「最近部室に姿を見せないと思ったら、桜木さんとデートですか?」
喫茶店で桜木と別れ、帰路へとついた俊平は、駅通りの往来で背後から声をかけられた。部室に顔を出さなくなってまだ一週間程度だが、その声を聞くのはずいぶん久しぶりに感じられた。
「御影。見ていたのか?」
「はい。藍沢先輩の動向が気になって学校からつけていました」
「何となく気づいていたよ。こうして声をかけてくれて好都合だ。お前とも一度ゆっくり話をしないといけないと思っていた」
何も起こらなければ、そのまま知らない振りをしているつもりだったが、こうして声をかけてきた以上、繭加にも何か気づきがあったのだろう。繭加がより深い真実を求めるのなら、それには誠意をもって答えようと覚悟はしていた。
「往来でするような話じゃない。場所を変えよう」
「分かりました」
※※※
「何か歌いますか?」
「俺は遠慮しとく。歌いたかったらお好きにどうぞ」
「それじゃあデュエット出来る曲にしましょうか」
「おい。俺の意見はどこにいった」
俊平と繭加は駅通りのカラオケ店へと場所を移した。施設の性質上、防音性能の高いカラオケ店は秘密の話をするにはうってつけだ。
「冗談はこのぐらいにして、藤枝が職員会議にかけられた件に、藍沢先輩も関わっていますよね?」
「認めるよ。屋上で藤枝を問い詰めた時、俺もボイスレコーダーでやり取りを記録していた。それを使って、藤枝の持っていた女性達のデータを削除させ、音声は桜木に提供した。お前の流儀に背いたことは申し訳なく思うが、これは俺自身が記録した音声データだから、俺のやりたいようにやらせてもらった。悪く思うなよ。藤枝にもやったのは御影ではなく俺だと伝えてあるからその点は安心しろ。責任は全て俺が負う」
「藍沢先輩を責めるつもりはありません。藍沢先輩の仰る通り、自分で手に入れた音声をどう使おうと、それは先輩の自由です。私は芽衣姉さんの死の真相を知ることが出来ればそれで十分でしたが、正義のために必要な告発だったことも理解出来ます」
自分以外に、藤枝を告発する証拠を持っている人間がいるとすれば、それは俊平以外に存在しない。橘芽衣の死の真相を知るために協力してくれてはいたが、俊平は本来、他人のダークサイドを覗き見る繭加の行為を不謹慎と断じる良識ある人間だ。そんな彼が目の前の悪を見過ごすはずがない。藤枝が職員会議にかけられた日に俊平が桜木志保と接触したことで合点がいったし、そこまで驚きはなかった。
「他にも聞きたいことが山ほどあるって顔に書いてあるぞ」
「私って、そんなに分かりやすいですかね」
「今日は特にな。安心しろ。利用時間が終わるまでは、逃げも隠れもしない」
藤枝を告発した件など、前置きに過ぎない。本題はこれからだ。頭の中を整理するように、繭加は目を伏せて黙考した。
「……芽衣姉さんの死の真相について、まだ何か私の知らない真実があるではと考えるようになりました」
「何か心境の変化が?」
「初めて部室にお招きした時に、白木真菜のダークサイドの情報をお見せしたことを覚えていますか?」
「確か、親友が幸せそうにしているのが許せなくて、密かに恋人を略奪したって話だったな」
「先日その親友、吉岡舞衣子さんが、分かれた恋人の市村さんと公園で会っている様子を目撃したんです。その時の吉岡さんの言動が気になって。口振りから察するに彼女は、最初から市村さんに恋愛感情なんてなかった。それどころか親友の白木真菜の関与にも気づいているようですらあった」
「もしそうだとすれば、色々と見え方が変わってくるな」
「あのダークサイドにはまだ、私の知らない真相が残されているのかもしれない。そう思ってこの一週間、吉岡舞衣子さんについて調べていました」
「こうして話題に出すんだ。何か新しい事実が出たみたいだな」
「結論から言うと、全ては吉岡舞衣子さんの掌の上でした。白木さんは確かにダークサイドを秘めていましたが、吉岡さんのはそれ以上のものだった」
白木真奈の自白を記録した音声もあり、繭加はそれが全ての真実だと一度は結論づけた。だがそのさらに奥深くには、当事者である白木真菜自身も知らなかったであろう真実が隠されていた。深層だと思って見つめていた場所はまだ、ほんの表層に過ぎなかったのだ。
