その日の夜は、たこ焼きパーティーだった。みんなでわいわいとたこ焼きをつくるのは楽しかった。つぎは闇鍋パーティーをすることになったし、各自で食材を買いに行くことも決定済みだ。女子寮のみんなとの楽しみがあるから、頑張れる。
つぎの日、わたしは昼ご飯を食べてから、制服に着替えて寮を出た。
凪都がなにを思っているのかはわからない。だけどわたしは、このまま凪都を放っておきたくない。グランド脇を通って、陽射しの下、図書室につながる通路を目指す。
「あ」
見覚えのある男子の姿を見つけた。わたしは迷ってから、おずおずと口を開く。
「あの……、諒さん、ですよね」
向こうもわたしに気づいて、はっとした。
「柚さんだっけ? 凪都と一緒にいた」
すこし明るい髪色の、長身の男子。凪都の幼なじみで、バスケ部の諒さん。今日も部活なのかもしれない。Tシャツと短パン姿だ。人懐っこそうなひとみに気まずさをにじませて、諒さんは首もとをかく。
「なんか、この前はすみません。変な空気に巻き込んじゃって」
わたしもあわてて首をふる。
「いえ。むしろ、わたしが凪都のむかしの話を聞きたいって言って、あの状況になったので。謝るのはわたしのほうというか……」
「あ、そうなんだ……」
沈黙。
視線をさ迷わせる。声をかけたのはいいけど、友だちの知り合いって、ほとんど他人だ。どれくらいのテンション感で接するべきかわからない。迷っているうちに、諒さんが言った。
「柚さんって、何年生?」
「あ、二年です」
「同じだ。タメ口でいい?」
「どうぞ」
「柚さんもタメでいいよ。……あのさ、凪都、俺のことなんか言ってた?」
ためらいながら、そう訊いてきた。そういえば体育館に行ったときも、ほかの部員は険しい顔だったけど、諒さんだけは気まずそうだったっけ。凪都の話だと、ふたりは喧嘩別れみたいな状況のはずだけど、いまの諒さんは怒っているわけじゃなさそうだ。
それで、凪都がなんて言ってたか、って訊かれると……。ほかの部員はともかく、諒さんのことを悪く言ってはいなかった気がする。だけど、仲直りしたいとも言っていない。むしろこれ以上諒さんに関わる気はない、みたいな態度だった。
「……あー、ごめん! やっぱあいつ、俺のこと嫌ってるよな」
わたしが答え方に困っていると、先に諒さんのほうが諦めてしまった。
「わかりきってることなのに、ごめんな。言いにくいこと訊いちゃって」
「え、あ、いや、そうじゃなくて」
「あんなことがあったんだし、嫌いになるのが当然だ。うん、大丈夫。わかってるから。ごめん」
「あ、だから、そうじゃないんだってば……!」
わたしの声が、自然と大きくなった。諒さんはきょとんとわたしを見る。
「あの……、凪都は、諒さんのこと、悪く言ってなかったよ。真面目でいいやつだって、言ってたから」
わたしの言葉に、諒さんは「え」と目をまたたく。驚いたって感情をそのまま外に発散するみたいな仕草だった。幼なじみって言うけど、いつも飄々としてる凪都とは全然タイプがちがう。
お互いに黙り込んだ。蝉が鳴いて、汗が首筋を伝う。暑い。
金縛りから解けた諒さんが、「あのさ」と言った。
「よかったらだけど、どっかで話さない?」
諒さんは、わたしを体育館横の通路に連れていった。日陰になっているし、風が通り抜ける場所みたいで、結構涼しい。
「柚さんは、なんで凪都とむかしの話なんてしてたの」
「それは凪都が……、悩んでるみたいだったから。なにを悩んでるのか訊いたら、中学の部活のことを話してくれて」
「そっか……、そうなんだ。あいつ、悩んでたんだ」
つぶやいてから、「あああー」と諒さんが深くため息をついてうなだれる。前かがみになって、それはもう深いため息だった。そのまま倒れちゃいそうだ。
「だ、大丈夫?」
「んー、ごめん。いや、やっぱ、俺のせいだよな。あー、もう、どうしよう」
体勢をもどしたはいいけど、今度は頭を抱えてしまった。ひとつひとつの動作が大きい諒さんに、わたしはどう反応すればいいのかわからない。
「えっと……」
「俺さ、凪都にはずっと謝らなきゃって思ってるんだよ」
ぴたり、と諒さんが動きをとめてつぶやく。
「え?」
謝る? 怒るじゃなくて?
