「章人……どこに行ったんだろ?」
 教室にも章人の姿はないし、道場やあいつが行きそうな所も探し歩いた。
 もしかして早退か?と思い、四組の知り合いに尋ねてみたが、さっきまで元気そうにしていたようだ。
「本当にどこに行ったんだよ」
 何となく過ぎる嫌な予感。
 ここ最近は、章人が教室にいないときは必ずと言っていいほど、あの雌猫がチョロチョロ動き回るのだ。きっとまた、どこかに章人を連れて行ったんだろう……。
「あー、なんなんだよ!?」
 廊下の壁を思い切り叩いてから、俺は走り出した。
「意味わかんねぇ。なんでこんなにイライラすんだよ……章人の馬鹿野郎。あー! イライラする!」
 俺には思い当たる節があった。
 きっと絢瀬先輩だ。彼女が章人を連れ出したに違いない。
「ふざけんなッ!」
 俺はこの前、章人と絢瀬先輩が一緒にいた廊下に向かって走った。

 なんでこんなに章人に執着してしまうのかもわからないし、絢瀬先輩から章人を奪い返したところで、その先には何が待っているのだろうか。
 だって、章人はあんなに怒っていた。だから、俺を許してくれるわけがない。
 本当に意味がわからない。
 なんなんだよ、この気持ちは……心臓が痛くて仕方ないし、肺が上手く酸素を取り入れてくれない。 
 苦しくて苦しくて、でもこの気持ちに見て見ぬふりなんて、もうできるはずなんてない。
 章人を誰にもとられたくなんかないんだ。
「いた!」
 予想通り、章人は薄暗い廊下で絢瀬先輩と楽しそうに笑っている。
「もう、神谷君たら……本当に上手ね。好きになっちゃいそう」
 絢瀬先輩が章人の手を握った瞬間、髪が逆立つほどの嫌悪感を覚える。
 ――そいつに触るな……。
 その手は、俺の為にある手なんだから。

「神谷君、私、神谷君のことが………え、なに、きゃあっ!?」
 絢瀬先輩は悲鳴とともに、章人から手を離した。
 それもそうだろう。章人の腰に、俺が急にしがみついてきたのだから。
「え、な、凪……!?」
「なんだよ、神谷……ハァハァ……こんな雌猫に言い寄られて、シッポ振ってんじゃねぇよ……ハァハァ……」
「ちょっと、君はなんなのよ!」 
 今度は絢瀬先輩の金切り声が静かな廊下に響き渡る。
 俺はそんな彼女のことを見向きもせずに、章人を見上げた。

「生意気なんだ、章人の分際で……俺のことが可愛いんじゃなかったのかよ……」
 絢瀬先輩に聞こえないくらいの小さな声で呟く。
 泣きたくなってきたから、更にギュッと力を込めて章人に抱きついた。
「もう……君って人は……全然わかってないんだから。すみません、絢瀬先輩。(こいつ)に用事があるんで、これで失礼しますね」
「ちょ、ちょっと神谷君!」
 絢瀬先輩が章人を呼び止めたのに、まるでそんなものは聞こえないかのように、章人はさっさと歩き出す。
 そんな章人に引き摺られながらも、俺は必死に足を動かしてついていった。

 章人に連れてこられたのは、いつも二人の秘密基地のような場所だった屋上。相変わらず吹いてくる風は冷たくて気持ちいいし、そこから見える景色は綺麗だ。
 なのに、そんなものは全然頭に入ってこない。
「はぁ……なんなんだよ、君は? 俺のこと好きじゃないなら、俺が誰と一緒にいても構わないだろう? 絢瀬先輩、きっと気分を悪くしたよ」
「なんで絢瀬先輩の機嫌なんかとるんだよ? あんな奴どうでもいいだろう!」
「どうでも良くないよ。 俺は平和主義だから、なるべく敵は作りたくないの」
 地面に座っている章人が大きなため息をついてから、俺を見上げた。
「なんなんだよ、はこっちのセリフだよ。お前には俺がいるのに、なんで他の奴と仲良くするんだよ。めちゃくちゃイライラするし、心臓が痛くなる。もう本当に意味がわからねぇ」
「凪……」
「俺が苦しいのも、わからねぇのか! 馬鹿章人! どうにかしろよ…!」
 俺は無我夢中で章人に抱きついた。涙が自然に溢れてきたけど、もうそんなものはどうでもいい。
 章人の制服にシミがいくつもできる。