「白木さんは、幸せそうに笑う友人の吉岡さんのことが許せず、秘密裏に恋人を奪い破局の原因を作った。そのことを本人は悟らせぬまま、変わらず友人関係を続けている。吉岡さんは一方的な被害者だという先入観から、吉岡さんの視点を疎かにしていました。改めて吉岡舞衣子という人間を調べて分かったこと、それは吉岡さんは私たちが思っている以上に、白木真菜さんに対して執着しているということです」
「吉岡舞衣子には白木以外に親しい友人がいない。執着する気持ちは分からなくはないが、それがどうダークサイドに繋がってくる?」
「引っ込み思案な吉岡さんとは違い、白木さんは明るく社交的なタイプです。高校に入学してからも新しい環境にもすぐさま順応し、新しい友達もたくさんできた。吉岡さんは唯一の友達である白木さんの気持ちが自分から離れてしまうのではと危惧したようです。そこで吉岡さんは白木さんの気持ちを繋ぎ止めるための行動に出た」
「まさか、そのために市村一弥と交際を?」
「白木さんの興味を引くためだけに、好きでもない男子を恋人にする。それだけの行動力と度胸があるなら、いくらでも交友関係を広げられそうな気がしますが、価値観というのは人それぞれですから。吉岡さんにとって大事なのは、白木さんただ一人なのでしょう」
結果的には、全て吉岡舞衣子の壮大な自演であった。
友人の少ない舞衣子は真菜へと強い執着を抱いていた。自分は真菜の引き立て役に過ぎないと理解していても、真菜の近くにいるだけで幸せだった。ひょっとしたら舞衣子の方は、友達以上の感情を抱いていたのかもしれない。
新たな環境で交友関係を広げていき、華々しい高校デビューを果たす真菜。そんな真菜に舞衣子が抱いた感情は、置いていかれて孤独になる恐怖だった。もう一度、真菜の関心を引き付けるにはどうしたらよいのか。真菜の性格の悪さを熟知している舞衣子は一計を案じる。真菜はきっと、舞衣子が自分よりも幸せそうにしている様が許せない。それを利用してやろうと考えた。そのための使い捨ての駒が、他校の男子生徒だった市村一弥だ。舞衣子はもしかしたら、恋人が出来たという事実だけを作ったら、自分から市村を振って失恋を演出しようとしたのかもしれない。だけど結果は、舞衣子の想定を遥かに上回り、真菜は舞衣子の恋人を奪おうとする程のアグレッシブさを発揮した。舞衣子に交際していた市村一弥に対する恋愛感情は皆無であり、交際自体が白木真奈の興味を引くための餌に過ぎない。そういう意味では市村が一番の被害者とも言えるが、簡単に白木真菜に心変わりした様子を見るに、最初から軽薄な人間であった可能性は否定できない。
恋人と別れたことを、舞衣子は涙ながらに真菜へと相談する。真菜は誇らしげに相談に乗って見せたようだが、実際に心の中でガッツポーズを浮かべていたのは、被害者だとばかり思われていた舞衣子の方だった。例え根底にあるのが嗜虐心だとしても、恋人を奪うという過激な方法を取る程に、真菜の感情は舞衣子へと向いた。それこそが舞衣子の求めていたものだ。今の真菜は舞衣子から目が離せない。
一方が加害者で一方が被害者だと決めつけていたから、最初は深層に辿り着くことが出来なかった。異なる感情でお互いに執着を持つ二人の少女がそれぞれのダークサイドに従い行動を起こした、言うなれば多重構造のダークサイド。それこそが真相だ。
「安っぽい表現ですまないが、衝撃の真実だな」
「はい。言葉になりません」
「言葉にならない。という言葉になっているぞ」
「前とは逆ですね」
「たった今聞かされた真相のようにな」
お互いに思わず苦笑した。隣の部屋にお客さんが入ってきたようで、最新のヒット曲の軽快なサウンドが聞こえてくる。
「この件を調べ直したことで一つの気づきがありました。物事とは多面的で、様々な視点から見つめなければいけない。芽衣姉さんの件だってそうです。藤枝の証言も、あくまでも彼の視点からの真実でしかない。全ての真実を明らかにするためには、他の当事者の視点も必要です。芽衣姉さんの視点とそしてもう一人……藍沢俊平の視点も必要なはずです」