「凪都が部活で手を抜いてたって話は、聞いてるよね?」
「うん、まあ」
「俺、あのとき本当に腹が立って。凪都のやつ、やる気出せばもっとうまくなれるのに、なんで全力出さないんだって思ったし。手を抜いてるのが俺のためっていうのも、もう、なんか……、馬鹿にされてる気がして、イライラしてて」
でも、と諒さんは言葉を止める。
「全力でやれよ、って思いながら、あいつに全力出されたら俺は負けるだろうなって怖くもなってた。だって凪都、なんでもできるだろ。イケメンだし、器用だし、俺が勝てるわけないな、あいつはずるい、って思ってた」
「そうなの……?」
「ああ。凪都に、全力を出してほしかった。だけど出してほしくなかった。自分でもなにがしたいのかわかんなくなっててさ。もう本当に頭ごちゃごちゃになって、結局俺は部活やめて逃げたんだ」
諒さんは空を見上げた。ふっと息継ぎをしているすきに、わたしが言う。
「凪都は、諒さんが部活やめたのは自分のせいだ、って言ってたよ」
「ちがう」
否定の言葉は早かった。
「俺のせい。俺がいろんな意味で、弱かったからだ」
諒さんは苦しそうに眉を寄せて、さっきよりも言いにくそうに、ぽつぽつと話してくれる。
「ほんとは、部活やめた理由も、それだけじゃないし」
「え?」
わたしが待っていると、諒さんはうつむいた。
「……仲のよかった部員にさ、凪都が手を抜いてるって、愚痴ったんだよ。そしたら噂が一気に広がって、凪都は悪者にされてた。そんなつもりじゃなかった。……俺が部活やめたのは、凪都の立場を悪くした罪悪感から逃げたかったって理由もあるんだ。最低だろ」
噂を広めたの、諒さんだったんだ。
それは、凪都の話を聞いただけじゃ、わからないことだった。だって凪都は、全部を自分のせいだって抱え込んでた。多分、諒さんがこんなふうに悩んでることを、凪都は知らないんじゃないのかな。
わたしは目を閉じて考える。もし自分のせいで、友だちが悪く言われるようになったら……、苦しいはずだ。諒さんの気持ちも、わかる気がした。
「凪都に謝らなきゃと思ってるんだ、ずっと。でも、タイミングなくて……、あ、いや。その言い方はずるいな。俺がただ、逃げてただけなんだ。凪都と話すのが気まずくて、怖くて」
諒さんはもっとうつむいて、黙ってしまった。
……なんだ。むかしのことを、しょうもないことだったって凪都は言ってた。本当に、しょうもないことじゃんか。凪都も諒さんも、ふたりして自分が悪いって思ってる。すこし話せば、お互いを楽にしてあげることも、仲直りすることもできたはずなのに。
どうして凪都は、もう遅い、なんて言ったんだろう。
もしかしたら、余計なおせっかいって凪都には言われるかもしれない。だけどわたしは、このまま放っておきたくない。だから、すこしだけわがままを言わせてほしい。
「諒さん。凪都と話してみてくれないかな?」
「え?」
「わたしは、ふたりの仲がこじれたままなんて嫌」
凪都の瞳に、明るい光が灯ってほしいから。
凪都が死にたいって思うのは、自分にも、むかしの部活仲間にも、それ以外のすべてのことにも、「もういいや」って面倒くさくなっているからだって言ってた。自分がいないほうがその面倒はないはずだから、生きていたくない、って。
きっと、その価値観をひっくり返すのは、難しい。だけどひとつずつ、変えていきたい。凪都が生きたいって思えるように。自分の人生に期待ができるように。だから。
「お願いします」
諒さんからしてみれば、突然出てきた他人が出しゃばっているように見えたと思う。だけどわたしは、真剣に頭を下げた。
つぎの日、わたしは昼ご飯を食べてから、制服に着替えて寮を出た。
