「蝶を追い払って手柄を立てて、筒路森様の寵愛を受けるつもりだった!?」
「違う……」
「それ以外に考えられない……!」
怒りと、憎しみが混ざった声に対して、向ける言葉がない。
「違う……」
「違わないっ!」
妹の幸せを邪魔したいわけでも、自分の手柄を立てるつもりもなかった。
でも、結果的に私は妹の祝言を妨げた。
今更、何を弁明しても信じてもらえない。
「筒路森様、この娘は北白川と一切関係のない娘です!」
「どうか、どうか美怜のことを……」
何を言っても信じてもらえないのなら、謝るしかない。
そう言葉を紡ごうと、口を動かそうとしたときのことだった。
「倍の価格をお支払いします」
これ以上、私が言葉を紡がないように。
私の言葉を塞き止めるために、筒路森家のご当主様の手の甲が唇へと触れる。
「彼女を私の嫁にいただきたい」
彼の言葉に、誰もが信じられないという表情で筒路森家のご当主様を見つめた。
「どうして……?」
妹が涙を浮かべながら、震える声で婚約者に尋ねる。
「車、用意できました」
筒路森様の側近の方の呑気な声が、部屋を漂う殺伐とした空気を打ち破った。
「って、あれ? まだ話、終わってないんですか」
事の成り行きを見ていなかった青年は朗らかな喋りで、この場の空気を壊しにかかる。
「いや、もう済んでいる」
「それは良かった」
筒路森の当主に、手を引かれる。
私はもう言葉を紡ぐことができるようになったはずなのに、何を言葉にすればいいのか分からない。
「お……お待ちくださいっ! 筒路森様!」
「倍では足りませんか? では、更に倍の額をお支払いします」
「その娘は、その娘は……!」
こんなときになっても、父は私の名前を呼んでくれない。
「この子は、美怜と違って不出来なのです」
母も、私の名前を忘れてしまったのかもしれない。
「私の方が、妻として相応しい振る舞いを……」
妹は、姉よりも優位であり続けようと必死だった。
「筒路森様……私は、あなたの妻に、は……」
「聞こえなかったか」
私が身を引くことで、この場は丸く収まる。
筒路森のご当主様の腕から抜け出そうと試みると、彼は私の手をしっかりと握り締めた。
まるで、もう二度と離さないと言われているかのような錯覚。
心が激しく鼓動を打ち、溢したくないはずの涙が涙腺を揺さぶり始める。
「俺は、君を嫁に欲しいと言っているんだ」
彼の温かい手の感触が、まるで安心感を与えるように心へと染みていく。
心には躊躇いの気持ちがあるはずなのに、彼の真剣な眼差しを自身の瞳に焼きつけたいと願ってしまった。
「私は……蝶の子で……」
手を繋いでいない方の片手を、自分の胸元あたりへと運ぶ。
早く、良い結末を迎えられるようにと祈りを込める。
「筒路森様っ! お待ちくださいっ! その子は世界を滅ぼすために産まれてきた子! 筒路森の品格を失わないためには、美怜との婚約を……」
「申し訳ございません。聞こえていなかったようですね」
彼と共に歩き出すと、周囲のざわめきや妹の悲痛な叫び声が遠ざかっていくように感じた。
「彼女がいいと、お伝えしたはずですが」
彼の腕の中で、初めて自分が守られていると感じることができた。
でも、その温かな腕に守られることは、蝶と密談を交わすことのできる子には許されない。
温かさに守られるのは、真っ当に生きていくことができる人間に与えられた権利。
「その娘は、紫純琥珀蝶を操るのですぞ! 忠告しましたからな!」
父は、自分の声をかき集めて叫ぶ。
私よりも、妹の方が筒路森に相応しいと訴える。
その発言に間違いはひとつもなく、どうすれば妹を立てることができるのか必死に頭を動かす。
「筒路森さ……」
いつだって父は正しい。
私は父の願いを叶えるために、彼の腕から抜け出そうと抵抗を示す。
でも、そんな些細な抵抗は見抜かれていたのか、私は更に強い力で抱き寄せられる。