初対面の時のような、魔眼の如き引力を宿した瞳で、繭加は真っすぐ俊平を見据えた。
「御影の考えを聞かせてもらおうか」
俊平は否定も肯定もしない。今はただ、繭加の言葉に耳を傾ける。
「初めて会った時から、藍沢先輩は芽衣姉さんに好意を寄せていたのではと感じていました。あの日、あの場所を訪れたのは私以外では先輩だけです。しかも先輩はお供え物として、芽衣姉さんの好物だったヨーグルト飲料を持ってきていましたから」
「あの時は、後で自分で飲むからそのついでだと言ったと思うが」
「だけど先輩はあの場で私の質問に答え、ヨーグルトが苦手だとも答えていました。芽衣姉さんの好物を知っていて、自分が苦手にも関わらずそれを持ってきた。単なる後輩ではないだろうと」
「あの質問に刺されるとはな。苦手だから、帰りは一気に飲み干したよ」
「言ってくれれば代わりに飲んだのに」
「初対面だし、色々と警戒してたんだよ」
橘芽衣の従姉妹との思いがけぬ遭遇は、あの時の俊平を確かに動揺させていた。質問の答えとその後の行動がチグハグだったことにも、今の今まで忘れていた。逆に繭加はあの時、そうやって冷静に分析をするぐらいには冷静だったようだ。
「憧れだった芽衣姉さんのため。それが藍沢先輩の行動原理だと思っていました。だけど、新たな視点で調べ直していく中で、その認識は誤りであったことに気づきました」
「もしかして、日記か?」
繭加だけが持ち、俊平は知らない視点。真っ先に思い浮かんだのは橘芽衣が生前につけていた日記だった。俊平の想像を裏付けるように、繭加は深く頷いた。
「日記を読み返すことで、新たな気づきがありました。前にもお話した通り、芽衣姉さんの日記には当時交際していた男性に関する記述が見受けれますが、個人名は登場しません。これ自体は私にとって不思議なことではありません。芽衣姉さんは日記の中の登場人物を彼や彼女といった表現で書く癖がありましたから。読書家でしたし、日記も一つの物語と捉えていたのかもしれません。日記とは他人に見せるようなものではない。自分の記憶と一致していれば大きな問題はありませんしね」
「お前は日記から何を得た?」
「中学を卒業した頃から、日記には頻繁に『君』と呼ばれる人物が登場するようになります。そして日記が四月に差し掛かると、『君』とは別に『彼』という表現が登場するようになる。私はこれはどちらも藤枝のことだと考えていました。この時期からだんだんと日記の更新頻度が減り、内容も不安定になっていく。表現の違いはそういった混乱の中での書き間違えたのだと……だけど、もっとしっくりくる答えがあることに気づきました。同一人物ではなく、『君』と『彼』、二人の男性が存在している」
丁度、隣の部屋では一曲終了したタイミングらしい。それまでに比べて場が静かになった。
「日記に登場する『君』は藍沢先輩で、『彼』は藤枝なのではないですか?」
「正解だと思う。時期的に考えて『君』は俺だろう。本人曰く、藤枝が芽衣さんにアプローチをしたのは高校に入学してから。四月に登場した『彼』はあの人で間違いないだろうな」
「藍沢先輩は芽衣姉さんに恋をしていただけではない。二人は交際していたんですね」
「ああ。短い期間ではあったけど」
繭加のためにも、秘密のままにしておいた方が良いのではと思ったこともある。真実が優しいとは限らないからだ。だけど繭加はこうして自ら真実へと手をかけた。だったら俊平もまた真摯に向き合わなくてはいけない。
「経緯を聞いても?」
「御影にとっても辛い話になるかもしれないぞ」
「覚悟は出来ています」
愚問だったなと、俊平は反省に目を閉じた。繭加は日記に二人の男性が登場することに気づいた。その時点でそれが何を意味しているのか、すでに可能性は想像しているはずだ。覚悟を決めなくてはいけないのはむしろ、俊平の方だった。再び自らの弱さと向き合わなければいけないから。
「……自分語りはあまり得意じゃないが、しばし付き合ってもらうぞ」
