のんたと隆二に変なことを言われたせいで、調子が狂わされている。
 昼食を食べ終え、教室に戻ると、橘の席が女子に囲まれていた。

「あのっ、希純くんにお手紙書いてきて……っ」

 ピュアそうな女の子が、勇気を振り絞って手紙を渡している。まわりの女子たちは、「頑張れ」と女の子の背中を押しながら成り行きを見守っているようだ。
 そして当の橘と言えば。

「ありがとう」

 少し戸惑ったようにしながらも、手紙を受け取っている。
 そんな様子を見ながら、橘は鈍感だよなと思う。あれだけ黒王子なんて囃し立てられながらも、多分モテるということに無頓着なのだ。

「きゃあ……っ。あの、これでっ……」

 手紙が橘の手に渡ったことで、小さな悲鳴と共に女の子が去っていく。

「やばいよう、怖いと思ってたのに優しかった……!」

 俺の横を通り過ぎざま、女子たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。
 俺は持っていたペットボトルを乱雑にスクールバッグにしまう。
 そのときだった。

「超速報!」

 クラスの中でもお調子者キャラの女子が、突然教室に駆けこんできた。クラス中の視線を集めたその女子は、息を弾ませながら声をあげた。

「世界史の奥山せんせが婚約したって!」

 はっとする。即座に斜め後ろの席の橘を見る。
 視線の先では、まさに橘ががたんっと音を立てて席を立ち上がるところだった。そして顔を上げないまま足早に教室を出て行く。ざわつく教室の中、その異変に気づく生徒はいない。
 俺は思わずその姿を追って駆け出していた。



「橘……」

 姿を見失い、やっとのことで橘を見つけたのは音楽室だった。
 橘は音楽室の壁に身を寄せ、両膝を抱いて蹲っていた。

 橘の前にしゃがみ込むと、橘が静かに顔を上げる。
 その顔を見て、ずきんと胸に鋭利な痛みが走る。橘の目は赤く濡れていた。

「ださいよな、失恋で泣くなんて……」

 すんと湿った鼻を啜りながら、橘が自嘲的に呟く。
 俺は首を横に振りながら、橘の頬を伝う涙をそっと拭う。

「好きだったんだ、幸ちゃんのこと」
「うん」
「幸ちゃんが女の人しか好きになれないのは知ってたけど、それでもどうしようもなかった」

 ――そういう恋愛って虚しくないのか。
 橘が俺に言い放った言葉の真意が、今ならよくわかる気がする。報われないとわかっていても諦められないくらい、本気で直向きな想いを抱いていたのだ。
 でもさ、他の男を想って泣くのが許せないよ。

 俺は思わず腕を伸ばし、吹きさらしの痛々しい体を抱き寄せていた。瞬間的にその体が驚きに強張る。

「く、どお」
「こうしてると、人ってストレスが減るんだって」

 シトラスの香りが鼻につく。

「寄りかかっていいよ」

 その言葉に、強張っていた橘の体から力が抜けていくのがわかる。
 橘が顔を埋めた肩口がじんわり温かくなっていく。

 ……そうして橘の温もりを抱きしめながら、俺は抗いきれない本音を静かに受け入れた。
 もう否定のしようがない。俺は橘のことが好きだ。

 本当はずっと空っぽだったのかもしれない。空っぽだから、必死にその隙間を埋めようとして不特定多数の愛に目をくらませていた。
 これまでの世界をいとも簡単にひっくり返される、これが恋なのか。

 俺は、この男がほしい。