その日、レターセットを買いに行って、二日かけて手紙を書いた。七緒と、宮先輩と、由香ちゃん未央ちゃん。それから春野さん。わたしが夏休みの間、お世話になったひとたちへ。

「書けたー」
「おつかれ」

 図書室でペンを置いたときにはもう夕方で、窓からは斜めに光が差し込んでいた。となりで凪都が笑って、わたしの頭にぽんと手を置く。その感覚は、ない。

「……ありがとう、凪都。ごめんね、つき合わせちゃって」
「ぜんぜん」

 わたしも凪都も、一瞬顔がこわばったけど、すぐなんでもない顔にもどった。

「まさかこんなに時間かかるとは思わなかったよ。あー、疲れた」

 最後に書いた七緒への手紙を、封筒に入れる。

 二日間ずっと、凪都はわたしのとなりで手紙が書き終わるのを待ってくれていた。情けない話だけど、わたしは文章を考えながら、何度か泣きそうになった。凪都がいてくれたから、最後まで書ききることができたんだ。ひとりだったら、投げ出していたと思う。

「手紙書きたいって言われたときは、俺やることないじゃんって思ったけど。意外と出番あってよかったよ」
「あははー、たいへん助かりました。ありがとうございます」

 出来上がったばかりの手紙を、自分のスクールバッグにしまう。

「それ、いつ渡す予定?」
「いまから。帰ったら渡すよ」

 本当は、わたしが消えたあとに読んでもらおうかとも思った。だけど、それはあまりにも一方通行かなと思ってやめた。手紙を読んだら、みんなもわたしに言いたいことが出てくるかもしれない。それは、ちゃんと聞きたい。

「なら手紙じゃなくて、口頭でもよかったんじゃないの?」
「それは、ちょっと恥ずかしいし、うまく話せる自信なかったから……。あ、でもどうしよう。書いたはいいけど、なんて言って渡せばいいのかな」

 そこまで考えていなかった。改まって手紙を渡すのも、結構恥ずかしくない?

 凪都はおかしそうに喉を鳴らす。

「サンタ方式にしたら? みんなが寝てる間に渡すとかさ」
「それはそれで、明日の朝が恥ずかしいよ」
「わがままだな。まあ、普通にご飯食べたあとにでも渡しなよ。女子寮のメンバーなら、手紙もらって馬鹿にするひとなんていないだろうし。あのメンバーの結束強すぎ」
「……うん、そうだね。そうする」

 わたしたちは笑い合って荷物を持つと、図書室を出た。お互い、うそくさい笑い方だなあ、と思うけど。手紙が入ったバッグの持ち手を、ぎゅっとにぎる。

 ……本当は、凪都にも書こうと思った。でもまだ書けてない。どんな言葉を送ったらいいのか、わからなかった。伝えたいことは、たくさんあるのに。

 それから、書こうとして書けていない手紙が、もうひとつある。それも、書き上げないと。わたしが消えちゃう前に。

「七緒さん、柚届けに来たよ」

 女子寮に着くと、玄関で七緒が待っているのが見えた。凪都が手をあげて、七緒を呼ぶ。七緒は笑って、手をふり返した。

「おかえり、柚」
「ただいま」

 凪都と別れて、わたしは部屋に荷物を置くと食堂に向かった。春野さんとご飯の準備をするのは、もうみんなの日課になっている。今日のご飯はおでんだった。わたしが、食べたいって言ったからだ。本当は冬に食べたかったけど、その冬がわたしには来ないから。

 わたしのわがままに、みんなは嫌な顔をひとつもしない。本当に、どこまでやさしいんだろうな、と思う。

「もう、大好きだよー」
「うわっ、どうしたの、柚。わたしも好きだけど」
「こらー、調理中にいちゃいちゃしなーい。するならこの宮先輩も交ぜなさい」
「あ、ずるい。わたしたちも入れてくださいよー」
「ですよー!」

 わいわいと騒ぐ寮生たちを、春野さんが「あらまあ」と笑って見つめていた。そんな空気の中にいるたびに、わたしは泣きたいのと笑いたいのと、感情が一気に押し寄せてきて困ってしまう。

 おでんを食べ終わると、わたしはそっと手紙を取り出した。心臓はばくばく鳴っている。おでんを食べながらずっと考えてみたけど、結局うまい手紙の渡し方はわからなかった。仕方ないから、直球勝負だ。