過去に思いを馳せた俊平は、記憶の中の橘芽衣と再会する。
喫茶店で桜木と別れ、帰路へとついた俊平は、駅通りの往来で背後から声をかけられた。部室に顔を出さなくなってまだ一週間程度だが、その声を聞くのはずいぶん久しぶりに感じられた。
「御影。見ていたのか?」
「はい。藍沢先輩の動向が気になって学校からつけていました」
「何となく気づいていたよ。こうして声をかけてくれて好都合だ。お前とも一度ゆっくり話をしないといけないと思っていた」
何も起こらなければ、そのまま知らない振りをしているつもりだったが、こうして声をかけてきた以上、繭加にも何か気づきがあったのだろう。繭加がより深い真実を求めるのなら、それには誠意をもって答えようと覚悟はしていた。
「往来でするような話じゃない。場所を変えよう」
「分かりました」
※※※
「何か歌いますか?」
「俺は遠慮しとく。歌いたかったらお好きにどうぞ」
「それじゃあデュエット出来る曲にしましょうか」
「おい。俺の意見はどこにいった」
俊平と繭加は駅通りのカラオケ店へと場所を移した。施設の性質上、防音性能の高いカラオケ店は秘密の話をするにはうってつけだ。
「冗談はこのぐらいにして、藤枝が職員会議にかけられた件に、藍沢先輩も関わっていますよね?」
「認めるよ。屋上で藤枝を問い詰めた時、俺もボイスレコーダーでやり取りを記録していた。それを使って、藤枝の持っていた女性達のデータを削除させ、音声は桜木に提供した。お前の流儀に背いたことは申し訳なく思うが、これは俺自身が記録した音声データだから、俺のやりたいようにやらせてもらった。悪く思うなよ。藤枝にもやったのは御影ではなく俺だと伝えてあるからその点は安心しろ。責任は全て俺が負う」
「藍沢先輩を責めるつもりはありません。藍沢先輩の仰る通り、自分で手に入れた音声をどう使おうと、それは先輩の自由です。私は芽衣姉さんの死の真相を知ることが出来ればそれで十分でしたが、正義のために必要な告発だったことも理解出来ます」
自分以外に、藤枝を告発する証拠を持っている人間がいるとすれば、それは俊平以外に存在しない。橘芽衣の死の真相を知るために協力してくれてはいたが、俊平は本来、他人のダークサイドを覗き見る繭加の行為を不謹慎と断じる良識ある人間だ。そんな彼が目の前の悪を見過ごすはずがない。藤枝が職員会議にかけられた日に俊平が桜木志保と接触したことで合点がいったし、そこまで驚きはなかった。
「他にも聞きたいことが山ほどあるって顔に書いてあるぞ」
「私って、そんなに分かりやすいですかね」
「今日は特にな。安心しろ。利用時間が終わるまでは、逃げも隠れもしない」
藤枝を告発した件など、前置きに過ぎない。本題はこれからだ。頭の中を整理するように、繭加は目を伏せて黙考した。
「……芽衣姉さんの死の真相について、まだ何か私の知らない真実があるではと考えるようになりました」
「何か心境の変化が?」
「初めて部室にお招きした時に、白木真菜のダークサイドの情報をお見せしたことを覚えていますか?」
「確か、親友が幸せそうにしているのが許せなくて、密かに恋人を略奪したって話だったな」
「先日その親友、吉岡舞衣子さんが、分かれた恋人の市村さんと公園で会っている様子を目撃したんです。その時の吉岡さんの言動が気になって。口振りから察するに彼女は、最初から市村さんに恋愛感情なんてなかった。それどころか親友の白木真菜の関与にも気づいているようですらあった」
「もしそうだとすれば、色々と見え方が変わってくるな」
「あのダークサイドにはまだ、私の知らない真相が残されているのかもしれない。そう思ってこの一週間、吉岡舞衣子さんについて調べていました」
「こうして話題に出すんだ。何か新しい事実が出たみたいだな」
「結論から言うと、全ては吉岡舞衣子さんの掌の上でした。白木さんは確かにダークサイドを秘めていましたが、吉岡さんのはそれ以上のものだった」
白木真奈の自白を記録した音声もあり、繭加はそれが全ての真実だと一度は結論づけた。だがそのさらに奥深くには、当事者である白木真菜自身も知らなかったであろう真実が隠されていた。深層だと思って見つめていた場所はまだ、ほんの表層に過ぎなかったのだ。