「苦しくて辛い……もうこんなの嫌だ……お前を見てると疲れる。罰ゲームでお前を騙したことは謝ったじゃん。もう許してよ。今の俺には謝ることしかできねぇもん。ごめん、素直になれなくて、ごめんね」
 その瞬間、そっと俺の背中に腕が回されて強く強く抱き締め返される。あまりの力強さに一瞬息が止まりそうになった。
「ふふっ。馬鹿は凪だろ? 凪はよっぽど俺のことが好きなんだね」
「……好き……?」
「そう。君は俺のことが大好きなんだよ」
「そ、そんなことない……」
「なんて言っても無駄だよ。だってほら、凪の心臓はこんなにもドキドキしている。凪の体はこんなにも正直で、俺のことが好きだって叫んでるんだよ」
「そんなこと……」
「もういいよ。いい加減素直になりな?」
 章人。俺、もう無理。これ以上気持ちを押し殺すことなんてできない。だってこんなにもお前のことが……。

 初めて出会ったときから、いけ好かない奴で、絶対に関わらないでいようと思ってた。
でもいつからだろうか。章人が気になって仕方がなくて、いつも目で追っていたっけ。
 罰ゲームだって知られることが怖くて、ずっと怯えていた。でも逆に、真実を打ち明けて許されたいとも思って……優しい章人の傍にいることが幸せだったのに、凄く苦しかった。 認めたくなくて、パズルのピースを崩すように気持ちをバラバラにして、見て見ぬフリをしていた。
 でも自分でも気付かないうちに、パズルは完成してしまっていたんだ。気付かないふりをしているうちに……。

「凪、もう強がらなくて大丈夫だよ。これで完全にゲームオーバー。凪の負けだよ」
「……わかってる、俺の負けだ」
「なんてね。本当は引き分けだよ。だって、俺もずっと前から、凪のことが好きだったんだもん。凪は知り合った頃から、ずっと俺の特別だったんだよ。こんなにも辛抱強く待ってたんだから、もう離さない。俺も凪が好き」
 俺を抱き締める腕に、更に力が込められて。
 苦しい、苦しいよ、章人……。
「もう絶対に離さない。凪は、俺のものだ」
「じゃあ罰ゲームのことは、もう怒ってない?」
「怒ってるに決まってるだろう? でも……」
「……でも?」
「ん……ッ……ふッ……」
 少しだけ強引に唇を奪われてしまい、呼吸ができなくなる。それでも、夢中で章人の口付けを受け止めた。
「許せない以上に凪が好き」
「あき、ひと……」
「凪、俺のことが好きか?」
「うん、好き。大好き」
「なぁ、章人はいつから俺が好きだったの? それから俺のどこが好き?」
「あははは。めっちゃ質問するじゃん」
「あ、ごめん」
 章人に聞きたいことがたくさんあって、矢継ぎ早に質問攻めにしてしまったことが恥ずかしくなってしまう。そんな俺に、章人は優しく笑いかけてくれた。
 よかった……またそんなふうに笑ってくれて。

「はじめは凪の顔に惚れたんだ」
「は? 顔?」
「ごめんごめん。でもこんな可愛くて綺麗な子は初めて見たから。つい心が動いちゃった。それから俺に負けたくなくて、必死に強がってる凪も可愛かったなぁ。だから俺も追いつかれたくなくて、必死だったよ」「なんだよ、それ。ならもっと早く言ってくれればよかったのに……」
「本当だね。はじめからお互い素直になれてたら、こんなに遠回りしなくても済んだのにね」
「うん……」
 お互いがお互いに負けたくなくて、でも気になって……素直になれなかった。もっと早くこうして思いを打ち明けられていたら、未来は違ったのかもしれない。
「章人、ごめんね」
「ふふ。しおらしい凪も可愛いね。でも嘘をつく悪い子にはお仕置だよ」
「え……?」
「ベッドでトロトロに蕩けさせて……泣きながら俺のことを好きって言わせてあげる。それで少しは反省してね」
「……や、やめて……恥ずかしい……。それに、もう十分反省してるから……」
「なんだよ、それ? 反則だろう……凪、可愛すぎる」
「あ……ッ……あぅ……んッ……」
「凪、キス気持ちいい?」
「うん。気持ちいい、もっと……」
「可愛い、凪」

 なぁ、章人。素直になれなくて、ごめんね。
 でも、俺は章人が大好きだ。
 ようやく素直になれた唇は、「大好き」って伝えたかったのに、章人に塞がれてしまって……何も言えなくなってしまった。


【END】