凪都がなにを思っているのかはわからない。だけどわたしは、このまま凪都を放っておきたくない。グランド脇を通って、陽射しの下、図書室につながる通路を目指す。
「あ」
見覚えのある男子の姿を見つけた。わたしは迷ってから、おずおずと口を開く。
「あの……、諒さん、ですよね」
向こうもわたしに気づいて、はっとした。
「柚さんだっけ? 凪都と一緒にいた」
すこし明るい髪色の、長身の男子。凪都の幼なじみで、バスケ部の諒さん。今日も部活なのかもしれない。Tシャツと短パン姿だ。人懐っこそうなひとみに気まずさをにじませて、諒さんは首もとをかく。
「なんか、この前はすみません。変な空気に巻き込んじゃって」
わたしもあわてて首をふる。
「いえ。むしろ、わたしが凪都のむかしの話を聞きたいって言って、あの状況になったので。謝るのはわたしのほうというか……」
「あ、そうなんだ……」
沈黙。
視線をさ迷わせる。声をかけたのはいいけど、友だちの知り合いって、ほとんど他人だ。どれくらいのテンション感で接するべきかわからない。迷っているうちに、諒さんが言った。
「柚さんって、何年生?」
「あ、二年です」
「同じだ。タメ口でいい?」
「どうぞ」
「柚さんもタメでいいよ。……あのさ、凪都、俺のことなんか言ってた?」
ためらいながら、そう訊いてきた。そういえば体育館に行ったときも、ほかの部員は険しい顔だったけど、諒さんだけは気まずそうだったっけ。凪都の話だと、ふたりは喧嘩別れみたいな状況のはずだけど、いまの諒さんは怒っているわけじゃなさそうだ。
それで、凪都がなんて言ってたか、って訊かれると……。ほかの部員はともかく、諒さんのことを悪く言ってはいなかった気がする。だけど、仲直りしたいとも言っていない。むしろこれ以上諒さんに関わる気はない、みたいな態度だった。
「……あー、ごめん! やっぱあいつ、俺のこと嫌ってるよな」
わたしが答え方に困っていると、先に諒さんのほうが諦めてしまった。
「わかりきってることなのに、ごめんな。言いにくいこと訊いちゃって」
「え、あ、いや、そうじゃなくて」
「あんなことがあったんだし、嫌いになるのが当然だ。うん、大丈夫。わかってるから。ごめん」
「あ、だから、そうじゃないんだってば……!」
わたしの声が、自然と大きくなった。諒さんはきょとんとわたしを見る。
「あの……、凪都は、諒さんのこと、悪く言ってなかったよ。真面目でいいやつだって、言ってたから」
わたしの言葉に、諒さんは「え」と目をまたたく。驚いたって感情をそのまま外に発散するみたいな仕草だった。幼なじみって言うけど、いつも飄々としてる凪都とは全然タイプがちがう。
お互いに黙り込んだ。蝉が鳴いて、汗が首筋を伝う。暑い。
金縛りから解けた諒さんが、「あのさ」と言った。
「よかったらだけど、どっかで話さない?」
諒さんは、わたしを体育館横の通路に連れていった。日陰になっているし、風が通り抜ける場所みたいで、結構涼しい。
「柚さんは、なんで凪都とむかしの話なんてしてたの」
「それは凪都が……、悩んでるみたいだったから。なにを悩んでるのか訊いたら、中学の部活のことを話してくれて」
「そっか……、そうなんだ。あいつ、悩んでたんだ」
つぶやいてから、「あああー」と諒さんが深くため息をついてうなだれる。前かがみになって、それはもう深いため息だった。そのまま倒れちゃいそうだ。
「だ、大丈夫?」
「んー、ごめん。いや、やっぱ、俺のせいだよな。あー、もう、どうしよう」
体勢をもどしたはいいけど、今度は頭を抱えてしまった。ひとつひとつの動作が大きい諒さんに、わたしはどう反応すればいいのかわからない。
「えっと……」
「俺さ、凪都にはずっと謝らなきゃって思ってるんだよ」
ぴたり、と諒さんが動きをとめてつぶやく。
「え?」
謝る? 怒るじゃなくて?