「白木さんは、幸せそうに笑う友人の吉岡さんのことが許せず、秘密裏に恋人を奪い破局の原因を作った。そのことを本人は悟らせぬまま、変わらず友人関係を続けている。吉岡さんは一方的な被害者だという先入観から、吉岡さんの視点を疎かにしていました。改めて吉岡舞衣子という人間を調べて分かったこと、それは吉岡さんは私たちが思っている以上に、白木真菜さんに対して執着しているということです」
「吉岡舞衣子には白木以外に親しい友人がいない。執着する気持ちは分からなくはないが、それがどうダークサイドに繋がってくる?」
「引っ込み思案な吉岡さんとは違い、白木さんは明るく社交的なタイプです。高校に入学してからも新しい環境にもすぐさま順応し、新しい友達もたくさんできた。吉岡さんは唯一の友達である白木さんの気持ちが自分から離れてしまうのではと危惧したようです。そこで吉岡さんは白木さんの気持ちを繋ぎ止めるための行動に出た」
「まさか、そのために市村一弥と交際を?」
「白木さんの興味を引くためだけに、好きでもない男子を恋人にする。それだけの行動力と度胸があるなら、いくらでも交友関係を広げられそうな気がしますが、価値観というのは人それぞれですから。吉岡さんにとって大事なのは、白木さんただ一人なのでしょう」
結果的には、全て吉岡舞衣子の壮大な自演であった。
友人の少ない舞衣子は真菜へと強い執着を抱いていた。自分は真菜の引き立て役に過ぎないと理解していても、真菜の近くにいるだけで幸せだった。ひょっとしたら舞衣子の方は、友達以上の感情を抱いていたのかもしれない。
新たな環境で交友関係を広げていき、華々しい高校デビューを果たす真菜。そんな真菜に舞衣子が抱いた感情は、置いていかれて孤独になる恐怖だった。もう一度、真菜の関心を引き付けるにはどうしたらよいのか。真菜の性格の悪さを熟知している舞衣子は一計を案じる。真菜はきっと、舞衣子が自分よりも幸せそうにしている様が許せない。それを利用してやろうと考えた。そのための使い捨ての駒が、他校の男子生徒だった市村一弥だ。舞衣子はもしかしたら、恋人が出来たという事実だけを作ったら、自分から市村を振って失恋を演出しようとしたのかもしれない。だけど結果は、舞衣子の想定を遥かに上回り、真菜は舞衣子の恋人を奪おうとする程のアグレッシブさを発揮した。舞衣子に交際していた市村一弥に対する恋愛感情は皆無であり、交際自体が白木真奈の興味を引くための餌に過ぎない。そういう意味では市村が一番の被害者とも言えるが、簡単に白木真菜に心変わりした様子を見るに、最初から軽薄な人間であった可能性は否定できない。
恋人と別れたことを、舞衣子は涙ながらに真菜へと相談する。真菜は誇らしげに相談に乗って見せたようだが、実際に心の中でガッツポーズを浮かべていたのは、被害者だとばかり思われていた舞衣子の方だった。例え根底にあるのが嗜虐心だとしても、恋人を奪うという過激な方法を取る程に、真菜の感情は舞衣子へと向いた。それこそが舞衣子の求めていたものだ。今の真菜は舞衣子から目が離せない。
一方が加害者で一方が被害者だと決めつけていたから、最初は深層に辿り着くことが出来なかった。異なる感情でお互いに執着を持つ二人の少女がそれぞれのダークサイドに従い行動を起こした、言うなれば多重構造のダークサイド。それこそが真相だ。
「安っぽい表現ですまないが、衝撃の真実だな」
「はい。言葉になりません」
「言葉にならない。という言葉になっているぞ」
「前とは逆ですね」
「たった今聞かされた真相のようにな」
お互いに思わず苦笑した。隣の部屋にお客さんが入ってきたようで、最新のヒット曲の軽快なサウンドが聞こえてくる。
「この件を調べ直したことで一つの気づきがありました。物事とは多面的で、様々な視点から見つめなければいけない。芽衣姉さんの件だってそうです。藤枝の証言も、あくまでも彼の視点からの真実でしかない。全ての真実を明らかにするためには、他の当事者の視点も必要です。芽衣姉さんの視点とそしてもう一人……藍沢俊平の視点も必要なはずです」
