衣子を思っての正義感か? それとも、録音した内容で白木真菜を脅迫でもするつもりか?」
俊平は鋭い目つきで繭加に問い掛ける。前者の理由での行動ならまだ理解を示せるが、仮に後者だとするならばそれは、モラルからかけ離れた行為に他ならない。
「どちらも違います」
「どういうことだ?」
「行ったでしょう。私はあくまでダークサイドを見るのが好きなだけです。それ以外の目的などありません。調査内容をまとめたファイルと音声を、個人的なコレクションとして保管する。只それだけです」
「本当にそれだけなのか?」
「それだけです。ちなみに今回の白木真菜の件も、彼女と私だけの秘密ということになっています。こちら側は人様のプライバシーに踏み込んでいる。それに対して相手は、ダークサイドをこちら側に知られている。お互いにやましい部分があるからこそ、秘密を共有し合う関係が成立しているんです。お互いに、少なくとも表向きは平穏に学生生活を送っていきたいですからね」
繭加は椅子から立ち上がると窓際まで移動し、ガラスの反射で俊平の表情を伺う。
「お前にメリットはあるのか?」
「カメラを趣味とする人が写真を撮ったり、映画が好きな人が映画館へ足を運ぶのと大差はありません。私にとってはそれが趣味なんですから」
ガラスに映る俊平の唇に、繭加はそっと右手の人差指を当てる。その仕草はまるで、言葉を遮る恋人のようだ。俊平の位置からは見えづらいので、繭加はだた窓を指でなぞっただけにしか見えていない。
「言うのは二回目だけどさ。やっぱり悪趣味だ」
「自覚していますよ」
振り返った繭加が浮かべるのは冷笑だった。その矛先は、正論を言い放つ俊平に対してなのか、自覚しながらもその行為を反省しようとしない自分自身に対してなのか。あるいはその両方へ向けたものなのか。
「コレクションを見せびらかしたいだけなら、俺は帰るぜ」
「ここまでは前置きのようなもの。大事なのはここからです。昨日は時間の都合でお話し出来ませんでしたが、芽衣姉さんの残した日記帳の内容についてもお話ししますよ」
その言葉は、俊平をこの場に繋ぎとめるには十分な楔であった。
「聞かせてもらおうか」
一度は席を立った俊平が再び着席した。橘芽衣の残した日記帳の内容を確認しないまま帰るわけにはいかない。