「筒路森の品格を、北白川が落とすわけには……」
「彼女が、私の妻になる女性です」
筒路森の様の熱を感じるのは初めてのはずなのに、その温もりに抱かれることが必然だったかのように思えてしまう。
初めて感じた温もりに、懐かしさを抱いてしまうほど恋焦がれてしまいそうになる自分を恥じた。
「筒路森様っ、私は、私は、あなたの妻になるためだけに……」
晴れやかな衣服は、筒路森のご当主様に見てもらうためだけに用意されたもの。
筒路森様のために用意した美しさある衣服を引きずりながら、美怜ちゃんは未来の旦那様へと縋ろうとする。
「私の人生は、筒路森様に捧げるためのもので……」
「美怜ちゃ……」
「私に話しかけないでっ! 私の邪魔をしないでっ!」
そんな妹のみすぼらしい姿を見ていられなかった私は、今度こそ筒路森様の熱から解放されようと身体を動かした。
すると、筒路森様は、ようやく私を解放すると同時に頭を優しい手つきで撫でてくれた。
やっと私は彼から解放されるのだと安堵の気持ちに包まれるはずなのに、彼の熱から解放された私は冷えゆく一方。
「北白川美怜様」
筒路森様は妹と目線の高さを合わせるために、その場へと屈んだ。
「筒路森様っ!」
父の静止を無視して、筒路森様は美怜ちゃんのことを視界に映す。
ご自分の立場を気にすることなく、美怜ちゃんと対等であろうとする姿勢が窺えた。
「北白川の名に縛られることなく、自由に生きていかれることを願っております」
美怜ちゃんの瞳から、涙が零れる。
「どうか、お幸せに」
その涙を拭ったのは、筒路森様ではない。
その涙を拭ったのは、私たち姉妹を産んでくれた父と母だった。
「結葵、行くぞ」
私に与えられた名を呼んでくれるのは、紫純琥珀蝶しかいなかった。
彼が私の名前を呼んだ瞬間、自分が新しい未来に向かって進み出したことを実感した。
とうとう堪えきれなかった涙が頬を伝い、私は彼から抵抗することを諦めた。
「違う……」
「それ以外に考えられない……!」
怒りと、憎しみが混ざった声に対して、向ける言葉がない。
「違う……」
「違わないっ!」
妹の幸せを邪魔したいわけでも、自分の手柄を立てるつもりもなかった。
でも、結果的に私は妹の祝言を妨げた。
今更、何を弁明しても信じてもらえない。
「筒路森様、この娘は北白川と一切関係のない娘です!」
「どうか、どうか美怜のことを……」
何を言っても信じてもらえないのなら、謝るしかない。
そう言葉を紡ごうと、口を動かそうとしたときのことだった。
「倍の価格をお支払いします」
これ以上、私が言葉を紡がないように。
私の言葉を塞き止めるために、筒路森家のご当主様の手の甲が唇へと触れる。
「彼女を私の嫁にいただきたい」
彼の言葉に、誰もが信じられないという表情で筒路森家のご当主様を見つめた。
「どうして……?」
妹が涙を浮かべながら、震える声で婚約者に尋ねる。
「車、用意できました」
筒路森様の側近の方の呑気な声が、部屋を漂う殺伐とした空気を打ち破った。
「って、あれ? まだ話、終わってないんですか」
事の成り行きを見ていなかった青年は朗らかな喋りで、この場の空気を壊しにかかる。
「いや、もう済んでいる」
「それは良かった」
筒路森の当主に、手を引かれる。
私はもう言葉を紡ぐことができるようになったはずなのに、何を言葉にすればいいのか分からない。
「お……お待ちくださいっ! 筒路森様!」
「倍では足りませんか? では、更に倍の額をお支払いします」
「その娘は、その娘は……!」
こんなときになっても、父は私の名前を呼んでくれない。
「この子は、美怜と違って不出来なのです」
母も、私の名前を忘れてしまったのかもしれない。
「私の方が、妻として相応しい振る舞いを……」
妹は、姉よりも優位であり続けようと必死だった。