初対面の時のような、魔眼の如き引力を宿した瞳で、繭加は真っすぐ俊平を見据えた。
「御影の考えを聞かせてもらおうか」
俊平は否定も肯定もしない。今はただ、繭加の言葉に耳を傾ける。
「初めて会った時から、藍沢先輩は芽衣姉さんに好意を寄せていたのではと感じていました。あの日、あの場所を訪れたのは私以外では先輩だけです。しかも先輩はお供え物として、芽衣姉さんの好物だったヨーグルト飲料を持ってきていましたから」
「あの時は、後で自分で飲むからそのついでだと言ったと思うが」
「だけど先輩はあの場で私の質問に答え、ヨーグルトが苦手だとも答えていました。芽衣姉さんの好物を知っていて、自分が苦手にも関わらずそれを持ってきた。単なる後輩ではないだろうと」
「あの質問に刺されるとはな。苦手だから、帰りは一気に飲み干したよ」
「言ってくれれば代わりに飲んだのに」
「初対面だし、色々と警戒してたんだよ」
橘芽衣の従姉妹との思いがけぬ遭遇は、あの時の俊平を確かに動揺させていた。質問の答えとその後の行動がチグハグだったことにも、今の今まで忘れていた。逆に繭加はあの時、そうやって冷静に分析をするぐらいには冷静だったようだ。
「憧れだった芽衣姉さんのため。それが藍沢先輩の行動原理だと思っていました。だけど、新たな視点で調べ直していく中で、その認識は誤りであったことに気づきました」
「もしかして、日記か?」
繭加だけが持ち、俊平は知らない視点。真っ先に思い浮かんだのは橘芽衣が生前につけていた日記だった。俊平の想像を裏付けるように、繭加は深く頷いた。
「日記を読み返すことで、新たな気づきがありました。前にもお話した通り、芽衣姉さんの日記には当時交際していた男性に関する記述が見受けれますが、個人名は登場しません。これ自体は私にとって不思議なことではありません。芽衣姉さんは日記の中の登場人物を彼や彼女といった表現で書く癖がありましたから。読書家でしたし、日記も一つの物語と捉えていたのかもしれません。日記とは他人に見せるようなものではない。自分の記憶と一致していれば大きな問題はありませんしね」
「お前は日記から何を得た?」
「中学を卒業した頃から、日記には頻繁に『君』と呼ばれる人物が登場するようになります。そして日記が四月に差し掛かると、『君』とは別に『彼』という表現が登場するようになる。私はこれはどちらも藤枝のことだと考えていました。この時期からだんだんと日記の更新頻度が減り、内容も不安定になっていく。表現の違いはそういった混乱の中での書き間違えたのだと……だけど、もっとしっくりくる答えがあることに気づきました。同一人物ではなく、『君』と『彼』、二人の男性が存在している」
丁度、隣の部屋では一曲終了したタイミングらしい。それまでに比べて場が静かになった。
「日記に登場する『君』は藍沢先輩で、『彼』は藤枝なのではないですか?」
「正解だと思う。時期的に考えて『君』は俺だろう。本人曰く、藤枝が芽衣さんにアプローチをしたのは高校に入学してから。四月に登場した『彼』はあの人で間違いないだろうな」
「藍沢先輩は芽衣姉さんに恋をしていただけではない。二人は交際していたんですね」
「ああ。短い期間ではあったけど」
繭加のためにも、秘密のままにしておいた方が良いのではと思ったこともある。真実が優しいとは限らないからだ。だけど繭加はこうして自ら真実へと手をかけた。だったら俊平もまた真摯に向き合わなくてはいけない。
「経緯を聞いても?」
「御影にとっても辛い話になるかもしれないぞ」
「覚悟は出来ています」
愚問だったなと、俊平は反省に目を閉じた。繭加は日記に二人の男性が登場することに気づいた。その時点でそれが何を意味しているのか、すでに可能性は想像しているはずだ。覚悟を決めなくてはいけないのはむしろ、俊平の方だった。再び自らの弱さと向き合わなければいけないから。
「……自分語りはあまり得意じゃないが、しばし付き合ってもらうぞ」
過去に思いを馳せた俊平は、記憶の中の橘芽衣と再会する。