「これ、みんなに。本当に、いままでありがとうございました」

 ぺこりと頭をさげながら、まずは年上の宮先輩に手紙を差し出した。宮先輩はぱちくりと目をまたたく。

「どうしたの、柚ちゃん」
「いや、あの……、たくさんお世話になったから、お礼を言いたくて」

 瞬間、みんなの顔に緊張が走った。あ、まずい。ちょっと言い方間違えたかな。まるで、いまから消えます、みたいな雰囲気だ。んんん、と頭を抱える。

「えっと、まだもうちょっと、お世話にはなるんだけど、でも、その……」

 困っていると、宮先輩はふっと微笑んだ。

「うん、ありがとう柚ちゃん。ありがたく受け取ります」
「あ、どうぞです。えと、みんなにも」

 つぎは一年生コンビに手紙を渡す。ふたりとも泣きそうな顔で、大切そうに手紙を両手で受け取ってくれるから、卒業証書を渡す校長の気分になった。

 そのあとは春野さん。

「わたしにまでありがとう、東坂さん。最後までフォローするからね」

 手紙を渡したら、やさしく微笑まれて、ちょっと泣きそうになった。さすが女子寮みんなのお姉さんだ。本当に感謝しかない。

 それで最後は。

「七緒」
「……うん」

 向き合ったとたんに、七緒に抱きつかれた。春野さんの微笑みには耐えられたけど、これはちょっとまずいかもしれない。

「わたし、柚がルームメイトでよかった」

 ああもう、そんなこと言わないでよ。だけどわたしが泣く前に、七緒はばっと身を離した。七緒も泣きそうだけど、必死に笑顔をつくっているみたいな、へんてこな顔だった。

「まあ、まだ夏はつづくんだしさ。まだまだ、わたしは柚といちゃいちゃする予定なんで、これで終わりなんて思わないでよ! でも手紙はありがたく頂戴する!」
「……うん。もらってください」

 これで、女子寮のみんなにしたかったことは終わった。わたしが消えるまでにしたいこと、ひとつ、クリア。ほっとしたような、自分がもうすぐ消えることを目の当たりにして苦しいような、複雑さが胸の中をぐるぐるとめぐっている。なかなか、気分爽快とは行かないから難しい。

 わたしはその夜、七緒が眠ってから、女子寮を抜け出した。

 七緒は、まだ夏がつづくと言ったけど、もうわたしに残された時間はすくない。夏休みは、残り一週間とちょっと。

 最近、わたしはどんどん消えていっている。自分が幽霊だってわかったあたりから、二倍速くらいでわたしの影は薄くなっているみたいだった。いまじゃ、わたしが幽霊として存在していることを知らないひとには、ほとんどわたしのことが見えていないらしい。

 凪都や七緒にも、ちょっと目を離すと見失いそうになる、と言われた。だから最近、朝は七緒に図書室まで連れていかれて凪都にバトンタッチ、夕方は凪都から七緒へのバトンタッチをされている。

「凪都」

 中庭のベンチには、凪都がいた。うまくいけば、五回くらい呼びかけたら気づいてもらえるはず。

「凪都。なぎとー。凪都さーん。凪都くん。……凪都」

 ああ、今日はちょっと、だめっぽいかな。

 凪都はベンチに座って、空を見ている。わたしもとなりに座って、同じように空を見る。薄曇りの空だった。ちらほらと星が見えるだけ。夜の散歩は、もう無理かな。気づいてもらえないのに一緒にいても、仕方ない。好きだったんだけどな、こうやって夜に会うのも。

 たった数日で、世界がどんどん変わっていくみたいだった。そのスピードに、わたしの心だけが置いていかれそうになる。日に日に消えていく、わたし。やっぱり、夏休みが終わるのと同時に、わたしも消えちゃうんだろうな。むしろ、夏休み前に消えちゃうんじゃないかって気もしてくる。大丈夫かな、まだ、わたしはここにいられるかな。

 ちょっと泣きそうになる。

「柚?」

 ふいに呼ばれて、はっとした。

「……え、凪都?」
「いたんだ。びっくりした」

 凪都がわたしを見て、すこし笑っていた。

 ……わたしのほうこそ、びっくりだよ。今日はだめな日かと思ったのに。

「なに、その顔。泣いてた?」
「泣い、てない」
「そ」

 凪都がはい、と手を差し出してくる。わたしはおそるおそる、自分の手を重ねる。この瞬間が怖い。触れられなかったらどうしようって。ふわりと、指を包み込まれる感覚。……よかった。

 怖いのに、わたしは凪都に触れたくなる気持ちを止められなかった。ここにいるって、感じたくて。

 指を絡ませて、しっかりつなぐ。その動作を、凪都は表情ひとつ変えずに行った。だけど指先には力がこもっていた。

「手紙、どうだった? 渡せた?」
「うん。ばっちり」
「そ。よく頑張りました」
「うん、頑張りました」

 暗い気持ちをごまかすために、わたしは笑った。凪都も合わせて笑ってくれる。

「それで? つぎはなにする?」

 ……つぎ、は。

「あのね」

 一度深呼吸をして、言う。

「実はまだ、渡せてない手紙があって」

 わたしは、持ってきていた小さな紙袋から、便せんを取り出した。マリンカラーの可愛らしい便せんには、わたしの言葉を詰めた。凪都が用意してくれて、後押ししてくれたもの。渡さないまま消えるなんて、できない。

「お母さんとお父さんに、手紙を書いたんだ。封筒、もらえるかな?」
「わかった」

 凪都は目を細める。暗くて重くて不安定な黒色の瞳で、それでも凪都は笑顔ってうそをつく。

 ――最近、凪都の様子がおかしい。

 とても苦しそうな顔をするようになった。きっとそんな顔をさせているのは、わたしなんだ。やっぱりそれは、嬉しいようで、それ以上にわたしを苦しくさせた。