俺がギターボーカルの代打に決まり、翌日から本格的に学校祭に向けてライブの練習が始まることになった。
 愛用していたエクスワイヤーが自室の押し入れの中から日の目を見たのは、じつに3年ぶりだ。
 楽譜は前日に送られてきたので、昨日のうちに暗譜した。中学生の頃から暗譜は得意分野だ。

 そしていざ迎えた放課後。軽音部の部室で久々にエクスワイヤーの重みを肩に乗せると、指はちゃんと動くか、喉は開くか、そんな不安は一気に吹き飛んだ。それはまるで体に染みついたものが、引き起こされるように。
 喉を解放してギターをかき鳴らしながら全身で歌っている瞬間、俺は今生きているのだと実感する。そんなむきだしの感情に襲われる感覚が久々で、体の芯が震える。

「やば! 叶芽、めっちゃかっこいいじゃん」
「こんなに歌うまいんだな!」

 初めての音合わせをすると、俺の歌を聞いた鷹野をはじめとした軽音部のメンバーはみんな、俺の肩を叩いて褒めてくれた。
 とはいえ、ブランクはやはり見過ごせない。指はなまっているし、高音もまだ出きっていない。
 学校祭までの残り時間はわずかだが、あの頃と同じように――いや、あの頃以上のパフォーマンスを仕上げるのだ。





 ライブの練習で部室に缶詰めになり、クラスの準備にはほとんど顔を出せていないが、任せろと言ってくれたのんたと隆二に助けられている。
 けれど今日は中華カフェ用の衣装のフィッティングがあるため、軽音部の練習を早めに切り上げた。
 
 教室を覗くと、クラスは活気にあふれていた。

「細かく調整するから、サイズ合わない人は言ってー」

 手芸部の子たちが、てきぱきと指示をしていく。衣装はすべて、手芸部の子たちが主導となって準備をしているようだ。

「ちょっと腕まわり、きついかも」
「オッケー。直すから、こっちに来て」

 声があちこちで飛び交い、その中でも手芸部の子たちの表情はこれまでに見たことがないほど輝いて見える。

「お疲れ。フィッティングに来たんだけど」

 近くにいた手芸部部長のサオリちゃんに声をかけると、俺を振り返るなり飛び上がる。

「わ……! お待ちかねの久遠くんだ! みんな、久遠くん来たよ!」

 その声に、一目散に手芸部の子たちが押し寄せ、俺はあれよあれよという間にパーテーションの奥に連れていかれる。

「チャイナ服はこれね! 小道具はこれを使って!」

 指示されたとおりメンズのチャイナ服に袖を通すと、今度はヘアセットだ。まるで有名人になったかのように、次から次へと多くの手が施されていく。
 そうしてされるがまま、気づくと準備は整っていた。

「さ! みんな注目! 久遠くんのフィッティングができました!」

 サオリちゃんに注目を集めるような呼びかけをされ、さすがの俺も少し気恥ずかしさを感じながら、パーテーションの奥から登場する。
 途端に教室中から悲鳴があがった。

「やば!」
「待って! かっこよすぎるんだけど……!」

 装飾やメニュー考案を担当していたクラスメイトたちも、一気にこちらを見る。
 黒いチャイナ服と羽織に、薄い色つきの丸サングラス、無造作にかきあげられた前髪。窓に反射する自分は、なんだか別人のようだ。

「白王子にあえて黒を着せてみたかったんだよね!」

 腕まくりをしながら、サオリちゃんがふんっと鼻息荒く力説している。

 女子たちが押し寄せる中、教室の奥で飾りつけをしていたのんたと隆二も、やいやい言いながらこちらへ寄ってくる。

「お、叶芽、似合ってるぞ」
「なんか中華マフィアのボスみたいだな」
「うるさい」

 のんたの頭をぽすんと叩いていると、不意に背後で「きゃあっ!」と女子の悲鳴があがった。
 そちらを振り返った俺は――少なくとも10秒は固まっていたと思う。そこには、チャイナ服に着替えた橘が立っていたのだから。
 白地に紫の花模様のチャイナ服を身に纏い、赤いタッセルのピアスを着けていて、なんだろう、色気が凄まじい。

「橘くんもやばい……」

 黄色い声というよりは、こちらはなんというか感嘆がもれるような静かな興奮だ。
 橘の新たな一面を見つけてしまったような、そんな感動がクラス中に音もなく走っている。

「あ、久遠」

 腕をさすり居心地悪そうにしていた橘が、俺を見つけるなりに安心したような表情を緩める。

「こういうの、なんか照れるな」

 ほんのり顔を赤くして、へにゃりと橘が笑う。
 ……あ、やばい。
 考えるより先に、脳を伝達せずに喉から声がこぼれていた。

「綺麗だよ、橘。すごく綺麗だ」

 食い気味に告げれば、ぼんっと火を噴くように橘の顔が赤くなる。

「ひ、人たらしめ……」

 けれどここは教室で、そのうえ大勢の注目を浴びている。女子たちがざわつくのも無理もなく。

「え、橘くん、もしかして照れてる?」
「なんか今日の橘くん可愛くない?」

 女子たちの騒ぐ声が聞こえてきて、俺は慌てて視線を遮るように、着ていた羽織を橘の頭から被せる。

「久遠?」
「ごめん、サオリちゃん、橘はもう終わりでいい?」
「え? うん、いいけど……」

 そしてサオリちゃんの許可を得るなり、橘を急いでパーテーションの裏に押し込む。

 橘が可愛すぎて、俺の心配が尽きてくれない。