「筒路森様……私は、あなたの妻に、は……」
「聞こえなかったか」
私が身を引くことで、この場は丸く収まる。
筒路森のご当主様の腕から抜け出そうと試みると、彼は私の手をしっかりと握り締めた。
まるで、もう二度と離さないと言われているかのような錯覚。
心が激しく鼓動を打ち、溢したくないはずの涙が涙腺を揺さぶり始める。
「俺は、君を嫁に欲しいと言っているんだ」
彼の温かい手の感触が、まるで安心感を与えるように心へと染みていく。
心には躊躇いの気持ちがあるはずなのに、彼の真剣な眼差しを自身の瞳に焼きつけたいと願ってしまった。
「私は……蝶の子で……」
手を繋いでいない方の片手を、自分の胸元あたりへと運ぶ。
早く、良い結末を迎えられるようにと祈りを込める。
「筒路森様っ! お待ちくださいっ! その子は世界を滅ぼすために産まれてきた子! 筒路森の品格を失わないためには、美怜との婚約を……」
「申し訳ございません。聞こえていなかったようですね」
彼と共に歩き出すと、周囲のざわめきや妹の悲痛な叫び声が遠ざかっていくように感じた。
「彼女がいいと、お伝えしたはずですが」
彼の腕の中で、初めて自分が守られていると感じることができた。
でも、その温かな腕に守られることは、蝶と密談を交わすことのできる子には許されない。
温かさに守られるのは、真っ当に生きていくことができる人間に与えられた権利。
「その娘は、紫純琥珀蝶を操るのですぞ! 忠告しましたからな!」
父は、自分の声をかき集めて叫ぶ。
私よりも、妹の方が筒路森に相応しいと訴える。
その発言に間違いはひとつもなく、どうすれば妹を立てることができるのか必死に頭を動かす。
「筒路森さ……」
いつだって父は正しい。
私は父の願いを叶えるために、彼の腕から抜け出そうと抵抗を示す。
でも、そんな些細な抵抗は見抜かれていたのか、私は更に強い力で抱き寄せられる。
「筒路森の品格を、北白川が落とすわけには……」
「彼女が、私の妻になる女性です」
筒路森の様の熱を感じるのは初めてのはずなのに、その温もりに抱かれることが必然だったかのように思えてしまう。
初めて感じた温もりに、懐かしさを抱いてしまうほど恋焦がれてしまいそうになる自分を恥じた。
「筒路森様っ、私は、私は、あなたの妻になるためだけに……」
晴れやかな衣服は、筒路森のご当主様に見てもらうためだけに用意されたもの。
筒路森様のために用意した美しさある衣服を引きずりながら、美怜ちゃんは未来の旦那様へと縋ろうとする。
「私の人生は、筒路森様に捧げるためのもので……」
「美怜ちゃ……」
「私に話しかけないでっ! 私の邪魔をしないでっ!」
そんな妹のみすぼらしい姿を見ていられなかった私は、今度こそ筒路森様の熱から解放されようと身体を動かした。
すると、筒路森様は、ようやく私を解放すると同時に頭を優しい手つきで撫でてくれた。
やっと私は彼から解放されるのだと安堵の気持ちに包まれるはずなのに、彼の熱から解放された私は冷えゆく一方。
「北白川美怜様」
筒路森様は妹と目線の高さを合わせるために、その場へと屈んだ。
「筒路森様っ!」
父の静止を無視して、筒路森様は美怜ちゃんのことを視界に映す。
ご自分の立場を気にすることなく、美怜ちゃんと対等であろうとする姿勢が窺えた。
「北白川の名に縛られることなく、自由に生きていかれることを願っております」
美怜ちゃんの瞳から、涙が零れる。
「どうか、お幸せに」
その涙を拭ったのは、筒路森様ではない。
その涙を拭ったのは、私たち姉妹を産んでくれた父と母だった。
「結葵、行くぞ」
私に与えられた名を呼んでくれるのは、紫純琥珀蝶しかいなかった。
彼が私の名前を呼んだ瞬間、自分が新しい未来に向かって進み出したことを実感した。
とうとう堪えきれなかった涙が頬を伝い、私は彼から抵抗することを諦めた。