「凪都が部活で手を抜いてたって話は、聞いてるよね?」
「うん、まあ」
「俺、あのとき本当に腹が立って。凪都のやつ、やる気出せばもっとうまくなれるのに、なんで全力出さないんだって思ったし。手を抜いてるのが俺のためっていうのも、もう、なんか……、馬鹿にされてる気がして、イライラしてて」
でも、と諒さんは言葉を止める。
「全力でやれよ、って思いながら、あいつに全力出されたら俺は負けるだろうなって怖くもなってた。だって凪都、なんでもできるだろ。イケメンだし、器用だし、俺が勝てるわけないな、あいつはずるい、って思ってた」
「そうなの……?」
「ああ。凪都に、全力を出してほしかった。だけど出してほしくなかった。自分でもなにがしたいのかわかんなくなっててさ。もう本当に頭ごちゃごちゃになって、結局俺は部活やめて逃げたんだ」
諒さんは空を見上げた。ふっと息継ぎをしているすきに、わたしが言う。
「凪都は、諒さんが部活やめたのは自分のせいだ、って言ってたよ」
「ちがう」
否定の言葉は早かった。
「俺のせい。俺がいろんな意味で、弱かったからだ」
諒さんは苦しそうに眉を寄せて、さっきよりも言いにくそうに、ぽつぽつと話してくれる。
「ほんとは、部活やめた理由も、それだけじゃないし」
「え?」
わたしが待っていると、諒さんはうつむいた。
「……仲のよかった部員にさ、凪都が手を抜いてるって、愚痴ったんだよ。そしたら噂が一気に広がって、凪都は悪者にされてた。そんなつもりじゃなかった。……俺が部活やめたのは、凪都の立場を悪くした罪悪感から逃げたかったって理由もあるんだ。最低だろ」
噂を広めたの、諒さんだったんだ。
それは、凪都の話を聞いただけじゃ、わからないことだった。だって凪都は、全部を自分のせいだって抱え込んでた。多分、諒さんがこんなふうに悩んでることを、凪都は知らないんじゃないのかな。
わたしは目を閉じて考える。もし自分のせいで、友だちが悪く言われるようになったら……、苦しいはずだ。諒さんの気持ちも、わかる気がした。
「凪都に謝らなきゃと思ってるんだ、ずっと。でも、タイミングなくて……、あ、いや。その言い方はずるいな。俺がただ、逃げてただけなんだ。凪都と話すのが気まずくて、怖くて」
諒さんはもっとうつむいて、黙ってしまった。
……なんだ。むかしのことを、しょうもないことだったって凪都は言ってた。本当に、しょうもないことじゃんか。凪都も諒さんも、ふたりして自分が悪いって思ってる。すこし話せば、お互いを楽にしてあげることも、仲直りすることもできたはずなのに。
どうして凪都は、もう遅い、なんて言ったんだろう。
もしかしたら、余計なおせっかいって凪都には言われるかもしれない。だけどわたしは、このまま放っておきたくない。だから、すこしだけわがままを言わせてほしい。
「諒さん。凪都と話してみてくれないかな?」
「え?」
「わたしは、ふたりの仲がこじれたままなんて嫌」
凪都の瞳に、明るい光が灯ってほしいから。
凪都が死にたいって思うのは、自分にも、むかしの部活仲間にも、それ以外のすべてのことにも、「もういいや」って面倒くさくなっているからだって言ってた。自分がいないほうがその面倒はないはずだから、生きていたくない、って。
きっと、その価値観をひっくり返すのは、難しい。だけどひとつずつ、変えていきたい。凪都が生きたいって思えるように。自分の人生に期待ができるように。だから。
「お願いします」
諒さんからしてみれば、突然出てきた他人が出しゃばっているように見えたと思う。だけどわたしは、真剣に頭を下げた。